痛む胸
長い間日本を離れていた遼が戻ってくると連絡があり、仲間で集まる事にした。
何がしたいと聞くと、どうやら浴槽に湯を張る文化のない土地へ長期滞在していたらしい彼は、温泉!と叫びに近い声を上げた。
温泉。
真夏に、温泉。
流石にそれはどうだろうかと思ったのは一瞬だけで大将のためならばと、スグに少しでも彼を癒せる泉質をみんなで探し始めた。
本来なら店のある秀は旅行となるとそれなりに手回しが必要となるが、ちょうど店の改修で1ヶ月近く休みがある。
それならば日帰りではなく宿泊にすればゆっくりできるとなると、また浮かれ始める。
既婚者の秀には折角だから家族も連れて来ればいいと伸が持ちかけたが、彼の家族がそれを辞退した。
家族とはまた違う絆を見せる彼らに遠慮すると同時に、一家の大黒柱でもある彼をたまにはゆっくりと羽を伸ばしてもらいたいという
妻からの配慮だ。それに秀は申し訳ないと思いつつも有難く彼女の優しさに甘える事にして、1泊2日の温泉旅行が決定した。
さてその旅行の前日。
征士と当麻は荷造りを終え、明日の朝着て行く服も既に準備して後は寝るだけという段になった。
明日は征士の運転でまず伸を乗せ、次に秀を店の前で拾い、最後に空港に遼を迎えに行ってその足で宿へ向かう。
だから運転手である征士の夜更かしは良くないだろう。
ただ、宿はどうせならと大部屋を取った。
5人で並んで寝る事は充分魅力的だったが、それは同時に、征士は当麻に一切触れられないという事でもある。
当麻のことだ、きっと征士と離れた位置で寝るに違いない。
1つの部屋に他人がいる以上、征士だって勿論行為に及ぶ気などない。
(羞恥や常識もあるが、それ以上にあんなイイ顔をする恋人は自分だけのモノにしておきたいのだ)
だが、それでも隣に寝れば無意識のうちに彼を抱き締めて眠ってしまうかもしれないのは、何となく自分でも解っていた。
それはきっと伸あたりに阻止されるだろう事も解っているが、自分から身を引くほうがまだ悔しさは軽減される。
ただそう思うのが自分ばかりだというのが悲しい、そう思っていたのだが。
「…なぁ」
ベッドに入ろうとした所で、当麻に袖を引っ張られた。
振り返るとそこにはほんの少しだけ頬を染め、目を逸らし、それでも精一杯に誘う当麻がいた。
「その…ホラ、まだ早いしさ、……明日は……できない、から…」
可愛い!し、嬉しい!
征士は言葉の続きなど待たずにすぐさま彼の唇を自分のそれで塞いで堪能し始めた。
ただ明日は旅行だ、それも温泉だ。
みなで入るのだというのだから、互いに今夜の痕跡を残すわけにはいかない。
だから征士は当麻の肌に吸い付きたいのを必死に堪えて唇へのキスと、体へは手の平だけの愛撫に留めた。
ある一箇所を除いて。
「んん…っ!!っは、あぁ…!せい、じ……あぁあ、っ!」
元より胸元で色づいている乳首ならば、吸い付いたりねぶったりしても大丈夫。
そう判断した征士はソコを執拗に愛した。
しかもソコは当麻の性感帯の一つだ。そんな所を集中的に攻められて当麻も堪らずいつも以上に声を上げてしまう。
そんな当麻の手は、征士の背ではなく、シーツを強く握っていた。
いつもなら当麻も激しい感情を彼と共有したくてその逞しい身体に腕を回すのだが、今夜はそうしない。
だって、温泉だ。
自分の身体に跡がなくとも、征士の背に朱い線が残っていては意味が無い。それに湯も沁みるかも知れない。
だから当麻は必死にシーツを掴んでいた。
「やぁ…あ、ん!あ、あ、…ああ、はぁ、…っ、や、…き、…もちぃ…!」
「…当麻…、…!」
身体を繋ぐ以外で愛を表現しようにも乳首への愛撫しか施せない征士と、縋りたい身体がそこにあるのに甘えられない当麻。
制限つきの行為は、苦しいのではないのだろうか。
否、燃えた。寧ろいつもより箍が外れそうだった。
最後の方は喘ぎ声を上げる当麻の口を征士は己の唇で塞ぎ、苦しげな息さえも漏らさないように貪ったし、
当麻も自らの脚を征士の腰に絡みつかせ、自らの腰を揺らし、快楽を根こそぎ味わった。
互いに吐き出した精はいつもより多く、征士のモノは繋いだ箇所から溢れ出たし、当麻のモノは2人の胸や腹を存分に汚した。
そして2人は深い幸福感のうちに眠りに就いた。
征士の声で朝が来た事に気付いた当麻が目を開けると、そこには既に着替えを済ませ優しく微笑んだ征士が立っていた。
「おはよう、当麻。そろそろ着替えて朝食を食べた方がいい」
そう言って愛しい人の手を取り、起き上がるのを手伝ってやる。
裸のままの彼にまた微笑みかけ、その握ったままの手に恭しく口付けると征士は部屋を出て行った。
すぐにコーヒーの匂いがしてくる。
昨夜の事を思い出し、頬を赤らめたがすぐに幸せな気持ちに満たされた当麻も、準備をするためにベッドから抜け出た。
少しばかり腰が痛んだがその痛みには慣れているし、温泉なのだから特に運動するわけではないのだ、特に気にはしていなかった。
下着を履きジーンズに脚を入れ、薄いグレーのTシャツを手にとって頭から被った当麻は、カラフルなドット柄のシャツに手を伸ばしかけて、
短い悲鳴を上げると、そのまま胸を押さえて蹲った。
「…当麻、どうした?」
大きな悲鳴ではなかったが耳聡い恋人は聞き逃さなかったらしく寝室に戻ってくる。
当麻は相変わらず背を丸めたままだ。
「…………当麻?」
「…痛ぇ…」
「痛い…?どこがだ?」
小さく呻いた当麻に異変を感じた征士が慌てて彼の傍にしゃがみ、その顔を覗き込む。
心なしか赤い。だが、青くも見える。
「…当麻?」
いつまで待っても言葉を紡がない当麻の手元を見れば、彼は左胸を押さえているではないか。
「当麻、どうした、胸が痛いのか…!?」
色の白い征士の顔から血の気がさっと引く。
普段から不摂生がちな当麻だが健康診断の結果は、ギリギリの数値もあったが異常無しだった筈だ。
だが彼は今、胸を押さえている。何か大きな病気なのかもしれない。取り返しの付かない事になるかもしれない。
折角の旅行の日で、運転するのは自分だがそれどころではない、彼を病院に連れて行かねばならない。
そう判断した征士が尻のポケットに入れていた携帯を取り出し、真っ先に伸へ連絡をしようとしたのを、当麻の手が阻んだ。
「当麻、…?」
「違う、…征士、大丈夫…」
「大丈夫ではないだろう!?胸が痛いのだろう!?」
「や、だから……違うんだ…」
何が違うという征士の問いから、たっぷり時間を使って当麻が返した答えは、
乳首が、痛いんです。
だった。
乳首。
そう、あの、乳首だ。
女性の裸にあっても征士は、そうだな、くらいの反応しか返さないが、当麻の裸にあるそれは一気に性欲の対象となる、その乳首だ。
そこが痛いと言う。
しかも傷むのは左の乳首らしい。
言われて征士は昨夜の事を思い返す。
自分がしゃぶりついた時には何の異変もなかったはずの当麻の乳首。
それでも何かあっただろうか。
考える。考え抜く。
「…あ」
考えた末に辿り着いた仮説は1つ。
左の、乳首だ。
昨夜そこしか愛撫を許されなかった征士は、右の乳首は手で、左の乳首は唇や舌を使って愛撫した。
それはそれは執拗なまでに、愛撫しまくった。
「若しかして……舐めすぎたか」
そう問えば、当麻は無言で頷く。
怒られるだろうかと身構えた征士だったが、当麻からは何の怒りもなかった。
それが却って不気味ではある。
「その…すまない」
だから素直に謝っておいた。
愛しい気持ちばかりを優先して、文字通り彼を傷つけたのだ。
征士からすれば当然の謝罪だった。
「…いや、………俺も随分、楽しんじゃったし」
だが当麻の言い分も正しい。
そこしか駄目だというのは当麻だって解っていたし、そしてそうされて随分と悦んだのも事実。
征士ばかりが悪いのではない。
それにシャツで擦れない様に注意していれば常に痛むわけではないのだ。
折角の旅行をそんな事で台無しにしたくはなかった。
極力背を丸めておけばシャツと胸の間に隙間は出来る。不用意に大きく動かなければどうという事はないだろう。
結局当麻は荷物を全て征士に預け、少しばかり背を丸めた姿勢で温泉宿へと出向いていった。
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