シロクロ8×8



濃緑色に塗られた64マスの盤面を挟んで座っているのは、珍しいことに伸と秀だった。
こういった対戦型のボードゲームをしているのは征士と当麻が主で、秀はじっとしていられない性格だから不向きだし、
伸は自分がするよりも誰かがしているのを見るほうが好きだし、そうでなければ大体が家事に従事している事が多い。
(屋敷に暮らす全員のために付け加えるなら、何も彼に家事を押し付けているのではなく、彼自身が細々と動いて世話を焼くのが好きなだけだ)

そんな2人が盤面を挟んで座っている。
秀は眉間に皺を寄せ、小鼻を膨らませた状態で。
対して伸は僅かに疲れを滲ませ、遠慮なく言えば「飽きた」と顔にデカデカと書いた状態で。


「あれ?珍しいな、何してるんだ?」


そこに遼がやってきた。
それに伸がやはり疲れた顔で、やぁ、と軽く手を上げる。秀は難しい顔のままだ。


「オセロだよ」

「そうだな。伸、どっち?」


見たままの状況に頷いてから、遼はどうやら考え中の秀の邪魔にならないよう気をつけながら盤面を覗いた。
ゲームは中盤に差し掛かっているようで半分ほどのマスに、白と黒の駒が乗せられている。
パッと見ただけでも解るほどに黒が圧倒的に多かった。


「僕が白だね」

「え、黒じゃなくて?」


驚いた遼は正直にそのまま口にしてから失言だったと慌てて口を塞いだ。
視線だけ動かして秀の様子を伺うと、彼は今にも頭から煙が出そうな雰囲気を漂わせている。
智将の当麻と全くの正反対の彼は、頭を使っての戦術が大の苦手だ。
戦いの最中だって自身の行動を決定する時の指針は全て本人の勘頼みで、そしてそれをしょっちゅう軍師に叱られていた。
なのにその秀が、今は圧倒的に伸を押している。
失礼かもしれないが遼は珍しいものを見る目で見た。今度は言葉にはしなかった。

やはり黒が多い。
このまま勢いに乗って攻めてもいいように見える。


「………秀、何で悩んでるんだよ」


大量に返せるほどではないが、1つ2つなら白をひっくり返せる場所は幾つかある。
なのに秀は時折頭を掻き毟ってまで悩んでいるのが不思議でならない。
そう思って声をかけると、漸く秀が「ふんがー!」という、雄たけびのような声を聞かせてくれた。


「さっき!さっきまでと同じなんだよ、これじゃあよぉ!!」

「さっき?」

「そー!さっき!!!」


盤面を太い指で示しながら、秀は立ったままの遼を見上げた。
丸々としたどんぐりに似た目は瞬きさえ忘れていたのか、充血して真っ赤だ。


「さっきって、何の事だよ」

「これでね、3戦目なんだよ、僕ら」

「3戦……そんなにしてたのか?」


癖のようなもので聞き返したものの、溜息混じりの伸の言葉に遼は何となく納得がいった。
5人のうちでも特に気心の知れた秀相手なら遠慮がなくなる伸だとしても、ここまであからさまなまでに「飽きた」という表情をする事は珍しすぎる。
だが頭脳労働は疲れると当麻も言っていた。それを3戦も続けざまにしているのでは、うんざりとしてしまうのだろう。


「僕はもうやめたいんだけどね、」

「俺、全然勝ってねぇんだよ!」

「………ってコト。ねぇ、秀。もうさぁ、明日以降にしようよ。キミも疲れてきたでしょ?」

「そんでも男にゃ引けネェ時があんの!」

「男にはって……僕だって男だよ」

「そーゆーんじゃねぇの!お前はいいよ、2連勝してんだからよー!」

「2連勝っていうけど……キミ、こういうの苦手でしょ?結果は大体判ってたじゃないか」


伸の言い分に、遼は秀から見えない位置でこっそりと同意する。
頭の良さは当麻がダントツだが、伸だってそれなりには賢い。秀や遼よりは成績だってうんと良い。


「結果は判ってたとしても、毎回同じパターン辿って負けてんだ、俺の気がおさまらねぇ!」


結果は同じでも、せめて内容だけは違うものにしたいと秀は叫ぶ。


「毎回同じって………そうなのか?」


遼が遠慮がちに伸に聞くと、伸もやはり遠慮がちに頷いた。
また秀が頭を掻き毟る。


「だからよぉ、俺は気付いたんだよ、この途中!この途中の、こんくらいの段階!」

「半分くらいのところか?」

「おうよ!」

「ここで、何があるんだ?」

「さっきも、その前も、俺ぁここまでは順調に数を増やしてんだ!でもよ、こっから伸にバタバタって負けてっくんだよ!
だからここで何か違うことしねぇとなんねぇってのは、解る!でも、どうしたらいいのかがサッパリ解らねぇ!!!」


ふんがー、と鼻から勢いよく息を吐き出した秀はまた目を見開いて盤面を睨み付けた。
向かいの伸はやっぱりウンザリとしている。


「ハンデ、つける?」

「そんな情けは無用だぜ!」

「あ、そー…………じゃあ次の手が決まったら教えて、僕、あっち行ってるから」

「途中で席立つなよ!気が散るだろ!!」


伸を必死に引き止める秀の姿に、そういえば言葉や語気は違ったが征士も同じように当麻に食い下がっていたのを遼は思い出す。
確かあの時、彼らは将棋を指していたはずだ。
その程度に違いはあれど負けず嫌いなのは5人共通だ。
だから秀の気持ちは解らないでもないなと思っている遼の視界の端で伸も同じ事を考えたのか、それともあの時当麻を突き放したのは
無慈悲だったと反省したのか、大人しく腰を元の位置に下ろした。


「そっかぁ……じゃあ頑張れよ、秀」


気の長い話だと判断した遼は、その場を離れる事にした。
のだが、その腕をがっしと太い腕に掴まれる。


「………え?」

「遼、どこ行くんだよ」

「どこって………………えっと、あっち、かな…?」


どこか有無を言わせないような雰囲気の秀に慄きながらも遼が答えると、秀は掴んだ腕をぐいっと力強く引いた。


「え、え、なに、何だよ、秀…!」

「遼、俺を手伝ってくれよ!」

「えぇっ!!?」


引っ張られた勢いでその場に座り込まされた遼が驚きの声を上げる。
伸も思わず目を引ん剥いてしまった。


「ちょっと、秀…!キミ、さっきハンデは要らないって言ったじゃないか!」

「ハンデじゃねーもん、助けだもん!」

「た、助けって言われても……、俺じゃ無理だって…!」

「3人寄ればもんじゃの智恵!どうにかなる!!」

「秀、それは”文殊の知恵”だからね。それに3人って言うけどキミと遼で2人じゃないか。あとの1人はどこにいるって言うんだい」

「白炎!」

「…は?」

「遼がいるって事ぁ白炎もカウントできるだろ!」


何だか勢いだけで中身が全くないことを言い出した秀の背後で、ソファの陰に寝そべっていた白炎が名を呼ばれたことで顔を上げたのだが
雰囲気で状況を読み取ったのか、面倒そうにもう一度顔を伏せて「知りません」という風にまた寝てしまった。


「……で?キミと遼の2人で考えるの?」

「お、俺無理だって!こういうの、苦手だし、数えるくらいしかやった事ないし……」


遼は相変わらずオロオロしたままだ。伸は溜息ばかりが出てくる。


「だーいじょうぶ!」


だが秀は自信満々に笑顔で胸を叩いた。
その姿は実に頼もしいのだが、状況が状況だ。何の根拠もないその自信が逆に虚しく映ってしまう。


「大丈夫って言うけど……俺たち、テストで赤点取ったりするのに無理だって…」

「いいや、大丈夫!こういうのは気合の問題だ、気持ちの問題だ!」

「まぁそうだろうけどねぇ…」

「雰囲気や状況が変わりゃあ、戦局も変わるってなモンだ!だからよ、遼!」

「う、うん…っ」

「俺を応援しててくれ!!」

「…えっ」

「………はぁ?」


秀は物凄く良い事を考えたかのように眩しいまでの笑顔で、応援してくれ、と遼に言い放った。




結局。


パチリ。と黒を上にした駒を秀が置く。


「が、ガンバレー、秀、いいぞー!」


パチリ。と今度は伸が白を上にして置いた。
その間は遼も黙っている。
そしてまた秀が置くと。


「よし、いけるいける!気合の問題…!」

「……………………」

「……………………………」

「しゅ、しゅう、いけるぞー…!」

「……………………」

「……………………………遼、…」

「……なに?」

「………俺、自分から頼んどいて何だけど……………………邪魔」

「えぇっ!!?お、俺一生懸命やったのに!!?」

「ちょっと秀!!キミ、自分から言っといて、少しは言い方考えなよ!!!」

「そうなんだけど…そうなんだけどよぉー…!気が散るんだよ、何かよー、俺の予定と違った…!!」

「違ったって…………だから俺、無理だって言ったのにさぁ……」


遼が拗ねるのは無理もない話しだ。今回ばかりは自分が悪かったと秀も反省して、そこは深く頭を下げる。
だがだからと言って、戦局は何も変わっていない。
伸だけではなく秀もどっと疲れただけだ。


「ねぇ、もうコレ、無効試合にしない?」


いい加減、本気で辞めたくなってきた伸はちょっとナゲヤリに言う。
すると秀はガバっと顔をあげて、すぐに首を強く横に振った。


「いーや!途中で投げ出すなんて、俺ぁイヤだ!」

「キミが嫌なだけじゃないか!僕はもうヤだ!もう試合放棄で僕の負けでいいから、終わろうって!」

「ヤダヤダヤダヤダ!伸、もうちょっとだけ、もうちょっとだけ付き合ってくれって…!」

「もうちょっとって言うけど、結局さっきからちょっとしか進んでないじゃないか!」

「解った!こうなったら俺、最後の手段に出るから!!」


そう言いきると、秀は胸いっぱいに空気を吸った。そして。


「とーおーまああああああ!!!」


タレ目の天才の名を、屋敷中に轟くような大声で呼んだ。
声が終わるとリビングには沈黙が戻る。
そこから少しの間を置いて当麻がリビングにやってくる。征士も一緒だった。


「なに、何の用だよ」


話を聞いてもないのに最初から面倒臭そうな当麻に、今回ばかりは伸も遼もその態度が正しいと心の中でだけ頷く。
これから彼も面倒に巻き込まれるのだ、こんな顔をするくらい、今回は大いに結構なことだ。


「とうま、とうまっ!ここ、俺の横!来て!!」

「何で。…………………オセロ?」

「何だ、お前、勝てないから当麻に補助でつけと言いたいのか」


当麻より先に盤面を覗くと状況を把握したのか、征士が秀の言い分を汲み取って口にした。
秀はブンブンと音が聞こえそうな勢いで首を縦に振っている。
征士の後ろにいる当麻はやっぱり面倒臭そうに盛大に顔を顰めている。


「ヤだよ、面倒臭い」

「頼む、頼むから!」

「だからヤだってば。俺、さっき征士にマッサージしてもらってたのを中断して来たんだぜ?それなのにお前の補助なんてヤだね」

「あれ?征士、キミそういうの得意だったっけ?」

「得意というほどではないのだが、コイツが頭が痛いと言うのでな。肩の凝りが原因かと思って揉んでいただけだ」

「へぇ、そうなんだ。肩凝りで頭痛って起こるもんなんだな。俺、初めて知った」

「うむ」

「で?結局肩凝りだったの?」

「ガッチガチだったってさ。お陰で今、凄い、ラク」

「へー、良かったな、当麻」

「うん」


言いながら遼が当麻の肩を軽く揉んでみると、確かにいつもの彼の体温より高くなっていた。
血流が良くなったのだろう。
和気藹々とした雰囲気が流れるが、秀は1人、鼻息を荒くする。


「ってそーいう話はいいんだって!!なぁ、なぁ、頼む!当麻!!俺に花を持たせてくれ!!!」

「花って何の話だよ」

「秀はね、僕に同じパターンで2連敗したのが相当悔しかったみたい」

「はぁ?伸とお前じゃ結果は見えてただろ」

「遼とやれば良かったのではないのか?」

「えっ、それってどういう…」

「遼、深く考えないでいいからね。征士、キミ、本当に何気に失礼な事言うよね」

「今は征士のことは置いとこう。それよりも秀、お前、負けるのは解ってたんだろ?」

「解ってたよ!でも暇だったしただのゲームだしって思ってたし………」

「じゃあ諦めろよ」

「でも俺、おんなじ流れで負けんのは、イヤなんだって!何となく此処で足掻かなきゃって解ってるのに、そこでどうにも出来ないのがイヤなんだよ!」


これは勉強でもそうだ。
自分が間違える場所は解っているのに、そこでどうして同じ間違いをするのか、どうすれば良いのかが解らない。
それが秀は悔しくて堪らない。

それが何となく解ったのか、当麻は眉尻を下げ、溜息を吐いた。


「……………解ったよ」

「当麻……っ!!!」

「但し!俺、タダはイヤだからな」

「おう、おう、解った!学食の横で売ってるチョコボールでどうだ!?」


タダはイヤだと言った相手に、チョコボール。
流石にそれはないだろうと遼が噴出しそうになるが、伸は眉を顰めた。
直接金銭の遣り取りがあるわけではないが、こういう状況下での買収はあまり良くない。


「キャラメルの方な」

「おい、当麻っ」


キャラメル味でアッサリと了承した当麻の横で征士が厳しい声を出す。
咎めるのだと思った伸は軽く頷く。


「キャラメルは歯につくから、ピーナッツにしておけ」

「征士、キミねぇ…!」


だがその指摘は余りにも的外れだ。
良く言えばブレない男、悪く言えば世間からズレている男、伊達征士を侮っていたと伸は後悔する。
そのせいで結局、当麻を窘め損ねてしまった。




そして。


「おい、そこに置くな馬鹿」

「………………」

「そっちじゃない、…だからってそこじゃ結果は変わらないだろ!」

「………………」

「そこよりもっと良い場所があるって、ちょっとは考えろ!」

「………………」

「あー…っ…もう!変われ!秀!!」


あまりに秀の手の悪さに苛立った当麻が、秀の手から駒を奪うとパチンと盤面に叩き付けるように置く。
黒に挟まれた白が1つだけ引っくり返った。


「だってソコ、1個しか返せねぇじゃんか!」

「目先の事に気を奪われんな!最終的に多いほうが勝ちなのがオセロだろ!!」


煩い。正直に言って、煩い。
1回駒を置くごとにこの遣り取りだ。
向かいの伸の疲労は、秀とだけ向き合っていた頃より明らかに増している。
それが解って遼はオロオロとしているのだが、征士は落ち着いたもので腕組みして盤面を眺めているだけだった。


「っもー、ヤダ!当麻、厳し過ぎる!」

「俺を指名した時点で結果くらい、読め!!」

「だからってさっきから結局お前がやっちゃってんじゃん!俺が勝負してんのにさぁ!!」

「補助として指摘してやってんのにお前がちっとも解らないからだろ!」

「あーもー、当麻、いい!もうお前、ヤだ!!」

「じゃあどうするって言うのさ。もう勝負、終わりにする?」


煩いのは堪ったものではなかったが一応ゲームは進んでいたので、疲れはしても伸としてはさっさと終われるのなら今の状況は歓迎だった。
だが秀がもう嫌だと言うのなら、ゲーム自体を終了にしてしまいたい。
その気持ちを込めて問うてみたが秀はやっぱり首を横に振る。


「この分だけはする!」

「でもねぇ、キミ、」

「せいじ、征士!征士を補助につける!!」

「……私か?」

「征士でも結果は変わらないと思うんだけどねぇ…」


当麻が厳しいというが、征士のほうがうんと厳しい。
下手をすれば交渉の時点から揉めそうな気がして伸は思わず天を仰いだ。


「征士、チョコボールで引き受けてくれ!!」

「それは要らん」

「おいコラ征士。お前、チョコボール馬鹿にしてんのか」

「勘違いするな当麻。チョコボールのピーナッツが2箱あっても仕方ないと私は言いたいだけだ」

「仕方ないって……お前、俺が貰うチョコボールをお前も食うつもりか」

「お前が途中解雇になった続きをするのだ、それくらい構わんだろう?」


何故かピーナッツに随分と食いつく征士に、伸はまた天を仰ぐ。さっきとは意味が全く違うけれど。


「んじゃ交渉成立!征士、頼むぜ!」

「でもさ、征士をつけても結局口を出されるんじゃ意味が無くないか?」

「心配は要らん、遼。私は一切の口は出さん」

「お、そっちの方が俺ぁいいぜ!」




と、言ったのだが。


「…こ、…………ここに、…おこっか、……なーぁ?」

「…………」

「あ、こ、こっちのが、イイっか、……………な?」

「…………」


伸は額に手を当てて只管に俯いている。
時折貧乏揺すりをしているが、きっと苛立つ気持ちをそうやって発散しているのだろう。

その向かいで秀は、さっきからずぅーっと征士の顔色を伺いながら盤面の上で駒を彷徨わせていた。
一方で征士は何も言わない。
そのかわりに眉間に深い皺を刻んでいる。

口は出さない。
征士はそう言った。
それは正しかった。彼は一言も秀にアドバイスはしていない。
そのかわり、拙い手を打とうとするたびに眉間に深い皺を刻むのだ。
それでも構わずに秀が打ってしまうと、溜息まで吐くというオプション付きで。

まるで何かの探知機のようだと思っている遼は、こっそりと征士の背に凭れている当麻を盗み見る。
肩の凝りが無くなったことで頭痛も解消され、補助の役目も解任された彼は暢気なもので居眠りを始めたようだ。

俺、完全に逃げるタイミングを逃したな…

後悔しても上手い口実を見つけられない遼は、盤面を見守り続るしかなかった。




*****
8×8はオセロの盤面の数。
余談ですが、翌日の昼休みに買ってもらったチョコボールの管理は征士がします。
当麻に渡すと授業中に食べるから。なので休み時間に2人で向き合って食べます。仲良しだな。

征士と当麻の将棋の件は『パーシステント』より。