お仕置き




ジムに入ってきた瞬間から真田の機嫌が悪い事に、他の練習生達は気付いていた。

今日の真田は珍しく午前中は予定があると言って昼から出てきたのだが、
どうにも機嫌が悪い。
というか、どうも怒っているようにも見える。


一番付き合いの長い後輩が、それでも恐る恐るといった様子で


「真田さん、何かあったんですか?」


と聞いたが、真田はその質問には答えず無言でサンドバッグを殴り続けていた。

これは相当にキてるな、と周囲は恐れて目さえ合わさなくなった。




暫くサンドバッグを殴り続けていた真田だが、最後に力いっぱいソレを殴りつけると、


「…………………何かいい”お仕置き”はないか…」


と静かに言った。
周囲は勿論、驚いた。




お仕置き。

真田は確かにそう言った。
一体何を目的として、誰を対象として、それは一切言わずに、ただ”お仕置き”と。


「……あの、真田さん、何かあったんですか?」


さっきの後輩がもう一度問い掛けると、漸く真田は振り返り、順平が、と言った。



「………順平、…さん………って、あの、アレですよね、真田さんと同居してる…」

「そうだ、その順平だ」

「順平さん、何か…?」


順平の名を聞いた真田が忌々しげに顔を顰めたので、また周囲の練習生はヒっと身体を硬くする。


「順平がな…………あの、アホが……!」





真田の話ではこうだ。

真田は今朝、ある女性と会っていたらしい。
その女性は順平の店の客の一人で、どうしても真田に会いたいと言ってきたそうだ。
勿論、普段なら順平だってそういう話は断っている。
真田がそういった事を面倒と思っている事は知っているし、そんな事をすればキリがない事も解っているから。

しかし”例外”がある。

順平はどうしても”お人好し”な人間なので、どうあっても断れない”例外”が存在するのだ。

そう、例えば今回の女性はこう言った。
自分は病気で実はもう入院しなければならない、入院した所で死ぬのが少し先になるだけでもう助からないのだ、と。

そんな事を言われてはアホで馬鹿(真田曰く)(しかし否定は出来ない)の順平は、
ああそれじゃあ俺で出来る事なら力になるっす真田さんに会いたいんスか他の人に言わないで下さいネお願いしてみるんで!
等と本気で、心の底から、魂をかけて約束してくるのだ。
アホだから。

そう、アホだから疑う事を知らない順平は実はこの手で既に何人かの女性に騙されている。

そして、アホだから学習能力がないのか反省ができないのか、毎回似た手口に引っ掛かっている。





「………つまり真田さんは、順平さんに怒ってるんですか、騙されて朝の時間を潰された事で」

「そうじゃない」

「違うんですか…?」

「俺が怒っているのはそこじゃない。いいか、俺の朝の時間など別に構わん。
俺が怒っているのは、毎回そうやって騙されているというのに全く懲りてない、学習しない順平の脳味噌に怒っているんだ」

「……はぁ」

「幾らアホで馬鹿とはいえ、騙され続ける人生などどうかという事に気づけと言いたいんだ俺は!
このままじゃアイツは碌な大人にならんから怒っているんだ!!!」


順平さんって確か真田さんの1コ下で充分大人ですよね、とか、
それって怒ってるっていうか心配してるって事ですよね、とか
色々と突っ込みたい部分はあったが今の真田に言うのは得策ではない、と後輩は黙った。



しかし一つ、疑問が残る。


「…ていうかそこで何で”お仕置き”なんすか?」

「口で言っても解らんのなら身体で覚えさせるしかないだろう」


事の始めとして真田から出た言葉への疑問は、当の本人から納得できるような出来ないような、
微妙な回答でサラっと返ってきた。

真田の珍回答はさておき、まぁ確かに順平が騙されているのはあまりにも可哀想な話ではある。
人がいいにも限度があるというか何というか、いざという時に自己防衛ができないのでは少々問題があるというか。
そこに関しては対策を練る必要があるかな、と何人かの後輩が真田の話に乗った。




流石にボクサーが一般人を殴るというのはヒドすぎるので、痛い系のモノは一切なしにした。
代わりに恥ずかしい系で的を絞っていく。


「そもそも恥ずかしいって何かなー………あ、オレあれが恥ずかしいっす、ボディビルダーとかが穿いてるブーメランパンツとか…」


後輩の一人がそう言えば、


「……??それは恥ずかしいのか?」


と真田が真顔で不思議がる。
そりゃそうだ、真田の水着はブーメランだ。


「あ、女子便所に放置されたらイヤですね、僕は」


と、ジム内でも女の子っぽいと言われている少年が言えば、


「犯罪に繋がりそうなものはやめよう」


とご尤もな意見で却下。

他にも一人オバケ屋敷だとか一人絶叫マシンなども出たが、順平は結構そういう物は平気なので駄目。
ファーストフード店でスマイル0円を注文という案も出たが、実はソレは高校の時に友達とやっている所を真田が見たことがあるので問題外。

そろそろネタに行き詰り始めた頃、


「あ」


と一人が何かを思いついた。


「ホラ、この前できた観覧車、真っ赤な可愛いヤツ、あのカップルだらけの。
アレに一人で乗らせるってのはどうですか?」


あぁ、なるほど、いいかもな!なんてどよめく中、真田が


「駄目だ」


と言ったので却下。
何でですかと聞かれても真田は答えなかった。

単に自分も乗りたかったからだとは言えない。実は観覧車が好きだとは言えない。
しかもその観覧車が自分の好きな赤色なので出来た当初からアレに乗りたくて仕方ないとは口が裂けても言えない。
一応、イメージというものは意識している男だったりするのだ真田は。


本格的に行き詰ってくる。
後輩の一人がうんうんと唸って、自分が子供の頃やられてイヤだった事方面で探し始めた。

靴隠されたりしたのイヤだったなーとか宿題忘れて先生に怒られるのイヤだったなーとか
夏休みが終わっていくあの瞬間がイヤだったなーとか。

それは最早、”お仕置き”ではなく”イヤな記憶”でしかなかったが、彼が突然、


「あー………母ちゃんに尻叩きされんのもイヤだったなー…」


と言った途端、真田が顔をバっとあげ、それだ!と叫んだ。
周囲は、マジか!?と思って、流石にソレはナイでしょと言おうとした瞬間には真田は既に携帯を手に持っていた。






20分ほどした頃、コンチワー、なんていいながら順平がジムに現れた。
今日はクレープ屋は休みのようで私服姿だったが、日頃から焼いているせいでクレープの甘い匂いが身体に染み付いていて、
ドアを開けた時に匂いがしたので姿を見ずとも後輩達は順平が来た事は解った。

ドアの所に立っているボウズ頭の青年を、憐れんだ目で一瞬だけ見てそしてすぐに視線を逸らす。

何も知らない順平はニコニコとしていて、奥に真田の姿を見つけると嬉しそうに手なんか振っている。


今から”お仕置き”される事など夢にも見てない顔で。

その順平を真田が手招きで呼び寄せる。
用件も言わずに呼び出した人間に素直に走り寄っていく順平の姿は、確かに人を疑うことを知らないな…と周囲に一抹の不安を抱かせた。


「なんですか?真田さん」


ヘラっと。
人懐っこい笑顔で真田の目の前に立つ。
向かいの真田も心なしか口元に笑みを浮かべている。

………限りなく、サディストの笑みを。


「順平、”お手上げ侍”」


と言われると、まるで犬に”お手”と言ったかの如くに順平は条件反射で両腕を上げる。
その反応に周囲は驚いたが、真田の次の行動の早さにもっと驚いた。

腕を上げている順平の右脇の下に体を滑り込ませると、右腕だけであっという間にその身体を軽々と抱える。
そして空いた左手を宙に上げると………



スパン!!!!!



という音がジム中に響いた。
練習に打ち込んでいて真田たちの話など聞いていなかった練習生も思わず手を止め音のした方を見る。

するともう一度、スパン!!という激しい音。
そして、ギャア!!!という悲鳴。


そこには、普段クールでボクシング以外何かをしている事さえ想像しにくいとされている真田が、
ボウズ頭の青年を右脇に抱えスパンキングしている光景があった。



「ギャーーーーー!!!!痛い!痛い!!何すか、何なんすか、痛い!イテっ!イテェって真田さん!ギャア!痛い!!」








その”お仕置き”は約5分程で終了した。


壁際の長いすにうつ伏せて倒れている順平に、ジムの後輩が気を遣って氷枕を尻に乗せてやる。
アリガトーあー冷やっこくてキモチー…ケツに感覚ねぇー…
と呟いている順平を見て、後輩は同情していた。

公衆の面前で羞恥プレイ。
しかも左手。サウスポーの先輩が、左手。全力でスパンキング。


何より叩いている間、真田が言った事と言えば
「お前には学習能力がないのか!」
「少しは人を疑え!」
「碌な大人にならんぞ!」
等といった内容のみで、一体何が原因で怒られているのか一度も言わなかった事が一番不安になった。



きっと彼は何でこんな目に遭ったか解ってないので、今後も同じ事を繰り返して同じいような目に遭うのではないか、と。




*******
スパンキング真田。

チャット中に某様がスパーリングとスパンキングを間違えた事から妄想。
真田は真田なりに順平を思っての行動なのに、謀らずとも羞恥プレイ。