秘密のバカ園



ただいまーという順平の声に続き、お邪魔しまーすと転校生・綾時の声が聞こえたとき、
ラウンジでマニキュアを塗っている最中だったゆかりは、文字通り固まった。

大きな玄関ドアにゆっくりと視線を向けると、ヘラっという馬鹿っぽい音と、うふふという柔らかい音が聞こえそうな笑顔の二人。



順平、アンタまたソイツ連れてきたの………



頭が痛いとは正にこの事よねなんて思うも、愛らしいピンクに塗られた爪はまだ乾いておらず、
患部を抑えることさえ出来ない。



綾時の転校初日から順平と彼は激しく意気投合し、まだ知り合って1ヶ月も経っていないというのに
すっかり大の仲良しさんになっていた。
それは別にどうだっていい。
友達なんだからしょっちゅう寮に遊びに来るのも別にいい。
実質的に寮の責任者でもある美鶴もそれを許可しているので、勿論、文句はない。


けれど、そうじゃないの、それだけじゃないのよ順平、アンタマジ解りなさいって。


頭痛は続くがやはり爪は乾いておらず、独特の匂いだけが鼻を突く。
チラ、と視線をラウンジの奥に向けてみた。


奥では一人、ボクシンググローブを大事そうに磨いている真田がいる。
他者から見れば今の彼はその作業に集中しているように見えるが、恐らくは彼女自身のアルカナの影響だろう、
ゆかりの目にはそうは見えなかった。

激しく”何か”が乱れ、渦巻いているのが見えるのだ。

念のため言えば、何も真田のペルソナ・カエサルが暴れているわけではない。
そうではないのだが、兎に角、所謂オーラが。そう、オーラが、ラブオーラ乱れている。



アンタが綾時君を連れてくるたびに真田先輩の顔が超怖く見えるんですけど私すんごい大迷惑なんですけど。


しかし悲しいかな、真田自身に順平に恋している自覚があるはずも無く、順平もそんな事に気付く素振りさえない。

この状況を打破してくれる事を祈り誰かの帰宅を期待したゆかりが再び視線を玄関に戻すも、
そんな気配もなく馬鹿の二人が部屋に上がる様子すらなく、その代わりに綾時と目が合ってしまった。


「ふふ、岳羽さん、こんにちわ」

「……こんにちわ、っていうか……ガッコでも会ったよね」


自分でも思った以上に返事が素っ気無くなってしまったのは、別に綾時が嫌いなわけではなく
意識が視界の外の真田にいっているから仕方がない。
(いや確かに綾時の軟派な所はあまり好きじゃないが)


「うふふ、岳羽さんって面白いね」


ところが何が面白いのか彼は不思議なところで笑う。
悪い人じゃないというのは、ゆかりだって勿論順平だって、そして恐らくは真田だって解っている。
……のだが。

どうもその不思議な感覚というか感性のズレが微妙な空気を呼んでしまうのも事実で。


「面白いし可愛いし、いいね。この学校の女の子は皆可愛いくて…あ、順平君も面白いくて可愛いね」

「いやいや、リョージ、ゆかりっちは可愛いのは見た目だけだから。中身結構コワイから、ね。
ってかお前、俺可愛くネェから、ヒゲだしボウズだから。意味わかんネェよ」


と順平が突っ込むと、さっきよりも柔らかい笑みを浮かべて、うふふ、そう?なんて返しているのだから、
それはそれは、真田にとっては何一つ面白く事だろう、とゆかりは冷や冷やする。
そのせいで順平の失礼な発言に対してコメントをし損ねてしまっている事さえ気付かないほどに。



ねぇ、順平、お願いだからとっととその馬鹿連れて部屋に入ってくれないかしら真田先輩のオーラが怖いのよアタシ。


口に出せないその言葉。
出したい。出せない。いや、出したところで現在この寮には自分を含めこの4人しかおらず、
しかも自分以外の3人はジャンルこそ違えど馬鹿に変わりはないので通じるはずもないと、
ゆかり自身解っているので出す意味が無いというのが正しい。






「真田さん、でしたっけ?ふふ、こんにちわ」


ゆかりが悶々としていると、綾時が不意に奥の真田に声をかけた。
あくまで立ち位置は順平の隣のまま。


「あぁ……」


突然の事にどう返していいのか解らなかった真田は、簡素な返事だけする。


「真田さんのこと、順平君から聞いてますよ」


笑顔で続けられた言葉に、真田の反応が少し変わったのをゆかりは空気で感じた。
視線をそちらにうつせば、思ったとおり、彼は少し嬉しそうな顔をしている。

順平が真田のいないところで、真田の話を他の人にする。

恐らくソレは、無自覚であれ恋をしている真田にとっては嬉しい事なのだろう。


「…そうか」

「えぇ、真田先輩って、面白いんだって」


なのにその一言で空気が一瞬で凍りつく。
アレ?ブフダイン??などとトボけてみても、事実は変わらず、
視線の先の真田は落胆の色を濃くした表情をしている。
しかし残念ながらそれに気付いてないのだろう、綾時は独特の柔らかい笑みを浮かべたままだし、
順平も相変わらず馬鹿のような笑顔だ。


真田明彦が、他者からの評価という物に酷く疎く自身についても無自覚な点が多い男だという事は
寮の人間は重々承知のことだが、殊、無自覚と認識されている事は恋愛と、そして本人の奇天烈さ加減だろう。

確かに、真田は”面白い”。
それはゆかりも解っている。太郎も解ってる。風花あたりは優しいのでそうは口には出さないが、心の底では思っている事だろう。

そして順平は遠慮がないので、心底面白いと思っているし口にもしてしまうから性質が悪い。


そして真田はその評価を、心底不本意だとしているのでこれまた性質が悪い。



ああ、どうしよう、馬鹿ばっか揃うとこういう時辛いのよ誰か帰ってきてよ太郎でもいいから…!


ゆかりは救いを求めた。しかし都合よく行かないのが世の常である。
誰も帰ってくる気配はない。
よくよく気付けばコロマルも居ないではないか。
何で居ないのコロちゃん、と犬にまで怨みを持つ始末。




「っと、綾時、そんな事より早く上行こうぜ」


部屋でゲームしよー、と綾時の肩を叩く順平を、真田が力なく見ているのが見える。
無自覚な恋心を抱いている相手に不本意なイメージを持たれてるだけでも大ダメージなのに、
挙句、自分の事は”そんな事”扱い。
それは確かに中々にひどい仕打ちだ。

ひどい仕打ちだが、正直、ゆかりとしては真田のケアよりも馬鹿に囲まれている自分の状況の方がどうにかして欲しく、
そうよとっとと上がりなさいよそんな人放っておいて、とさえ思っているので、敢えてその物言いには突っ込みを入れない。

誰だってわが身が一番可愛いものなのよ、と言い訳をして。


しかし真田だって言われっ放しというのもプライドが許さなかったのだろう。


「もちづき、りょうじ…か……遊ぶのはいいが、順平と遊んでばかりいると馬鹿になるぞ?」


などと憎まれ口を叩いてみせた。
言外にだからあまり順平と遊ぶな、と釘まで刺して。


「え、ヒド!それって俺が馬鹿って事っすか真田さん!」

「あはは、順平君、その顔、可愛いー!」


なのに真田のその意思は上手く伝わるどころか隣の順平がリアクションを返し、
本来の威嚇相手の綾時がその順平を可愛いとまで言い出した。

馬鹿ではないゆかりだけが関係のないところで大ダメージを受ける。



誰か誰か援護してー真田先輩じゃなくてアタシを援護してー!



その時、何度目かのその思いがやっと天に通じたのか、重い玄関ドアがガチャリと音をたてて開いた。



「ただいまー…ってアレ?……綾時さん??」


コロマルのリードを持った天田の姿。どうやら散歩に行っていたらしい。
少年の足元では尻尾が千切れんばかりに振っているコロマルも居る。

よし!子供と犬はこういう時の癒しアイテム…!!

心の中で小さくガッツポーズのゆかり。
天田君は真田先輩と違って割りと綾時君とも喋るし、順平とも仲がいいし、何と言ってもまだまだ子供だし、
それに今コロちゃんと帰って来た所だからしばらくラウンジに残るし、
よし、馬鹿二人が部屋に上がってもこの場の空気を和ませる可能性、大!!
とやっと肩の力が抜けた。


「こんにちわ、天田君」

「こんにちわ」


そうそう、そうよ、天田君、真田先輩と違って君はちゃんと笑顔で挨拶できるモンね!


「綾時さん、あんまり順平さんと居ると成績に響いちゃいますよ?」


そうそう、君ならそうやって順平も弄るしね!変な感情の絡みもなく、ね!!


「っちょ、おい、天田、なにそれ、何この扱い!お前、俺のこと馬鹿だって思ってるだろ!」


そうよー順平、アンタは馬鹿よ、ていうかいつもの流れ、そうよ!いつもの寮に戻ってきた!!!
その意気よ、天田君!適当に追い討ちかけて順平もとっとと馬鹿な負け惜しみでも言って部屋に行きなさい!!


「え、僕はそこまで言ってませんけど…あれ?順平さん、もしかして成績、芳しくないんですか?」

「ぅお、この前のテストの結果知ってて言うか…!ヒデェっ!さっきも真田さんに馬鹿って言われたトコなのに
何この扱い!何この愛の薄さ!!みんな俺への愛は無いのかしら!!!」


”芳しくない”ってあんまり小学生は言わないと思うけどソレでいいのよ天田君!


「うふふ、順平君、大丈夫だよ、僕は順平君のこと、誰よりも愛してるから」


そうよ!綾時君、あなた、順平のこと愛し……………




な ん で すっ て ………??



天田の帰宅によって一気に加速していたゆかりの心が急ブレーキをかける。
今、何て言ったの望月綾時。


「りょ、リョオージー!お前だけ、ホント、優しいのお前だけだよーー!!オレッチ感動しちゃった!!」

「感動してくれたの?嬉しいナァ。じゃあこの優しさで抱き締めてあげるからおいで」


いや、順平、ちょっと待って、ホント待ちなさいって、ちょっ、今何か綾時君のオーラが、何か…っえ!?
って、え、えええええええ、



抱きつきにいっちゃダメーーーーーーー!!!!順平、ダメーーーーーー!!!!
綾時君のオーラ、真田先輩と同じ匂いがって、ああああああああああああああああああああああああああ、

ああ、ああああああああああああああ、アンタ…アンタ、バッカじゃないのおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!!!?







…もーおイヤ、アタシのアルカナ、イヤ。


この時ばかりは自身のアルカナを心底疎み、そしてペルソナチェンジが出来る太郎を心底羨み、
何より馬鹿ばかりのこの寮と、そして男にばかり好かれる馬鹿・順平を心底殴り飛ばしたい気持ちでイッパイの
ゆかりは気付いていなかった。



順平が綾時としっかりと抱き合ったその瞬間、小学生・天田からも真田と同じオーラが出ていた事に。




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ゆかりちゃんは苦労人だと思うの!
順平とはまた違った苦労人。順平はノンケで苦労人。ゆかりは部外者なのに苦労人。

ゆかりはクールに真田も馬鹿認定してます。
寮はバカ園でありバラ園であり…
(意味が解らん人は気付かなくていいです。寧ろそのピュアなまま居て下さい)
そして綾時に悪気はありません。自然体。