満天の星空で会いましょう




その日の朝、最早祈るような気持ちで出勤した当麻の希望は、朝礼の時に見事に打ち砕かれた。
美人からのアンケートが、3週連続無かったのだ。

先週までは落ち込むだけだった当麻も、漸く考え始める。
と言っても解説中はその場に集中しているのでその間は美人について考える事など一切ない。
考えるのは解説していないとき、接客していない時、あとはトイレに立った時などそういった合間だった。


まず考えたのは、何故アンケートが来ないか、だ。

@ブループラネットに来ているが、アンケートに何か書くほどの気持ちにならなくなった。
Aブループラネット自体、飽きた。
B事故や病気などの抜き差しなら無い状況に陥ってしまい、来ること自体が出来ない。

当麻は大きくこの3つの可能性を考えた。
そしてすぐに3番目の可能性は捨てた。

飽きられてしまった場合は二度と遣り取りが出来なくなってしまうのに対して、不可抗力ならばいつかはまた戻ってきてくれる可能性が残っている。
だがそれでも当麻は3番目だけは捨てた。
来る来ないよりも、その人が無事であってくれるほうが良い。
そう思い、普段から理論立てて物を考える当麻にしては珍しく、事故や病気という線は無視に近い形で捨てる事にした。

さて。
では何故、アンケートを書いてくれないのか。
先に挙げた可能性を下敷きにして考える。


「………………今後の参考にもなるしな」


誰に向けるでもなく小さく呟いた。

ほぼ常連だった”顧客”が心変わりする理由を追求することは、引いては今後の運営にも活かすことが出来る。筈だ。
ブループラネット側に何か落ち度は無かったか。
空調などの施設からスタッフの対応、そして周辺の、例えばゴミが落ちていたなどの景観に関すること。
あらゆる事を考えてみた当麻だが、そのどれにも目立って不備があったようには思えなかった。
全てのスタッフの行動を見ている訳ではないが、もしそういったことで何かあれば目聡い、…もとい、周囲に常にアンテナを張り巡らしている田上が
逐一注意喚起を促してくる。
仮に田上が気付かなくても、気付いた他のスタッフが田上に伝える筈だ。

傍から見れば鬱陶しいほどに(特に当麻に)絡む上司は、周囲を公平に見る事に長けている。
それについては働いているスタッフの誰もが彼を信頼していたし、当麻もそれは解っている。

その田上が何も言わないのだ。
という事は、今のところ運営として大きな問題は起こっていないと思って良い。

ならば、何かもっと個人的、或いは些細なことだ。
但し、些細であっても例の美人にとってはある程度以上大きな問題であるには違いない。
それを知るヒントは何か無かったかと当麻は考えた。

美人の個人的なこととなると、この職員の中に限ってだが一番関わっているのは自分だという自負は当麻にある。
相手の人となりも名前も、容姿も性別も知らないが、その人からのアンケートは常に自分に宛てられていたし、当麻も美人に向けて回答していた。
その遣り取りの中で何か無かったか。
あるとして、一番の手がかりになるのは何か。


「…最後の遣り取りはどんなだったかな……」


それまで続いていたアンケートが途端に途絶えたのなら、自分からの回答の何かが相手の癪に触らなかったとは断言できない。
何せ家族以外の他人と密接に関わることが極端に少ない幼少期を送ってきた当麻は、未だに相手を困らせる事が多い。
それは本人なりにもある程度の自覚はある。だから当麻は、例の美人との遣り取りを懸命に思い出した。

最後になった遣り取り。
七夕の話をしたときだ。

あの時の美人からのアンケートには、七夕に降る雨が嬉し涙ならこちらも振り回されなくて済みます、というものだった。

ヘンテコと言えばヘンテコな内容だ。振り回されるって何だ。お前は牽牛と織姫の何なんだ。
だがそれを見た当麻はそう思って笑ったあとで、自分が言い出したことなのに何故か美人と同じ目線で安心したものだ。
どうして安心したのかは解らない。
ただ今のところ当麻自身が出した答えは、自分と同じく七夕伝説をただロマンチックなものだと浸っているわけではないという事に、
味方を得た気になったからだろうかと思っている。

この内容ならば、特に何も悪いようには思えない。
では、何が。


「……………待てよ…?」


何かが引っ掛かる。
七夕の時、他に何か。


「…っ!」


自分の席にいた当麻は勢い良く立ち上がり、気付く。

あの日、美人が書いたのはアンケートだけではなかった。
短冊だ。
その存在に気付いたのは忍び込むように早朝出勤したあの日だ。
記名がないのはアンケートと同じなので誰がどんな事を書いたか誰も知り得ないが、それでもあの短冊に書かれた美しい文字は、
どう考えても正しい姿勢で生活をしてきた、美しい骨格を持つ人間のものだ。
そして完璧なまでのその美しい文字で書く人間を、当麻は生まれてこの方、1人しか知らない。

あの、美人だ。

その美人が掻いた短冊にあった文字。
『良い職人になれますように』 。

職人だ。
美人はどんな仕事をしているか知らないが、どうやら何かの職人らしい。
七夕伝説をロマンチックと捉えるだけの人間ではない美人が、それでも短冊にあんな事を書くとすればそれは藁にも縋る思いの可能性が高い。
それはつまり、職人として現在、その人が行き詰っていることを示している。


「しょくにん、だ…」


呟いた。
声に出すと、脳内が加速していく。

職人。
そう言えばいつかのアンケートに、ある薬局の事を書いてくれたことがあった。
その薬局は”思い出通り”にあるものだったが、柳生に聞くと普通に通ると見落としてしまうような看板だと言っていた。
実際、当麻も柳生からそう聞いていたからこそ店に辿り着けたが、何の情報もないまま行っていたなら素通りしていたに違いないという店だった。
そんな店を知っていることから美人は恐らく”思い出通り”によく出入りしているか、それかその近隣で育った人間と考えられる。

”思い出通り”は見るからに古い町並みだった。
立ち並ぶ店のどれもが今の日本には珍しい昔ながらのものが多く、豆腐屋でも呉服屋でも、職人と呼ばれるに相応しい人間もそれなりの数がいそうだ。

その中で、当麻が知る美しい人間がいる店があった。
雷光。
和菓子屋だ。

雷光に訪れるたびにいつも綺麗に微笑んでいる、女性店員がいる。
彼女は、若い頃は美女が多いと言われるロシアに居たことのある当麻でも目を瞠るほどの美女だった。


「職人、だ」


もう一度呟く。

美人の短冊には、職人、とあった。
雷光に居る彼女は確かに美しい。
だが彼女は職人ではないのだろう。

しかし、彼女は言っていた。
弟が職人だ、と。


「………………………」


小さかった点が細い線で繋がりあい、当麻の心臓が大きく脈打ち始める。

彼女言った職人の弟は、雷光で餡を作っていると言っていた。
そしていつも悩んでいるのだとも。

美しい文字を書く、美人。
”思い出通り”にある、見落としがちな店の情報。
美しい姉が言う、職人の弟。

そして、最近急に味に迷いが出始めた餡。


「…………いつからだ…」


味がおかしくなったのは。

思い返して、今度は当麻は事務所を飛び出した。
真っ直ぐに目指したのは、ブループラネットの受付だ。

人目を惹くが天才ゆえか変わり者の男が、物凄い勢いで受付に走りこんでくる。
それこそ突っ込んでくるのではなかろうかというほどのスピードだった。
受付にいた2人の女性は客がいなかった事に安堵しつつも、やはり驚くことだけは抑え切れなかった。


「え、…え、…えっ、な、なに…!?」


受付カウンターに手をついて息を整える当麻に、先輩の方の女性が訪ねる。
肩で息をしていた当麻は、無理矢理に深呼吸を繰り返す合間に必死に彼女達に目をやった。


「はしば、…くん、どうしたの…?」

「あの………、じょ、常連…!」

「…っは?」

「常連、毎週来てて、でも最近急に来なくなった人、いませんか!?」


慌てているからか、いつもどこか甘えたような声の主は、今は叫ぶような声を出している。
それに気圧されていたが、今度は後輩の方の女性が答えた。


「最近来なくなった人って………あ、ねぇ山岡さん、あの人、最近見ませんよね」

「…え、誰だっけ?」

「ほら、あの…すごい美形の」

「あー…そういえばそうね」

「美形!?」


2人の会話に当麻が割って入る。
また彼女達は驚いた顔をしたが、今度はすぐに気を取り直してくれた。


「ええ、そう。美形」

「その美形って…男ですか!?」

「そ、そうよ」

「その人、…いつも、何曜日に来てましたか!?」


言葉の間で息継ぎをしながら当麻が聞く。彼女達はお互いに顔を見合わせて、そして後輩の方が口を開いた。


「確か、……そう、月曜日だったわ」

「…!」


月曜日。
それを聞いた当麻は、確信を持った。

雷光の定休日は、月曜日だ。
一度月曜日に店に行って、ガッカリした事があるから間違いない。
当麻の中でまだ仮説の域を出なかったことが、遂にハッキリとした形を持つ。

間違いない、そう思った当麻は受付の後ろに設置されている時計を見た。
時間は4時35分。すると今度は事務所のほうに向かって、また勢いよく走り出した。

事務所に駆け込み、自分の席に向かい、そして引き出しの中に入れているボディバッグを引っ張り出す。
着ていたスタッフジャンパーは乱暴に脱ぎ捨てて、椅子の上に放り出す。
そのタイミングで田上が帰ってきた。


「あれ?羽柴、お前何して、」

「田上さん、俺、早退します!!」


田上が理由を問おうとした時には、当麻は既に全速力で駐輪場へと駆け出していた。




間違いない、美人はあの雷光の職人だ。
あの優しく誠実で、そして幸せな気持ちにしてくれる和菓子を作っている、あの職人だ。

当麻は自転車を立ち漕ぎして、一目散に雷光を目指した。
どうしても彼に伝えたいことがある。
赤信号に苛立ちを覚えながら腕時計を見た。
4時42分。
雷光の営業時間は夕方5時までだ、急げば閉店には間に合う。

信号が青になった途端、当麻は再び力強くペダルを踏んだ。




平日の夕方にもなると、”思い出通り”にいる観光客の数も随分と減る。
この界隈の店の営業時間は、飲食店で無い限り夕方の5時までという店が多いからだ。
お陰で当麻は誰にぶつかることも無く、雷光へと辿り着く事が出来た。

いつも自転車を停めている店の前のスペースに乗りつけ降りる。
鍵をする間も、スタンドを立てる間も惜しくて、自転車をそのままそこに倒した。
ドアを押し開けるようにして入ると、真っ直ぐにレジへ向かう。
そこには驚いた顔をした、いつもの美女がいた。


「い、…いらっしゃいませ…」


当麻のあまりの剣幕に驚きつつも、彼女はいつもの挨拶をしてくれた。
その彼女から目を逸らさず、瞬きさえもせず、当麻は真正面から見つめる。

伝えたいことが、ある。
だがそれが纏まらない。
ブループラネットにいる時から走り続けた体は、あちこちに酸素を送っていて頭への供給量が減っている。
だから余計に纏まらない。

だから、当麻はもう頭で考えることを放棄した。
伝えたいのは、表面的な言葉じゃない。
悩んでいる職人に、伝えたいことがある。

1つ大きく息を吸う。
あとはもう気持ちに任せた。


「あの…!」

「は…はい…っ」



「あの、俺、ここの餡も生地も、全部好きです!美味しいです!甘いものは元々好きなんですけど、ここのは食べたら幸せになります!
作ってる人、一生懸命なんだなって、その、何か嬉しくなって、俺、その、…何か安心するんです!凄くいいんです、ここの!
だから、…あの、…っあんまり悩まないで下さい!自信持ってください、あなたは良い職人です!俺の人生で和菓子を食べたことって
数えるくらいしかないですけど、それでもこんなに幸せな気持ちにしてくれるんですから、あなたは絶対に良い職人です!
だからその、…ま、…迷わないで欲しいし、悩まないで欲しいし、……その、もっと沢山、美味しいのを作ってって、くれたら…!!」


吸い込んだ酸素が足らなくなり、勢いだけでは言葉を紡ぐことが難しくなった当麻は、もう一度大きく息を吸う。
体中に酸素が回るのが解る。
手足の先で打つ脈が、また強くなった。

…途端、急に頭の芯が冷えた。

目の前の美女は、明らかに呆気に取られている。
視界の端の、恐らく美女と職人の母であろう人物も同じくだ。
ゆっくり首を巡らすと、閉店前の時間だというのに自分以外の客が2人もいた。
そのどちらも自分を注視して固まっているではないか。

言葉で表すなら、しーん、というのがこれほど最適な場は無かった。

伝えたいことがあったのは確かだが、流石にこの状況で続けられるほど当麻の神経は図太くなかった。
肉体的な理由以外で脈が速くなっていく。


「あ、………あの、……だ、だから、……その…」


当麻でも自分の耳が真っ赤だと解った。
しかし出た言葉も、とった行動も今更取り消すことは出来ない。
どうにかオチだけは付けなければ、と今度はそちらに頭を回す。
だが一度芽生えた羞恥心はそう簡単には消えてくれない。
だから。


「そ、そう、……弟さんに伝えて、くだ、………………………わああああああああああああああああああああああ……っ!!!!」


更に顔を真っ赤にした当麻は叫びながら雷光を飛び出そうとして一度ドアにぶつかり、倒していた自分の自転車に躓き、
どうにか起こしてもたつきながらサドルに跨ると、自宅とは逆方向に向かって自転車を全速力で漕いで、逃げた。




*****
天才の暴走。