未来の世界の



つけっ放しにしていたテレビから、春休みの子供向け映画のCMが流れる。
未来から来た、到底猫には見えない姿のロボットと、そのロボットが住む家の、何をやっても駄目だといわれる少年のアニメーション映画だ。
そこから流れる音声に当麻は首を捻った。
これだけ長く続いたアニメだ。キャラクターのフォルムが少しずつ変わっていくのは時代の流れだから仕方がないにしても、違和感がある。


「あ、そっか」


少し前に彼らを演じている人間の総入れ替えがあった事を思い出して、違和感の答えを見つけた。
声が、記憶にあるものと違う。

当麻は育った家庭が少々特殊で天才児ではあったが、他の子供達と同じように、当然幼少期があった。
毎週欠かさずというわけではなかったが、金曜日は確かにそのアニメを見ていたような気がする。
それを思い出して何となく苦い顔をしてしまった。




夕食時のそのアニメを、当麻は大抵1人で見ていた。
父親は研究が忙しく、ジャーナリストの母親も仕事量のセーブはしていたらしいがやはり多忙な身で、あまり食卓を共にした記憶がない。
そんな両親が言い出した、春休み前の記憶。


「当麻君、春休みにみんなで映画を見に行こっか」


笑顔で息子の顔を覗き込んだ母親の隣に立つ父親が持っていたのは日頃見ていたアニメの、春休み向け映画のチケットだ。
それも3枚。
その枚数が自分の家族の人数分だとすぐに気付いた当麻は、6歳の子供らしい表情を浮かべて喜んだ。


「昼ごはんを外で食べて、それからみんなで観に行こう」


そう言った父の後に、だからこの日はいつまでも寝てちゃダメよ、と母親は息子の頬を両の手で優しく包みながら言った。

母親とだけ出かける、父親とだけ出かける。
両親が多忙な羽柴家ではそういう形態での外出はあったが、両親揃ってというのは本当に久し振りだった。

長期休暇を楽しみにする同級生達と同じく当麻だってそれは楽しみだったが、その理由の大半が好きなだけ眠れる事と、
好きなだけ調べものが出来るという事に埋め尽くされていた。
それが今年の春休みに限っては両親と出かけられるという、彼にとっては贅沢な楽しみが出来た。




「ごめんね、当麻君」


約束の映画を観に行く日の昼過ぎに職場からの電話で呼び出された母親は、玄関まで見送りに立っていた息子を申し訳無さそうに振り返った。


「いいよ、母さん。映画はビデオが出るかもしれないし、きっとテレビでもやるから」


そんな事より遅れちゃうよという息子の言葉に、母親はもう一度謝ってから玄関を開けて出て行った。

父親から、約束のその日に帰れなくなったという連絡は前日の夜にあった。
ずっと時間をかけて行っていた研究の、待ちに待った変化がその夜から見え始めたのだ。
その研究の中心人物だった父親は勿論、ゆっくりと、だが確実に起こった変化を具に見守る責任があり、だからこそ映画は一緒に行けないと
連絡を寄越した。
その時は当麻も残念だとは思ったが仕方がないなという程にしか考えていなかった。
多忙な両親は息子に寂しい思いをさせることが多かったが、それでも好きな事に打ち込む彼らの姿は息子にとって誇りでもあった。
だから、父親が帰って来れずとも母親と映画に行けるのだからいいとその夜は考えていた。

けれどその母親も、結局当日になって仕事に呼ばれた。
彼女は夕方には帰ってくるし、そしたら最終の分で映画を見に行こうと言ってくれた。
それを当麻は半分は心待ちに、そしてその半分は諦めで聞いていた。

こんな事には慣れている。
反故になった約束は今までだって幾つもあった。
その度に当麻は泣いて愚図っても変えようのない現実を受け入れる事が上手くなっていった。
周囲からすればそれはとても悲しいことで、可愛くないことだ。けれどだからと言って何も変わらない事を本人はよく知っている。
やって意味があるのならやるが、結果の解っている事に抵抗してもそれは無駄な労力でしかない。
だから仕方のない事だといつものように諦めた。
案の定、夜7時に鳴った電話の相手でもある母親は、開口一番に謝罪の言葉を口にした。

ああ、やっぱり。

それは解っていた事だ。
大事な仕事なのだ、それを途中で放棄する事など、誰が。そう解っていた。
だから当麻はいつものように、何と言う事のない声で、


「大丈夫だよ、昼間も言ったけど多分テレビでやるだろうしさ」


と伝えた。
別に観たいと思っていた映画ではない。
アニメだってほぼ毎週観ているが、単にその曜日のその時間帯は観るものがないから観ていただけだ。
熱烈なファンでもないし、恐竜が出てくると言ってもそのアニメの内容に則った内容になっているだろう。
どうせ恐竜なら本物の生態の方が興味がある。だったら博物館にでも連れて行って貰った方が何倍も有意義だ。

ただ、みんなで出かける、というから楽しみにしていただけで。

そもそも出かけると言っても今回が特別過ぎるわけではない。年に何度かはチャンスがある。
それが叶う確率は五分五分だが、それでも可能性はゼロではない。
それに五分五分という事は、反故にされた事もそれだけあった。だから慣れている。
だから映画の約束が流れてしまっても、別にそれを怒る理由は無いし困ることじゃない。

大した事じゃない。
これからだって家族で出かける事は何度かはある。
そう、思っていた。






何となく思い出した過去に、当麻は苦い顔をしたままだった。
どうでも良かったはずの事を鮮明に思い出した自分が腹立たしい。


「俺って案外、ねちっこい性格だったんだな」


気持ち悪くて声に出した。

映画は結局観に行く前に公開期間が終了したし、両親はその5年後に離婚した。
家族で出かけたのも、その時から数えてみても両手で充分足りるほどだ。
別に両親に文句はないし、今思い出した映画の事だって今更の怒りはない。

なのに、鮮明に思い出した自分。

何なんだ。
腹立たしい気持ちのまま、ズルズルとソファに身を沈めていく。

過去に意識を向けている間にテレビに映されていたCMはとっくに終わり、俳優が美味しそうにビールを飲んでいる映像が流れていた。
旨そうに飲んじゃってと無理矢理に感想を持ってみたが、脳裏に映るのは幼い恐竜と、メガネをかけた主人公の姿だ。
キャストが変わったことで、もう一度過去の映画をリメイクするらしい。
奇しくもそれは過去に果たされなかった約束の映画だ。

もやもやするのは、そのせいだ。
鮮明に思い出したのは、そのせいだ。

そう結論付けても、まだ心は気持ちの悪さを抱えている。
腹立たしい感情が拡大する前に、半ば八つ当たりのように当麻はテレビを消した。
静まり返った部屋に、同居人である征士が浴室のドアを開けた音が聞こえた。
最近忙しいらしい彼は11時を回って帰って来ることが多くなってきた。
そこから夕食を食べて風呂に入ると、既に日付が変わっている。
当麻は、勤め人は大変だな、なんてまた思考を余所へと向けた。


「…何だ、眠いのなら先にベッドへ入っていれば良かったのに」


普段から鍛錬を怠らない彼はダラダラと歩いて無駄に足音を響かせる事はしない。
1人掛けソファに行儀悪く座った当麻の背後に立つと、妙にグッタリしている恋人に声をかけた。


「まだ眠くないし」

「こんなに夜遅いのに?…お前、さては夕方まで寝ていたな?」

「……………………そうとも限んないじゃん」

「ほう、違ったのか?」

「…………。……違わねーけど…」


ほらみろ、と言った征士の声は、だが言葉ほどに呆れてはいない。
寧ろ微笑ましいと言わんばかりに優しさを滲ませている。


「……………………………なぁ、征士」

「何だ」


目を閉じたまま名を呼ぶと、声はキッチンのほうから聞こえてきた。
冷蔵庫を空けて何か飲み物を物色しているらしい。


「映画、観に行こう」

「映画?」


そう、映画。
言うと征士はすぐに、どんな?と聞き返してくれた。


「ヒント」

「ヒント?」

「恐竜が出てきます」

「………あのシリーズは今年あったか…?」

「ガキ大将は結構イイ奴です」

「…………。もう少しヒントをくれ」

「きっとネコ型ロボットは、思いの外役に立ちません」

「……当麻、お前……」


恋人の要求している映画が解ったのだろう。征士は眉尻を下げて、唐突にそれを観たいと言い出した彼の真意を探ろうとしている。


「…観たいのか?」

「さあ?」


改めて問われると当麻だって解らない。
冷静に考えてみると、観たいと口にしたかっただけなのかもしれない自分を見つける。
ただ口にして、そして却下されることを、卑屈な思いの混じった感情で期待している自分を。

叶わない願いを思い出してしまい、それを再び記憶の底に沈めようとしている捻じ曲がった自分を、見つけてしまう。

それから目を逸らしたくて、閉じたままの目を更にぎゅっと強く瞑った。


「公開期間はいつまでだ?」


だが征士の返事は当麻の予想とかけ離れたものだった。


「…え」

「公開期間だ。確かあれは春休みの子供向けのものだろう?世間はとっくに春休みに入っているんだ。
下手をしたら公開終了が間近に迫っている可能性もある。私の仕事の都合もあるから」


仕事の都合。
その言葉が当麻の記憶の中の、どこか脆い部分を鋭い針のように突いた。


「…いいよ、征士、忙しいんだし。…ちょっと言っただけだし」

「いいわけあるか」

「………。何、お前、もしかして実は観たかったの?」


意外すぎて胡乱な目を向けると、呆れたように溜息を吐いた征士の手が当麻の頭に乗せられた。


「何となく言う時ほどどうでも良くないのがお前だ」

「……………そんな事は…」

「どうでも良くないから、どうでもいい風を装うんだ。お前の癖はお前以上に私のほうが知っている」


言われると図星のような気がして恥ずかしい。
真っ直ぐに自分を見つめてくれる紫の目から逃げたくて、当麻は俯いて再び目を閉じた。
脳裏にはまた、青い色のタヌキのようなロボットがいた。


「当麻、いつまでだ?」

「………………知らない」


ぶっきらぼうに答えると手が離れ、気配も離れていった。
素直じゃない自分にいよいよ呆れたかと半ば後悔していると、再び気配が戻ってくる。


「……今週の金曜の7時が最終か…」


パラリと紙を捲る音が聞こえた。
エンターテイメント情報が載っている雑誌で、近くの映画館を調べているらしい。


「…うむ」


征士が唸った。
先週と今週と、そんな時間に征士が帰ってきた事はない。
基本的には水曜日と金曜日は残業をしない日と会社が決めていても、それでも帰れないほどに今、彼が忙しいのは知っている。
やっぱり無理だと当麻は思い、それでも自分の要求を叶えようとしてくれた彼の姿にそれだけで嬉しくなってくる。


「いいよ、征士」


目は閉じたまま。
けれど口には漸く笑みが浮かんでいた。

もう自分は寂しい子供じゃない。
傍にいて、理解してくれる人がいる。
それだけで充分、もう幸せだと。


「…………………当麻」

「んー?」

「金曜日、この映画館の近くで待ち合わせるか」

「………は?」


見ろ、と言って雑誌についている地図を見せられる。


「え、征士、だってお前」

「7時だろう?仕事はどうにかするから、会社帰りに落ち合ってそれから外で食事をして帰ろう」


見上げた先には、慰めなどではなく真摯にそれを誓う眼差しがあった。
そこに彼の本気を見る。


「でもさ、コレ、子供向けだぜ?」

「このシリーズは子供向けだが大人が見ても考えさせられる映画だと、子持ちの同僚が言っていた」

「でもさ、でもさ、征士、お前スーツだろ?」

「着替える暇がないからな」

「…目立つよ。浮くって、絶対」

「映画が始まれば暗くなるし、誰も周囲の人間の事など気にせん」

「でも子供ばっかの所に大人2人って、」

「当麻」


尚も言い募ろうとする当麻を、征士の低い声が遮った。


「夜7時台の映画館に子供だけで来るわけがないだろう?保護者がいるんだ、何も大人が私たちだけと言うわけではない」


キッパリと言い切られると、もう当麻には拒むための言葉が出てこない。
あの時叶わなかった約束は、ほんの少しだけ形を変えて、それでも大事な人ともう一度交わされる。


「…………お前、それでも仕事が残ってたらどうするんだよ。俺、待ちぼうけだ」

「だからどうにかすると言っている。お前こそ夕方まで寝ていて忘れていたら許さんからな」


再び頭に乗せられた手は、今度は悪戯をするように青い髪をぐしゃぐしゃに撫で回し、最初に声をかけられたときと同じようにベッドに入るよう言う。
その言葉に頷いた当麻はソファから立ち上がり、目を閉じて伸びをした。

未来から来たというロボットが、主人公の少年と笑顔で好物を食べている映像が脳裏に浮かんだ。




*****
未来の世界の〜ネコ型ロボット〜どーんなもんだいボ〜ク、のアレ。
当麻の場合、本当にどうでも良い事は記憶していないんだと思います。
どうでも良くないからいつまでも、記憶力が良いから鮮明に覚えてしまっているんだろうな、と。
だから辛い思いをする事が多いんだと思います。で、征士はそれをちゃんと解ってくれてるんじゃないかなとか。