満天の星空で会いましょう




駅から徒歩15分。
職場へは自転車で15分。
新興住宅地から少し距離を開けて出来た、こちらも最近出来たばかりのマンションは適度に広くて隣にはコンビニエンスストアが建っている。
都市開発が進んでいる駅周辺にはそう大きくは無いが複合型ショッピングセンターもあり、買い物にも困らない。

仕事の場を自分の生まれた国に選んだとき、当麻は住むなら絶対に便利な場所と決めていた。

石畳の道は素敵だけれど雨が降れば滑る。
曲がりくねった道路は見通しが悪く、移動手段に選ぶのなら自転車の方がマシだが、坂の多い街はそれだけで体力が必要になる。
市内にスーパーマーケットはあるのだが、毎日立ち寄るには距離がある。
小さな個人商店なら幾つかあるが、全ての日用品が1つの店で買えるわけではないので幾つかハシゴするのは当たり前。
そんな暮らしを当麻が面倒だと思う事はなかったけれど、時々目にする母国のニュースで流れる町並みを見ていた彼は
帰国を決めたときに、どうせならその便利な生活を満喫しようと決めていたのだ。

道路沿いのマンションは確かに夜中でも車が通るし、コンビニの前では若者が遅くまで集まっていることもある。
以前の暮らしではあまりない経験だったが、それはそれで楽しかった。
滑る石畳もそれなりに楽しかったのと同じ、不便という事は必ずしも悪いことではないというのが当麻の価値観だった。


日本に戻って3ヶ月。
職場との往復と日々の生活、そして星の観測でそこそこに忙しなくしていた当麻は、ふと思い出したことがあった。

幼い頃に日本を離れた当麻は国籍こそ日本だが、大半は海外で暮らしていた。
その当麻も年に2回は帰国をしていた。両親の故郷も日本なのだ、それぞれの実家も勿論、日本にある。
盆と年末年始。この2回は必ず帰国していた。
その、ある時だった。
頂き物だけど、と祖母は孫の小さな両手に乗る大きさの包みを乗せた。
どうぞお食べなさいという彼女の言葉に従って包みを開けた当麻は目を輝かせた。

つぶらな瞳をもつそれは、ひよこ饅頭だった。

あまりの可愛さに食べることを躊躇してしまいそうだったが、祖母は食べろと言う。
戸惑いながらも意を決して口にすれば、皮はしっとりしながらほろりと崩れ、中のアンコの優しい甘さが口に広がる。

当麻はこの饅頭がとても好きになった。
それでも帰国のたびにそれが食べられるわけではないし、当麻もその事は少しずつ忘れていってしまっていた。



土日も運営しているプラネタリウムの職員は、平日に交代で休みを取っている。
その2連休の初日、天体観測から朝方に帰ってきてシャワーの後に少し休んだ当麻が、次に目を覚ましたのは昼に近い頃だった。
そして急にその饅頭の事を思い出し、天体観測の帰りに一度だけ通った道に和菓子屋があったことを思い出す。
久し振りにあの味が食べたいと、当麻は自転車に跨り家を出た。

だがひよこ饅頭は手に入らなかった。だが、同じものだという饅頭は手に入った。
8個入りの物を買った当麻は、前に隣のコンビニでペットボトルの日本茶を買ってから部屋に戻った。


「…いただきます」


祖母の教えどおり、両手を合わせて食べ物に挨拶をする。
1つ手に取って包みを開けると、稲妻のマークが焼き入れられただけのシンプルな饅頭が姿を見せる。
それをそのまま口に放り込んだ。


「…………っ」


美味い。
記憶の中で美化されているであろう、あの時のひよこ饅頭と比べても、美味い。
当麻の手は再び箱に伸ばされた。




「……………あー…美味かった」


ペットボトルから注いだお茶を飲んで、漸く一息つく。
机の上に散らばった包み紙を見て、当麻は少しだけ我に返り一人頬を染めた。
8個あった饅頭はなく、箱はとっくに空っぽだ。
本当は夜にもおやつとして食べようと思って8個入りを買ったのだが、あまりの美味しさに一気に全部平らげてしまった。
それが少し恥ずかしくて、当麻は誰に聞かせるでもない咳払いをする。

だがすぐにある事に気付き、散らかした包みを1つ、手に取った。


「………手作業…だよな?」


店内の様子を思い出すと、確か作業をしているらしい部屋の一部が見えたはずだ。
この包みだって手作業で包まれているのだろう、ほんの僅かにだけプリントが正面からずれている物もあった。
饅頭の形も焼印も、そうだ。
どう考えても手作業で作られているはずだ。
なのに。


「全部ちゃんと同じ味…」


当麻は呟いた。
8個全部食べたが、全部同じ味だった。
いや、同じなのは当然だろう。職人が作っているのだから。
それに練った餡だって皮だって、少量ずつではなく大量に作って仕上げていくのだから同じ時に作られているだろうし、
だからこそ味は同じで当たり前だ。
だがそれにしたって見事なまでに揃っている。
これは、素晴しい。
そして同時に、とても気になる。


「………………………………晴れ、か」


今日は雨の多いこの季節にしては珍しく綺麗な青空が広がっている。
それを確認した当麻はすぐに携帯電話を手繰り寄せ、明日の天気を調べた。

予報では今日の午後から下り坂となり、明日は朝から雨だという。
一昨日の晩、折角の連休なのに雨だなんてとテレビを観ながらガッカリした自分を思い出した当麻だが、その表情には
その時と同じ感情はない。


「…雨、ね。雨」


そして確かめるように繰り返し言うと、テーブルの上を片付け始めた。





「あら、これ雷光のお饅頭じゃない」


次の上映内容の打ち合わせのために、マグ片手にミーティングスペースに足を踏み入れた柳生は、テーブルの上の箱を見つけて
嬉しそうな声を出した。

ブループラネットから少し離れた場所にある和菓子屋は、存在は知っていてもその距離のためいつでも行けるという意識が働くせいか、
自ら足を運ぶ職員はそういない。
大抵は取引先の相手などが手土産として持ってきてくれるものを口にするくらいなのだが、その味はみんな大好きだった。

柳生もその1人だったようで、椅子に座るなり1つ手に取ると田上に向かって「誰かからの頂き物ですか?」と尋ねる。
すると田上はニタニタと笑い出し、その隣に座っている帰国子女は眉間に皺を刻みながら静かに手を上げた。


「羽柴君が貰ってきたの?」

「いいえ」

「………………………え、…じゃあ、これ…」

「羽柴が買って来たんだよ、さっき。な?」


言いながら頬をつついてくる田上の手を邪険に払いつつ、当麻は頷く。
柳生は瞬き1つすると首を傾げた。


「………さっき?さっきって……お昼休みに?」

「ええ」

「…態々これを、買いに?”思い出通り”まで?」

「だからその、おもいでどおり、って何ですか」

「”だから”って…………」


通りの名を出した途端、その言葉尻に被せるように出た当麻の声はどこか不機嫌さを含んでいる。
どうも田上にも同じ質問をされ、そしてどうやらからかいを受けたらしい。
これは聞き方を変える必要があるなと、柳生はこっそり溜息を吐いた。


「雷光があるあのあたりは”思い出通り”っていう観光地なのよ」

「観光地って……あそこ、観光地だったんですか?」

「え、あなた、知らなかったの!?」


驚きに思わず大きな声を出した柳生は慌てて自らの手で口を塞いだが、当麻が気を悪くした様子はない。
ほっとしていると、当麻はしみじみといった顔で背凭れに深く背を預けた。


「どうりで古くて低い建物ばっかりだと思った……」

「あなた……何も知らずに行って来たの?」

「ええ」

「雷光目当てに?」


彼が甘党だというのは知っていたが、普段口にしているのはチョコレート菓子が多いことから和菓子に興味があるとは思ってもみなかった
柳生が意外そうに言うと、当麻は首を傾げた。


「らいこう、というよりかは……まぁ、この饅頭ですね」

「老舗の味を求めて?」

「………。言われて見れば古い店でした」

「…………………」


思わず柳生はこめかみを押さえた。
観光地と知らず、老舗の有名店であることさえ知らずに、何故彼はこの饅頭を買いに行ったのかというのが解らない。
だが彼の中ではごく普通のことのようにきちんと繋がっているらしい。
こちらの質問の意図が解らないというような顔をしているが、柳生からすれば彼の情報は欠けた部分が多く、それこそ理解に苦しんでしまう。

そこにさっき指を払われた田上が、今度は当麻の肩を突付きながらまたニタニタと笑い始める。


「あのね、柳生ちゃん。コイツ、雷光は今日が初めてじゃないんだってよ」

「……そうなんですか?」

「そ。ほら、昨日一昨日とコイツ休みだったろ」

「ええ」

「一昨日に饅頭を買って、あんまりにも美味かったから仕事終るのも待てずにコイツ、買いに行ったんだよ。な?」

「……1つ訂正するのなら、仕事の終わる時間では雷光は閉店しているので、行くなら昼休みしかなかっただけです」


事実と多少異なることを告げる田上の言葉に眉間に皺を刻んだ当麻は、実は昨日も買いに行っている事はだけは死んでも
内緒にしておこうと誓うのだった。



雷光の饅頭は美味しかった。それは感動するほどだった。
だがそれと同時に当麻の(人から言えばどうでもいい)好奇心を刺激した。

晴れの日に買った饅頭は全て同じ味だった。
翌日の雨の中買いに行った饅頭も、前日と同じ味だった。
では曇天の今日はどうだろうか。
それが気になった当麻は昼休みに入るなり自転車に跨り、大急ぎで雷光を目指した。
湿度の高い中のサイクリングは中々に厳しいものがあったが、無事に饅頭は手に入れることが出来た。
因みに今日は職場に持ち帰ることもあって36個入りの大箱を買った。

まだスタッフも揃っておらず、箱の饅頭も1つしか減っていない。田上が食べただけだ。
その箱に柳生も手を伸ばして1つ取り上げると包みを開けて、口へと運ぶ。


「………ん、やっぱり美味しいわね!」


背筋を伸ばしたまま咀嚼する彼女を見てから、当麻も饅頭に手をつける。
これまでと同じく、手作業で作られた饅頭は同じく手作業で1つ1つ丁寧に包装されていた。
その包みを解いて中身を出す。
ころりと丸いフォルムに、稲妻の焼印。
皮も印も、昨日までと同じ色味だ。

それを確認した当麻だったが、口に入れた途端に動きがピタリと止まった。


「…羽柴君?」

「………?どうした、羽柴」


咀嚼さえ止まっている男の様子に気付いた2人が声をかける。
だが当麻の目は食べ指しの饅頭を凝視するばかりで答えはない。


「おい、羽柴、……何かあったのか…?」


まさか異物でも混入していたかと不安になった田上が肩を揺する。すると当麻が何事か小さな声で呟いた。


「……あ?何だって?」


聞き取れなかった田上が耳を寄せると、当麻は漸く咀嚼を始め、ごくりと音を立てて飲み込んだ。


「…違う…」

「違う?何が」


上司の問い掛けに、当麻は勢い良く彼を振り返り今度はハッキリと声に出した。


「味が違うんです、昨日とも、一昨日とも」

「味が違う?そうか?」


前に食べた時と同じように思えた田上は、視線で柳生に尋ねるが彼女は首を傾げた。
柳生の味覚も、違うとは感じていないらしい。


「羽柴君、味、違うの?」

「違います。微妙にですが違うんです」

「違うって……あぁ、今日は湿気があるから持ち帰ってくるときに少し傷んじゃったのかしら…?」

「いいえ、違います、あの店に限ってそんな事はありません」

「…言い切るな、お前…」


ハッキリと言い切る当麻に田上が少し呆れて言うと、当麻は眼鏡をくいっと上げた。
今日はコンタクトを入れていないようだ。


「いえ、その…俺もまだ昨日と一昨日しか食べていませんが……それでも晴れていた一昨日と、雨の昨日でも味は同じでした。
一昨日は自転車で、昨日は徒歩でしたから持ち歩く時間に差はありましたが、それでも家に持ち帰って食べても同じだったんです。
なのに今日は味が違う…!」


その力説する姿に引いているのか柳生は背凭れにピッタリ背を預け、更に仰け反るような姿勢になりつつも当麻の言葉を促した。


「じゃあ、それはどう変わったの?甘さが足らなくなったの?」

「甘さは同じです」

「餡の質感?」

「質感も同じです」

「……じゃあ、大きさ、とか?」


聞くと、当麻は饅頭を1つ取り上げて自分の掌に乗せて見せた。


「いいえ、大きさも重さも、何も変わっていません」

「じゃあお前、一体どこが変わったってんだよ…」


変わった所がないじゃないかと言う田上に、当麻は首を横に振って否定する。


「変わりました」

「どこが」

「俺はこの饅頭しかまだ食べた事はありませんが、」

「ええ」

「………昨日までは、真面目な味がしていました」

「………………」

「………………」


真面目。
味の評価に使うにはピンとこない単語の登場に、田上も柳生も言葉を失った。
そして同じタイミングでお互いに視線をやり、お互いに問い掛ける。「さあ、どうする?」
ほんの僅かの間のアイコンタクトの結果、柳生は小さく頷いてから当麻に視線を戻した。


「じゃあ、……今日はどんな味がするの?」

「何と言うか…………優しいというか…温かい、というか…………丁寧で、………そうだな、柔らかい味がします」

「………………………。…真面目な味はしなくなったってことなのかしら?」

「いいえ、真面目な味はします。そこに、柔らかさが加わった感じです」


柳生の問い掛けに当麻は大真面目に答える。
しかし答えられても柳生にはどう言葉を拾っていいのかもう解らない。
だが答えた当麻は自分の中にあった答えがきちんと形になったことでスッキリしたのか、いつもの表情に戻ってまた饅頭を食べ始めている。

凡人に天才の頭の中身は理解しきれません。
そう諦めるように言い聞かせた柳生の向かいで、田上は「お前昨日も買ってたのかよ」と既にいつもの調子に戻っていた。




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3日連続雷光通い。