お義父さん



突然の出張、それも明日という急遽さで寄越された知らせに打ちのめされて帰宅し、それを失意のまま恋人に伝えれば、


「あ、そう。場所、ドコ」


と実にアッサリと、まるで、明日の朝食を買い忘れた、じゃあ何食べようか、くらいの感覚で返って来た回答にまた打ちのめされた征士は、
いつもよりも抑揚のない声で、大阪、と単語だけという珍しい返答をした。
その様子など慣れっこなのか気にも留めない当麻は、大阪かぁ!と少しばかり嬉しそうに語尾を跳ね上げる。
視線を若干上に向けているその様子から、恐らく土産に何を頼もうか考えているのだろう。
征士は自分との温度差に嘆きはするが、それもいつもの事だと諦め、彼が言葉を繋げるまでその表情を楽しむ事にした。


「……あ、って、大阪か」


何事か思い出したのだろう、当麻が突然我に返って言う。


「ああ、そうだ」

「じゃあラッキーだな」


ニっと笑う彼に、征士は何がラッキーなのかと続きを視線だけで促す。


「親父が今、大阪に帰ってる」

「お義父様が…?」


それのドコがラッキーなのか。
別に仲が悪いわけではないし苦手というわけでもないが、それでもやはり義実家となると多少気が引けるのは誰だってそうで、
それは変わり者と言われる征士だって同じだった。


当麻の父親と1対1で会うのは明日の事を数に入れるのならば、まだ2回目だ。
1回目は自分の祖父が立ち上げた企画への参加要請と、そして当麻との関係の事で正式に挨拶をしに行った時だ。

あの時の公の人間としての申し入れの方は、息子も参加するという事に興味を覚えたようですぐに快い返事が貰えた。
だがもう1つのとてもプライベートな話の方はと言うと、当然最初は酷く驚かれ、言葉に詰まられ、彼と同じ垂れた眦で何度も見られ、
正気かどうかと問われ深い溜息を何度も吐かれたが、幸いな事に罵られはしなかった。
ただ、相手が漸く言葉を紡いでくれるまでの1時間をずっと無言で過ごすという、中々に厳しい空気を味わう事になったが。


その後も他に誰かを交えてなら、彼の父との対面は幾度かあった。
会話をした限り、やはり苦手な相手ではない。
息子である当麻は父である源一郎の事を、マッドサイエンティストだの狂ってるだのマトモな神経を持っていないだのと言いたい放題言うが、
征士にはそれほどオカシな人間には見えなかった。
特に息子の話をする時などどこにでもいる、普通の父親の姿を見せる。
恐らく知らないのは息子である当麻だけなのだろう。

因みに征士は当麻の両親の事を義理の父母と思っているし、そうなると当然、大阪にある当麻の家は彼に取っては義実家にあたる。
同性婚が認められていない日本においては彼らは夫婦になりえないけれど、夫婦同然の生活をしているのだからコレは事実婚だ。
となると当然、やはりそこは、義理の父との対面、となるのだろう。


しかし今征士がラッキーかどうかという事の判断は、義父と会うことよりも何よりも、たった1泊とは言え当麻と離れるという事に置かれている。
会えない。それのどこがラッキーなのか。
社会人で、それも会社勤めともなれば出張くらいはある。
だが征士は極力出張になど行きたくない。
理由は簡単で、恋人と離れたくないからだ。
良識ある大人としては随分と稚拙な理由だが、これは彼に取っては随分と本気の理由だった。
普段はなるべくは避けるようしていたが、今回ばかりはそうも言っていられない。
だからせめて恋人である当麻に慰めてもらおうと思ったのに、彼の態度ときたらあまりにもアッサリとしている。
それに落ち込んでは見るが、それを当麻が正確に読み取らないのか、わざとズラしてきているのかは知らないが、兎に角冷たい。
その思いを正直に視線に乗せて見つめてみれば、あっけらかんとした笑いが返ってくる。


「大丈夫だって、親父に大阪!って感じの店連れてってもらうよう頼んどいてやるから」

「何も食べ物の事が言いたいわけではない」

「あ、そうか。あの家に泊まる?部屋は……俺の部屋、まだあのまんま残ってると思うし」

「ホテルは会社側で既に取ってある。そういう事ではない」

「じゃあ何」

「お前なしで寝ろというのか」

「何だよ、寂しいのかよ」


またケラケラと笑い声。


「お前は私がいなくて寂しくないのか」

「それとこれは別問題。折角だからあの広いベッドを1人で堪能させてもらおうかなとは思う」

「当麻……」

「あ、いくら寂しいからって親父に手ぇ出すなよ」

「出すか!」


彼ら親子の似ているところなんて没頭すると周囲が見えなくなるところと、あとは垂れた目だけだ。
当麻は目以外のパーツは全て母親に似ている。

征士が本気で声を上げると、また当麻がケラケラと笑った。


「俺、仮に征士が親父に手ぇ出したら多分、笑うなぁ」

「…笑って済ませられるのか」


私は仮に父や祖父がお前に手を出したら一切笑えない所か、身内であっても手打ちにするに違いないと言うのに。
だいたい今も既に笑っているではないか。

征士の声は自然、常より低くなる。


「だって親父だぜ?超ジジイじゃん。アレ相手にっつったら、逆にスゲーだろ」

「私はお前以外に興味がないと何度言えば」

「解ってるって。だから言えるんじゃないか」


不貞の話を何故か偉そうに楽しそうに言う当麻は、まだ笑っている。
こういう時は征士が幾ら言い募っても話は平行線だ。
ショックを抱えて帰ってきたというのに慰めを得ることが叶わなかった征士は、これ見よがしに溜息を吐いた。


「あ、だからってお袋に手ぇ出すなよ。そっちは笑えねーし」

「解っている」


父親だと笑えて母親だと笑えないのは、やはり息子という立場だからだろうか。
そんな事を考えながら、遣り取りに疲れてきた征士が適当に答えると、今度は緩めただけで未だ首に巻きついたままだったネクタイを急に引っ張られる。
突然の事に驚いていると、間近には恋人の顔があった。




「そん時は俺、お前の一族、片っ端から全部と寝てやるからな」




物騒な事を、口元には不敵な笑みを浮かべ、だけど目は笑わずに言った恋人は、その距離を利用してキスをしようとしたのをアッサリとかわして、
今度はソファに置いていた自分の携帯を手にどこかへ電話をかけ始める。

素直じゃないな。

寂しいのはお互い様だ。
なのに彼はそれをおくびにも出さず、代わりにつれない言葉ばかり吐き出す。

もう少し会話を続けてそんな彼の口から素直な言葉を引き出したいが、明日の朝は早い。
早々に必要な荷物を纏めなければ、今日の時間が終わってしまう。
明日会えないのだから、せめて今夜は…と思っている征士の耳に、地元の言葉で話す当麻の声が聞こえてきた。


「あー親父?俺、当麻。電話くらい早よ出ろや…うん、元気やけどさ、ちゃうねんて。あんな、明日征士、そっち行くって。
うん。せやから何か大阪らしい旨いもん、食わしたってよ。いやー、お袋基準はアカンやろ。あの人、超味音痴やんか。
うん、せやから……あぁ?知らんがな。何でも食べるやろ。うん、うん、…て、何でやねん。…うん、じゃあ後でメールで送っとくわ」


…早速父親に電話をかけたらしい。
既に明日、義父と会う事は予定として決定してしまったようだ。

義父と会う。
スーツもそれなりのものを選ぼうか、それとも店によっては浮いてしまうだろうか。
手土産くらい何か持って行った方がいいのだろうか、だったら何がいいだろうか。
酒か、お菓子か、それとも何か身に付けるものが良いだろうか。
いやそれとも持って行く方が変に気を遣わせてしまうのだろうか。

そもそも、何を話そうか。



明日は1日、本当に疲れそうだと思った征士は電話を切った当麻の背後に忍び寄り、本当にせめて今夜だけでも…と
その腰に手を回して慰めを求める事にした。






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