楽しい、楽しい、寂しい



一人掛けのソファにふんぞり返って座っていた当麻はビール片手に大きな欠伸をした。

珍しく征士が出張で不在、となると久方ぶりのお一人様なのだからと張り切って借りてきたブラックユーモアのきき過ぎたアニメーションは、
本国の教育委員会から大顰蹙を買ったという代物で、征士がいる時になど死んでも観られないものだ。
だからと言って当麻自身、これがそんなに観たかったワケではない。
ただ、征士がいないというのをいい事に、普段彼がいれば絶対に出来ないであろう事を片っ端から実行しているだけだ。

例えば今日の昼はファストフード店に行って3人前ほどの量のジャンクフードを買って来て食べた。
夜は夜で宅配のピザにしたが、同じ味だけを食べ続けるのは飽きるからとMサイズのピザを半分ずつ違う味にしてもらってそれを2枚、
それから昼も食べたがフライドポテトにチキン、明日帰って来る征士の小言を頂かないで済むように申し訳程度にサラダも食べた。
飲み物だって昼間は1.5リットルのペットボトルに入ったコーラをコップにも注がずそのまま飲んだし、夜はずっとビールを飲み続けている。
流石に腹が張ってきたが、自堕落という言葉が似合うこの状況をもう少し楽しもうと、ビールをもう1缶、冷蔵庫から取り出した。


因みに風呂は夕食後にすぐに済ませてある。
使った入浴剤は貰い物で、最初に使った時に征士が、女のような匂いがする…と顔を顰めた物だ。
当麻はその匂いが好きではないが特別嫌いというわけでもなかったし、いつまでも家にあるのは勿体無いからと一気に全部使ってみた。
お湯の色は紫ともピンクとも言えないドギツイ色になり、妙に滑ってしまったがそれも滅多とない経験だと笑った。
ただ浴室内の匂いは明日まで残るかもしれない。
入浴後すぐに湯を流して念入りに洗い、換気もしておいたがこればかりはどうなるか解らない。

髪だっていつもは征士が乾かしてくれるので適当に拭くだけだが、今夜はそうはいかない。
慣れない手つきで必死に乾かしてみたがどうも彼のように上手く出来ず、まだ湿っている癖に妙にパサついている気もする。
だが髪から雫が垂れるわけではないからいいだろうと途中で投げ出した。
若しかしたら明日、征士に髪が傷んでいると文句を言われるかもしれないが女ではないのだ、本来そこまで大事にする必要などない。





アニメ観賞に際して、スラングを含めて様々な言語に精通している当麻は最初こそ実際の音声と字幕の比較をして楽しんでいたが、
それも飽きてきてそろそろ寝ようかと伸びをする。
パジャマの袖がズルリと落ちて、二の腕の辺りまで顕になった。


「…………やっぱデカイよなぁ…」


袖を摘まんで本来の位置まで伸ばすと、指先だけを残して手は隠れてしまった。
肩の位置も随分と下がっているし、ズボンも緩く、腰骨に引っ掛かってどうにかずり下がらないような状態だ。
このパジャマは明らかに当麻にはサイズが大きい。

当然だ、着ているのは征士のパジャマなのだから。

身長こそそこまで差のない2人だが、身体の厚みとなると全く異なる。
筋肉質の征士に対し、当麻は元々が太りにくいだけでなく筋肉自体がつきにくい体質のために細い。
普段着などは同じサイズ表記でもブランドによって多少の差があるため身体に合うものを選ぶが、パジャマとなると別だ。
下手をすれば着て眠ること自体少ないのだ、肌触りさえある程度のものならば気にしない事のほうが多い。

適当に買ったLサイズのパジャマは征士が着れば普通に見えるが、同じ物のMサイズを着ている当麻には身に余るサイズだ。
ソファから立ち上がれば裾を引き摺り、残りのビールを一気に煽って寝室へ向かう。
こんな姿を征士が見れば、人のものを勝手に着るな、だの、だらしない、だのと言うであろうが今日はその彼がいない。
大きいパジャマはそれだけで体格差を改めて痛感させられ腹立たしくもなるが、その反面何だか面白くてそれも当麻は堪能する。




1人で使うには大きすぎるベッドは何件も店を回って漸く決めた物で、寝心地は最高に良い。
そこに軽く助走をつけて飛び込んだ。
これだって普段やれば絶対に、確実に咎められる行動だ。


「あー…、楽しっ」


足をバタつかせたりベッドの上を転がったりして一頻り遊ぶと、思わず笑いが出た。



征士の枕に顔を埋めると、彼の匂いがする。

パジャマなどの衣類は全て同じ洗濯機で、同じ洗剤を使って洗うため当麻のものと同じ匂いしかしない。
枕のカバーはそうやって洗うが、何故か自分のものと違う匂いがしている。


「…………もしかして俺って糖分取りすぎなのかな…」


以前、征士が自分の首筋に顔を埋め、甘い匂いがすると言った事があった。
食べた物の匂いがそのまま出るわけではないが、身に覚えがないでもない。
少しばかり反省はするが、途中で諦め、またすぐに枕に顔を埋めた。
個人個人で匂いは違うものだが、征士の枕からは新しい畳のような匂いがする。


「…アイツは爺臭すぎんだな、性格的に」


だからこんな匂いがするんだ。
外観はどう見たって西洋丸出しの男なのに、中身はそれを裏切って純和風を超えて侍の彼を思い、また笑った。



上掛けを被れば、肌寒いという事はない。
だが普段、征士に抱き締められて眠る事に慣れた身体には、上掛けだけというのはどこか心許ない。
ブランケットを出してもいいかも知れないが、そういう寒さともまた違う。
人肌というのは物理的にだけではなく温かいものだというのを、こういう時に思い知る。


征士のパジャマを着て、征士の枕を使って眠る。
彼本人はいないがそれだけで安心できた。



私がいなくて寂しくないのか。


昨夜、彼はそう言って拗ねていた。

寂しくないのか。
寂しいに決まっている。
だけど楽しいのも事実だ。


当麻は元々、自分は一生1人で生きていくと思っていた。
両親のどうしようもない所によく似た性格は好奇心を抑える事が出来ず、物事に没頭すると周囲が見えないという厄介なモノで、
どう考えたって誰かと寄り添って生きていくのには不向きな性質としか思えなかった。
それを寂しいなんて考えたことは無かったが、特に前向きに思う事でもない。
ただ淡々とした生活をするとばかり思っていた。

そんな自分にしつこいくらいに関わってきたのが征士だった。
正直、最初は幾ら彼だってこんな自分にいつかは呆れ、この関係自体に彼の方が飽きるだろうと思っていたが、
彼は飽きるどころか日に日に自分に対しての執着を強めている。
それを息苦しく感じることもあるが、それよりもそれが素直に嬉しいと思うし心底有難いと思う。


そんな彼の不在。
1人で過ごしてきた当麻からすれば元の状態に戻っただけだが、それを改めて寂しいと感じる。
彼がいなければこういう感情も解らなかったのかも知れない。
そう思うと、何だか楽しくて堪らない。

彼のいる有り難味。
彼といる幸せ。

そういうものを全部味わえるのが、今の状況だ。


「寂しくないワケねーだろ、……バーカ」


笑いながらいう台詞ではないのかもしれないが、どうしたって笑ってしまう。


「声くらい聞かせろよ、バーカ」


会いたいのに声しか聞こえない、声だけでも聞けるという状況もどうせなら味わいたい。



デジタル表示の時計を見ると10時を過ぎたところを指している。
確か彼は今日、自分の父親と2人で食事をしているはずだ。
もう終わったのだろうか。
それともまだ2人で顔をつき合わせているのだろうか。
案外、2軒目などに行っているのかも知れない。

声を聞きたいが、2人が飲み屋でオッサンのように背を丸めながら飲んでいる姿を想像すると楽しくなってきた。
いや、実際自分の父親はもうジジイだし、自分達だってもう若者と言うには落ち着いた年齢だ。
それに父親は兎も角、征士が背を丸めているなど有り得ないだろうが、それでもそういう光景を見てみたい。


「電話してもいーけど、しなくてもいーぞ」


4時間近くビールを飲み続けていた当麻は、アルコールが回ってきて意識が薄れていく。
どっちにしろ征士には明日、会えるのだ。
帰ってきたら沢山からかって沢山甘えればいい。
そういう事が出来るのも、相手がいてこそだ。


「でも明日は早く帰ってこいよ」


寂しいから。

幸せそうな笑みを口元に浮かべ、当麻は身体を丸めて意識を手放した。




*****
眠り始めたところに征士からの電話で、歌を要求されるのです。
お義父さん(後)」の、同じ日の当麻です。彼が何をしていたかというアレです。