ノックアウト
2R13秒KO。
勝者、真田明彦。
なかなかにトリッキーな動きを見せる相手ではあったが、1Rの終了直前には目が慣れてきて
2Rが始まって少しした頃には、真田は対戦相手をノックアウトしていた。
相手は上位ランカーで真田よりもプロ歴も長い。
試合回数だってかなり上ではあるが、試合を避けられがちの真田の実力で
捉えられない相手でもなかった。
しかし倒しはしたが、”勝った”事への充足感は薄かった。
「久々の試合でしたが調子はどうでしたか?」
試合が終われば、控え室に記者が押しかける。
リング上でのマイクパフォーマンスを真田に期待するのは無駄だと悟った記者達は、
せめて何かコメントを取ろうと控え室に来てまで毎回真田を質問攻めにする。
しかし、場所がドコであろうと、気の利いたコメントの出来るわけでない真田の口から、
明日の記事を飾れそうな内容など出るはずもなかった。
それでも必死にコメントを取ろうとするにはワケがある。
真田をトップ記事に持ってくれば、普段購読層ではない人間でも新聞を買っていくからだ。
だからなるべく、いいアングルで、いいカットで、と記者たちの熾烈な争いは今日も続いていた。
そんな記者たちの質問は、今日の調子、仕上がり、相手にとって不足がなかったか、
次の抱負は、機会があればチャンピオンに挑戦したいか、などに始まり真田の返事が常に完結明瞭無駄が無く、
記事にし辛いと踏むと、明日の休養日は何をする予定か、普段オフの日は何をしているのか、
今回の試合を陰ながら支えてくれた恋人は居るのか、そろそろいい年齢だが結婚の予定は、
なんて事まで聞き始め、それこそ真田からのコメントを貰えない方向に進んでしまう。
そこで真田の眉間に皺が寄るが、その表情もカメラで撮られる。
どうせ今の顔を使った新聞のコメントなんて”真田困惑・恋人疑惑?”だとかそんな事を書かれるだけだ。
しかしそれも面倒なので放っておく。
気の利いたコメントを返せない自分という自覚も手伝ってしまうから、余計に。
それにしても先ほどから気になっているが、何故か今日は久々の試合だったというのに充足感に欠ける。
記者たちの質問が本当にどうでもいい事に差し掛かった辺りで、真田自身も今日の試合を振り返る。
普段目にしないタイプのボクサーで、色々と器用に、多種多様にスタイルを変えてきた為、少し慣れるのに時間がかかった。
つまり、攻略が一筋縄でいくものでなかった人間に、それも短時間KOをしたのだから、もっと嬉しいと思っていた。
実際、ジムで最初に彼の試合ビデオを見せられた時はワクワクしていたのに。
どうもおかしい。何かが足りていない…?
身体の調子は良かった。
計量だって一発で通ったし(まぁ普段から滅多に引っ掛からないが)、トレーニングも上々だった。
では何が……
「上位ランカーの殆どが真田選手との試合を、怪我や不調を理由に避けているように見えますが、
その辺に関して真田選手ご自身はどう思われてますか?」
うっかり考え込んでしまっている真田に気付かない記者からの質問がまた飛んできた。
「……万全の状態でない相手と試合をして勝っても何一つ嬉しくないので、本人の好調を待つだけだ」
慌てて意識を戻して返したコメントに、記者たちが自信があると取っていいですね、と言いまたフラッシュの嵐。
どうでもいいから早く帰ってくれんものか…
視線を時計にやる。
今日の試合には順平に天田は勿論、ゆかりと風花も来てくれている。
桐条は忙しすぎて行けないと先日連絡があったので今日は来ていないだろう。
記者たちが居る間は控え室に来るのを止めてあるが、それらが帰れば関係者として入れるように手配はしてある。
どうせ毎回同じような事しか言わんし写真だってそう変わるわけではないのだから(表情が乏しいせいだ)、
長時間粘ったところで無駄なのは記者達もわかっているだろうに。
いい加減お互いに疲れてくるのだから、とっとと切り上げる方が合理的なのに。
何より彼らが帰った後で順平たちと話すのが試合のあった日のシメなのに。
あぁ、そうか。とここで合点がいった。
久々の試合で半ば忘れていたが、彼らと話してやっと自分の試合は”終わり”なのだから、
まだ充足感が得られてないのは当然じゃないか、と。
記者たちの”おめでとうございます”コールは言わば、これから質問攻めにしますという合図同然だが、
あのメンバーの”おめでとうございます”は心の底から自分の勝利を祝ってくれているのだから嬉しさが違うのは当然のこと。
だから。
早く……早く帰ってくれんものか………
記者たちと真田のある意味での粘り合戦は漸く終了し、少し間を置いて、
ジムの後輩に連れられて7年前の後輩達がゾロゾロと入ってくる。
「真田さーーーーーん!!おめでとうございまーっす!!!」
最初に声をあげたのは順平。
その顔には見ているこっちもつられて笑ってしまいそうなほどの笑みを貼り付けている。
「勝つって解ってても、2Rまで続いた時は流石にちょっと焦りました」
「ばっかねー、風花、真田先輩が負けるわけナイじゃない。でももうちょっと観客に魅せる試合にしてくださいよ」
拳を握り締めて少し涙目になっている風花を見ると、そんな事で涙目になるほど心配させたのは悪かったと思ったし、
ゆかりの言う”魅せる試合”というのも今後少し考えた方がいいのだろうか、なんて最近自分でも思っている部分をグサリとされた。
「真田さん、毎回毎回ご苦労様です」
と記者たちへの対応について言う天田は、順平よりも大人だと苦笑いが出る。
やはり、彼らから祝ってもらってやっと試合が終わった気になる……
と思うも、しかしやはりどこか足りない気がした。
はて、一体何が。
考えてみても答えなんか出てこない。
試合が終わったのにスッキリしないというのは、非常に気分が悪いことだな。
いつもならもっと満足しているのに。
「あ、真田さん、あんまし嬉しくなさそーですけど何かありました?」
そんな真田の表情を目聡く、というか何というか順平が気付き、心配そうに覗き込んでくる。
「いや別に何もないし、勿論嬉しいさ」
「じゃあもっと喜びを表現しましょうよ!」
そう順平が笑いながら言って、何故か急遽その場で真田への喜び方レクチャーが始まった。
「だからね、こう、もっと笑顔でやったぞー!みたいな」
「…………俺は今でも充分そう思ってるんだが」
「笑顔でっすよ、笑顔」
「だから俺はこれ以上笑えんぞ」
口端を掴まれてグイっとあげられ、真田も些か迷惑気味なのは周囲も解っているが、
ゆかりも風花も面白いので止めない。
天田は苦言を呈したが順平がやめないのでどうにもならなかった。
「あ、そうだ真田さん、じゃあこう体で喜びを表現しましょう」
「どうやって」
いい加減疲れてきた真田が間髪入れずに聞き返すと、順平は両腕を高く上げて、
「例えばホラ、こう、バンザーイって」
「……………………お前が普段やっている”お手上げ侍”とどこが違うのか俺には判らんのだが」
「表情!見て、表情全然違う!!」
ホラ、笑顔っしょ、今は!と順平が両腕を上げたままで必死に。
しかし真田はどうもソレと同じ事をする気にはなれなかった。
順平には似合っても、俺がやっても気持ち悪いだけだろう。
そうとしか思えなかったし、そしてソレは確かにそうだ。
順平もそれに薄々感付いたようで、困ったようにまた唸る。
両手を挙げたまま。
…しんどくないのだろうか。
「じゃあ真田さん、アメリカ的にいきましょう」
「…アメリカ?」
「そっす。ホラ、ハリウッド映画とかそういうのんの、ベタなイメージでいいんで何かナイっすか、全身でヤッター!みたいなの」
そう言われて真田も必死に最近観た映画を思い返す。
喜んでいるシーン。嬉しそうなシーン。
……映画のラストらへんのシーン………?
ピンチを切り抜けた助かったハッピーエンド幸せなエンディング遣り遂げた男達の表情喜び合う恋人たち。
様々な映画のシーンを思い出し暫く考え込んでいた真田が、何かを閃いたように顔をパッと上げた時は
順平以外の3人でさえも、真田に何かを期待した目で彼の動向を息を呑んで見守った。
真田の目の前には両腕を上げて、所謂ヤッターのポーズの順平。
真田はソレを見て、うむ、と頷くと右足を少し後ろに引いて一瞬力を入れた。
そして。
胴ががら空きの順平に対し、まるでタックルをするかのような勢いで抱きついていった。
あまりの突然の事に踏ん張り損ねた順平は、わぁああという顔で、しかし突然過ぎて声も出ず、
真田の強烈なタックルを喰らいそのまま後ろ向きに倒れていく。
真田もそれに構わず順平の体をしっかり抱き締めたまま一緒に倒れていく。
ゴンガンドサ。
控え室に鈍い音が響いた。
運悪く順平の数歩後ろは壁で、まず順平はそのまま後頭部を打ちつけ、
そしてその次に床で尻餅をつき最後は上体も倒れ、床に完全に押し倒されてしまった。
因みに真田の方は、順平がクッション代わりになったので本人は全くダメージなど受けていない。
3人が呆然としたまま床に倒れている二人を見守る中、
床に順平を押し倒す形になった真田はしっかりと順平を抱き締めて彼の体温、匂い、質感を確かめた後、
彼の首元に自らの顔を摺り寄せてから立ち上がり、そして3人の方に向き直った。
そこにあったのは、心の底から満たされた−幸せや喜び全てのプラスの感情で埋め尽くされた−顔だった。
勿論その間中、順平は真田のタックルが強烈だった事もあり、声も出せずに悶絶してのた打ち回っていたのだが、
誰も彼にかける言葉が見つからなかった。
*******
真田は無意識のうちに早く”順平”を確かめたかったんだよ!っていう。ネ。
動物的直感で無意識だけど、何やら危機感みたいなものを感じてるんだよ真田。
たとえばほら、天田とか。