お義父さん
駅を降りたところでタイミングよく携帯が鳴る。
ディスプレイを見れば、昨日当麻から教えてもらったばかりの義父の携帯番号が表示されていた。
「もしもし」
「伊達君か。今どこだ?」
「今ちょうど鶴橋の駅を降りたところです」
「じゃあ改札で止まっててくれるか。すぐに向かう」
「解りました」
程なくして現れた彼の父と合流し、そしてお好み焼きを食べるために店へと向かった。
今回の晩餐に当麻の父から提案された店は幾つかあったが、征士がその中から選んだのはお好み焼きだった。
東京にも店はあるがそれらで当麻が納得した顔を見せたことはなく、そうなってくると彼の好む地元の味とやらが前々から気になっていたのだ。
そう広くない店内にはソースの匂いが充満している。
席に着くとすぐに注文をとりに来た恰幅のいい女性に、まずはビールを頼んだ。
「伊達君はお好み焼きは…」
「あちらでは何度か当麻くんに連れられて行った事はあります」
「そうか……アレは文句が多いだろう?」
苦笑交じりに言われた言葉に、同じように苦笑をすることで同意を示した。
「やはり食べ物に関してはこちらの方が美味しいものが多いというのは常に言っています」
「食道楽だからなぁ…しかしあまり文句が多いようなら、遠慮せず怒ってくれて構わんから」
それにも苦笑を返した。
確かに文句の多い当麻だが、しかし征士にはそれが可愛いと思えるのだから怒るという事は滅多にない。
それに当麻の文句は本当に簡単なものばかりで、本格的な文句や愚痴などはない。
そういった手合いの事はアッサリと本人の中で見切りをつけてしまうのだ。
相手をするのには楽に違いないが、征士としてはもう少し甘えてくれてもいいと思っている。
「そうだ……アレは朝、ちゃんと起きているのか心配なんだが…」
上着を脱いで空いた席に置きながら言う彼の顔はやはり父親の顔だ。
「まぁ……でも起こせばちゃんと起きてくれるので大丈夫です」
「つまり自力では起きんのだな」
言葉を変えて伝えてみたが、やはりソコはバレてしまった。
呆れた顔をしている彼に、征士はまだ苦笑したままだ。
「………………」
「………………」
少しの沈黙。
こういう場合にどういう会話をすればいいのか征士にはわからない。
元々口数は少ないほうだ。
これが伸であればきっとソツなく会話をこなすのだろうかと思ってみても、やはり彼のようには振舞えない。
少し気まずい思いをしていると先ほど頼んだビールが運ばれた。
一先ずジョッキ同士をぶつけ、乾杯をする。
アルコールでも入れば少しは間が持つだろうかと期待しながら。
ビールの助けを借りて当たり障りのない世間話と仕事の話と、そして本当に何の意味も成さないような季節の話をしても、
結局辿り着く先は共通の話題でもある当麻の事になる。
毎日のこと健康のこと、何を考えているのか何をしているのか。
既に当麻は大人と呼べる歳にはなっているが、実際に彼ら親子が接した時間は他の親子に比べて随分と短い。
若しかしたら父親の中で、息子は未だ幼いイメージのまま残っているのかも知れない。
彼の母親が息子を猫可愛がりするのと同じだろうかと思ったが、あちらは種類が違うなと征士は早々に結論付けた。
彼女の場合は、こましゃっくれた息子を可愛がることでからかっている面も見受けられる。
だが目の前の初老の男は違う。
息子が愛しいのは彼の母と同じだが、彼は不器用な分、言葉にも行動にも滅多とそれを示せないのだろう。
特に本人の前では。
当麻も別に父親から愛されていないなどと思ってはいない。
彼なりに尊敬だってしている。
だが、どうしても素直になれないのだろうか、父親の事を話す時はそうでもないが、本人を目の前にすると生意気な口ばかり利く。
それは父親も同じで、息子に対しては多少説教臭かったり、短い言葉で話すことのほうが多い。
彼ら親子に共通する垂れた目元を見る。
やはり似ているのは目元だけではないらしい。
そう思うとつい口元が緩みそうになった。
既に本日3杯目のジョッキは空になっている。
「…もう少し飲みますか?」
征士が気遣って声をかければ、彼は素直に頷き、店員に声をかける。
頼んだジョッキが2杯だったので征士も自分の分を急いで飲み干した。
お義父さん。
そう思っていて当麻の前ではそう呼びはするが、彼を前にしてそう呼びかけた事はない。
祖父の仕事で一緒だった時も、羽柴さんと呼んでいた。
当麻との関係は事実婚だと思っている征士でも、流石にそれは憚られる。
何せ彼の息子を、まるで女のように抱いているのだ。
自ら告白し許された関係ではあるが、やはり父親の前であまりそれを思わせるような事は言いたくはない。
幾ら受け入れてもらったと言っても、ショックな事に変わりはないだろう。
そうでなくても昨夜も彼を抱いている。
そんな生々しい事をあまり伝えたくはない。
だが。
お義父さん。
そう、呼びたい気持ちはある。
自分の愛する人を、彼なりに愛してくれている人だ。
感謝したいし、ちゃんと幸せにしますと伝えたいのにその糸口やきっかけが掴めない。
こういう時はいつも自分の口下手を恨めしく思ってしまう。
新しいジョッキに手を伸ばした父の顔は既に赤く、最初に比べれば随分と饒舌になっている。
時折話が飛び始めた彼が、テーブルに溜まったジョッキからの雫を拭いながら、
「………当麻は、……音痴だろう」
と、ぽつりと漏らした。
あまりに突然の言葉に、征士は頷く事さえ忘れてしまった。
「あの子に……色々と申し訳ない事は沢山あるがな……音痴にしてしまった事は…まぁ…本当に申し訳ないな、と…」
確かに当麻は音痴だ。
それも随分と音程が外れている。
だがそれは詫びるほどに申し訳ない事なのだろうかと征士は思わず首を傾げた。
それを見て父親は苦笑する。
「いや…………アレがな、…まだ赤ん坊の頃だ。泣くのだがなぁ…私はあやし方が解らなくて、抱き上げても泣きやまんし、
…それで…、歌をな、歌ったんだ。そしたら当麻がピタリと泣き止んだのでソレ以来、ずっとそうしてきたら…………音痴になった」
「…はぁ………しかしどうして」
「私も音痴なんだよ」
調子の外れた歌ばかり聞いていたから、息子も音痴になってしまった。
そう言って懐かしんでいるのか嘆いているのか、それとも笑っているのか解らない表情を浮かべて父親は続ける。
「あとで当麻の母にひどく笑われた。親子揃って音痴だと言ってな」
音痴といわれて拗ねる息子と、申し訳無さそうな父親。
そしてそれを見て笑う母親。
光景が目に浮かぶようだ。
きっと彼の母は幸せだったのだろうと思うと、征士も何だか笑ってしまった。
つられて彼も笑う。
当麻の音痴がまさか父親からの愛情の結果だとは思いもしなかった。
今まで本人から聞いた事はなかったが、だから人前では歌わないが機嫌のいい時は時折鼻歌を歌っているのかもしれない。
自分と父親の、共通点。
滅多と一緒に過ごせない親と自分を繋ぐ、酷い音程の、歌。
それを知って歌っていると思うと、彼の音痴がますます可愛らしく思えてくる。
そしてそれを申し訳ないと思っている目の前の男にも伝えてやりたくなる。
伝える必要なんてないだろうけども。
互いに明日も仕事があるので、頃合を見て店を出た。
随分と酒が進んでしまったがどちらも足取りが不確かという事はない。
「それでは…」
乗る電車のホームがそれぞれ別のため駅の改札で別れる。
征士は律儀に背筋を正して挨拶をした。
それに当麻の父は、ああ、と言って答える。
「伊達君」
階段を昇ろうと足を踏み出した征士を、彼の声が呼び止めた。
「当麻の事を、頼みます」
父親の、顔だ。
酒の為に赤い顔をしているが、子を思う、父親の顔だ。
それを見つけて征士はさっきよりももっときちんと、真摯に、彼に向き直る。
「はい。何があっても幸せにします」
だから、思い切って。
「お義父さん」
告げてから気恥ずかしくなって背を向けて歩き出してしまったから、征士は彼がどんな顔をしていたか見なかった。
見ていればまた1つ、父と息子の似た点を見つけることができたかも知れないのに。
電車にゆられてホテルに向かう間、征士は何度も携帯を出したりしまったりを繰り返していた。
時間はまだ10時だ。
恐らく電車を降りてホテルに戻ってから電話をしても当麻はまだ起きているだろう。
だからかけて怒られる事はないが、電話口で歌って欲しいと告げたら嫌がるだろうか。
絶対、嫌がるだろう。
けれど今は彼のあの、独特の音程の歌が聞きたくて堪らない。
アルコールで僅かにだけ肌を上気させた美丈夫は微笑みながら、どう彼を宥めすかして歌わすかを考えていた。
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お母さんはノリがいいので、ママって呼んでね!て自ら言いそうです。