初めての恋



ただいまという言葉もなくやや興奮気味に帰って来た真田が荒垣に向けた第一声は、


「大変だシンジ!順平が女と浮気をしている!!!」


というもので、いつものようにカウンターで飲み物を飲んでいた荒垣は盛大に噴出す破目になった。



手近にあったティッシュでカウンターを拭いてる間、荒垣は真田の言った言葉を頭の中で反芻していた。
聞き間違いでなければ確かに彼は「大変だ」と火急の事のように、
順平が女と浮気している、と言ったはずだ。

ティッシュを丸めてゴミ箱を探したが近くに見当たらなかったので手に握ったまま真田の方を向き直り、


「……もっぺん言ってみろ」


と促すと、相変わらず興奮気味の真田は、


「だから順平が女と浮気をしていて大変なんだ!」


と同じように繰り返した。
荒垣はほんの少しだけ考えてもう一度真田に向かい、


「順平が浮気をして女と修羅場なのか?」


と質問の角度を変えた。
もしそうなら本人の身から出た錆なので関わる気もないが、もし相当な修羅場なら
仲裁役に行く必要があるかも知れない。

しかしそれと同時に順平に彼女が居る素振りなど見えなかったし、ましてや二股なんて器用な真似が出来る男にも見えなかったので、
真田の言っている意味が少々納得できない。

ところが真田は、どうして解らないんだと言いたげな顔で、


「そうじゃない!順平が女と浮気している!!!」


と繰り返した。
荒垣はもう一度考える。

順平は浮気をしているが、別に今は修羅場ではないらしい。
しかし目の前の幼馴染は大変だと言っている。

浮気が彼女にバレそうなのだろうか。
だがそれこそ本当に本人の身から出た錆なのでどうこう言うつもりにはなれないが、
いやしかしそれ以前にどうして順平の浮気に関して真田はここまで狼狽えているのかと。
全く持って理解に苦しむべき状況は、大変だと言っている真田本人の方である。


「…………アキ、聞いていいか?」

「何をだ」

「順平は浮気をしているのか?」

「そうだ!」

「何でお前が怒るんだよ…」

「……!じゅ、順平が、女と、俺以外の人間と二人きりで密会しているんだぞ!怒らないわけがない!!!」


更に荒垣は考えた。というより、コメカミを押さえて悩んだ。

ひょっとして自分の幼馴染と順平は”そういう関係”だったのか?と。
しかしそれもそんな素振りが見えなかったが。
いやそれ以前に自分の幼馴染が自分の知らない間にそういう趣味になっていたのか、
色々と考える事はあったが、兎に角想像だけで話を進めるわけにはいかない。


「アキ、更につっこんで聞いていいか?」

「構わん」

「……その、何だ、お前と順平はその………デキてんのか?」

「どういう意味だ?」

「いや、だから…………付き合ってたのかって…」

「いいや」


荒垣はまたコメカミを押さえた。
頭が痛い、という理由で。


「付き合ってネェのか」

「あぁ」

「んじゃ浮気になんねぇだろ」

「しかし順平は俺のだ」

「いやだから、付き合ってねぇんだったら浮気になんねぇって」

「でも俺は順平が好きだ」


ビックリドッキリなカミングアウトである。


「……………………………………それはその…可愛い後輩として、とか、面白い友人として、とか…で?」

「性的な意味でだ」


真顔で更に度肝を抜くカミングアウトだ。
荒垣は色々と高速で考える。

世界は広い。
沢山の国があり沢山の人が居て沢山の思想や趣味がある。
別に自分は敬虔なクリスチャンではないので同性愛を嫌悪の対称にするもりはないが、
自分の身近にそういうものがあるとも思っていなかったので、些か衝撃的ではあった。
しかしそういう人間は実際に居るし、他人の恋愛事にいちいち口を出す性格でもない。
それにそもそもお互いに愛し合って幸せであるのなら何もそういう恋愛を悪とする理由など無いのも解っている。

更に考えてみよう。
妹を失って以来、強くなること以外には全く見向きもしなくなり、他人とのコミュニケーションを取るだとか人を愛するだとか、
そういった人間関係の上で大切な物が大きく欠如しているのではと危惧していた幼馴染が、
遂に”誰かを愛する”という事を覚えたのだ。
これは寧ろ喜ばしいのではなかろうか。

たとえソレが結果的に彼を傷付ける結果となったとしても得るものは多く、
人間的にまた成長する事となる。

それを思えば今回の事は友としても非常に喜ばしいことだという結論に至った。


しかしそうなると別の事で疑問が3つ程浮かんできた。



「アキ……事情は解ったとしてチョット聞いていいか」

「質問だらけだな」

「イヤ、コレを聞かねぇ事には納得して動けネェからな」

「シンジは相変わらず腰が重いな…解った。何だ?」

「まず1つ目な。……順平は本当に女と会ってるのか?」

「ああ。それも毎日な」

「毎日って……何で知ってるんだ」

「毎日見ているからだ」


それはつまり毎日見に行ってるんだな、アキ……そしてソレは下手すりゃ犯罪だ、アキ……
思っても荒垣は、今は指摘をしない事にした。
真田と言う男は自分では認識していないようだが非常に不器用な男なので、
話を脱線させると収拾がつかなくなるタイプの人間だ。
なので、そこへの指摘はとりあえず話を全部済ませた後にする事にした。


「毎日、か………」

「そうだ毎日だ。順平がいつも買ってる雑誌は駅前でも買えるのにわざわざポロニアンモールで買うくらい、毎日だ」


アキ……テメェいつから順平の行動を監視してるんだ…
思わず言いそうになったが、ぐっと堪える。
これも後回しだ。


「…じゃあ2つ目だ。…順平たちは何かマズイ事でもしてんのか?」

「………二人で会話を…」

「普通じゃネェか!」

「しかし二人で親しげにしてるんだぞ!?」


お前に取っちゃ重大な問題かも知らねぇがそりゃ放っといてやれよ!
と言いたいが耐える。


「二人は一体何を話しているのか…!」

「いや別にいいだろ、会話内容なんざ……てか毎日ねぇ…」

「そうだ毎日だ。何度も言わせるな」

「約束してんのか?」

「俺の見る限り約束などしていないな」

「なんだ、じゃあ会えない日もあるんじゃねぇか」

「いや、それがその女も用も無いのにいつも学校の終わる時間位になるとポロニアンモールに居るんだ」


どこからどうやってそんな事まで調べてるんだとか、何でお前はそんな間違った方向に頑張ってるんだとか、
もう本当に色々と突っ込んでやりたい事が山のようにあるが、
兎に角我慢をする。
忍耐の男・荒垣真次郎である。


しかしここで一つの結論に辿り着く。

順平は明らかに彼女に好意を持っているらしい。
そして約束をしているわけでもないのに毎日ソコに居るという事は彼女も悪くは思ってないのだろう。
もし順平に会うのが嫌ならソコに居るワケなどないのだから。

どうやら二人は、付き合っているかどうかは解らないが、まぁ中々にいい関係なのだろう。
やはり幼馴染の初恋は、彼にとって悲しい結果になりそうだ。


未だに帰ってきて座りもせず興奮気味に話す親友をしんみりと見つめる。

随分慌てて感情を剥きだしにして、言ってる内容も行動も馬鹿げたものになるほど、後輩の事が好きだったのだろう。
しかしその恋は実りそうもない。
それでも彼は親友である自分以外の人間に対しても感情を顕にするほどになった。

それは、悲しい結果が見えているにせよ喜ばしい事だと荒垣は思っていた。




「………で、シンジ、3つ目は何だ?」

「…あ?」

「聞きたい事が3つあると言っていただろう?」

「あぁ………」

「早くしてくれ、ポロニアンモールに向かわなきゃならないんだ…!」

「いや、何でソレを俺に言う?と思ってな」


確かにそんな事を自分に報告しにわざわざ寮まで戻る理由など何一つない。
なのに何故彼はそんな意味不明な行動にでたのか、純粋な疑問だった。


「見ての通り俺は今、冷静な判断ができそうにない」

「あぁ…そうだな」

「だからシンジに一緒に来てもらおうと思って…」

「一緒に行って妙な行動にでそうになったら止めろってか?」

「いや、俺が順平を連れて逃げようと思うのだが、冷静な判断が出来ないから妙な方向に逃げてしまいかねない。
そうなってしまった時の為に、シンジに女の足止めを頼もうと思ってな」

「………………………あぁー…」



荒垣は再びコメカミを押さえた。
目の前の真田はもう3つの質問は終えたとして、早くポロニアンモールに行こうと急かしてくる。

確かに今、目の前の男は冷静ではないらしい。
いや、冷静ではないというか恋は盲目というか、普段からエキセントリックなので仕方がないというか……





兎に角、荒垣は漸く重い腰を上げた。



死なない程度にコイツを殴ろうと、隣の椅子を手に取りながら。




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暴走をする真田と収拾を図る荒垣。

順平と会っている女の子は、勿論チドリです。