少年はどんな感情を抱くか



天田はどういう大人になりたいか、と聞かれれば、
”真田さんのような大人”
と答えるような小学生であった。

それはお世辞でも何でもなく、純粋にそうだった。

実際、寮で生活していたあの頃、真田は成績も優秀でスポーツも出来た。
その上冷静沈着で、常に己を高めることへの意識が高かった。
それに周囲には一切話していないが、あの影時間での彼の活躍も、
小学生であった天田の憧れになるには充分だった。
(そりゃ確かにココで決めてくれという場面で突然タルンダを使ったりもしたが、
それは彼特有の天然ボケというか何と言うか…で)


では現在、高校2年生になった彼の憧れに真田は無いのか。


そう問われるとそうではない。
今も立派にプロボクサーをしながら後輩の育成をすると言う、
通常なら両立しがたい事をやってのけているのだから、それは充分、尊敬に値する。
それに現在住んでいるこのマンションの家賃だって真田の稼ぎで出しているし、
基本的な生活ベースは全て真田が補っているに近い。

名誉の為、フォローするなら順平だって稼ぎはあるし、それは有意義に使われている。
主には、貯蓄に回したり、あとは3人でたまに息抜きをする娯楽や外食費として、ではあるが。


しかしそれを差し引いても…と天田は順平の用意した朝食を食べながら、チラリと真田に目をやる。


「順平、今日の新聞はどこだ…?」

「え、真田さんが読むと思ってその辺に……って真田さん!自分のケツで踏んでるじゃないッスか!」

「お、おぉ、こんなトコロにあったか…って、ぅわ!!」

「あー!何やってんすか!座ったまんま新聞引き抜くなんて横着するからそうなるんすよ…!
あーあー、ほら、どいてどいて、拭くから。って真田さん、シャツ、濡れてる濡れてる!
コーヒーは落ちにくいから…ホラ、脱いでくださいよ、スグに洗濯しますから。そんで着替えて来て下さい、ホラ」


………溜息が出る。
何でこう、情けないとまでは言わないけれど、何というか…ちょっと間抜けなオトウサン、
みたいになっちゃったんだろう、なんて哀しい感想を抱いてしまう。

というか、そもそも何だか順平に甘えているようにさえ見えてしまうのが、現在の天田に取って一番胸がチリチリするのだが。


確かに今も、真田のようになりたい願望はある。
寧ろ、呆れはするものの、何故か最近の方がその願望と言うか欲求は強くなっている気がしなくも無い。


「……僕、学校行ってきますね」


そう言って鞄を持って玄関に向かう。
後ろでは今日は休みの真田が順平に今日の昼ご飯は何かと聞いていた。

ボケ老人か…と思わず心の奥底で悪態をつく。




鞄には、いつものように順平の作ったお弁当。
順平曰く、ママの愛情弁当★らしいが、ヒゲの生えた180cmのママなんか居ないよ、といつも思う。

いつだったか、冗談で


「ママの愛情弁当じゃなくて、一度愛妻弁当作って下さいよ」


と無表情で言ってやったら、順平は案の定、え、と言って固まっていた。
オモシロ、と思う間もなく真田が、ポジションで言えば順平はオレの妻だろう、などと馬鹿を言っていたが。



真田先輩なりのギャグなんだろうけど、ズレててちっとも笑えない。

その時、天田は少しイラっとした。
憧れていた人が、何だかタダのオッサンのように見えるからだ、とその時は理由付けた。



校門の前でクラスメイトに捕まる。


「オッス、天田」

「ん、おはよう」


やけにニヤニヤしたクラスメイトは、天田の首に腕を回してハイテンションで話しかける。


「聞いたぜ、C組みの後藤、お前に告白したって?」

「断ったよ」


話を長引かす気もなかったので、想定される会話の結論を先に言ってやった。
何でこういうつまんない話ほど回るのが早いんだろう。
天田は同級生の稚拙さに、呆れて溜息も出なかった。


「マジかよー!アイツ、人気あるのになぁ勿体無ぇ!」


勿体無くなんか無いよ、と心の中だけで返事。


「お前サァ、前の卒業生のサナダセンパイって人みたいって鳥海先生言ってたよなー」

「………そう言えば先生、そう言ってたね」


憧れの人のよう、と言われたけれど何一つ嬉しく思えなかったのは、
色恋沙汰の部分だけの評価だからだろうか、とは天田なりの結論で。


「アノヒトもさ、結局、在学中に浮いた話、ひとっつも出なかったって聞いたぜ」

「そうみたいだね」


どうやらクラスメイトは首にかけた手を放してくれる気はないようだ。
歩きにくいから、正直言って放して欲しいのが本音だし、
それにこの季節、くっついて歩くには汗が滲んで気持ちも悪い。

それとなく態度に出してみても、クラスメイトは気付かない。


「ってかさ……」


それどころか、声を潜めて更に密着してきた。
…鬱陶しい。


「お前、その真田さんと住んでるって、…マジ?」


どこからそんな情報が洩れたんだろう、と天田は首を捻る。
別に知られてまずい情報なんて何一つ無いけれど、何だか自分のプライバシーがダダ漏れのようで気持ち悪かった。


「…何で知ってるの?」

「いや、お前の家の方にサナダセンパイが入ってくの観たって奴がいてさ」


真田先輩は確かにいまや有名プロボクサーで、あまりボクシングに興味の無い女の子までファンにしてしまうような容姿の為、
確かに一目でも解るかもしれない。

だからって、何で僕の家に入ったのまで見てるんだ。
いや正確にはあそこは僕の家というより、真田さんの家というか何というか……


「でさ、更に聞くけどさ、お前ん家、もう一人居るよな」


もう一人、と聞いて何故か今度は心臓が強く跳ねた。


「………え」

「クレープ屋のジュンペーさん。…だろ?」


何で順平さんまで知ってるんだよ、コイツ…
何か今…腹立った。
てか伊織さんじゃなくて、順平さん、て…。


「なんでその人も知ってるの?別にそんな有名じゃないと思うけど」

「馬鹿、お前知らねぇの?たまーに見かけるクレープ屋で、結構美味いから有名っちゃ有名だぜ?
それにさ、何か話しやすい雰囲気だから、結構トモダチになってる奴も学校に多いみたいだし」


順平さんのトモダチ?
僕の知らないところで?
ああ、何か余計に腹立ってきた。
今日は朝から苛々してるのに、余計に腹立ってきたよ、何か。


「で、やっぱ一緒に暮らしてるの?」

「隠す理由も無いから言うけど、そうだよ。3人で暮らしてる」


つっけんどんに返す。
そんな天田の口調に気付かないのかクラスメイトは続けた。


「あ、やっぱり?てか3人か、良かったよー。 いやさ、クラスの奴がな、
駅前のスーパーでその二人が買い物してるの見たんだって。何かスゲェ仲良さげでさ。
で、……サナダセンパイって、浮いた話なかったのに、男と二人で居たから、ひょっとして…って思ってさー」


天田の意識は言葉の最後まで残ってなかった。
二人で?仲良さそうに買い物??

何だか頭に浮かんだ映像は妙にリアルで妙に鮮明で、
レタスの選び方も知らない真田に、ちょっと得意げに説明している順平という姿が浮いた。
そして天田はまた苛立った。




早く大人になりたい、真田さんみたいになりたい。


そう思っていた小学生の頃。
自分が何故、そう思っていたのか。
自分が何故、ただの大人ではなく、真田のように、と思っていたのか。

何となく、解った、というか気付いてしまったような気がした。




鞄の中のお弁当は、今日もママの愛情弁当★だと思うと、妙に重く感じた。




*******
天田少年、軽く自覚、ぐらいで。

真田は相変わらず無自覚で。どうしようもねぇ。