ジャック・アンド・ジル
昼の営業時間を終え、一旦店を閉めようと表に出た秀はそこで伸の姿を見つけた。
「おーっ、伸じゃん。どした?」
「やぁ。今終わったところかい?」
言いながら手に持っている袋を軽く持ち上げて相手に見えるようにする。
それを見た秀はニっと笑った。
店の営業時間を知っていて、そして手土産持参と来れば客としてではなく、今日は友人として尋ねて来てくれた仲間を店内へ喜んで迎え入れる。
「良かったらコレ、みんなでどうぞ」
持ってきていたのは伸の会社の近くにある有名なスイーツ店のものだ。
料理店、それも雑誌でも紹介されているような店に食べ物を持ってくると大抵は失礼だと言われるが、伸は迷惑にならないよう畑違いの店のものを
選んでくるし、何より自身も趣味としてお菓子作りをしているから味もいいものばかりで、それは秀のみならず働いているスタッフたちにも喜ばれていた。
「お、いーの?いっつも悪ぃねー。ちょうどこれからみんな飯休憩でさ。早速デザートにもらうわ」
浮かれた様子の秀が、おーい伸から差し入れだぞー、とカウンターでレジの整理をしていたフロア係の妹に声をかけると、
彼女が喜色を隠そうとしない声を上げて駆け寄ってきた。
ニッコリと笑って挨拶をする顔は、兄と違って細いのに兄と同じように人懐っこくて愛嬌がある。
それに伸もどうぞ、と笑って軽く手を振った。
その妹が奥にある厨房に消えると今度は厨房のスタッフたちの喜んだ声が聞こえてきた。
疲れたら甘いものだよなーという言葉には伸への気遣いではなく心からの喜びが滲んでいて、それだけで伸は来て良かったと思える。
伸は元々、自分のために何かをするのは不得手だ。
それは遼も、そして不器用だが当麻だってそうだし、秀も征士も同じことだが、伸の場合は特に。
自分よりも他人を優先し、誰よりも優しい性格の彼は、こういう時にいつも幸せを感じる。
腰が重く、決断も5人の中では一番遅くてしかも心配性。
だが一度心を許せば誰よりも相手を許し、どこまでも相手を信じぬく。
「信」の心に選ばれた伸は、征士と当麻のマンションによく訪れるように、マメに秀の店へも足を運んでいた。
個性の強い5人が今でも頻繁に互いの状況を知る事が出来るのは、伸のお陰としか言いようがない。
それに秀は感謝しつつ、彼にテーブルを進めてお茶を入れた。
「ごめんね。キミも休憩だったんでしょ?」
「おう、気にすんな。つっても俺も飯は流石に要るから、ココで食うし」
いいか?と相手に了承を得ないのは、それだけ相手の事を知っているから。
細かい事を気にするのは伸だが、相手の状況をまず考えて返事をくれる彼の性格を秀はちゃんと理解している。
態々聞かずとも彼ならちょっと皮肉を言って、そしてどうしてそんな事を聞くのかと言わんばかりにアッサリと許してくれるのだ。
「まぁ久々に人並みはずれた食いっぷりを見たくもあったからこの時間に来たわけだし?」
ほらやっぱり。秀はそれが可笑しくて笑いながら、妹に自分の分の賄い飯をココに持って来てくれと頼んだ。
「んでもさ、伸、お前今日仕事はどうした?」
平日に定休日のある商売人の秀と違い、普通の会社勤めをしている伸が平日の昼日中に来るのは珍しい。
服装からしても、どう考えたって仕事の合間という風ではなかった。
「今日は休みを取ったのさ。僕だって疲れるからね」
「っどーせ周りにばっか休め休めって言って、テメーこそ休めって言われてきたんだろ」
忙しくても伸はすぐに人を優先する。
例えば自分のチーム内に結婚したばかりの人間や、上京してきたばかりの人間などがいれば彼らには特に休みはきちんと取るよう言っているに違いないのだ。
それでその穴埋めは全部自分がしているのも想像がつく。
そういう人間だ。
「…まぁねー……」
照れたような笑いに、秀はまた笑った。
彼のこういうところが好きなのだ。
5人の中で体力があるのは秀が一番で、次が征士。昔はその後に当麻、伸、遼と続いたが、今の生活環境を考えると、
恐らく秀と征士が同じくらい、そして遼、伸、そして出不精の当麻だろうなと秀はこっそり思っている。
実際、当麻がどの辺まで動けるかは知らないが。
「んで何だ。仕事を休みにしたはいいけど、実際何をしようか迷ってここに来たのか?」
未だ未婚で、特定の相手もいない伸は休日に誰かと過ごすことが少ない。
大抵は山口の実家へ連絡をいれ、そして気侭に過ごしている。
「今日はちょっと違うかな」
暇を持て余したかと思って聞けば、予想外の答えが返ってきて秀は少しだけ驚いた。
「違うんか」
「うん。朝はね、征士と当麻のところに行ってたんだよ」
「へえ……で、ハシゴして俺んとこ?じゃあ遼が帰ってきてたら夜は遼と会ってたってか」
それはそれで伸らしいなと豪快に笑ったのだが、伸は妙に静かな目をしていた。
「…?どうした??」
「うん、今朝、彼らのところに行っててね、僕思ったことがあるんだよ」
「へぇ」
「何ていうかなぁ…そういう、…気持ちっていうと大袈裟だけど、1人で抱えるのは何だか落ち着かないから、キミと話しに来たんだ」
「ふうん」
秀はちょっと嫌な予感がしてくる。
万年新婚気分(当麻は否定するが、あんなのはどう見たってそうとしか言いようがない)の2人の家を訪れた後で感じる事といえば、気分的疲労くらいだ。
仲睦まじいのは結構だが、時々ラブラブ過ぎて中てられてしまう。
何か面倒臭いイチャつきでもあったのかなぁー、なんて餡かけチャーハンを口にしながら秀は身構えた。
これだけでも驚いて噴出すような事だけは避けられるものだ。
「あのさぁ、…当麻って本当、征士が一緒に居て良かったヨねって思わない?」
「あん?」
「だからさ、当麻ってホラ、何ていうのかな…自分を疎かにしちゃうとこ、あるでしょ?」
「…ああ」
確かにそれはあった。
戦いの最初の頃は状況を、そして少ししてからは仲間の命を優先した結果、倒れてしまうほどに自分を追い込んでいたのは随分昔の記憶だが、
それでも強烈に印象に残っている。
輝煌帝の鎧が発動し、遼がその力についていけずに倒れてしまった時も、遼の部屋を頻繁に訪れる他の仲間と違って当麻だけはあまり様子見に来なかった。
それを冷たいなと少し思ったものだが、彼はその間、心配するだけの自分たちと違ってずっと、それこそ殆ど眠らずに何が起こったのか、
あれが一体何なのかを調べ続けていた。
今後何かがあっても対処が出来るように、そして遼が目覚めたときに、自分の身に何が起こったのかをきちんと説明できるように、と。
妖邪界に自分たち3人が捕らえられた時もそうだったと秀は思い返す。
仲間を救えるのならば自分の命などくれてやると言いきった彼の行動はあまりにも大胆で、そしてそれが本気の言葉だったと思い知らされるものだった。
ここまで来れば軍師の必要性はあまりないと判断した結果だったというのが見えて、余計に背筋が凍る。
当麻にはそういうところがあった。
策の上では駒としても他人は命のあるものとして考えるが、自分の事はあくまで、何の迷いもなく本当に”駒”なのだ。
決して自分が嫌いだという事ではないだろうに、何故かそういうところがある。
それを秀は時々に怖いと思ったし、時には殴ってでも言い聞かせることをしてきた。
短い期間ではあったが子供の頃一緒に遊んだ友がどれほど大事かを彼に教えてきた。
それは確かに少しずつ伝わって当麻も無茶はしなくなったが、それでもどこか不安はあった。
「ま、確かにそれを思うと征士が一緒ってのは助かるよな」
「しつこいくらいに当麻を構ってくれるからね」
征士はマメだ。
初めて会った時は同い年には見えないほど迷いがないし、考えも熟成されていた。
そして生活を共にしていくと少しずつ見えてきた性格は、奇妙の一言に尽きるものだった。
四角四面で、クソ真面目。
迷いがないのは結構だが、それを人にも当てはめる部分もあったし、妙なところに拘りをもつ部分もあった。
そんな征士だったが、当麻と同室になって変化があった。それは当麻もだ。
征士は常識や普通が通用しない当麻に、そして当麻は規律違反と曖昧を許さない征士に、互いに振り回された。
その結果、征士は少し丸くなったし当麻も他者との関わりに慣れていった。
ただ2人揃っての問題は、どちらも変わり者だったためにハタから見れば奇妙に映る事だけは変わらなかったことだ。
見ていて面白いといえば面白いからいいけれど、と秀は苦笑いを漏らす。
「ま、それを考えてみたら征士も当麻が一緒に居て良かったねって感じだよな」
「そうだね。…伊達の家とウチはホラ、知らない仲じゃないからたまに聞くんだけどね、征士は本当に良くなったってみんな喜んでるらしいよ」
「へぇ」
「そもそもひどい潔癖症が治まったって、妹さんがいつも言うらしい」
「確かにな!アイツ、本当に悪は許さんって感じだったモンなー!」
思わず笑ってしまう。
善悪の悪だけでなく、ちょっとした悪癖も許してもらえないところがあった。
「僕からすれば厄介なのに惚れたなって思うけど、当麻相手じゃ幾ら言ってもキリがないからね。そういう意味では本当、良かったと思うよ」
「だよなあ!」
「それに当麻も少しは自分を大事にするようになってくれたし」
「ちょっとでも疎かにすると、征士が煩ぇもんな。自分は良くても相手に心配かけるって思ったらアイツも少しは考えるようになったし」
お互いに相手でなければ埋められない部分だったのだろう。
何も知らない世間から見れば彼らは見た目も、そしてスペックとしても最高の人間だ。
だが実際は破れ鍋に綴じ蓋。きっと2人とも、相手でなければあれほど幸せになんてなれなかっただろう。
それを思うと秀は頬が緩んでくる。
仲間内でそういう関係になったというのは本当に驚いたが、思えば自然なことだ。
無いものを互いに埋めあっているのだから。
「そうだよ、ホント。そういえば当麻がね、健康診断を受けたんだよ?凄くない?」
信じられる?と悪戯っぽく伸が笑ったのを、秀は驚いて目を見開いて返した。
「え、マジで!?」
「うん。それどころかバリウム飲んだり、MRIやCTも受けたんだって」
「すっげー!!当麻が!?あのクソ面倒臭がりの当麻が!?」
「征士が受けろって言って受けてきたんだって」
それを聞いて、征士スゲー!と秀は心底感心した。
面倒臭がりで妙に顔の広い当麻の事を考えると、知り合いのところで受けるからと言って適当に済ませ、そして結果も気にし無さそうなのに。
なのにフルコースで受け、しかも受診したという事を誰かに話すだなんて予想外すぎる。
「すっげぇなぁ……で、どこも悪くなかったって?」
「うん。凄く面倒だったけど特に悪いところはなかったみたい」
「そりゃ良かった!征士が一緒に暮らしてるから適当な飯で済ますこともねぇしな」
仲間の健康を喜んでいるうちに、気付けば餡かけチャーハンは全て片付いていた。
お茶を一口飲んで、伸が買って来てくれたエクレアに手を伸ばす。
「でもソレ、全部1日で?」
「いや、1つだけ違う日に受けたのもあるよ」
日を改めてまた受けたという事に更に秀は驚く。
違う日に態々また出かけるとなると、当麻なら絶対に嫌がるだろう事だ。それを態々…と感心しっぱなしでいると、何かが引っ掛かった。
話しの内容ではない。別のところだ。
アレ?何だろうな。
エクレアを口に咥えたまま、視線だけをくるりと天井に向けた。
何かが引っ掛かったのだ、確かに。
それが見えてこない。
一体何が、と思いつつも、話しの続きを促そうと伸に視線を戻して、秀は気付いた。
あ、コイツ、
「直腸検査だけ、別の日に受けてきたんだって」
何かあるな、と思ったタイミングで伸が言葉を発した。
喜ばしい話なのに何が引っ掛かったって、伸の目だった。
仲間の現状を喜んでいるのに、どこか、何と言えばいいのか、こう、……怒りというと正確には違うのだろうが、何かそういうものが滲んでいた。
それに気付いた瞬間に、嫌な予感を決定付けるような言葉が出た。
だが止めようにも時遅し。
直腸検査。伸はそう言った。
直腸検査って、アレよね…と秀は先週家族で観ていた、お笑い芸人達の番組を思い返す。
確かケツ広げて、アレだ…。と。
「それもね、2人揃って」
ヤメて。伸ちゃん。思ったのだが巧く言えない。
口にはエクレアが入ったままだ。
抜こうにも体が固まって抜けない。いや、抜くという発想にさえ至れない。
「何でもお隣の県まで行ったらしいよ、近所じゃ当麻が恥ずかしがるから」
そして伸は語った。
先日、征士と当麻は朝から予約していた病院へ行き、検査を受けてきたのだと。
検査着はテレビで見るものと同じらしく後ろが開けやすくなっていたと、当麻が恥ずかしそうに言ったそうだ。
先に呼ばれたのは当麻だった。
そして彼が検査室に入ると、出迎えてくれたのは何と女医というではないか。
思わずドアの外に顔を出し、順番を待ってベンチに座っている征士に、「女医ってどういう事だ!」と早速騒いだらしい。
どうせなら男同士の方が恥ずかしくない。そりゃそうだろう。異性じゃ恥ずかしい。
なのに征士ときたら、
男にお前のそんなところを見せて、しかも形が変わっていることから役割を見抜かれてチャンスとしてセクハラをされては堪ったものじゃない。
と言うのだそうだ。(馬鹿馬鹿しい!と伸は悪態を吐いていた)
征士曰く魅力的過ぎる当麻は、同性に興味のない者でも誑かしてしまうから怖いという。
だが当麻からすれば”そんな馬鹿な!”事はなく、綺麗な女医に見られるほうが辛いわ!と言ったそうだが、今更チェンジは無理な話で、
結局その女医に観念しなさいと襟首を掴まれて検査台に横たわらされた。
検査自体は順調に(ある意味当然か)進み、内部も多少の傷は見れるが問題はないという結果だった。
それには一先ず安心してとっととその場から逃げようとした当麻の背に向けられたのは、「ほどほどにしなさいね」という女医の、酷く冷めた言葉で、
それで当麻は撃沈したらしい。
続いて征士も受けたのだが、こちらはやはり慣れない感触に顔を顰めたそうだ。
すると先程の女医は、あなたのパートナーはもっと凄まじい思いをしてるんだからね、とこれまた冷めた様子で告げたという。
それを言われては何も言えない征士は歯を食いしばり、だが力みすぎてはいけないと下半身はなるべくリラックスして検査を終えたそうだ。
因みに結果はこちらも良好だったそうだ。「これは喜ばしい」。(伸はコレを棒読み状態で言った)
単なる検査の話だ。それもどちらかと言うと恥ずかしい小話付きの。
こんなものを人に語る趣味は2人揃ってない筈なのに、何故伸にそんな事を報告したのか。
それは以前、この検査を受ける受けないで伸に相談をし、世話をかけたのだからきちんと結果を報告するべきだとしたからだ。
誰が。
そりゃ、征士と当麻の2人が揃って、だ。
「いやぁ、よく考えたらさ、あの子らって変わり者同士で、変なところで律儀なんだよね」
最早伸の目は、来た時と違って一切笑っていない。
秀はそれを正面から受けて、まるでメドゥーサに睨まれたかのごとく全く動けなくなっていた。
咥えた部分のチョコが溶けて来ているのだが、それさえもどうにか出来ない。
「それで態々僕の休みに合わせて征士まで休んでくれてさ、いやー本当、義理堅いね、征士は。
自分も有休の消化を会社から言われてるから気にするなって、こっちに気を遣わさないようにいってくれるしさ、いやー本当、律儀だよ。
当麻も当麻でさ、いつもなら寝てるし、前に行った時はパジャマのままだったのに今日はちゃんと朝から起きて着替えてたんだよ。
偉いよねー、ちょっと話を聞いただけでその後のこともちゃあんと報告してくれたんだもの。いやー僕が気にしてたら悪いからって、ねぇ?」
目が、笑っていない。
それに秀が僅かに怯える。
うおぉ、お前ら、マジに何してくれてんだよ……!!
出来ることといえば、ココに居ないあの万年新婚カップルどもにぶつけきれない怒りを向ける事と、そして一刻でも早く伸の感情の
昂ぶりが治まって帰ってくれる事を祈るくらいだった。
*****
『スコープ』のその後と絡んで。
ジャックとジルは、「Every Jack has his Jill(破れ鍋に綴じ蓋の英語版。らしい…)」から。
そもそもこの5人はお互いがお互いにこの関係だと思います。