それが少年たる所以
同じ階の住人が飼っているのだろうか、猫がベランダから部屋に入ってきたのは夕方のことだった。
天田は咄嗟にテーブルの上に出ていたドーナツを隠し、真田は開けっ放しにしていたプロテインの袋を閉じた。
しかしどうも猫の様子がおかしい。
おかしい、嫌な予感が走るほどに、おかしい。
そして順平が叫んだ。
「よりによって俺のベッドでオシッコかよーーーーーーーーーーーーー!!!!!!」
ヒゲボウズのベッドで粗相をした猫は、その場で伸びを一つすると何事もなかったようにまたベランダから出て行った。
そして残されたのは、ベッドの上の小さな地図と強烈な臭い……
「ていうワケでさ、天田、今晩一緒に寝よう」
とクリーニング屋から帰ってきたばかりの順平の突然の言葉に、
「え、………っ!?」
と天田が驚くのと、
「ソファで寝ればいいだろう」
と真田が切り捨てるのはほぼ同時だった。
「だってしょーがないじゃん、俺のベッド、臭いし。てかシーツとかクリーニング出しちゃったから寝る場所ないし、
それにソファは無理っすよあのサイズ見てくださいよ。2人掛けじゃ俺の体はみ出ちゃう」
「だからって天田でなくてもいいだろう」
その”天田でなくていいだろう”という言葉の裏にどういう意味が隠れてるんですか真田先輩。
それはつまり”俺でもいいだろう”という無意識の表れと取っていいですか真田先輩。
天田はその突込みを視線だけで寄越して、順平に向き直る。
「僕と……寝るんですか?」
「だって俺と真田さんじゃ体がデカすぎて窮屈だし、天田なら何とかなるかなーって」
「…………さり気なく気にしてるんですけど、身長のこと」
「あ、悪ぃ。っつーか俺、床とかイヤだしさ、天田、今晩だけ我慢して。な?」
なんて笑顔で言われたら恋する少年としては頷く以外にどうする術もない。
いつもより右に寄って順平が入れるスペースを空けてやると、ベッドがギシリと傾いた。
その妙に艶かしい音に、天田は表面的にはしょーがないですねーという顔を作ってはいるが、
心の中では大丈夫大丈夫相手は男スネ毛ヒゲボウズ男、と念仏ヨロシク唱えている。
(そのスネ毛ヒゲボウズ男に恋をしているのはどこの誰だとは、突っ込まないであげて欲しい)
「いやー、やっぱ臭いのとかヤだもんなー。あ、天田、俺、そんな寝相悪くないと思うけど蹴ったりしたらゴメンな」
「もし蹴られたら床に叩き落すだけですから平気ですよ」
軽口を叩く間にも、天田の自己暗示は続いた。
どうか、どうか緊張して眠れないなんて最悪なオチにだけはなりませんように、と付け加えながら。
しかしいつの間にか眠っている自分に天田が気付いたのは、不意に圧し掛かった重みのせいだった。
それまでは眠れていたのに、突然の事に目が覚める。
肩のあたりが重い。
背中を向けて見ないよう努力していた順平の方に向き直ろうとするも、何故か上手くいかない。
はて、と思い寝惚ける目を擦り無理矢理に体を反転させる。
と。
目に飛び込んでくるのは心臓が破裂するんじゃないかと思うほどに近い順平の顔。
どうも掛け布団ごと抱きつかれてる状態だと理解するのにそう時間はかからなかった。
「じゅ………順平、…さん?」
恐る恐る声をかけるが帰ってくるのは規則正しい寝息ばかり。
完全に眠っているようで、腕をどけてくれる気配すらない。
どうしよう、と天田は困惑する。
自分よりも彼の方が少しだけ体温が高い事。
いつも焼いてるクレープの甘い匂いが彼の体に残ってる事。
見た目よりも実は筋肉が薄く骨が大きいという事。
そして。
もう少し体を捻れば、キスしてしまえそうな事。
そんな事に気付いてしまって、未発達の少年は困惑する。
ああ、どうしよう。
順平さんは起きそうにもない。
どうしよう、どうしよう。
僕は、…………どうしよう?
少し、ほんの少しだけ、触れるだけなら…………?
「じゅんぺい、さん…………」
囁きよりもさらにか細い声で名前を呼ぶ。
彼を起こさないように体をゆっくりと捻る。
「ん…………んん……」
しかしあと少し、という所で順平が仰向けに体勢を変えてしまった。
天田に圧し掛かっていた腕も遠のく。
彼の体温が、遠のく。
「ぁ」
重なっていた部分にあった彼の体温が徐々に体から消えていき、何事も無かったようにしんとした夜に戻され、冷静さを取り戻す。
キスは、きっと今はしない方がいい。
好きだなんて一言も伝えてないのに、相手の気持ちも確かめてないのに、
キスなんて今はしない方がいい。
いつかちゃんと、コノヒトに、逃げずに、真っ直ぐに伝える事が出来たら、
そしたらその時には。
優しい人だから、案外キスくらいなら嫌じゃなかったらさせてくれるかも知れない
なんて妙な期待と安心感を持ってしまう自分に笑いそうになる。
こんな考えは傲慢なのかな、なんて。
「それにしてもよく寝るなぁ……」
気配とか感じないのかなと思いながら、キスが出来ないのならせめて、と体を起こし順平を見つめた。
額から鼻梁を通って唇、顎鬚から首、鎖骨、右肩、腕、肘、掌、指、爪までいって、最後に規則正しい呼吸を繰り返す胸。
じっと見つめていると、下半身に血が集中してきている事に気付く。
けれどそれは以前に友達とAVを観た時のような急かされるような感覚ではなく、幸せな気持ちで満たされるような、
とても心地よい、それでいて力強い感覚だった。
じゅんぺいさん。
声に出さずに、唇だけ動かしてその名前を呼んでみる。
感覚は更に強くなる。
じゅんぺいさん。
愛しさで心が満たされていく。
触れてもないのに達してしまいそうなほどの高揚感。
彼に触れることもせず、ただただその姿を見つめ、今は既に消えた彼の体温や匂いを思い出しながら、彼を想う。
それだけの事なのに、それがとても幸せで。
もしかしたら体を繋ぐよりも、そうすることが堪らなく愛しくて。
まだ大人になりきっていない少年は、しばしその行為に没頭していた。
「おはようございます………」
夜中に中途半端に起きたせいで、天田はいつもより少しだけ遅く起きてリビングに現れた。
既にリビングにいた真田と順平は何やら神妙な顔をしている。
「………?どうか…したんですか?」
「どうしたも何も…」
「あーまーだああああーーーーーー!」
何かを説明しようとした真田を押しのけて順平が天田の肩を掴み、ガクンガクンと揺らし始める。
「ちょ、わ、ちょ、ちょっと!何ですか順平さん!」
「天田、お前、昨日の夜中1回起きたよな!?起きてベッドから抜け出たよな!!?」
夜中に、起きた。
その言葉を聞いた天田の顔が明らかに青くなる。
確かに起きた。
起きて順平を見つめていた。
その後、このままでは下着を汚してしまうと気付き慌ててトイレに駆け込んだ。
(何せこの家で洗濯するのは順平なのに、その彼に天田のパンツだけ1枚多い事に気付かれるのだけは死んでも避けたい)
「だから天田はお前の寝相が悪くて起こされたんだろう」
「違うよな、天田!単に夜中にトイレ行きたくなっただけだよな!?俺のせいじゃないよな!!?」
しかしそんな事には露程も気付いていない二人は、どうやら天田の寝坊が順平のせいだせいじゃないの論議をしていたようで。
朝になって冷静に考えてみれば、人の寝顔を見て自慰行為をしただなんて、
穴という穴、全ての穴に入りたい気持ちに襲われてしまいそうな天田にとって、その勘違いは少なからず救いになる。
俺のせいじゃないよなお前のせいだろうと目の前で言い合いをする二人に、
「順平さんのせい、と言えばそうですね」
と天田はケロっとして答えてみせた。
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勃起の次は自慰とか、天田をどうしたいんだと問われれば、体も考えも青い少年にしたいのですと答える所存。
(※勃起→週末大戦争(予定)参照)