満天の星空で会いましょう
児童館は常に様々な人が訪れるため、働くスタッフの昼休憩は交代制だ。
それは併設されているブループラネットも同じだった。
ブループラネットではプラネタリウムの他に、パネルの展示などもある。
プラネタリウムは上映時間が決まっているが、通常の展示物に関しては時間内であればいつでも見れるものになっていた。
時にはその展示物についての質問もされるものだから、職員は常に誰かがいる状態で対応している。
基本的に休憩は2交代制で誰かと入れ替わりに誰かが休憩に入る。
その日も、先に休憩を取り、外食から帰ってきた柳生が他のスタッフと交代しようと時間内に事務所へ戻ってくると、
同じく先に休憩に入っていた羽柴が机に突っ伏しているのが見えた。
細い見た目を裏切って大食漢の彼は、同時によく眠る人間でもある。
だから大抵の昼休憩のとき、彼は食後のデザートを含む食事を終えるとすぐにこうして眠っていることが多い。
「……起きる様子は、ないわね…」
一度眠ると簡単には起きることのない天才を、柳生は呆れながら見た。
ここに来て少し経つが、彼が自力で起きたのは数えるほどだ。
起きてしまえば寝惚けているという事はないし、仕事中に眠ることもしないが、兎に角起きるまでに時間がかかる。
そろそろ起こした方が良いと判断して、柳生は席に近寄った。
「…………あら?」
そして近付いて気付く。
羽柴の机は、お世辞にも綺麗に片付いているとは言えない。
本人なりに場所を覚えているので勝手に動かすと怒られるのだが、傍から見れば様々な本や書類が散乱している机の上に無理矢理
スペースを作って毎度寝ているのだが、その机の上がいつもと違っていた。
「珍しい。……というより、久々、かしら」
柳生の目に止まったのは、お菓子の箱だ。
最近お気に入りの雷光のものではない。
クッキーの箱だ。それも店を構えているようなタイプのものではなく、コンビニやスーパーで気軽に買えるタイプの。
以前、雷光の最中を手に、如何に職人の手作りのアンコが素晴しいかを力説していた彼だが、それよりも以前は、兎に角お菓子であれば
何でも良いというタイプだった。
それは甘ければ甘いほど、彼の中では評価が高かった。
だが雷光のものを食べてからというもの、機械で大量に作られたものを否定まではしないが、心まで満たされるのは職人の手によるものだと
あれほど言っていたのに、その彼が机の上に200円も出せば買えるクッキーの箱を散乱させている。
これは、と柳生は首を傾げ、顎に細い指を当てた。
「若しかして、…やけ食い…なの?」
羽柴の元気が無い。
元々が溌剌という人間ではなかったが、それでも覇気が無い人間ではなかった。
気だるそうにしている事は偶にはあったが、それだって単に星の観測に夢中になっていたが為の寝不足が原因なだけで、気落ちしているというような事は
これまでは無かった。
その羽柴の元気が無いのだ。
理由は柳生も、そして他のスタッフも何となく気付いていた。
”美人”からの、アンケートが来ない。
先週のアンケート回収をした日、羽柴は明らかに気落ちしていた。
本人を目の前にして田上がからかえなかったと言うほどだから、相当だったのだろうと柳生はその時思った。
だがそれでも田上は結局、柳生に話すという行動には出ていた。
「アイツ、落ち込んじゃってんの」と部下を気遣いながら、そして同時に天才の落ち込む姿に悪意ではなく、笑いながら。
しかし昨日の朝もアンケートは無く、愈々田上が口に出してからかう気になれないほどに、羽柴は落ち込み始めた。
仕事はいつもと同じように、軽妙な口調で、解りやすく親しみやすく、そして丁寧にこなしていた。
他のアンケートへの回答も手を抜くような事は無かった。
解説を外れている間に巡回していた展示室で質問を受けてもちゃんと対応しているし、トイレの場所や図書館の場所を尋ねられても、
面倒臭そうにせず、それもいつも通り愛想良くこなしていた。
だが事務所に戻ると駄目だ。
溜息を吐く。
ぼんやりする。
普段からパソコンに向かっている時は猫背になっているが、それが更に丸くなって哀愁が漂っている。
”目安ボックス”の鍵を田上が開ける瞬間の、あの食い入るような視線を思い出すと、居た堪れない気持ちになるほどだ。
柳生は羽柴の机にある、空になったクッキーの包装を摘まんだ。
シンプルなバタークッキーは、女性スタッフ専用の更衣室にも常備されている。
味はそこそこに美味しいが、これを食べる時のメインはクッキーそのものではなく、女同士の秘密の会話だ。
つまり、味を楽しむというよりも、楽しい時間を過ごす時のお供。
食べ方も楽しみ方も人それぞれだが、自分たちがはしゃぎながら食べているそれを、羽柴が1箱全部を1人で食べているのを想像すると
何だか悲しくなってしまう。
彼がブループラネットに来た当初、女子更衣室はそれは賑わった。
すらっと背が高く、伸びやかな手足と細い体はバランスがいいせいか貧相に見えない。
整った顔に、人目を惹く珍しい色の髪。
黙っているととっつきにくそうだが、笑うと途端に愛嬌が出るタレ目。
好意的に受け取られる要素の多い彼を、彼女達は人に好かれるタイプだと判断した。
だが実際の羽柴は、人付き合いというものに不器用な面ばかりが目立った。
真面目すぎるのか、天才ゆえか、大半の人間からすればどうでもいい事に熱中したり、集中すると周りが全く見えなくなったり。
それでも社会人としての最低限の遣り取りは出来るし、一般的なジョークも言える。
本当は人間嫌いなのかと疑ったがそうではないようで、どうもごく個人的な会話が苦手なようだった。
だから田上はしつこいほどに絡み、からかって彼とコミュニケーションを取りはじめ、そして漸く彼のペースと言うのが他の職員にも見えてきた。
まるで大勢の中で迷子になっている、知識だけ大人になった子供。
羽柴はそういう人間だった。
その彼が、不思議な距離感で質問や感想を述べてくる”美人”と遣り取りをするようになった。
最初は回答に困っていたはずなのに、最近では水曜日が待ち遠しいのか、休日の申請に水曜日で提出する事はなくなっていた。
なのに、アンケートが無くなった。
そのことが悲しかったのだろう。
しかし何故、お気に入りのお菓子だったはずの雷光のものを選ばなくなったのか。
それまでは柳生にも解らない。
あれだけ続けて食べていたから、店にあるものは全て食べてしまったのかも知れない。
少し無理矢理にそう解釈して、柳生は羽柴の肉の薄い背を揺すった。
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羽柴くん、そろそろ休憩終わるわよ。というのを何度か繰り返してやっと起きます。