満天の星空で会いましょう




「虫除けスプレー持った、赤色ライト持った、あと眼鏡拭きも持った、…それから…」


当麻は声に出し、更に律儀に指差しもして荷物の点検をする。
そう大きくは無いカバンに1つ1つを入れていく。


「あ、そうだ。虫刺されの薬も持ってっといた方がいいな」


いつかのアンケートで教えてもらった店で購入した軟膏も入れた。


「それから、……レジャーシート。これが無いと寝転がれないからな」


星を見るなら、座ってみるより寝転ぶ方が当麻の好みだ。
ゆっくりとリラックスして見られるというのが理由だが、そのまま寝てしまって翌朝を迎えることもままあった。
意外にも人が来ない場所で続けていた天体観測は、今のところ置引きに遭ったなどの被害は一度も無い。
だから改善する気は当麻にはこれっぽっちも無かった。


今日は朝方が曇りで、夜に向けて晴れて行くという天気予報の通りになりそうだ。
それに当麻は嬉しそうに口元を緩めると、もう一度カバンの中の荷物を検めた。


あれは10日前だ。
いつもアンケートをくれていた美人の正体が解り、その人を元気付けたくて行動を起こした。
勢いに任せて取った行動の代償は、僅かにでも冷静さを取り戻すと顔から火が吹き出るほどの恥ずかしさだった。
その場から逃げたくなり、こちらも勢いに任せて逃げた先はいつも天体観測で使っている広場だった。
無意識だったとは言え結局自分が選んだ逃げ場は星のそばだったと思うと、当麻は自分の事ながら笑うしかなかった。

夕方に辿り着いたその広場に、シートも無いまま直接寝転び夜を待ち、醜態を忘れたくて無心で星を眺めていたその時だった。
偶然にもその人と会った。
いや、会ったと言っても姿は見ていない。声だけだ。
その人の声は、彼の作る和菓子と同じで耳に優しく、とても誠実な音をしていた。

運命という不確かなものを信じる気にはならないが、あれは”良い偶然だった”と思う。
そしてその偶然に便乗して、咄嗟に彼を天体観測に誘った自分を褒めたい。なんて当麻は密かに思っていた。



その彼と、天体観測。
待ちに待った晴れだ。

それまでの間にも1度、彼はブループラネットに来てくれていたらしく、アンケートが再び届いていた。
内容は他愛もない、しかしいつもどおりの星に関する話しの感想だったが、何だか秘密の手紙の遣り取りのようで当麻は楽しかった。
勿論、返事も今までと変わりない素振りで書いたつもりだ。
チェックした田上が変な顔をしていなかったので、少なくとも表向きは普通だろう。
だが次に彼がそれを目にしたときに、自分と同じ気持ちになってくれていたらいいのになと小さな願いはかけておいた。


さあ、その彼との天体観測だ。

結局、職人の彼の名前を当麻は知らないままだ。
雷光のホームページで確認できたのは、創業者の名が”伊達”ということだけだ。
だから彼は”伊達さん”なのだというのは判った。
だが彼自身の名を知らない。
しかしそれはお互い様だ。
彼も自分を”羽柴”としか知らない。

名前も満足に知らない。
しかもどんな姿をしているのかも知らない。


「思えば変な関係だったよな…」


姿の見えない大勢のうちの誰か、だったのに、その遣り取りは最初からほぼお互いにだけ向けて交わされていた。
知り合って約2ヶ月。
人と深く関わることの少ない人生を送ってきた当麻にとって初めて出来た近しい人に、今日やっと会うことが出来る。
そう思うと胸の辺りが擽ったいように感じて、また顔は自然に笑っていた。


「……星の地図は………要らないか。俺が解説すればいいだけの話しだしな」


言ってからもう一度カバンの中身を確認する。
忘れ物は無い。はずだ。

飲み物や食べ物はマンションの隣にあるコンビニで買えばいいだろう。


「………オヤツは……………………持ってきてくれる、かなぁ…」


雷光の和菓子を食べて以来、当麻の天体観測の時のお供は”きいろ”が多かった。
無いなら無いでコンビニのスナックでも一向に構わないのだが、若しかしたらと期待する。
食い意地が張っていると職場の誰かについ最近言われたような気もするが、今回は期待してもいいだろう。


「さて、じゃあ…そろそろ、か」


待ち合わせの時間は約束していない。
日にちだって、晴れたら、としか言っていないのだから、若しかしたら相手は今日は来ないかも知れない。

それでも当麻は今夜、必ず彼に会えると確信して自転車に跨る。



梅雨は未だ空けていないが、夕方の空に雲は無い。
公園に向けて自転車を漕ぐと、汗が吹き出てくる。
家路につく人たちを追い越して”思い出通り”を抜けるルートを選ぶと、雷光の前を通った。
店は前の道も綺麗に掃除され、既に閉まっている。それを横目で確認した当麻は、ペダルを漕ぐ足に力を入れた。

徐々に人の気配が減っていく。
交差点の角を曲がると、公園に上がるための階段が見えてきた。
その階段を通り過ぎると駐輪場がある。
いつものようにそこに自転車を止め、鍵をしっかりとかけて階段へと向かう。

1段1段上がるごとに、鼓動が早くなる。運動以外の理由で。


階段を上りきると、今度は開けた場所を右へと進む。
公園そのものに用は無い。いつもの通り、広場へと向かう。


「……………………あ、」


その先に、人影が見えた。
視力の悪い当麻は眼鏡をかけているのだが、その人の表情までは見えない。
それでもその人の、真っ直ぐに伸びた背筋でそれが誰だかすぐに解った。

姿を見た事は無い。
けれど間違い無い。


当麻が軽く手を上げようとする前に、相手が先に手を上げた。
片方の手には何かが入った袋も持っている。
それを確認した当麻は満面の笑みを浮かべて大きく手を振り、そしてその人のもとへと駆け出した。




**END**
初めましてこんにちは、の後で2人きりのプラネタリウム上映。