満天の星空で会いましょう



仕事場に着くなり「羽柴、」と呼び止められて当麻は振り返った。
そこにいたのは上司の田上だ。


「田上さん、…おはようございます」


ニコニコというより、ニヤニヤ笑っている田上に少し違和感を覚えつつ挨拶をすると、田上も「おはよーさん」と返してくる。


「どうしたんですか?何かいい事でもありました?」

「いや、いい事は特にないさ。ただ昨日、目安ボックスにちょっと面白い物が入っててな」


そう言って手に持っていた紙をヒラヒラとさせる。
空気の抵抗に負けて翻った端から見えた紙は、プラネタリウムの出口に置いてあるアンケート用紙のようなものだった。


ブループラネットはまだ出来て3年だ。
児童館にこれまで無かった施設はスタッフも未だ手探りの部分が多い。
どうすれば集客できるか、どうすれば快適に過ごさせる事が出来るか、どうやっていくのが一番楽しんでもらえるか。
その情報の一部を客から得るための手段として、「目安ボックス」と少しふざけた名前を付けた投書箱を設置していた。

最初は滅多と投書が入らなかった箱だが、今では少しずつ量も増えてきている。
普通の意見に紛れて変わった要望や企画して欲しい事を書いてくれる客も居たので、スタッフ一同は密かに助かっていたりもした。


昨日投書されたという紙を、田上は態と当麻を焦らすように弄ぶ。


「………何が書いてあったんですか?」


それに乗っても構わなかったが、今朝は時間が余り無い。
プラネタリウムの上演は1日6回あり、そのナレーションを当麻は担当している。
他にも担当者はいるので全ての回を1人で仕切るわけではないが、今日は一番最初の10時からの分は当麻が担当になっていた。
しかも近々流星群がまた見られることもあって、今日から上演内容が変わる予定だ。
そのための準備は前々からしてきているが、最終の調整とリハーサルは念入りにしておきたい。
だから田上との遣り取りに時間を多くは割けないのだと当麻はほんの少し態度にその気持ちを混ぜた。


「つれないなー、羽柴は」

「そうですかね?そうでもないと思いますけど」

「つれない!つれないよお前は!何だよー、ドーム内じゃあんなに気さくなのに俺にはいつも冷たいんだからなー」

「そうでもないでしょ。いつもちゃんと田上さんと遊んであげてるじゃないですか」

「遊んであげてるって何だ!お前、俺のこと馬鹿にしてるだろ!」


うわーん羽柴が酷いよー!と泣き真似までする上司に当麻は素直に呆れ、それでも話が進まないのは困るので
隙を見て彼の手から用紙を引っ手繰った。


「…あ!羽柴、テメー!」

「今朝は俺、時間がないんです。知ってるでしょ?」


そう言ってすぐ紙に目を走らせる。
自分に見せたがるという事は何か自分絡みの事の可能性が大きい。
クレームなら対策を練らなければならないし、教えて欲しい事なら返事を用意して掲示板に張り出すという対応が必要になる。
時間は少ないが手は抜きたくないから当麻は真剣にその文字を追った。


「な?面白いだろ?それ」


一方で引っ手繰られた田上はそれほど不快な表情を浮かべておらず、寧ろ当麻の表情が変化するのを待っているようだった。
そしてその期待通りに当麻の表情は変わっていく。

最初に眉間に皺が寄った。
次に手で口元を隠す。
耳が目に見えて赤くなったところで田上は満足して笑い声を上げた。


「その意見、面白いよな」

「…………………意味が解りません…」

「意味なんてまんまだろー」

「こんな事を書いて寄越されて、俺は何をどうすればいいんですか」

「そんなん決まってるだろ。返事書いて掲示板に貼り出しておけ」

「返事って、だって」

「いいか、これは上司命令だ。返事を書け。いいな?羽柴」


強引に言い残すと田上はそのままホールの方へと向かって行った。
無茶を言われた当麻は暫くその場で困ったように立ち尽くす破目になってしまった。






「羽柴君、熱烈なラブレターを貰ったんですって?」


リハーサルを終えたところで、案内係りをしている柳生という女性がくすりと笑って声をかけてきた。
当麻は眉尻を下げてナレーション用のボックスに座ったまま彼女に向き直る。


「柳生さん、ラブレターじゃないです。そして俺は笑えません」

「あら?どうして?」

「田上さんが返事を書けって言うんです」

「書いてあげたらいいじゃない」

「どうやって?何を?」

「あなた、いつも投書された事へのお返事なんてさらさらと書くじゃない。それと同じでいいんじゃないかしら」


次の流星群はいつ見れるのか。日食は何故起こるのか、どうして見え方が場所で違うのか。どうして土星だけ輪があるのか。
幅広い年齢が訪れるプラネタリウムでは、投書される質問も様々だ。
その1つ1つに当麻はいつも的確に、そして解り易く簡潔な言葉で答えてきた。
企画の提案についても時にはユーモアを交えて返す事だってあった。
だから柳生はそれと同じでいいではないかと言うのだが、当麻としてはそうはいかない。

昨日、目安ボックスと名付けられた投書箱に投函された用紙は1枚。
その1枚に書かれていたのは星のことでも、施設のことでもなく。


「星の事と俺の事は別です」


そう、当麻自身のことだった。


「でもあなたはここのスタッフでしょう?だったら施設のこととも言えるし、ナレーションを担当しているんだから星のことにも関わっているわ」

「柳生さん、それは屁理屈ですよ……大体俺はこれをどんな顔で受け止めればいいんですか」


嘆きながら、今朝田上から奪った紙を柳生に見せる。
細く綺麗な彼女の指がそれをつかみ、聡明さを覗わせる目がそこに書かれた文字をなぞった。


「”ナレーションの方の声も口調も耳にとても心地よく、お陰でリラックスできました。ありがとうございました”」

「…………………」

「この人、あなたの声のファンになったのね」

「………そんな事を言われるのは初めてです」

「じゃあそれを答えとして書けばいいんじゃないかしら?」

「こんな愛想のない言葉は良くない」

「そう?素直でいいと思うけれど」

「そんな返事を見たら、俺だったら間違いなく気持ち悪いと思われたって考えます」

「あなた、気持ち悪かったの?」

「……………そういうワケではありませんが…」

「…が?」

「………………………困っています」

「困ってるの?」

「困ります。子供が書いた事なら素直に返事も出来ますが、それは明らかに大人が書いてます。どういうつもりか解りません。
そういうのは返事1つで大袈裟に捉えられたりする場合があるので、対応に困るんです」

「そう?」

「そうです。それに」

「?」

「それ、書いたの、絶対美人です。俺、美人には嫌われたくないですからね」


真顔でそんな事を言う当麻を、柳生はさっきまでの笑顔を引っ込めて真顔で見返した。
当麻も真顔のままだ。


「…………どうして美人だって思うの?」

「その人、字がとても綺麗でしょ?」

「ええ、そうね」

「字が綺麗だって事は正しい姿勢で文字を書いているって事です。正しい姿勢が常に取れるという事は、その人は骨格が歪んでない。
どんな生物でも骨格が歪んでさえなければ芸術的に美しい形をしています。だから、その人は間違いなく美人です」

「…………………………」


出た、超絶理論。
柳生はこっそりと思った。
この羽柴という男は帰国子女で、履歴書を詳しく見た事はないがスキップ制度を利用して名門大学2つも卒業しているらしい。
元より天才肌で、何やら卒業論文として提出したものが高い評価を受け、今でも語り草になっているとか、いないとか。
知識は幅広く豊富で、どんな事にでも興味を持つ。見目もよくストレートな言葉は周囲を驚かせる事もあるが、大抵の場合は好意的に
受け止められる。
ただ困ることといえば天才にありがちな事に、彼は少し頭がぶっ飛んでいる。
日常の会話は冗談も言うし成り立つため常ではないが、どこにあるのか解らないスイッチを踏んでしまうと理解し難い彼なりの見解を
聞かされる破目になる。
それがまた長いのだ。
今回だって展開される話は美人から始まり骨格を通過してどこへ跳ぶか解らない。
普段なら聞く余裕もある柳生だがリハーサルを終えた今は9時半前で、もうすぐすれば初回の客を入れなければならない。
そんな状況で天にニ物を与えられた天才の話など聞く事など出来ない。


「美人だなんて言うけれど、それを書いたのが女性とは限らないわよ?」


柳生は話しを無理矢理、彼の興味が無さそうな方向に曲げることを試みた。
すると惑星のように青い当麻の目が二度ほど面食らったように瞬きをする。
成功。したかも知れない。


「………………俺は面食いなので女性からだと思う方が希望が持ててまだマシです」


ちゃんと成功したらしい。
当麻の意識はまた返事をどう書くべきかに戻り、そして時計を見てからすぐにその意識は今日のナレーションの修正に取り掛かっていた。




*****
ナレーションを担当するスタッフは全部で3人います。