ちかい・とおい



国からのまともな援助もないままに高すぎる介護医療費を少ない給料だけで払い続け、
年老いた母親の介護に疲れた息子が泣きながらその手で母親の命を絶つ。

そんな現代社会を描いた2時間ドラマの再放送が、夕方からやっていた。

ラウンジでそれを見ていた天田はまだ小学生だったがその話の
悲しさ、虚しさ、やりばのない怒りは充分に感情として感じていたし、
己の手で母を殺すというその言いようのない悲しさは、幼くして母親を失くした身の少年には
それだけでも十分に胸に詰まるものがあった。

が、少年は泣かなかった。


というより、泣き損ねた。





自分より年上の順平が何の恥ずかしげもなく隣で大号泣しているせいだ。



今日の授業が全て終わった瞬間に順平は真っ直ぐに寮に帰ってきた。
昨日買ったばかりのゲームがしたくて仕方なかったのだという事は天田でさえ解っていた。
しかし帰ってきて早々、ラウンジのテレビが点いていたためにソファに腰を下ろし、
彼が帰るより前にいた天田とそのドラマを見始め、そして夢中になり現在に至っているのだが。


この大号泣っぷり。


泣きそうになった瞬間に、自分の感情を越える感情で泣かれると
正直、引いて泣けなくなることは誰にでもあると思われる。

今の天田が正にそうだ。



人の良さそうな目尻の下がった目からボロボロと涙を流し、
何だよ政治家とか金持ってンんじゃん、だの、国ってヒドイな、だの
ロクにニュースも見ないくせに知った口で批判をしているその声は既に途切れ途切れで聞き取り辛い。

ううう…と唸る順平は、既にドラマ終了から15分近く経過しているが、どうも泣き止む気配はない。




何なんだろう、コノヒト……


天田は少し気が遠くなる。
自分より年上の癖にいつだって子供っぽい事ばかりするし、
真田と本当に1つしか違わないのかと疑いたくなるほどの思考能力しかない。
そんな彼をどこか冷めた目で見てしまうが、順平はその視線さえ気付かないほどの号泣を継続している。


時折しゃくりを上げながら、何度も手の平でその涙を拭っているのを見かねて
天田はポケットに入れていたハンカチを差し出した。

ありがとう、という言葉さえまともに言えない程に泣いている順平はそのハンカチで目元を押さえる。



ハンカチも持ち歩いてないって、どんな大人だよ。


更に呆れる。
自分よりも年上なのに、自分より子供っぽい所が多いなんて、と。







夜。
タルタロスに行くまでの時間を、ラウンジで適当に過ごしているメンバーの中に
天田と順平の姿もあった。

順平は夕方の大号泣の事など無かったかのようにケロっとした顔で漫画を読んでいる。
天田は実はあまり好きでもないコーヒーをブラックで飲みながら、ソレを不思議そうに見ている。

泣き止むのに1時間近くかかった癖に漫画読んでゲラゲラ笑ってるよ…ホント、子供だなぁ…

なんて思いながら。


不意にラウンジに携帯の着信を知らせる音楽が鳴り響いた。
順平は漫画片手に携帯を尻のポケットから出し、ピっと通話ボタンを押す。


「はいはーい、何、どったの?」


馬鹿っぽい声。
電話をしながら漫画を読むつもりなのか、肩と頬で器用に携帯を挟み、
視線は漫画に落としたままだ。


どっちかに集中しなよ…とまた天田はコーヒーを飲みながら呆れた。

しかし少しも経たない内に順平は真顔になり漫画を閉じてソファから立ち上がると、
そのまま漫画をその場に残して外に出て行った。


気になった天田が窓越しに彼の表情を見ると、真剣な顔をしているのが見えた。




何か真面目な話をしているのだろうか、滅多に見せることのないその表情。
微かに聞こえたその電話の相手の声は女のものだったけれど。



その表情に、天田はわけも解らずに落ち着きをなくしたのが自分でも解った。


順平さん、何を話してるのかな、眉間に皺寄せて何を必死に考えてるのかな、
そんなに大事な話なのかな、そんなに大事な人なのかな、……。




夕方、あれほど見っとも無い泣き顔を披露していた彼が、
今ではすっかり小学生の天田には一度も見せたことのない、複雑な顔をしている。

それが天田には何故か辛くてまともに見る事が出来なくて、慌てて窓から目を離した。
辛いと思う理由なんてどこにも無いはずなのに、と替わりにカップの淵をじっと見つめる。
夕方と逆で、今度は今にも泣きそうな自分の顔が映っていて、
それが気に入らなくて苦いコーヒーを再び飲み始める。




苦々しい顔でいつものようにコーヒーを啜っていると、玄関のドアが開き順平が戻ってきた。
その顔はいつもの目尻をヘラっと下げた顔で、先程の表情はどこにも見られない。


「お、天田少年、今日も頑張ってコーヒー飲んでんのかー。
早く大人になりたいんだナァ…うんうん、頑張りたまえ少年ー」


そのくせいつも通りの馬鹿っぽい口調で話しかけてくるのが何だか気に入らなくて、


「夕方、ドラマ見て大号泣して人のハンカチ、涙でビチョビチョにした人に言われたくないですけどね」


と言ってやった。
視界の端で見た順平の顔が、真っ赤になって、
馬鹿、そりゃお前、内緒にしててくんなきゃ駄目じゃんか…!
と叫んでいたが、完全に無視してやった。



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普段すごく近くに感じれるのに急に遠いから苛々する天田。

お電話の相手は彼女でも好きな子でも何でもなくて、
1年の時からの女友達だと思われます。彼女、何かあったんだきっと。