ターゲッティング
「順平を知らないか」
2階から降りてくるなり真田はラウンジを見渡してそう言った。
コロマルを撫でていた風花と天田は素直に首を振り、雑誌を見ていたゆかりは少し面倒臭そうに見てないですと答えた。
「…そうか」
言って真田はそのまま裏口へと向かい外へ出て行った。
「真田先輩、最近ずっと”ああ”だね」
裏口へ続くドアが完全に閉まったのを見届けて口を開いたのは風花だった。
心なしか、コロマルも耳を伏せ、どこか悲しげな表情を見せる。
荒垣の葬儀が済んで1ヶ月が経った。
幼い頃からの親友を失ったのだ、もっと落ち込んでいても誰も咎めはしない。
だが真田はそんな事ではシンジに笑われるとでも思っているのだろうか。
彼の死から葬儀を終え、そしてそれから更に2日ほどはどこか上の空になる事もあったが、そこから後はパタリとそういう気配を絶っていた。
親友の死が悲しくないわけではない。ただ、そんな暇がないというのも事実といえば事実だが、それは正直、見ている周囲が辛い。
ただ当然、真田だって辛い。
本人なりに立ち直ろうとしているのか、気を紛らわそうとしているのかは知らないが、頻りに順平と行動を共にするようになっている。
気持ちはわかる。だから順平も極力彼の要望に応えるようにしていた。
それこそ最初は順平も面食らったものだ。
落ち込んでいるであろう人物がどこか遊びに連れて行けというのだから。
真田の口から遊びという単語が出る事自体にも驚いたが、その相手が自分と言うのにも驚いていた。
いや、考えてみればこの寮の男子は順平を除くと太郎と天田になる。
天田は未だ小学生だし、太郎はどこか付き合いが判らない。
となると話し易さから考えても順平というのは妥当な選択肢だった。
驚きはしても順応性の高さが順平のウリだ。
じゃあ気晴らしにバッティングセンターなんてどうっすかね。
そう言って、人好きのする、目尻を下げた独特の笑みを浮かべれば、真田も素直に頷いて彼らは連れ立って出て行った。
その日の帰りは勿論遅かったし、疲れ果てた順平はタルタロスで使い物にならなかったが、美鶴はソレを怒る事をしなかった。
寧ろ付き合いの古い同志の心を支えてくれたのだ、心から礼を述べ労わってやっていた。
その、真田が本当に、頻りに順平と行動を共にしている。
それこそ最初は彼らの連れ立って行く先などイーブンで、順平のオススメスポットや、真田のしたい事など様々だった。
そうこうしている内に最近は真田もいつもの自分を取り戻してきたのだろう。
イイコトだ。大変、喜ばしいことだ。
いつもの自信に満ち溢れ、どこか強気な真田先輩が帰ってきつつあるのだ。
ペルソナが変化したことからも、彼が1つ、壁を乗り越えたのも解っていた。
ただ、真田は自分のペースを取り戻しつつあった。
つまり、本来の彼、だ。
真田といえば自信に満ち溢れ、頼りになるというイメージが校内ではあるが、寮内ではまた少し違う。
強引。
空気を読まない。
周囲の事などお構いなし。
で、ある。
そしてその犠牲者は、言わずもがな順平である。
バッティングセンターは飽きたのか、パンチングマシーンのあるゲームセンターのほうを好むようになっていた。
いや、ゲームセンターなら順平も喜んだ。だが遊べるのがパンチングマシーンだけではつまらない。
しかもいちいちフォームの修正や、腰の入れ方脇のしめ方、挙句そんな動きでは試合ではすぐにヤられるなどの指導付きと来たものだ。
ちっとも面白くない。当然だ。
それだけではなかった。
ロードワークに付き合わされる日もあった。
その度に順平は、俺ぁボクサーになんかならねっすよ!と喚いているが、真田が聞き入れた事はない。
プロテインを飲まされる日や減量に付き合わされる日もあった。
筋肉量のチェックもされたし、何故かグローブの手入れまで付き合わされてるのを他の寮生が見かけたこともある。
そりゃ断り下手な順平も悪いと言えば悪い。
八方美人な性格が災いしているのだ、本人がもっとしっかり断ればいいとも言える。
だが真田の心がどこまで戻っているかわからない以上、不用意なことは当事者からは言えない。
ある日、見かねたゆかりが
「順平ってボクシングの才能あるんですか?」
と冷ややかに聞いた事がある。
暗に、アンタ付き合わせ過ぎでしょ、と言ってやったのだ。
だが真田は心底不思議そうにゆかりを見つめ返し、そして
「ない」
とキッパリと返した。
ないならヤメなさいよ、とは流石に言えない。
まだ傷付いている可能性のある人間にソコまで言えるほどゆかりは厳しくなりきれなかった。
代わりにその言葉の続きを、美鶴が継いでくれた。
伊織を振り回しすぎるのはどうかと思うぞと。
だが真田は彼女の提言をまるで聞かず、俺がいつ順平を振り回した、とケロリとしていたではないか。
ああ、恐るべし真田明彦。
無自覚というのだろうか、この男は。
人の心の機微など理解できないのだろうか、この男は。
あれほどまでに順平がウンザリした顔をしていると言うのに。
今日も真田は順平を探している。
服装からして、恐らく自室のトレーニングマシーンを使った鍛錬に付き合わせるつもりなのだろう。
天田も心配そうな顔をしているが、それは真田を思いやってというよりかは、順平の運のなさを哀れんで、だ。
コロマルの垂れた耳だって、明らかに順平を心配しているし、風花の溜息もそうだ。
仕方がない、とこの中で一番のしっかり者のゆかりは携帯を取り出し、まずメールを入れた。
今、真田先輩が順平を探し回ってるわよ。
送り先は順平ではなく太郎だ。
順平は逃避行真っ只中だ。
そして彼の性格からして、恐らく逃避行の相方に太郎を選んでいるだろう事は読んでいた。
ああいう性格のヤツはついでに愚痴を聞いてもらいたいのだ。
太郎は彼の親友でもあったし、無駄な事は言わない。
だから聞いてもらう分には打って付の相手とも言える。
それに順平はウッカリ者だから、きっと携帯の音は切ってないだろう。
真田が電話をかければ着信音が鳴り居場所がバレる可能性があるのに、そこまで考えが及ばないのだ。
比べて太郎は逃避行に付き合わされると判った時点で絶対マナーモードにしている筈だ。
電源を切るのも有りだが、そうすると中からの情報が入らなくなるので、絶対、マナーモードにしている筈だ。
そこまで読んで、ゆかりは太郎へとメールを送った。
きっと今頃、届いたメールを順平に見せて、彼の顔が盛大に歪むのを見ていることだろう。
「一応、情報は流しておいたから後はアイツらがどうにかするでしょ」
別に頼まれていたわけではないから、独り言の体を装って声に出した。
それにその場にいた2人と1匹が明らかに安堵したのが空気でわかる。
アタシも大概、お人好しよね…
または苦労症とも言う。
この寮には一癖も二癖もある人間が揃っているため、良識家の部類に入るのは自分と、まぁ馬鹿だけど順平くらいだ。
美鶴は全責任者でもあるが世間とのズレが激しいし、真田は先に述べたとおり。
風花は天然だし天田は未だ子供だ。
アイギスはもうてんで話にならない。し、それは残念ながら言葉を交わすことが出来ないコロマルもそうだ。
ああ、荒垣先輩、あなたは何故お亡くなりになったのでしょうか…
思わずゆかりは天を仰ぐ。
彼の存在は頼もしかった。
それは生活にしても、戦闘においてもそうだった。
だが、やはり一番助かっていたのは真田の暴走を止められる唯一の人物だったことだというのを、今更ながらに思い知る。
暫く物思いにふけっていたゆかりだが、はたと我に返りもう一度携帯を手に取った。
太郎からの返信がない。
いつもなら、わかった、とか、ありがと、とかの簡素な文章ではあるがちゃんと見た証拠に返信を寄越す彼なのに。
まさかメールを見ていないとは思わないが、万が一という事がある。
マナーモードにしていない筈はないので、思い切ってアドレス帳から彼の番号を引っ張り出して、そこにコールする。
1回、2回、3回とコールが続き、漸く相手に繋がった。
「あ、太郎、メール…」
「うん、見た」
見たなら、と言おうとした彼女の耳に、電話の向こうで悲鳴が上がるのが聞こえた。
まさかと思い、目を強く閉じる。
「あのさ、もしかして…」
「ちょうどメールを見てる時に来ちゃった」
誰が、とは言わない。
話題の人が現れた事は解っていた。
「まぁちょっと抵抗はしたんだけどね」
悲鳴は電話から遠退き、代わりに裏口のドアのほうから聞こえ始める。
「……………そ。ありがと」
「いえいえ、こちらこそ返事遅れて悪かった」
「ま……しょうがないわよ。………ご苦労様」
「ゆかりも」
それだけ会話を交わして通話を終えるとタイミングよくドアが開き、活き活きとした顔の真田と、彼の腕が首に巻きつき、
半ば引き摺られるようにした順平がラウンジに姿を見せる。
彼らはこちらには一切気も向けず、そのまま2階へと上がって行った。
今日もラウンジには、深い溜息だけが充満していた。
*******
真田さんに悪気はないんですけどね。