満天の星空で会いましょう
征士は感情表現力が乏しい。
整った顔は僅かにしか変化を見せず、真面目な性格も手伝って進学するたびに無意味に周囲に威圧感を与えてしまっていたほどに。
(ただこれも暫くすれば誤解も解ける。そのかわり、今度はその整った容姿のせいで煩わしい思いをすることのほうが多かった)
その征士が、向かいから来た見ず知らずの他人にも解るほどに気落ちしている。
本人は無意識だが、傘の下から覗く表情は曇り覇気は無く、足取りも重い。
そのまま向かう先は、休みのたびに向かっていたブループラネット。
…ではなく、駅前にある大型商業施設だった。
昨夜、食事の時に姉の弥生が「そう言えば、」と切り出したのは、例の常連、羽柴のことだった。
姉は言った。
「あの人、何だか様子が変だったのよ」
と。
食事時に彼の話が出るのは最近では珍しいことではなく、そして大抵が姉の言った事に家族の誰かが「ああ、そうか」といった感じの相槌を打って終わる。
別に姉もそれに不満はないようで、「そうなのよ」と言ってそれきりなのが常だった。
だがその日は違った。
いつも報告される彼の事は、何を買ったとか幾つ買ったとか、要は店の商品を気に入ってくれているのが嬉しいというだけの報告で、だからこそ家族も
満更ではなく聞いていたのだが、その日の姉の口調は心底彼を心配するものだった。
それに引き寄せられるように反応したのは母だった。
「変って…どうかなさったの?」
母も店には立っているが、ちょうど他の接客中だったらしく、今日の羽柴の様子は見ていないらしい。
尋ねると、弥生は茶碗を置いて伏目がちになった。
「あの人、今日は商品を片っ端から全部買っていったの。……それも、うちで作っている物ばかり」
弥生が言うにはこうだ。
何の仕事をしているのかは知らないが、彼が来る日に決まりは無い。
その彼は最初に来た日以来、来る時はいつも嬉しそうにしていた。
そして今日は何を買おうかとショーケースの前で真剣に悩み、じっくりと選んだ品を、いつもはそればかりを10個ほど買っていく。
職場で配っていたりするのだろうが、種類は2種類か3種類ほどばかりだ。
それをいつも繰り返していた。
なのに今日店に来た彼は、来店するなり「全てをここで作っているものはどれとどれですか?」とショーケースに目もくれずに弥生に尋ねた。
いつもと違う様子に戸惑いながらも全てを紹介すると、弥生が示している間はショーケースに向けていた目をすぐに戻し、そして言った。
「じゃあそれ全部、2個ずつ下さい」
いつもの彼ではないのはすぐに解った。
いや、来店した時から解っていた。
まるで子供が誕生日の日におもちゃ屋さんに連れてこられたかのように嬉しそうにしていた彼が、どこか切迫した表情で店に入ってきていたのだ。
店の雰囲気をも楽しむように周囲に巡らせていた視線を、レジに立つ弥生に真っ直ぐに向けながら。
「何かあったのかしら」
弥生はそう呟いて締めくくった。
自分から話すでない限り、幾ら常連といっても安易にプライベートに踏み込むわけには行かない。
本人が何も言わず、商品を受け取って会計を済ませるとすぐに店を出て行ってしまったから何があったかは解らないが、
何かあった事には違いは無いのだ。
それを心配して呟く姉を見ながら、征士もまた、声しか知らない相手が心配でならなくなってしまった。
今日も、雨だ。もう何日も続いている。
単に、星が見れないからというだけならいいのだが。
そう考えてから征士は、いかん、と気持ちを切り替えるために視線を上げた。
商業施設の入り口が見える。
駅前の都市開発の目玉として作られた商業施設は百貨店というほどのものではないが、それなりの物も取り扱っている。
家族連れをメインターゲットにしているため、恐らく手土産としての狙いだろう。
その中には和菓子を取り扱う店もあった。
羽柴の事を考えてしまう自分を振り切るために征士が選んだ外出先が、この商業施設の地下にある和菓子屋だった。
元々根を詰めて自身を追い詰める傾向のある征士に祖父は、休みの日は和菓子から離れるようにと言いつているのだが、
今は和菓子に集中しなければ、どうあっても思考が羽柴に向かってしまうのだ。
そうでなくても先週の休みに部屋に閉じこもっている間中、どれだけ頑張って意識的に無視を決め込んでも、気付くと頭は羽柴のことばかり
考えていた。
それではいけない、と征士は祖父には内緒で、和菓子屋を目指して地下へのエスカレーターに乗った。
エスカレーターで下ると、近くにあったテイクアウト専門のカレー屋から良い匂いがしてくる。
通路を挟んだ向かいには、オムライス専門店。
その先では健康食品の店が、店頭で何かしら効能のあるお茶の試飲を配っていた。
それを通り過ぎていくと、目当ての店が見えてくる。
店舗を構えているわけではないからショーケースの形は周囲の店と大差ないのだが、如何にもといった風格がそこにはあった。
変な勘繰りを受けないよう、なるべく自然な風を装いながらショーケースを覗き込む。
パンフレットで見たとおりの色と形の和菓子が並んでいる。
大きさも小さすぎず大きすぎず。雷光のものとそう変わりはない。
ただ大きく違うとすれば、それは値段だ。
雷光の和菓子は、質の割にリーズナブルな値段設定になっている。
それは、「和菓子は誰のものでもない」という祖父の意向からだ。
その言葉どおり、祖父は時折口にする。
『私の和菓子は高級なものを身に付けている者だけのものではない。
上品に姿勢を正して食べるべきものでもない。
楽しくても悲しくても、どんな時にでも、どんな人にでも食べられる、優しいものだ』
と。
その言葉を噛み締めて、征士は再び意識をショーケースに向ける。
和菓子の種類は全体で見れば豊富ではない。
だから今目の前にある和菓子も、突き詰めれば雷光にあるものと同じだ。
ただ、そこにある職人の”心”がそれぞれに個性を持たせるだけで。
征士は言いようのない何かを悔しく思いながら、ショーケースに囲まれて忙しそうにしている店員に声をかけた。
休みの日は和菓子の事は忘れなさい。
そう言う祖父に、和菓子を買いに行っていた事がバレては厄介だ。買ったものは少量だが、当然、持ち帰るわけにはいかない。
しかし買ったものを食べるのに適当な場所が見つからない。
3階に上がればフードコートがあったが、そこでゆっくり味を確かめる気にもなれず、かと言って人目につかない非常階段や休憩用に設置されている
ベンチで食べるような真似はしたくない。
小さな紙袋に入った和菓子を持ったまま悩む征士の頭に、一瞬だけ児童館で食べる、という案が浮かんだのだが、児童館にはプラネタリウムが併設されている。
意識的に羽柴の事を考えないようにしているのに、彼の近くに行くというのは避けたかった。
仕方なく、征士は傘につけていたビニール袋を外して傘を差す。
足は”思い出通り”にある自宅へと向かっていた。
*****
自宅に帰って部屋に入るまでは、シャツの中に袋を隠していきます。
さながら猫を拾った子供です。