つなぐもの



天田は順平の胸元に対し、あまりいい感情を抱いていなかった。

順平の胸には、薄くではあるが7年前の銃傷が残っている。
ストレガに撃たれチドリが治したソレは、完全に消える前に彼女の命が尽きた為に残ったその傷跡。
回復手段は幾らでもあったが、それでも順平本人が望んで残したその傷跡。

彼が彼女を、彼女から貰った命を、これからも先ずっと大事にし続ける決意のようにもみえる、その傷跡。


天田はその傷のある、順平の胸元に対し、あまりいい感情を抱いていなかった。。


なのに最近、更にあまりいい感情を抱けない理由が増えた。


真田の贈った指輪だ。
順平のどの指にも入らずに結局、普段からつけているネックレスに一緒につけられたソレ。

日頃の感謝だと彼は告げたが、その彼自身が意識していない感情に天田は薄々感付いている。
彼が彼に指輪を渡した。
事情を辿れば、ちょっとした話を誤解した結果の指輪だとは解ったが、
その反面、それは真田の中で順平が居なくなるという可能性を全く考えていないという事の表れであり、
そう思うとソレは何だか彼らを繋ぐ鎖にも見えてしまう。


そして、順平の胸元にあるそれらに対して特にいい感情を抱かないその一番の原因は、
天田自身が抱えているどうしようもない恋心と焦燥感のせいだという事は、当の本人も充分理解している。






さて、その天田だが、季節外れの風邪を引いてしまった。
初日から38度を越える熱を出したにも関わらず、寝てれば治ると放置したのが不味かったのか、
2日目には体に発疹まで出た。

流石にこうなっては病院に行かねばならなくなったが、そんな身体では一人で行けるはずもなく、
結局、待合室で自分の番を待っている彼の横には順平が同じように座って待っている。


「………一人でも大丈夫って言ったじゃないですか…」

「バッカ、オマエ、39度近くまで熱出して大丈夫もクソもねぇだろー?大丈夫だったら熱なんか出ネェっつーの」


何だか居心地悪そうにしている天田の言葉は、順平のご尤もな意見によって棄却される。
しかしこう言っている順平の顔は、世話の焼ける弟の付き添いをしているお兄さん気分丸出しなので、
天田にこう拒まれても仕方がないものとも言えるのだが。





「天田さーん、天田乾さーん」


独特の優しい響きで看護士に呼ばれ天田が席を立つ。
そして勿論、一緒に順平も。


「……順平さんは来なくてもいいでしょ…」

「いやぁ」

「そんなに白衣の天使が見たいんですか…」

「いやいや、ソレも確かに見たいけどアレよ?お前が心配だからよ?」


どこまでが本音だ、と天田は呆れたがもう突っ込むだけの気力もなく、順平のしたいようにさせておく。





「はい、それじゃあコレで熱を測って、それで左腕出して、ハイ、そうそう。それじゃ血圧測るからね」


テキパキと天田の診断の手順を進めていく看護士は、お世辞にも”白衣の天使”という響きが似合うとは言えず、
斜め後ろに待機している順平が、え何この詐欺侍?と言いたげな顔をしているであろう事は、振り返らずとも解った。

やっぱり白衣の天使見たさの方が僕の心配より上か…と溜息を漏らすも、いつものように切り捨てる気力はやはり、ない。
それよりも、少しでも早くこの身体のだるさを取れればもう何でもいい…とさえ思い始めているので、これは相当に重症だ。
もう順平にいちいち突っ込みを入れるよりも、兎に角早く楽になりたい気持ちの方が強くなっている。



どうせこの後は検尿やって診察そして薬を貰って帰宅、の流れだろうな、という天田の予測はここにきて微妙に逸れた。


何やら空の注射器が出てきたのだ。


あ、これはもしや…と嫌な予感がする。

血液検査、というのをやるのではなかろうか。
そう思うと熱のせいだけではない嫌な汗が背中を伝ったのが自分でも解った。

注射だなんて、アナタ、僕、ちょっと注射はその……

幾つになっても天田はどうにも注射への苦手意識は薄れる事がなかった。
別に怖くないと思い込もうとしても見なければいいと思っても、どうしても見てしまうし怖いし、痛いと思ってしまうのだから仕方ない。


そんな天田の気持ちが解ったのだろうか、背後の順平がヘラっと笑っているのが目に浮かぶいつもの調子で、


「あれ、乾ちゃん、怖いなら順平お兄さんが手を握っててあげようか?」


などと聞いてくる。
余計な事を言うな、と天田は言いたいがそれどころじゃない、目の前には注射器だ。
なのに、


「あら、優しいお兄さんで良かったね、病院まで一緒に来てくれてねぇ」


などと看護士も感心している。
違いますその人の半分は好奇心で出来ています、と天田はどこぞのCMのような事を思いつつ、目の前の注射器から目が離せない。



あぁ、イヤだ、だって採血って普通の注射より痛いって聞いた事があるし、それに、え、ちょっと、本当、それ、え!?



「あんまり力んじゃ駄目よ、痛くなるから」


看護士さん、そういう事あんまり言わないで下さい、余計に意識して僕、力んじゃう……!



もう頭の中がグルグルのグイングインになっている天田の意識を、戻したのは、不意に右手に沸いた感触だった。

視線を落とせば、いつの間にか順平が隣に来ていてその手を握ってくれている。
見上げるといつもの笑顔を顔に貼り付けた順平が、な?と言いたげな様で立っていた。


「……じゅんぺい…さん………?」



自分の手よりも骨ばっていて大きくて、綺麗とは言えないその手の温かさに乱れていた心が落ち着く。
恐らく順平本人は何も意識していないのだろうが、密かに手の握り方が”恋人繋ぎ”なのも、
散り散りになっていた天田の思考を集中させる事にかなり役立っていた。


病院に来れば検尿は確実にする。検尿だなんて思春期の天田にはそれだけで恥ずかしいのに、
想い人が居るのに検尿だなんて、死にたいほどの屈辱だった。
それに下手をすれば注射をするかも知れない。
注射で狼狽える自分という情けない姿を彼に見られるのが嫌で病院には一人で行くと言い張っていたが、
彼が一緒に来てくれて良かったと、天田は彼の無自覚の優しさに心の底から安堵する。




「……ぅわ、入った、……!!!!」


…なのに感謝している傍から順平のこの言葉。
そして、空耳であろうが、プスリ、という音も聞こえた気がした。










ぎゃああああああああああああああああああああああああああああ………………!!!






他の患者は愚か、待合室にまで響くようなその悲鳴は二人分だったという……










「………怒られちゃったなあー…」

「怒られましたね…思いっきり…」


会計を済ませ、薬の受け取り待ちをしている二人の手には、絆創膏が張られている。


「………お前さぁ、注射怖いのは解るけど、何も血が出るほど俺の手、掴まなくても良くネ?」


絆創膏に滲んでいる血をボンヤリと眺めながら順平が言う。


注射が入った瞬間の順平の言葉のせいで、左腕から逸れていた天田の意識が一気に戻され、
彼の身体は必要以上に強張った。悲鳴も上がった。
そして力も入る。左腕は勿論、右腕にも右手にも。

それはそれは恋人繋ぎをしていた順平の手の甲に爪が食い込むほどの力で。

その爪が食い込んだ痛みで、今度は順平も悲鳴を上げた。
そして力が入った、彼も。勿論、天田と繋いでいる左手に。

そう、そしてそれは同じように天田の手の甲に順平の爪が食い込むという結果を招いた。


どうにか診察まで終えたものの、二人の手は流血沙汰。
看護士に怒られつつ処置をしてもらったが、中々血が止まらない。



「順平さんがイケナイんですよ……あんな事言わなくていいのに……」


天田も自分の右手を見てぼやく。
深いなぁ、コレ暫く残るなぁ、なんて思いながら。

けれど不快感は正直、なかった。


自分の手の甲に傷をつけたのは順平。
そして順平の手の甲に傷をつけたのは自分。

どうせ1週間もすれば瘡蓋になってポロポロと剥がれ落ち、そしていずれは消える傷跡とはいえ、
一時的ではあるが、彼と自分だけの”つながり”が出来た事に変わりはなく、
それは何だかイケナイ秘密のようで少年の心を擽った。







家に帰って薬を飲んだ後、気が付いたら眠っていたらしい。
薬がよく効いたのか熱も引いたようだ。
明日一日寝ればもう明後日にはいつも通りに動けるかもしれない。

そんな風に思っていると、甘い匂いが家の中に漂っている事に気付く。



「お、天田、起きた?」


エプロンをつけた順平が寝室に顔を出した。
手には美味しそうなプリン。


「コレ作ったの、真田さんには内緒な」


そう言って、まるでイタズラをしている子供のような顔をする順平に、
天田も笑顔で、わかりました、とだけ答えて彼の手からプリンを受け取った。




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真田と天田、二人揃って順平の作るプリンが好きだといいさ。

順平の胸に傷が残ってたらいいなとか思ってました。いや、思ってます。超力思ってます。
(※指輪の件→しょうがない人参照)