満天の星空で会いましょう



「不衛生な状態での出勤だとか、目立つ場所にキスマークなんか付けたフシダラな格好での出勤なら注意できるけど、
葉っぱをつけた状態での出勤については注意するべきかどうか、俺は未だに悩むんだけどなぁ」


笑い半分、呆れ半分の田上は、出勤してきたばかりの当麻を見つけると挨拶よりも先にそう言った。
言われた当麻は咄嗟に着ていたパーカーを軽く叩く。


「………おはようございます」

「なぁ、羽柴、お前いっつもどこで天体観測してるんだ?」


昨日の最終プログラムの解説で、当麻は今夜は星を探そうと思うと言った。

児童館に併設されたプラネタリウムに当麻が勤め始めたのは3ヶ月前からだ。
その3ヶ月の間、彼は毎日ではないが時々夜通し天体観測をして過ごす事がある。
毎回葉っぱがついている事からどこかの広場か公園あたりだとは田上も予想しているのだが、この町にそんな眺めのいい場所など
あったかと常々疑問に思っていた。
そしてストレートな性質の田上はその度に教えてくれとせがむのだが、


「嫌です」


と、当麻の答えはいつも取り付く島さえないものだった。


「なー、羽柴ぁ」

「嫌ですったら嫌です」

「何で」

「穴場なんで人に教えたくありません」

「穴場ったって俺が黙ってりゃ人なんか来ないだろ?」


俺、絶対の秘密は守るほうよ?とウィンクしてみせる田上に、当麻の細い眉が一瞬だけ顰められる。
だがその表情はすぐに戻り、そして瞬き一つすると、当麻はかけていた眼鏡をくいっと上げた。


「俺以外の人間に知られたくないんです」

「ドケチ!」

「ドケチで結構です。それより田上さん、俺に何か用事ですか?」

「…………………。…葉っぱ、まだ付いてるぞ」


これ以上食い下がっても意味が無いと知ると、田上は当麻の肩の辺りを指差した。
指摘された場所を当麻がまた軽く叩く。
明るい緑色をした葉っぱがひらひらと床に落ちた。


「羽柴先生宛に励ましのお手紙が届いててさぁ」


そう言って田上が胸ポケットから取り出したのは、プラネタリウムの出口に設置してあるアンケート用紙だった。


「……励まし?」

「そう、励まし」

「…………」


励ましと一言で言われても、当麻にはピンとこない。
ただの応援か何かかと思って田上の表情を確認する。
……ニタニタ、としていた。

上司の表情から先週の事を思い出した当麻は溜息をついてから、手を伸ばす。


「ん?」

「ん?じゃありませんよ。俺宛なんでしょ?内容確認しますので、その用紙を渡してください」

「いやいや、大先生にお見せするかどうかまだマネージャー陣で話し合っている最中でして」


妙に腰を低くした姿勢で下手な芝居をする田上にまた当麻は溜息を吐く。


「田上さん」

「いやー、だってお前、励ましとか欲しい?」

「欲しいって……励ましってそもそも何ですか。応援ですか?それとも先週の手紙みたいな内容ですか?」


例の”美人”からの事を持ち出すと田上の笑みが深まった。
どうやら自分の答えが当たったらしい事に当麻は特に喜びもせず、先週と同じように田上の手から用紙を奪い取った。





当麻は昔から、星を見るのが好きだ。

世界規模で多忙な両親を持っていた当麻は、物心がついた頃から世界の街を点々と引っ越す事が多かった。
街も国も、同じ星の上にあるはずなのに言語も風習もそれぞれで、似ている部分もあるが、全く逆の部分もある。
ただ幼い頃からそういった環境で過ごしてきた当麻は、それをとりたてて不思議に思う事はなかった。

だがある日、ふと夜空を見上げて気付いた。

どこにいても太陽はあるし、どこにいても月もある。
見え方に違いはあっても、存在を認識できないという事はない。
常にあって、気の遠くなるような昔から続いてきた光景。
昼間に見上げる空が明るいのは太陽が照らしているからだが、ではその光は宇宙の中ではどこまで照らしているのだろうか。
夜の闇は宇宙の色と全く同じ色なのだろうか。
最初の興味はそこだった。


引越しが多い当麻は、友達も多い。
ただ特別仲良くなるより前に転校する事も多かったから、誰かと深い関係というのにはなった事がない。
それが寂しい。そう思う事はある。
だがその彼らが見ている空と自分が見ている空が、場所や時間は違えど同じものだと思うと寂しさは紛れた。

そんなとき、星座を知った。
名前がついた星座は現在88個存在するが、そのどれもが星を繋いでも到底そんな風には見えてこない。
大昔の人間は目がどうかしていたのかと思ったが、どうやら星座の名が正式に決まったのは中世以降だという。
だが名が付いたのは最近でも、遠い過去から言われていたものを正式に纏めただけだということは、やはり過去の人間も
同じように空を見て、そして誰かと共有していたのではないか。
そう思うと当麻は喩えようのないほどに感動した。


元々当麻は頭がよく、理解力に長けていた。
乾いた砂が水を吸い込むかの如く知識を得、そして最初に就職したのが天文に関する研究所だった。
世界でもトップクラスの研究所での仕事は楽しかった。
ずっと星と触れ合って、毎日毎日星のことばかり考える。
楽しくて楽しくて、仕方なかった。

だがある日、ふと思った。
星は、楽しい。
けれど過去から引き継がれてきた星座を、もっと沢山の人に、もっと身近に感じて欲しい。

そんな風に思った当麻は研究所を後にし、そして何を思ったのか両親の故郷でもある島国にその場所を求めた。




「…………………返事に困ってるのね」


自分の席でアンケート用紙を見ていると声がかけられた。
柳生だった。


「………困ってるように見えましたか?」

「見えたわ。とても」


赤いマグカップを持ったままの彼女は然程深刻そうでもなくそう言うと、隣の席から椅子を引いて当麻の横に腰を下ろした。


「今度は何て書いてあったのかしら?」

「……まぁ、…………要約すると、俺の話は充分面白いから眠るなんて勿体無い、ってコトらしいです」


ふぅん、と相槌を打った柳生が当麻の持つアンケート用紙に手を伸ばすと、当麻が少し手を引く。
先週の妙な手紙はアッサリと見せてくれたというのに、急にそんな態度に出た当麻に驚いて柳生が目を丸くすると、
当人である当麻も目を丸くして驚いていた。


「……羽柴君…?」

「……………え、……アレ?」


柳生の行動に驚いたのではなく、どうやら自分の行動に驚いているようだ。
普段はどこか冷たくさえ感じる青い目が、今はくるりと大きくなり瞬きを繰り返している。


「えっと、……あの、……見ますか?」


弱々しくそう言ったとう間は、今度は用紙を差し出してくる。
重力に従ってくたりと垂れた紙の端から覗いたのは、見覚えのある流麗な文字だった。
それだけ確認すると、柳生はにっこりと微笑むだけで受け取らなかった。


「見ないんですか?」

「ええ、内容は聞いたし充分よ。…それ、田上さんはお返事するようにって?」

「いえ、特にそういった指示は出ていません」

「…そう」


じゃあ、と柳生はマグを取り、席を立つ。
そして何かを思い出したように当麻の顔を指差した。


「羽柴君、あなた、髪の毛に葉っぱがついたままよ」




*****
当麻のご両親は今も海外で生活中。