アンド、
どこか懐かしい空気を感じて、ナスティは針を持つ手を止めた。
時計を見上げて様々な感情の混じった溜息を吐くと、最後の一針を刺して糸を始末した。
リビングへ移動する。
いつの間にか硬い床の上に眠っている当麻の腹の上には、小さな当麻が同じようにくうくうと眠っていた。
すぐ隣には征士がいて、その小さな手を握ったまま彼も同じように眠っている。
更に隣に秀、遼、そして珍しい事に伸も並び、円を描くように5人と1人は眠っていた。
それを少し遠くから見守るようにしていた白炎は、ナスティに気付くとゆっくりと立ち上がった。
そして主である少年に近付き、その頬を舐めて目覚めを促す。
すぐに少しだけ唸って遼の目が開いた。
最初はぼんやりと、けれど近くに漂う空気に気付いて素早く身を起こし、そして青い髪の仲間を見やった。
「…………時間、きた…?」
寂しそうな声を隠しもせずに呟いた声に、ナスティは小さく笑った。
引き止めたいと思う気持ちを、それでもそれが許されないと解って堪える自分と違って遼は素直だ。
答える代わりにゆっくりと彼らに近付き、当麻のすぐ傍に腰を下ろす。
「ほら、お迎えが来たわよ」
「ご迷惑をおかけ致しました」
現れたのは迦遊羅1人だった。
朝に見たときより少し疲れや乱れが見える。
大急ぎで片付けをしていたのはそこから解った。
庭に全員で出て、見送りをする。
小さな当麻は大好きな”まー”の手をきゅうっと握って、彼に連れられる様に迦遊羅のほうへと足を進めた。
覚束無い足取りに合わせた当麻の歩調も、いつも大股でさっさと歩く彼のものより随分とゆっくりとしていた。
「その、……と、…とうまは、…お行儀良くしていましたか?」
生まれたばかりの子に未だ名はなかった。
その子供が自分の名を”当麻”と覚えてしまったと知ったのは、嘗て敵対していた軍師と共に現世へ立った時だった。
あちらではその子に呼びかけるときは誰もが特定の名ではなく、おい、だの、その子、だのといったものばかりだった。
それに軍師のクローンと言っても軍師の彼を呼ぶときも名ではなく、彼が纏っていた鎧の名で呼んでいた迦遊羅からすれば、
その名で呼ぶ事には全く慣れていない。
だからどうしても呼びかけにくいのだろう。
言いにくそうに、そして少し頬を染めてその名を口にした。
「大泣きするわお菓子ばっか食うわすぐ抱っこをせがむわで、行儀がいいとは言い難かったかな」
小さな手に己の人差し指と中指を握られたままで軍師だった少年が答えた。
「………それは……本当に申し訳ありません…」
きっぱりと返された言葉に申し訳無さそうに俯いてしまう。
仕方なかったとはいえ本人の了承もなく勝手にクローンを生み出しただけでも心苦しかったというのに、
更に迷惑までかけたのではもうどう言って良いのか分からない。
そんな彼女に当麻は一切の嫌悪も含んでいない、寧ろ楽しそうな声で続けた。
「でも子供ってそういうモンだしな。よく寝てよく遊んで大きくなるって言うし。ちょっと面倒だったけど、…まぁ面白かったかな?な?」
「あい」
「お前、解って返事してねーだろ」
「あい」
「ったく、適当だなー。…迦遊羅、コイツ、かなり適当だぞ」
「あい!」
ほらまた、と言って笑っている当麻の言葉の意味は解っていないのだろうが、小さい当麻は彼が笑っているので一緒に笑っている。
それが可愛くも哀れで、その背を見つめている残りの仲間は複雑な気持ちで笑えずにじっと見つめていた。
遼と秀は小さな当麻が大好きな”まー”と、ワケも解らないままこれから引き離されてしまうという事に。
伸とナスティは特殊な事情とはいえ、親しい者との別れに仲間の当麻が傷付かないかという事に。
そして征士は少し前まで握っていた小さな手の感触を思い出して、何となく手持ち無沙汰そうにしていた。
「…………天空殿、その…」
「あのさ、迦遊羅」
他の視線に気付いたのか、迦遊羅がこちらもどこか複雑そうな表情で声をかけたのを当麻が遮った。
自分の手を握る子供に向けていた声に比べると、それはやはりきっぱりとしたものだった。
「…何でしょうか」
「コイツ、ちゃんと役に立つように育ててくれよな」
「…心得ております」
「我侭言ったらちゃんと怒っていいから」
「はい」
「子供だからって遠慮しなくていいから」
「……なるべくそう致します」
「それから………」
そこで一度言葉を区切ると、当麻は隣の子供を見た。
自分と同じ顔がそこにある事に対する違和感には、やはり半日一緒に居ても慣れなかった。
小さな子供は、写真で見た自分の2歳の頃の姿と全く同じだ。
着せられている服の上は兎も角、下は女児用ではないかと実は疑っていたものの本人が嫌がる様子もないので放っておいた。
(嫌がるも何も判断材料がないとも言うかも知れないが)
自分と全く一緒の容姿ではあるし、どうあっても物の考え方や知識に関しては同じように育つようになっていると言われている。
誰の目にもこの子供は自分と同じなのだろう。
けれど当事者だからこそわかる。
これは自分と似ているかもしれないが、全く違う子供だと。
子供の癖に妙に聡いのは、確かに一緒なのだろう。
密かに別れる時が辛く感じ始めていた自分の、自分でもよく解らなかった気持ちをこの子供は気付いて慰めようとしてくれた。
けれど、違う。
自分の姿がなければ大泣きをした。
親から聞いていたのは、いつだって手の掛からない子供だったという事ばかりだった。
けれどこの子供は食べ物を欲しがったり、他の仲間が山を捜索するほどの迷惑をかけたり、我侭とは違うかもしれないけれど、
抱っこをせがみ素直に甘えて、他の子供と同じように思うままに行動する節がある。
最初はそうでもなかったと聞いたし何がきっかけになったかはよく解らないままだが、それでもやはり”自分”とは違う。
自分にはそういう面がなかったらしいから。
それに何となく安心してしまう。妙な事に。
「それから、……愚図ってどうしようもなかったら、こっちに連れてきていいから」
「よろしいのですか…?」
「うん。その、何て言うかさ、同じ顔してるのが手に負えないくらいの迷惑かけてるのって、なぁんかちょっと居心地が悪いって言うか…」
なぁ?ともう一度声をかけると、小さな当麻はまたワケも解らずに、あい、と答えている。
それにまた当麻が笑った。
「ホントお前、解ってないなー。………兎に角さ、遠慮しなくていいから」
「承知しました」
「前もって行くよって連絡くれた方がいいけど」
「そうですわね」
「こっちが夜中でもいいし。…今日みたいに度肝を抜くような真似さえしてくれなきゃ、だけどさ」
口端を上げて笑うと、漸く迦遊羅も笑った。
それを確認してから当麻は握られた指を取り戻し、そして子供の目線に合わせるためにしゃがみ込んだ。
「と、いうワケだ」
「あい」
「わかる?お別れ、バイバイするんだからな?」
「あい」
「泣くなよ?いや、泣いてもいいけど……いつまでもビービー泣いちゃ駄目だからな?」
「あい」
「お前、俺なんだから」
「…?」
「よし、その意味がわからんってのは解ってるんだな。よしよし」
ぐりぐりと頭を撫でられて小さな頭が揺れている。
子供はどこか誇らしげだった。
「兎に角、お前にはお前の役割があるんだ」
「…あい」
「いつでも会いにきていいけど、あんまり迦遊羅たちに迷惑かけちゃ駄目だぞ?」
「あい」
「それから自己主張はした方がいいけど、これ以上言ったら駄目だなって引き際も覚えるんだ。いいな?」
「あい」
「よし、じゃあ……」
立ち上がった当麻に、いよいよという事を理解した白炎が寂しそうに小さく唸った。
その背を遼が優しく撫でてやっているが、彼も目が潤み始めている。
それに伸はそっと気付かないフリをしてやった。
「じゃあ……暫くお別れだ、……とうま」
「……………あいっ」
服の裾を強く掴んだままではあったが、子供はハッキリと答えた。
そしてそのまま後ろに並んでいる人たちのほうに向き直る。
「なうちー、ばーばい」
「………はい、バイバイ」
「ろー、ばーばい」
「…うん、バイバイ」
「びゃくえー、ばーばい」
「白炎も、……バイバイって言ってるよ、とうま」
「てーじ、ばーばい」
「………………………うむ」
「ちゅー、ばーばい」
「おう、…また遊んでやるからいつでも来いな…!」
「ちん、ばーばい」
「またホットケーキ、焼いてあげるね」
小さな手を振って1人1人に別れの言葉をかけたその顔は、子供だけれどちゃんと男の顔だった。
「まー、……ばーばい」
「うん。……………またな」
迦遊羅に手を引かれるまでもなく先に妖邪門に向けて歩き出した子に渡しそびれてしまった彼のために用意した衣類と、
刺繍の施された小さなガーゼのハンカチをナスティは慌てて迦遊羅に渡した。
小さなヒヨコの刺繍は彼女の手製のものだ。
ハンカチは元は当麻の持ち物で、小さな子が寂しがらないようにとナスティと相談して用意していたものだ。
危うく渡しそびれそうになったソレを無事に手渡すと少女はしっかりと頭を下げ、子供を立派に育てると約束して後を追っていった。
残された6人と1匹は暫くそのままでいたが、当麻の大きな欠伸でどこかしんみりとした空気は払拭されてしまった。
「………キミ、本当に風情とか情緒の無い子だね…」
「あぁ?しょうがないだろ、寝てないんだってホント」
「いや、お前、俺らが探してる間中寝てたうえに、結局また寝てたじゃねーかよ」
「俺がアレで足りると思ってるのか」
「当麻は人より多く寝るもんな」
「その通り」
「威張るな馬鹿者。その弛みきった根性をどうにかしろ」
「んだよ、早速説教かよ……」
「ホラホラ、いつまでも此処にいたら蚊に刺されるわ。お家に入りましょ」
「あ、俺さっそく刺されたっぽい、痒っ!」
わぁわぁといつものように騒ぎながら、けれど何となく皆で手を繋ぎながら屋敷に向かって歩き出した。
空は夕日で赤く染まった、夏の日の事だった。
**END**
小さな当麻騒動。
…の、その後のオマケ。