その時少年の身に何があったのか (前)



白河通りのホテル事件の後さ、もう何てーの。
俺、苛々してたじゃん。
そんでさ、お前に何かもー突っかかっちゃって。
マジゴメンナサイ。
何つーか…うん、もう大丈夫。

放課後、水木 太郎の机の前に立った順平が申し訳無さそうに、
ちょっと照れ臭そうに彼に謝罪をした。


「うん、僕は全然いいよ。何か順平もさ、大変だったと思うし」


謝られた当の太郎は事もなかったようにヘラっと笑って、何かを示すように自分の頬を指差した。

あの時のメンバーは太郎、ゆかり、順平に真田の4人。
太郎はゆかりに派手なビンタを貰ったわけだが、合流後の順平の顔はヒドイ痣が出来ていた。
それは誰の目にも真田に殴られたのだと一目で解るものだった。

無敗のボクサーの拳に比べれば怒った女子の平手打ちなどまだ可愛い威力でしかない。


太郎はそう言いたかったんだろう。
順平の方は大丈夫だった?と数日経ったというのにそう尋ねた。


「あーー……うん、もう平気。イヤ、俺も男だから別に顔に痣くらいイイんだけどな」


と順平の視線が妙に外れたのは何だろうか。
太郎は少し気にはなったものの、やはり一番の友達である順平がいつもどおりに話してくれるのが嬉しくて、
そんな事よりも、と遊びたい気持ちのほうがムズムズと沸き始めていた。


「じゃ、さ。順平、カラオケ行こう、マンドラゴラ」

「お?行きますかねキタローくん。ってかタルタロスいーのか?」

「いーっていーって。最近頑張ったしさ、たまには息抜き!遊ぼうって、ジュンペー!」


二人揃って肩を組み、馬鹿のように笑いながら教室を出る。

太郎にキタローというあだ名をつけたのは順平だったが、結局ソレも順平本人しか呼んでくれてない。
転校の多い太郎としては、あだ名なんてつけてもらった事が久しくなかったから嬉しいのに、
キタローって…というゆかりの呆れた溜息と共にほぼ無かった事にされてしまった。

あだ名以外でも、こうして帰る前の寄り道だって誰かとするのは随分と久し振りだったし、
段々と内向的になっていった自分の性格からしても、順平のように構わず話してくれる人もいなかったから、
沢山話せる友達、というのも久し振りだった。


その友達の順平が暫く話しかけるなと言った間は、酷く寂しかったが、
真田に殴られた事を思えば仕方ないかとも思えた。
素人が無敗のボクサーに殴られるだなんて、考えただけでもぞっとする。

それに寮に入ったばかりの頃の順平の体に、隠してはいたが痣があるのを見た事が1度だけあった。
家で何があったのかは大体想像がついたが本人が言わないのでそれも気付かないフリをしていた。

そんな順平が殴られたらどんな思いをするかなんて、それを思えば自分が避けられるくらい、とさえ思っていた。


現に今は二人してマンドラゴラの部屋で馬鹿のように歌ってはしゃいでいるんだから、
もう太郎に取っては、それもどうでもいい過去だ。



さて、平然と遊び倒して二人して遅くに寮に戻る。
ソファにはゆかり、風花に桐条、そして真田が揃っていた。

ゆかりに遅いだの何してたんだの言われ、二人声を揃えて、


「今日は思い切ってデュエットしてましたー」


なんて言って笑いながら2階へ上がる。



その時、ふと視界の端に入った真田の暗い顔が気にはなったが、普段から難しい顔をしているか、と
それも脳の片隅に追いやった。


そして次の日の朝だ。

たまたま朝、太郎が部屋を出ると順平も同じように部屋から出てきた。


「うぃーっす」

「おはよー」


ホテル事件の前と変わらない挨拶。
ああ、何か久々に楽しい、そう太郎は喜ぶ。

やっぱり友達ってなんか、いいよね。


そしてラウンジに下りると、既に二人以外は朝食を済ませていた。


「あ、二人ともおはよう」


風花が声をかける。
さっきと同じ挨拶を太郎と順平も風花に向ける。


「…あ、そうだ…順平君、これ」


途端、思い出したように風花が野菜ジュースのパックを順平に手渡した。
はて。何だろうか、と太郎は順平と目をあわす。
順平もどうやら思い当たるフシがないようだ。


「えっと、その、深い意味ってナイんだけど……その、野菜って、大事だからさ、
勿論その、栄養とかね、ちゃんと取らないとその……精神的にも疲れちゃうって言うか…」


何言ってるんだろうね、私、と狼狽えながら風花は鞄を持って外に出て行ってしまう。


「…何だろうかネ」

「………さぁ?…あ、アレかな。俺、お前に当たってたから、とか?」

「え、精神的ストレスとか思われたの?順平」

「あー強ち間違いじゃないけど…なんてーか解決したのにな」

「ね」


二人でまた顔を見合わせ、わかんないけど有難くもらおーっと、と順平はストローを差して飲み始める。





二人でモノレールに乗り込んだ。
いつもならイヤホンは自分にだけなのだが、今日は順平も居るし二人で半分こして聞いた。


「あー、お前いっつもこんなん聴いてたんかー」


と順平が言った。
太郎も、うん、とだけ短く答えて。



学校。
影時間にもなると随分と背の高い建物になるが、現在目の前にあるのは
ごく普通の3階建て屋上付きの建物。

下駄箱で靴を出して、二人してF組みの教室に入る。

間を空けて隣の順平からは、先日までの刺々しいオーラではなく、
先生に突然当てられてタスケテと視線が送られてくる、前までと同じ日常。


そしてそのまま何事もなく昼休み。

いつものように太郎と順平と友近の、ヒッソリとゆかりが3馬鹿トリオと呼んでいるメンツで屋上ゴハンをするべく、
まずは購買でパンでも…と席を立った時だった。

順平の席の前にゆかりが立っている。
それも無言で。
どこか憐れむような、悲しむような、悼むような視線で。


「……あのー…ゆかりっち、なんでしょうか…」


あまりにもあまり過ぎる視線に耐えかねて順平が尋ねると、
ゆかりは無言でピンクの包みを差し出した。


「…………ナニコレ」

「…お弁当」


予想外の言葉に、太郎も思わず固まる。
ゆかりが、お弁当?順平に??
順平も何が何だかサッパリで変な顔になっている。


「そんあ顔しなくたって中身は普通よ。……冷凍食品だし」


とだけ言い捨てて、ゆかりは友達のところへ去った。




「何かがおかしい」


屋上に上がったなりに順平は不審な顔でそう言った。
しかしお弁当は有難く頂くらしい。朝の野菜ジュースのように。


「岳羽さん、何でジュンペーにお弁当くれたんだろうな。惚れられるような事あった?」


と友近が茶化しながら聞いたが、こればかりは流石に思い当たるフシも無い順平も太郎も変な顔をする。


「おかしい。おかしいんだって。ゆかりっちが俺に弁当だぞ…喜ぶ前に怪しいって、コレ……
あ、でも最近のは冷凍食品でもオイシイのね。中々だコリャ」

「大丈夫?ジュンペー、お腹痛くない?トイレとかない?
寮の冷蔵庫、最近確認して無いけど賞味期限とか、大丈夫?」


しかしコレが不思議と(不思議というと失礼だが…)、何も問題なく放課後になってしまった。

何の問題もなく、寧ろ寮の女子に親切にしてもらっているというのに反比例で順平の表情は曇っていく。
俺何かしたかなーエロ本、バレたかなーそれともからかわれてんのカナー。
太郎と隣で呪文のようにそんな言葉を繰り返しつつ駅に近付く。


「キタロー、何があっても友達で居てくれな…」


どうやら壮大なドッキリを考えているらしい順平は、昨日のカラオケでの姿はドコへやら、すっかりしょげてしまっている。
涙目で太郎の腕を掴んでいる始末だ。


「や、僕はそりゃ友達だけど」


順平、考えすぎじゃないかナァと慰めようかと思ったが、やはり第三者の目にも今日は出来すぎていた。
風花の野菜ジュースは兎も角、ゆかりの弁当は有り得なさ過ぎて本当に怖い。
仮に自分が同じ目に遭ったら、やっぱり何か裏を考えてしまうだろう。
…順平の場合は考えすぎの気がしなくも無いが。



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