ストレイ・ウルフ




真田明彦は自室のソファに座り、悩んでいた。
ある雑誌を目の前に、とても悩んでいた。



真田明彦は今、恋をしている。
その相手というのが少々複雑で一般的な恋愛からみるとハードルが高いのだが、
伊織順平、そう、同性である順平に恋をしている。

別に同性に恋心を抱いていること自体は彼の中では悩みの対象にはなっていない事をまず理解して欲しい。
”周囲からのイメージ”はある程度気にしているくせに、肝心の”周囲が持っている常識”という物に疎い男だ。
幸か不幸か、恋のお相手が同性の後輩・順平である事など彼の中では何ら問題ではないのだから。

それにしても普段の彼の学校で見られる姿から”恋をしている”というのは非常に結びつき憎い単語ではあるが、
兎に角、彼は彼に恋をしている。

因みに未だにその想いは伝えていない。



しかしそんな真田が、ソファに深く腰をかけたまま目の前のテーブルに置かれた雑誌を睨みつつ苦悩している。




その雑誌は今から2時間ほど前に順平によって持ち込まれたものだ。

順平はとても真田に懐いている。
(勿論、真田の想いなど微塵にも気付いてはいないが)
最初は尊敬から、そして最近では彼の中に世間とのズレを多く発見し、それを面白いとして。

今日も順平は部屋へやってきて何という事のない世間話を止め処なくほぼ一方的に真田に話し、
しかしある程度話した所でそれにも飽きてきたのか、真田の部屋を物色し始めた。
”何か”出てこないかな〜などと節をつけながら。
勿論、ここで順平が期待している”何か”とは思春期の男子の必須アイテム(と順平は確信している)、
エロ本の類の事を指していた。


が、如何せんボクシング馬鹿にしてエキセントリックな真田の部屋である。
当然そんなモノは何一つ出てこなかった。
それは順平もある程度予想していたが、漫画さえ出てこなかった事には非常に驚くと共に
何で何でオカシイじゃん、などとまるで持っていないことが異常と言わんばかりに真田を責めた。

そして鼻息荒く部屋を出るとそのまま斜め向かいの自室に勢いよく駆け込み、
1冊の雑誌を手にしたまま出て行った時と同じ勢いで真田の部屋に戻ってきた。


「コレ!兎に角まぁアレなんで、俺の好きな雑誌ッスから、コレでも読んでもうチョット高校生らしくなってくださいヨ!」


と、その雑誌を半ば押し付ける形でテーブルの上に置いて行った。





その雑誌を目の前にしたまま、真田は2時間ほどずっと触れもせずに難しい顔で眺めながら悩んでいた。
因みに高校生らしくなってくれ、と言われた事に対して悩んでいるのではない。

”順平がこの雑誌を持ってきた”という行動について深く悩んでいるのだ。


順平は確かにこの雑誌を持ってきたとき、俺の好きな雑誌、と言った。
自分の好きな物は好きな人にも知ってもらいたい欲を言えば好きになってもらいたいという願望は、
大体の人間が持っているものだと真田は認識している。

つまり。

ひょっとして順平が自分の事を好いていて、だからこそ彼の愛読している雑誌がどういう物か理解して欲しい、
そういう意味を込めてこの雑誌を持ってきたのだろうか、それともそれは深読みしすぎなのだろうか、と悩んでいる。

幾ら行動が常軌を逸脱しているだとは言え、真田だって生物学上、立派に人間なのだ。
それも17歳という多感なお年頃の。
そういう甘酸っぱい迷いくらい、悩みくらい、生じてもこれは仕方がないと言えよう。
(しかし重ねて言うがこの恋が非常にハードルの高いものだという事を理解はしていない)

ある程度の希望的観測を持っても致し方ない。そういう事だ。

しかし流石に思春期、絶望的な考えも頭を過ぎる。
だからこそ彼は悩んでいた。

この雑誌は単なる好意で持ち込まれたのか、それともそれは愛情を持って持ち込まれたのか。

真田は悩みぬいていた。




冒頭の状態から更に30分ほど経過した時、漸く真田はその雑誌を手に取ってみた。
悩んでも答えが出ないのならば、直接この雑誌を読む事が何かのヒントになるのではないかと踏んだらしい。


取敢えず最初から捲っていく。

週刊誌なので大抵の漫画はストーリーが繋がっているものが多く、
何の知識も無しに読んだ真田にはキャラクターの設定や話の筋がサッパリ見えないのは仕方なかったが、
ある程度の漫画を読んでいくと取敢えず系統は把握してきた。

何やらよく解らないが、主人公とその仲間がある勢力と戦っているらしき漫画、
取敢えず可愛い女の子(一般的意見であって真田の意見ではない)が数人出てくる恋愛モノと思われる漫画、
そして所々でオーバーなリアクションで遣り取りされるギャグ漫画。
順平の好んでいる雑誌という事は、順平はこういった漫画が好きなのだろう、と真田は判断する。


更に少し読み勧めると、真田が耳にした事のある漫画のタイトルが出てきた。
それはいつだったか忘れたが、ラウンジで順平が友人のキタローと面白くて好きだと話していた4コマ漫画のタイトルだった。

さっきまでは何気なく見ていたが、順平が特に好きだと明言していた漫画なので真剣に読む事にする。


1コマ目。
パンチパーマでエプロンをした女性がゴミ袋を振り回している。
2コマ目。
その女性は引き続きゴミ袋を振り回している。その動作はまるでハンマー投げのようだ。
3コマ目。
ついにそのゴミは女性の手を離れ、自宅の塀を越えてゴミ捨て場に投げ入れられた。
4コマ目。
額の汗を拭き一仕事終えた後のような顔の女性の横に、今日オカンはゴミを捨てた、と四角く囲われて書かれていた。


…………………。
真田は思わず絶句する。
何が面白いのか自分にはサッパリ理解できない。それ意外、全く感想が出なかった。
そのシュールさが恐らく順平にとって非常に面白く見えるのだろうが、
真田は漫画というのを一切読んだ事がない人間なので、それがどういう面白さを含んでいるのか、
彼には理解できなかったのだ。


真田は頭を抱える。
順平がこの雑誌を置いていった意味の真理に近づけると思ったのに逆に遠のいたどころか、
迷宮入りしてしまったのだ。
普段は一緒に居て楽しいのに、彼が面白いと思えることが理解できない事も頭を抱える要因になった。

それでも何か他の作品でなら、順平の意図を理解できるかも知れないと諦めずに他の漫画を読む事にした。



結果は、惨敗だった。

漫画自体は何となく理解できた。
ただやはり順平が何を意図してこの雑誌を読むよう勧めたのか理解できなかった。
順平からすれば、単に漫画でも読んでみたらどうかという勧めでしかないのだから、
当然、意図も何も真理さえもないのだから仕方のない事だが、先ほども述べたように真田は思春期なのだ。

希望的観測を、淡い期待を少しでも見出したいのが本音だったりしてみたりそんな感じで……



漫画からは何も読み取れなかった。
そう落胆していた真田だが、最後の、本当に最期のほうに明らかに漫画のページと紙の質が違うページに気付いた。
藁に縋る溺れた人間のようにそのページを捲った。


そこにはシャツだけを羽織った、もう裸と言っても過言ではない女の写真があった。
隣のページも同じ女で別のポーズで写っていたが胸や下半身が顕になっている事に変わりはなかった。

所謂、グラビアのページなのだが真田はそんな物は知らないし、初めて見た。



順平からのメッセージ。

そう、順平が自分に伝えたかったのは、このページだったのではないか、と真田は思った。
よくよく見ればどの写真にも煽るような文章が添えられている。



そうか、順平、そうなのか。





真田は悟った。



順平、つまりお前は、







俺を、誘っているんだな、と。







大いなる勘違いを抱えた彼は雑誌を閉じると自信に満ちた顔のまま立ち上がり、少年の部屋へ向かっていった。




*******
この後きっと、順平の物凄い恐怖を滲ませた絶叫が寮内に響き渡ると思います。

因みに真田の読んだ4コマは既存の漫画のネタですスイマセン。
7年ほど前に読んだので古いものなんですが私、もんの凄いこのシリーズのネタが大好きでしたという関係ない話。