マフラー
ぶぇっくしょい。
朝から何度目かのくしゃみを順平がした。
「っもー、順平、キタナイ!」
ゆかりに非難をされはするが、出るものはしょうがないと順平に改める気はないらしい。
今日のように特別に寒いという日に限って順平はマフラーを忘れてきていた。
巻くのを、ではない。
今朝、モノレールの中で忘れてきたのだ。
車内は暑いといってマフラーを外し、そしてそのままに。
「アンタ、馬鹿だ馬鹿だと思ってたけど、何でそんな馬鹿なのよ」
いい加減呆れてきた、と腰に手を当て冷たい目を送られると流石に首を竦めはするが、それだけだ。
「しょーがないじゃん……帰りにちゃんと駅長室行って落し物ないかって聞くって。
あー早く帰んねーともっと風が強くなりそうだ…!ってなワケで、ゆかりっち、俺、帰るわー」
「ちょっと待ちなさい」
手を振って日が沈む前に帰路に付こうとする順平の首根っこをゆかりが掴む。
首だけで振り返るとその目は冷たさを通り越して最早般若であった。
こういう状態では逆らわない方がいいし、言い訳もしない方がいいのは長い付き合いで既に学習済みだ。
「……ナンデショウカ…」
「アンタ、今日の放課後当番でしょーが。何しれっとサボって帰ろうとしてんのよ」
その言葉を聞いた順平の肩がガックリと落ちる。
放課後当番というのは、このクラスだけのシステムである。
担任の鳥海先生はよく言えば非常に大らかでせかせかしない性格で、しかしそれは言い方を換えると
大雑把で何事もいい加減という事を生徒たちは十二分に理解していた。
つまりその先生の為に、ホームルームの後、態々教卓の中や何処かに先生の落し物がないか確認して、
あればソレを届けに職員室へ、なくてもその事を報告しに結局職員室へ行かねばならない。
コレは日直の仕事でも級長の仕事でもなく、それだけで自立したれっきとした”当番”なのである。
…生徒からすれば非常に面倒な事に。
何が一番面倒かと言うと、この担任、大人しく職員室に戻ってくれていればいいが、
一体何をしているのかは知らないが思いもよらぬ寄り道をしている事が多々あるのだ。
つまり、その先生を探しに行かねばならない。
何せ職員室の彼女の机の上は非常に散乱しており、メモとして残してもすぐに埋もれてしまうし、
他の先生に伝言を頼んだところで、結局後から直接言いなさいよと文句を言われるのだから困りものだ。
「あー…はい、ガンバリマス」
順平は肩を落としたまま渋々と教卓の中を検め始めた。
教卓の中にあったのは、担任の携帯電話であった。
これは忘れ物としてマズイ物の上位に位置している。
絶対に届けねばならない。
なのにこういう時に限って職員室にいないのがこのクラスの担任だ。
順平は更に肩を落とす。
早く帰らないと本当に寒くなってくるし、何より面倒臭い。
できれば本館内に居てくれると助かるけど…と探し回ったがどこにも居ていない。
こうなると渡り廊下を渡って体育館か講堂になるが、風が強くなってきていたから順平は本当に面倒な顔をしてしまう。
そして。
ぶえっくしょい。
また派手なくしゃみが出た。
案外風邪を引きかけているのかもしれない。
これは本格的にマズい事になる前に探し出そう。
そう思っていると、後ろから聞きなれた声が聞こえてきた。
「順平君、大丈夫?」
綾時である。
いつから後ろにいたのだろうか。
全く気付かなかったが、相変わらず柔らかい笑みを浮かべている。
「おー、綾時、先生見なかった?」
「見てないよ。一緒に探そうか?」
どちらかと言うと手分けしてくれた方が助かるが転校してきたばかりで順平ほど仲良くしている人間が居ないからか、
綾時はよく一緒に行動することを好む。
転校したてでどこか落ち着かない気持ちを自分も経験した事がある順平としては、 こういう綾時を無碍にはできないから、素直に頷いた。
「こっちは見たからあとは体育館か講堂なんだよな」
そう言ってドアに手をかけて押す。
僅かに出来た隙間から強い風が入り込んできて。
ぶえっくしょい。
またくしゃみた出た。
綾時がくすくすと笑うのが聴こえる。
「大丈夫?今朝からずっとだよね」
言いながら自分が巻いているマフラーを外して順平に差し出してくれる。
こういう事をスマートにやってのけるのが彼らしい。
けれど、何だか違和感を感じるのも事実だ。
「いや、綾時…有難いけどよ、そーゆーの、オンナノコにしてやってくんない?
いくらオレッチ寒いとは言え、男のお前からマフラー借りるのは別の意味で寒いって」
「そう?でも僕は順平君に巻いて欲しいナァ」
言葉も表情も優しいけれど、絶対に引く気はないらしい。
けれど順平も大人しく受け取るつもりはないらしい。
だって綾時は中々に女子生徒から人気があるのだ。
その綾時からこういう扱いを時折受ける順平は、女子の冷たい視線がよく突き刺さっている。
ただでさえ真田に構われてその件でもグサグサと刺さっている身としてはこれ以上女子を敵に回したくはない。
しかし綾時としては順平にどうしてもマフラーを巻かせたかったのだろう。
暫く無言で対峙していると、その差し出していた手を更に伸ばし、順平の首に巻きつけてきた。
「ちょ、りょ、りょーじ!」
「駄目だよ、順平君。風邪引いちゃったら大変なんだから」
ね?とニッコリ笑いかけられると、確かにその通りなので文句は言えない。
でもやはり困ってしまうのも確かだ。
綾時のマフラーは一目で彼のものだと解るデザインで、ソレを巻くというのは女子にまた恨まれるというわけで。
けど綾時の好意は本当に有難いしで。
「じゃ、…じゃあ駅まで…借りよう…かな」
「何なら明日でもいいよ」
「そういうワケにはいかんだろう」
突然の声に順平が驚く。
その声も聞きなれた声だった。
声のほうを見ると……案の定、ボクシング部のエースにして学校一のモテ男・真田だった。
「真田さん…」
何だか嫌な予感がする。
綾時と真田は真逆の性格と言ってもよく、綾時の方はどうだか知らないが真田が彼をよく思っていないのは寮の人間は皆知っていた。
しかもどういうワケか、真田の手にもマフラーが握られているという事も相まって、順平は益々嫌な予感がする。
「望月綾時。お前が今、順平にマフラーを渡せば少なくとも明日の朝までお前が寒い思いをするだろう。
それでは順平も心苦しいに違いない。だから俺のを貸そう、順平」
ギャー。出た、出たよ真田さんの無駄な対抗意識!
順平は心の中で悲鳴をあげた。
固まったままの順平の首からマフラーを取り上げ、そして自分のマフラーを首に巻いてくる。
そのマフラーも真っ赤で、一目で持ち主が真田だとわかる代物で、つまり結局女子に恨まれるというわけで…
順平としては本当にヤメて頂きたいことこの上ないのだが、真田はぎゅうぎゅうとしっかりと巻きつけてくる。
「真田さん、別に僕は構わないんですよ。それより順平君が風邪を引く方が心配なんです」
綾時も手を伸ばしてきて赤いマフラーを解こうとする。
「だから俺のを貸す。俺のであれば寮に帰った時に返してもらえば済む話だ」
しかし真田も取られまいと必死に巻きつける。
「でもその場合、真田さんが風邪を引いてしまうかもしれないじゃないですか」
「俺は平気だ」
「真田さんは減量をしたりしているから体脂肪が少ないでしょう?寒さには強いとは思えないですよ。
僕の方が寒さには強いだろうから、順平君には僕のを貸します」
「結構だ」
ぎゅうぎゅうぎゅうぎゅう。
自分の首を挟んでの攻防戦に、順平は段々と息苦しくなってくる。
マフラーの繊維がチクチクと首に痛い。
訴えようにも声は出ない。
2人の状態に呆れているから、ではない。
純粋に苦しいのだ。
呼気が少しずつ辛くなってきている。
順平の顔は赤いやら青いやら、あまり良い状態ではなくなっているがマフラーの事で必死な2人は全く気付く様子が無い。
風の強い中、渡り廊下を使う生徒なんて本当に用事のある者以外はいないから
この状態を女子に見られて大顰蹙を買う恐れは無かったがそれでも完全に人通りが無いわけではない。
あああ、せめてどちらのファンでもない子が通りますように、と願いながらそのまま順平は白目をむいて気絶した。
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どっちも必死。
きっと気絶したまま真田に背負われて帰る破目になってまた女子に恨まれる。
マフラーはキタロー辺りが駅長室で回収してくれてるかも知れないですヨ。