メガネとネコ



当麻が、とても上機嫌だ。



本当は定時に上がりたかった征士だがここ最近の忙しさがそれを許してくれる筈もなく、結局会社を出たのは6時前だった。
当麻と待ち合わせた映画館まで早ければ30分。道が混んでいたとしても映画の始まる7時には間に合うが、ギリギリだ。
先にチケットを買っておいた方がいいと判断した征士は当麻の携帯を鳴らし、それを伝える。


「子供向け映画のチケットを、大人2枚買う恥を俺1人に背負えってのか」


文句がすぐに返って来たが、乱暴な言葉と違って声は楽しそうだったのに安心して、征士はすぐに車を発進させた。




当麻が、とても上機嫌だ。



チケットに示されていた番号の付いたルームに入ると、最終の回のせいか客は疎らで、大人だけ出来ている人もちらほらと見れた。

映画が始まる前のあの興奮は幾つになっても変わらないものだとどこか他人のように自分を笑った征士は、ちらりと盗み見た隣の当麻も
同じような表情をしていた事に密かに満足する。
譬え映画の内容が本当に子供向けで物足りなかったとしても、彼のこの表情を見れただけでも充分だった。


映画は彼らにとって何の特別性もない他愛のない日常から始まって、ちょっとしたキッカケから少しずつ事件に巻き込まれ、そして子供にしては
過酷で、だが子供だからこそ事態に純粋に立ち向かっていくという流れをとっていた。

シンプルで、それでいてダイレクト。
少し悪く言えば何の捻りもないストーリーは、娯楽としてもやはり物足りないが、その分ストレートに心に響く。
感情があまり表情に出ない征士でも最後のシーンでは涙ぐみ、そしてまたこっそりと隣を盗み見ると当麻の青い目も涙で濡れていた。
出会った当初は物事の全てを理に適っているか否か、要か不要かでしか判断しないようなクールな彼だったが、実は中々に人情的な性格だ。
素直じゃないからすぐに隠してしまうだけで、本当はこういった手合いのものにはとことん弱い。
それを慈しむような思いで征士は見守り、肘掛に置かれた細い手に、そっと自分の手を重ねた。

その手は振り払われるどころか、逆に暗がりに紛れて指を絡められた。




映画館を出て食事をしようとなった時に当麻が行きたいと言ったのは、普段2人で行くような落ち着いた雰囲気の、味の確かな店ではなく、
味はそこそこ、値段もそこそこで、大学生から社会人まで幅広い年齢層が打ち上げなどでも騒げるような店だった。

入ってみると案の定店内は騒がしい。
どちらかというと苦手な雰囲気に何となく困ってしまった征士だが、当麻がこういう店のほうがいいと言うのだ。
きっと楽しかった思いを沢山話したいのだろう。
多少声が大きくなっても周囲に気遣う必要はそれほどない店を選んだ彼の気持ちに気付いて征士も席に着いた。




「ストーリーとしてしょうがないとは言えさ、フタバスズキリュウは今の所、卵生じゃない説の方が有利なんだけどな」


映画の気になった点を挙げる当麻だが満足しているのはその表情から解る。
大体帰る前に、他に客の居ない売店でパンフレットを購入している時点で相当に楽しかった事は解っていたのだ。
だから征士は特に口を挟まず笑ってノンアルコールビールを口にした。

当麻が何故この映画を見たがったのか、征士は今も解らないままだ。
それに関して彼のほうから話してくれていないし、別に無理に聞き出すつもりもない。

ただ、当麻が映画を観たがった。そして、実際に観て楽しそうにしている。
それだけで充分だったし、それが征士の中で重要だったのだから。
だからそもそもの理由なんて征士には不要だった。



こういった店で出るドリンクは種類に偏りがある。
日本酒なんて2種類程度だし、焼酎は麦・米・芋の3種類。そのくせカクテルだけは豊富だ。
しかもそのカクテルだって作り手によってアルコール類の配分にバラつきが有り、ジュースにしか思えない程度か、それか極端に酒臭すぎる。
ビールで腹を膨らませたい気分じゃないと言った当麻に残された選択肢は少ない。
メニューと睨めっこした結果、彼が選んだのはファジーネーブルだった。
最初に口をつけた時点でジュースだなと笑っていたのを、征士も少しだけ貰ったが確かにこれではジュースだと思った。

それを飲んでいる当麻の頬が赤いのは、明らかに興奮のせいだ。

それほどに、当麻は上機嫌だった。

頼んだ料理を次々に平らげていき、嬉しそうにしながらまた映画の話をする。
グラスから流れた水滴でテーブルの上に出していたパンフレットが波打ってしまったが、それを全く気にしていない。
そんな様子を見守る征士も、他では決して見せることのない優しい笑みを浮かべていた。







「秀はジャイアンな、体型が」


帰る途中の車の中で突然当麻が言った。


「本人が聞いたら怒るぞ」


最近腹が出てきたかもしれないと、前に会った時にこっそり気にし始めていたのを征士が言うと当麻は笑っただけで答えなかった。


「で、伸はしずかちゃん」

「ナスティではなくて?」

「伸」

「どうして」

「んー、…ナスティじゃ優しすぎる」

「どういう意味だ」


運転中の為に前を向いたままだが、征士も笑った。
確かに登場人物の中で紅一点の彼女だが、時折理不尽なほどにヒステリックな面を見せる。


「でさ、遼はスネ夫」

「それこそ何故。どちらかと言うとのび太だろう」


昔ほどではなくなったが、今でも遼は涙脆くよく泣く。
仕事で訪れた大自然の雄大さに泣き、そしてその感動を仲間に話してくれている途中でも泣き始める事だってあるほどだ。
理由が違うとはいえよく泣く彼は、同じくよく泣くのび太の方がしっくりくる事を指摘すると、当麻がそれじゃダメーと語尾を延ばして返してくる。


「どうして」

「のび太は征士。だからどうしても遼のポジションはソコしか残ってないんだよ」

「私がのび太とは不名誉な…」

「その不名誉を遼に押し付けるとか、お前、大概性格悪いな」


横から当麻が手を伸ばして頬を抓る。
征士はその手を左手で軽く払った。そして再びハンドルを握る。


「で、俺がドラえもんだ」

「お前が?」

「そう。未来から来て、道具でのび太くんを助けちゃう」

「………………」


確かに彼は物を創り出す事に長けているが、それで自分が助けられたことはあるだろうかと征士は真剣に考えた。
全くない、というワケではないにしても、どうもこう…釈然としない。

そりゃ戦いの最中では、軍師としての彼は大いに役立った。
時折大胆で信じられないような行動に出る事もあるにはあったが、それでも起こった出来事を瞬時に捉える能力はずば抜けていたし、
そこからあらゆる事を想定するのも早かった。

だが、実生活で、となると首を捻りたくなる。

朝は起きない。集中すると食事も睡眠も忘れる。放っておくと部屋も散らかり放題で足の踏み場などすぐになくなる。
それを逐一修正しているのが征士で、それを考えると当麻が未来の世界からきたロボットと考えるのは納得がいかない。
大体、道具というのも言葉のままに受け止めれば、日常で使う生活”道具”は征士のほうが使用頻度は高いのだ。
それを、助けちゃう、と言われても。


「……何故」

「青いから」


理由を求めて聞き返せば、何とも単純な答えが返ってきた。
確かに未来の世界のネコ型ロボットを自称する彼は、ボディカラーが青い。


「なるほどな。確かに”ポンコツ青だぬき”は青かったな」

「失敬な!」


毎週放送されているアニメでも言われている蔑称を言ってやると、再び当麻が頬を抓ってきた。


「兎に角、そういう理由だから遼はスネ夫」

「意味が解らん」

「そりゃさ、”スネちゃま”は金持ちのボンボンだからお前のほうが適任だけど、絶対にお前はのび太なの」

「だから何故」


キザで嫌味なボンボンと、泣き虫で運動音痴の主人公のどちらを言われてもあまり好い気はしないが、それでもまだ共通項のあるほうが
納得はできる。
明らかに不服そうな征士に、当麻が解ってないなと子供のように唇を尖らせたのだが、生憎運転中の征士はそれを見ていなかった。


「ドラえもんは、のび太といるんだぞ」

「そりゃのび太の出来が悲惨だったからな」

「そうじゃないってば。そこじゃない。ドラえもんは、のび太と生活してんの!」

「………………あぁ…」


そういうことか。

漸く征士は合点が行く。
ドラえもんが来たのは主人公の家であって、お坊ちゃまの家ではない。
一緒に暮らしているのも、同じ部屋で眠っているのも、全て主人公の彼の部屋だ。


「だから、お前はのび太なの」


じゃなきゃ困る、と当麻が呟いたのは信号が赤になるのとほぼ同時だった。


「だが私がのび太だったら、ドラえもんを押入れなんかでは寝かさんだろうな」


停車したのをいい事に、征士は当麻の青い髪にそっと手を伸ばして指を梳き入れる。
その感触が気持ち良いのか当麻が目を細めた。


「お前はその辺うるさそうだもんな」

「そうではない」


髪を撫でていた手が、今度は頬に降りてその滑らかな感触を楽しむ。


「一緒の部屋にいるのに別々で寝るなんて有得ん。同じ布団で寝てもらう」


僅かに艶を含ませた声で囁き、唇を指先で掠めると信号が青に変わって征士は何事もなかったように車を発進させた。
当麻が隣で恨めしそうな視線を送っているのは気配で何となく察してはいるが、態と気付かないフリをして。


「……………。じゃ、配役は決まりね」

「概ね文句はない」

「うん、じゃあ………”せび太くーん、何か困ってないかいー?”」

「”トマえもんが僕のドラ焼きまで食べるんだよー”」


思いついたように似ても似つかない物真似をした自分に、征士がまさか同じように(似てない)物真似付きで乗るとは思っていなかった当麻は
面食らった顔をしてしまう。
それも征士は見ていなかったが、空気だけで全て伝わってしまうのだ。
口端に笑みを浮かべた彼に、当麻は、ちぇ、と舌打ちをした。


「もうちょっとマトモな悩みを見せろよ」

「悩みなどないから仕方ないだろう」

「じゃあ今困ってる事は?」

「それもない」


間髪入れずに答えてくる征士に、お前の人生はどんだけ順風満帆だ!と当麻が突っ込んだ。
それに征士が口端に笑みを浮かべた。

順風満帆。
そりゃそうだろう。本来なら叶う可能性の低かった恋を実らせて、愛しい人と毎日生活をしているのだ。
これ以上に望むものなどない。

例えば本当に自分がメガネの主人公と同じ立場だったら、未来から来たポンコツ青だぬきが一緒にいるだけでとっくに幸せなのだ。
だから。


「当麻」

「なに」

「………。……未来へ帰るなよ」


自分を置いて、自分を捨てて。


「”のび太”の傍にいろ」


命令は甘い束縛だ。
自由を好み気侭に振舞う彼には、残酷とも取れる束縛だ。
それでも口にせずにはいられない。

道具なんてなくたっていい。
おやつを自分の分まで食べてしまうというのなら、幾らでも差し出す。

だから。


「未来へ帰るな」


懇願の言葉は、甘い響きで吐き出される。
それに当麻がゆっくりと目を閉じてその音を脳内で反芻させて味わう。


「……いるよ」

「………………」

「あの漫画、最終回がないんだぜ?未来に帰るなんて、そんな話、ないんだ」


世間で時々言われてるのは、あれは一種の都市伝説。

そう言った当麻は笑いながら、三食昼寝付きの生活を誰が捨てるもんか、ととても上機嫌に続けた。
その頬を今度は征士が同じように笑いながら抓った。




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夜中の車中でイチャイチャ。
未来の世界の』の、続きというかオマケというか。