おさななじみ



「もーだめだ、俺、もー駄目、マジ、次の試験で赤点取れねーけど、も、駄目だ!」


リビングで教科書とノートを広げた秀が情けない声で泣きを入れる。
がっくりとテーブルに突っ伏すと、向かいに座っている当麻が右手に持った定規を左手を添えて撓らせ、ペシンと秀の頭を叩いた。


「っイッテーな!」

「グダグダ言ってる暇があったら、ちゃんと落ち着いて考えろ、この馬鹿」


連休明けの小テストの結果が漫画のように綺麗な0点だった秀は帰ってから盛大に落ち込み、当麻に勉強を見てもらっている。
大体の場合において平均点を下回る秀のテスト結果はそのまま成績に響いていた。
進級が本格的にヤバくなっているワケではないが、それでもここで追いついておかなければ今後の授業も厳しくなる可能性は大きい。
こうなってくると、普段請われなければ人の勉強を見るという事をしない当麻も、自ら秀に声をかけ彼の勉強に付き合った。


「馬鹿はさー…そりゃ、お前と比べなくても俺ぁ馬鹿だけどさー……今追い討ちみたいに言うんじゃねーよーぉ」

「ここで喚いて時間潰すのが馬鹿なんだよ。ホラ、さっさとやれって」

「やって解んねぇから喚いてンじゃんか…」

「まずやれ。で、どう解らないのか言え」

「だからどう解らないかも解らないんだって…!」


天才と馬鹿の会話は、喚いては考え、考えては喚きを先ほどからずっと繰り返している。
当麻がノートに書いてやった問題はまだ1問しか解けていない。
それだって当麻に随分とヒントを貰って解けたものだ。

ナスティが作ってくれたフルーツジュースは既にグラスに汗をかかせている。
秀はシャープペンシルを右手に、空いたほうの手では頭を掻き毟りながらノートと睨み合い、
向かいの当麻は頬杖をついたまま微動だにせず、秀が書いては消しを繰り返している数字を見守っていた。
静かなリビングには秀の唸る声しか聞こえない。



「ほら、少しは休憩したら?」


30分以上全く動かない2人を心配した伸が、シュークリームを差し入れながら間に入ってきた。
ノートの問題はまだ2問目の、公式に当て嵌めている途中だった。


「あ、ゴメン。ここまで出来てたんなら邪魔しちゃったね」

「邪魔じゃない!伸、オネガイ!助けて!」

「助けてってどういう意味だ、コラ!!」


伸の脚に縋りつき助けを求める秀の背を、当麻が定規を使って今度は突付く。


「ギャ!拷問だ!!見たろ!?コレ、拷問だよ!!」

「2回しかやってねーし俺何にも言ってないだろうが!勝手にビビってんじゃねーよ!!」

「だってお前、無言で向かいにいるんだもん!怖ぇよ!!」

「怖いって何だよ!征士と一緒にすんなよ!!」

「私が何だ」


無言で正面から見つめられると寧ろ怖いと専ら評判の征士も、いつの間にかリビングに姿を見せた。


「秀がお前のこと怖いってよ」

「違ぇーよ!今怖ぇのはお前だよ、とーま!!」

「当麻が怖いのか」

「うーん…僕の見てた限りだと怖いっちゃ怖いけど……何も悪くないからネェ、当麻は」


寧ろ秀のために珍しく自分の時間を潰してるくらい、と伸が言うと、征士も、そうか、と短く答えるだけだった。
そして全員無言になり、秀に視線が集中する。


「……ちょ、や、やめてくれよ!俺が悪いのかよーっ!?」

「善悪で言えば誰も悪くない。良し悪しで言えば、悪いのはお前の頭だ」

「当麻、キミ、ソレ言っちゃオシマイだよ…」

「適切ではあるが、今は控えるべきだったのかも知れんな」


テストの結果が常に平均点を上回っている3人の言葉に打ちのめされた秀は、再びテーブルに突っ伏した。





「……………大体よー、…俺みてーな頭のヤツと、当麻みてーな頭のヤツがいるってのが既に世の中不公平なだよなー…」


どうにかして勉強タイムを終了してもらった秀が、シュークリームを力なく頬張り呟く。
格差社会だよ、マジで。
そう続けてぼやくだけの気力が残っている事に、密かにナスティが胸をなでおろした。
いつも元気な秀が沈んでいるとそれだけで屋敷の中は暗くなってしまう。


「不公平って……不公平でもないだろうが」

「不公平だって!授業中に寝てても成績トップのヤツと、起きてても平均以下のヤツがいるんだぜ!?」

「授業中に寝てることは否定しないけど俺だって勉強してないワケじゃないからな」

「え、勉強してんの!?」


天才・当麻の予想外のコメントに秀が食いついた。
何か楽に学べるコツがあるのならご教授願いたい彼は必死だ。


「してるってーか、して”た”。最初に教科書貰うだろ?面白いから一気に読んじまうんだよな」

「……で?」

「え?」

「で、そんで?そっからどーすんの?」

「それで終わり」


沈黙。
いつの間にか輪に加わっていた遼と純も言葉を失っている。


「ソレは勉強してるっつーんじゃねーだろ!!!!」

「俺の中ではしてんの!」


やっぱり不公平だー!とまた秀が叫ぶ。
因みに先ほど当麻の事を授業中に寝てばかりと言ったが、当麻だってたまには起きている。
本当にたまに、ではあるけれど。
それに秀だって授業中寝てしまっている事が多いのだからソレは人の事は言えない。
ただこの仲間の中に同じクラスの人間がいないからバレていないだけだ。


「…はぁー……何にしてもさぁ…俺、ちょっと無理だったのかも…この高校」

「そんな筈ないって。キミ、ちゃんと合格したんだから」

「だってソレだって当麻に何回も電話して教えてもらってやっとの合格だしよー…」

「教えてもらって出来たのなら、大丈夫ではないのか?」

「それが今教えてもらっても全然駄目なんだよなぁ…」

「必死さが足りねーんだよ、必死さが」

「必死さつってもよー……だって俺、5人揃って入学っつー目標は頑張れたけど、今回はもう…」

「じゃあさ、5人揃って卒業っていう目標を今度は立てようか」

「……遼、その場合、僕、留年しなきゃなんないんだけど…」

「…あ…………ゴメン…」





皆で集まってお茶を楽しむと少しだけ気が晴れたらしい秀は、またノートに向き合う。
それを邪魔しては悪いと思った伸は晩御飯の準備があると言ってナスティとキッチンへ向かい、
遼は純をつれて白炎の散歩に行き、そして征士は部屋で本でも読んでくると少し無理のある言い訳をしてその場を去った。

残ったのはまた秀と当麻の2人だ。


「…………みんなに気ぃ遣わせちまってんなー…」

「これくらいどって事ないだろ」


秀は小さな独り言のつもりだったが、それは当麻にも聞こえていたらしい。
相変わらず頬杖をついたままの当麻が、視線を窓の外にやったまま答えた。


「……そーかも知んねーけど…」

「らしくない反省なんかすんなよ。ホラ、とっととやれって」

「…おう。…………当麻もゴメンな」

「何が」

「何かしたい事あったんじゃねーの?」

「別にそれもどうだっていいだろ。だから気を遣うなよ。秀のクセに。同じ謝るなら征士と一緒にした事を謝れ」

「んだよ、……かっわいくねーなぁ」

「可愛くてたまるか」


当麻は相変わらず視線は向けてくれないが左手でノートを叩いている。
そこを秀が見ると、計算間違いをしている事に気付いた。
慌ててソコを消しゴムで消し、正しい数字を書き込む。

また、沈黙。

視界の端にあるだけなのに、それでもすぐに間違いが解る当麻に秀は感心する反面、更に申し訳ない気持ちになってくる。


「……………ホントならお前、もっと頭のいいガッコ行けてたのにな」


だから思わず言ってしまった。

皆で同じ学校に通おうという遼の提案に、最初に同意したのは秀だ。
そして迷っていた当麻を説得したのも、秀だ。
所がいざ受験となった時にその2人が揃って当麻に泣きついた。
今でも変わらず泣きつくが、遼がテスト前だけなのに対して、自分だけが未だにしょっちゅう彼に世話をかけている。
それでも自分から教えてくれという分にはまだ良かった。
それが遂に当麻に気を遣わせて、申し出られているこの状況がどうもこのマイナスの気持ちに拍車をかけているらしく、
秀の気持ちはどこまでも沈んでしまう。
他の仲間が居たならもう少し強がりも言えたが、子供の頃に一時期一緒だった事のある当麻と2人になると、その強がりもあまり言えない。


「…ゴメンなぁ」

「だから気にすんなって」


つい謝ってしまうと、少しイラだった当麻の声が返ってきた。
さっさと勉強をしろという事だろうかと秀が心持顔を上げて向かいを見ると、彼は相変わらず窓の外を見ている。
視線の先には遼と純が居た。
辛うじて表情が見える距離の彼らに手を振ってやっている。


「頭のいいとか悪いとか、大した問題じゃないだろ」


視線も、目も、ちっとも秀に向けないけれど言葉だけはそこを向いていた。


「大体な、そんな学校行って俺が楽しいと思うのかよ」

「……………それはさぁ…」

「俺はどのランクの学校からでも東大くらい余裕で入れちゃうの。高校くらい、好きな奴らと通わせろよ」


文句を言っている口調だが、それでも彼の精一杯の主張らしい。

頭のいい当麻は昔から他の子供と少し、いや結構な距離があった。
教師がどこかで特別扱いをしたというのは多分にあったのだろう。
親の仕事の都合で横浜の親戚の家に預けられ、その期間だけ秀と同じ学校に居たが、その時もそれはあまり変わらなかった。
けれどそこで違ったのは、同じクラスに居た秀がしょっちゅう遊びに誘ったからだ。
少しは友達も出来たし、彼が大阪に戻ってからも秀と地元の友達との話題に時折当麻の事が出るほどだ。

当麻にとって学校が楽しいという記憶は他と比べて圧倒的に少なく、その数少ない記憶もその横浜での時のものしかない。
そんな彼の、他の誰とも変わらない普通の学生生活を送る、ひょっとしたら最後のチャンス。


「だからそんな意味の解んねー事言うな、アホ」


当麻の顔が心なしか赤く見えて、秀もつられて赤くなる。
若しかしたら陽が傾いてきたせいだったのかもしれないが、2人揃って顔が赤い。


「…そーだよなぁ……お前は天下の天才様だったよなあ」

「そーだよ。他の並の天才と一緒にすんなってんだ」

「おーおー、そうでした、そりゃ俺が悪かった」

「そーだよ。…何なら俺、全単位赤点ギリギリ狙って、そっから巻き返しでハーバードとか行ってやろうか」

「うわ!嫌味なヤツ!!性格悪ぃっ!」

「知らなかったのかよ。俺の性格は昔っから悪いだろ」

「そーだった!お前はそーゆーやつだった!!」


アッハッハ、と秀の大きな笑い声が聞こえて、伸とナスティがこっそりと様子を伺うと、
ちょうど当麻が、今度は定規で秀の眉間を叩いているところだった。




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相手が遼や純だと勿論叩きません、当麻。
秀限定。