窓の外
公民の授業は正直ちょっと解りにくい。
だからつい、まだ授業は始まったばかりだというのに、悪気はないのだが秀は欠伸を1つして窓の外を見た。
窓際の席は冬のこの季節、とても寒い。
ブレザーの下には規定のベストではなく自前のセーターを着込んではいるものの、それでもまだ寒くて堪らない。
そこまで寒がりではない自分でも寒いのだ。
仲間の、あの青い毛の世間とずれた天才野郎には耐えられないのではなかろうか。
そう考えながらぼんやりと校庭に視線を落とすとどうやら件の天才のクラスは体育らしい。
この時期の体育といえば長距離走だ。
意外な事に彼は走ることはそう嫌いではないらしく、一度走り始めてしまうと別に何も不服はないという。
だがそれまでの寒さに耐える時間がどうも嫌だと先日も顔を顰めていた。
あぁ…丸まってるなぁ…
秀がそう思ったのは当麻の背である。
見てるほうまで寒くなりそうなほどに背を丸め、ジャージの上着の中に必死に手を入れて寒さを凌いでいるのが見える。
それにクラスの誰かが近付いた。
そして自分のジャージの上着を脱ぎ、当麻に差し出しているのを見て秀は顔を顰めてしまう。
11月に行われた文化祭での6組の出し物は芝居小屋だった。
演目は”白雪姫”。
その時の王子様役は征士で、そしてタイトルにもなっている白雪姫は征士の報復により当麻が演じていた。
秀や他の仲間も面白がって初日の、一番最初の公演を見たがアレは不味かったと今でも伸と共に思う事がある。
本気で寝てしまった彼は目を覚ますなり状況に気付き、顔を真っ赤にして征士の胸に顔を埋めていた。
それを見たのは大体60名ほどの生徒だ。
ちょっとしたハプニングに視聴覚室は興奮の坩堝と言っていいような状態に陥った。
だがそれはあくまで、ハプニングだ。
その回を見た生徒達だけが知る、ちょっとした面白い見世物だった筈だ。
その後の舞台できちんと滞りなく芝居が進んでいれば、そこまで問題ではなかった。
進まなかったから問題だったのだ。
後から人伝に聞いた残り3公演について、秀は思わず目玉が落ちるのではないかというほどに目を剥いて驚いてしまった。
2回目の公演では午前の反省を活かしたのか何なのか、勢いよく上体を起こした白雪姫はまだ近くにあった王子様の頭に自分の頭を激しくぶつけた。
翌日の3回目の公演では、もう1個ケーキちょうだい…と寝言を言ったらしい。
最後の公演になる4回目では、最後だからだろうか、最初の呼びかけで起きない白雪姫に対して王子様にも力が入ってしまったらしく、
肩を思いっきり掴んだせいでドレスの胸元の生地が裂けてしまったらしい。
そして白雪姫はそれに驚いて跳ね起き、慌てて胸元を隠したというのだがその時の仕草がこう、何と言うか、かなり”くる”ものがあったと聞く。
確かに初日に見た当麻は充分に可愛かった。性別がちょっと解らない存在になっていて、綺麗でもあった。
自分の足にあうヒールを態々買うのも、そして探しに行くのも面倒だといって裸足だった足は、とても、とてもとても艶かしかった。
普段クールに見られがちで、そして当麻自身もどう話しかけていいのか迷っていたせいで、彼はその時期になってもまだクラスメイトと
馴染みきれていなかった。
だがあの文化祭以降、どうやらクラスどころかそれ以外の人からも話しかけられるようになったようだ。
それは、いい。
幼馴染でもある秀は密かに心配していたのだ、その当麻に自分たち以外の友達が出来るのは、いい。
校庭を再び見る。
他の生徒も何人か当麻にジャージを差し出して上から羽織らせている。
そしてそれとは逆に、面白がって脱がそうとしている生徒もいる。
中にはコッソリと尻のポケットに隠していたカイロを見つけたのだろう、手を突っ込んで抜き取ろうとし、そしてそれから必死に当麻が逃げ惑っているのが見える。
ああいうのは、困る……
秀はげんなりとした。
友達が出来るのはいい。
だが、あいいうのは困るのだ、本当に。
確かに。
確かに、白雪姫は良かった。
あれのお陰で当麻が実はチョット面白い奴だというのが解ってもらえたのは本当に良かった。
そして確かに、白雪姫は綺麗だった。
それに色っぽかった。
多感な年頃の自分たちにはちょっと危険な感じの、危うい色香というのを感じてしまうような存在だった。
しかしアレはあくまで舞台でのことだった。ハズだ。
秀は思わずコメカミを押さえる。
一日も早く、当麻がクラスや学校に馴染んで欲しいとは思っていた。
だが今、校庭で行われているような、ただ友達同士がふざけているのとはちょっと違うような絡み方はハッキリいってして欲しくない。
ロクに友達のいなかった当麻からすればよく解らないのかもしれないが、常識人を自認している秀や伸からすれば、アレは明らかに
友達の感情以外のものが混じっている。
王子様は何してんだよ!
心の中で叫んだ。
いつもなら征士が傍にいるはずなのに、何故か見当たらない。
今日は若しかして見学かと思い、少し首を伸ばして木の陰を探してみるがそれでも見つからない。
もう少し向こうのほうを見ようとして身を乗り出すと机にぶつかり、結構大きな音を立てた。
「……何ですか?」
教壇に立つ教師の冷ややかな視線が刺さり、秀は首を竦めて何でもないです、と机を元の位置に戻した。
しかしだからと言って授業に集中など出来ない。
自分の仲間が襲われているのだ。いや、語弊じゃないだろう、物理的な被害はなさそうだがそれでもアレは襲われていると言っていい。
それを心配して何が悪い。
義の戦士としては見過ごせないのだ。
教師の目を盗んでもう一度窓の外を見る。
「………っ……!」
声は辛うじて抑えたが、また机を鳴らしてしまった。
教師の冷ややかな視線2回目。
それには先ほどと同じように首を竦め、すいません、と謝った。
そしてやはり視線を窓の外に移す。
そこにはさっきの状況の続きがあった。
当麻の体操服の中に手を入れている奴がいる。
それに秀はコメカミをひくつかせた。
くすぐったがりの当麻はそれだけで笑ってしまうのだろう、窓を閉めていても彼らのわーわーと騒ぐ声は聞こえてくる。
擽るくらい、仲間内でもやる事はやる。
寝汚い当麻を起こす手段としても使われるし、何となく暇だったからという理由でする事もある。
その結果当麻、遼、秀、伸、征士の順にくすぐったがりだと解った。
いや、そういう話ではない。
擽るくらいならまぁまだ許してやらなくもない。
だがジャージの、下のジャージに手をかけるのは本当にやめろと叫びたい。
が、授業の真っ只中だ。流石に先生の冷たい目を3回も受けるのは秀だって嫌だ。
何せ公民の授業を受け持っているこの教師は本当に冷たい目で見てくるのだ。
下手をすれば魔将の連中より冷たい。
恐ろしくて仕方が無い。
だからせめて念を送る事にした。
ヤメロヤメロヤメロ、と。
当麻が痴漢に遭い易いというのは夏頃に知った。
確かにぼーっとしている時がある。
隙だらけとでも言おうか。
それに当麻は髪のせいで嫌でも目立つ。
そして顔も小さく、白雪姫をやらなくたって充分に、ちょっと不思議な魅力はあった。
だからそういう被害に遭い易いのかもしれない。
それに関しても屋敷で同室の伸と、気をつけてあげないとね、なんて話していたのだ。
なのにクラスメイトがああではどうしようもないではないか。
ヤメロヤメロ、の間に、王子様早く!という念も送った。
未だに征士の姿が見えない。
こういう時こそ雷親父でもある彼がどうにかするべきだろうに、一体何をしているのだろうかと、秀は今度こそ机に気をつけつつ身を乗り出す。
いた。
カウンターの入ったバケツを手に、校庭の中央に向かっているのが見えた。
どうやら教師に手伝いを申し付けられていたらしい。
確かにそれは大事な仕事だ。
だが視界に当麻が襲われているのは入っているはずだ。
なのに何故のんびり(いや、普通の速度ではあるけれど、状況を鑑みて…)歩いているのだろうか。
秀は今度は、早く早く王子様あとヤメロヤメロヤメロそれから走れよ王子様!と心の中で一体何のおまじないだと思うような単語を必死に並べ立てた。
そんな秀の必死の願いなど知らない征士は教師に指示された場所までしっかりとした足取りで進み、そしてそこにバケツを置くと
漸く当麻のいる方向へ向き直った。
教室からでも解る仕草で溜息を吐き、そしてやっと当麻たちのほうへ向かっていく。
王子様の登場に他の生徒は、あっヤッベ、という動きを見せて当麻から引き剥がされていく。
擽り地獄から解放された当麻は肩で息をしながら征士に礼を述べているのだろうか。
すると征士は当麻にかけられた他の生徒のジャージを全て脱がせてそれぞれの持ち主の方に投げ返した。
そして当麻の頭をぴしゃりと叩く。
そのままいつものように説教モードに入ったのだろう、当麻が首を竦めて何か不服そうな雰囲気を見せたのに秀もやっと安心をした。
今回の事はまぁ当麻に非はあまりないが、どうせもっとしゃんとしろだの何だのと言われているのだろう。
これで授業に集中できるぞと前を向きなおした秀の耳に、そして他の生徒の耳にも微かに悲鳴が届いた。
何事かと窓際の生徒が一斉に校庭を見る。
自分のジャージも脱がされ、上は半袖の体操服1枚にされた当麻が腕をさすって何か喚いている。
そして征士の手には恐らく当麻のものと思われる上着が1枚。
片方の手にはカイロを持っているのも見えた。
どうせ、こういう物を持っているからとか、お前には気合が足らんとか、そういう感じの説教だったのだろう。
対する当麻は、寒い!とか何すんだよ!とか、時折教室にまで聞こえるような大声で喚いている。
そして。
暫くその状態で喚き続けた白雪姫は、それでも寒さに耐え切れなかったのだろう。
王子様の身体に自ら抱きついて必死に暖を取ろうとし始めた。
それに、
「おー、王子様と白雪姫ったら物語の後もラブラブ」
というクラスメイトの声が聞こえて秀は机に突っ伏してしまったのだった。
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そして先生に、秀君は煩いと怒られました。