365歩のチータ



まだ蕾だったはずの花がいつの間にか鮮やか色で咲いているように、
土の中で身を潜め続けた幼虫が成虫となり地上を空中を自由に駆け回るように、
まだ幼かった少年はいつしか背が伸び背中が広くなり、恋をするようになっていた。

しかし美少年と呼ぶに相応しい容姿は周囲からのウケは大変いいのだが、
それはそれで本人に取っては大層なコンプレックスとして彼を悩ませる。


同居人の顔を思い浮かべてみる。
美形と呼ぶに相応しい容姿を持つボクサーは、男らしい顔かと言われれば首を傾げるに至るが
それでも鍛え抜かれたその体躯は充分に男らしく、そして大人としての風格を見せていた。
もう一人の同居人は、落ち着きも無く表情も行動も思考も全て子供染みてはいるが、
どこか余裕のあるその大らかさはやはり大人としての安心感を与えてくれていた。


確かに年齢が離れている。

しかし、それでも。



天田は姿見の前で制服を脱ぎながら、今日も溜息を吐く。


華奢と言うわけではないが、お世辞にも厚みがあるとは言えない胸板に、太いとは言えない腕。
締まっていると言うよりも細いといった方が似合う腰にこれまた太いとは言えない足。
高校生としては標準的かも知れないがどうも満足できない身長。
せめて体毛でも生えていてくれればまだしも、悲しいかな女性にも生えている部分にしか生えていない体毛。

ヒゲでもあれば…とバカなことばかりする同居人の顔を思い浮かべて思う。

自身がまだ小学生だった頃、眉目秀麗だった真田が大人に見えたのは当然の事ではあるが、
落ち着きの無さでは寮内随一だった順平でさえ黙っていれば充分大人に見えたのはヒゲのせいだと
天田は思っている。
そうでも思わないとやっていられない、とも言う。

顎を撫でてみるが、悲しいほどに毛の生える予定はなさそうだ。
通学中の電車の中で頭の毛の薄さと反比例するかのようなヒゲのサラリーマンを見た時など、
自分の髪との交換を申し出たい衝動に駆られる時だってある。
後からよくよく考えてみれば失礼な話だが、その時の天田は至って本気なのだから責めないでやって欲しい。
この年頃の悩みの大半は、大人にならない限りはその稚拙さに気付く由もないのだから。

骨格も筋肉も身長もヒゲも駄目ならば、せめて声だけでも…と思うが、残念な事に変声期もまだ迎えていない。
真田と順平は出会った頃から大して声が変わっていない事を考えると出会った頃には既に二人は
変声期を迎えていたのだろう。

当時の二人は高校3年生と高校2年生。
現在自分は高校3年生。

ここでも焦りが生まれてしまうのは仕方が無い。



何せ本人は埋められない追いつけない”距離”を埋めたくて仕方のない、所謂、そういうお年頃、なのだ。
早く強く逞しく外面的にも内面的にも相手を包み込めるような大人に憧れる年頃、なのだ。



目標は180cm越え、と天田は順平の事を思いつつ決めている。
決めた所で背がそこまで伸びてくれるかどうかは神のみぞ知る範囲ではあるが、兎に角決めている。
恋する少年は、何が何でも想い人の身長を越えておきたいらしい。

最早、恋している相手の性別は気にしない事にしたようでもある。
そして年齢差の事は気にしても仕方ないと思いつつも、奥底では一番気にしている部分でもある。

それは恋する少年の、複雑な悩み。





「天田ー洗濯物あったら出しといてくれよー」


キッチンの方から順平の平たい声が聞こえてくる。
はーいと力なく返事をし、着ていたシャツを脱衣籠に放り込む時にもう一度自分の身体を確かめて見た。
去年との変化はあまり見られない事にガックリとする。





キッチンを覗くと晩御飯の下ごしらえをしている順平の後姿が見えた。

高校生の時よりも明らかに違っている広い背中。
筋肉は繋がっている事を目に見せるように、何かをする度に動く二の腕の力瘤。
小学生の頃に見た時でも充分体格差はあったが、今もその差は依然、埋まらず。

年下の彼氏というのも最近はドラマや少女漫画でも取り上げられているので気にしなければいいかも知れないが、
天田はどうもその例に見るような関係に落ち着きたくは無い。



何故なら、その例に挙げられるカップルは大抵、年下の彼氏とやらは年上の彼女に甘えているのだ。



無理だ、と天田はどこかで絶望している。

何せ自分は、甘え方を知らない、のだ。



それにその例に挙げられているカップルは年上の方が年下に癒されている。

つまり、”大人”な者と”子供”な者の明らかな関係。
それが最近取り上げられる”年下彼氏”のメジャーな例だった。
甘える事で相手に安心感を与えてもらう代わりに、癒す事で相手を和ませる。
ギブアンドテイクがそこにある、と天田は考えている。







「あのさー、今日ブリ大根にしようと思うんだけど、米は五穀米の方がいいか?それとも白米の方がいいか?」


なんてヘラっと笑いながら振り返ってくる順平の姿に、安心感と癒しを与えてもらっている自分が
逆に彼に与えるモノが対等に無い限りこの差は埋まらないと思い知らされるだけの現状打破のためにも、
せめて声変わりをと望んでしまう。

彼よりも低い声、できれば洋画のアクションスターの吹き替えなどで聞くような、あんな飛び切り低くて渋い声。



とは言え、


「あ、のりたま買って来てるから白米にするか」


な?と頭を撫でられると、今のままでもいいかな等と簡単に揺らいでしまう心が一番どうにかしなければならないのは、
本人が一番痛感している事であり、しかし一番どうこうする気が曖昧な事だったりもする。



こうして少年は365歩のマーチを地で行くような恋心を今日も育てていく。



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3歩進んで2歩下がる的なアレで。ぐじぐじ悩みながら成長してくんだ的な感じで。
歌はそういう歌じゃないけども。

天田の中で彼氏は自分、彼女が順平というのは覆す気が無いのだなという。ね。
タイトルのチータは、365歩のマーチを歌った水前寺清子さんという方の愛称だという事を
若い人は若しかして知らなかったりするんでしょうかね…
あと好きな歌詞からタイトル取った部分もあるんですけどもね、どっちも知らないかなぁとか寂しくなったりね。