満天の星空で会いましょう




今日はお得意様が来るから、悪いんだけどその時に出すお茶菓子を朝一で届けて欲しい。
という依頼は、同じ”思い出通り”にある呉服屋からだった。
その呉服屋は征士の幼馴染の家でもあり、家同士の付き合いも長い。
だから配達のために家を出た征士に、師でもある祖父は「少しくらいならゆっくりして来なさい」と伝えた。
征士はその声に振り返らず、声だけで返事をして徒歩で出かけた。


朝一。
そう言われたから、お得意様はてっきり朝早くに来るのかと思いきやそうではないらしい。
というのもその幼馴染、伸という爽やかな好青年は祖父の読みが当たったのか何なのか、店に征士が着いて届けてもらった菓子を
確認するなりいきなり


「ね、征士。折角だからお茶でも呼ばれてっきなよ」


と言い出したのだ。
征士としては未だ仕事中であり、そして修行中の身のため、正直断りたかった。
だが出掛けに言われた祖父の言葉と、幼馴染の「いいからいいから、ちょっとだけ」という言葉につい負けて、少しくらいなら…と上がる事にした。

”思い出通り”にある呉服屋・水(すい)は普段から着れる着物から、値の張る訪問着、そしてここ最近で急激に増えた外国人観光客向けの
着脱が簡単なタイプの着物まで幅広く取り揃えている。
全国展開しているような店ではないのだが店の人間の見立ては間違いがないという事で、急速に変化していく時代にありながらも人気のある店だった。

その店の少し奥にあるスペースに征士が腰を下ろすと、予めある程度の用意が出来ていたのか、伸はすぐにお茶を淹れて来た。
そして征士の隣に腰を下ろすや否や。


「征士、彼女でも出来たの?」


などと言う。
お茶への誘いも中々に唐突だったが、これはもっと唐突だ。
征士は目を丸くして驚いたが、すぐに首を横に振った。


「あれ?…じゃあ好きな人でも出来たのかい?」


何だ藪から棒に。と思いながら征士はまた首を横に振る。
そんな征士の様子に、何故か伸が首を捻った。


「どうしてお前が首を捻る。一体何なんだ、急に」

「…あれ?」

「あれ、じゃない。だから一体何なんだ」

「え、だって………あれ?え?」


近くに住んでいると言っても最近は頻繁に顔を合わせていたわけではない筈の幼馴染は、何故か首を捻るばかり。
埒が明かないと判断した征士は小さく溜息を吐いてから、伸にもう一度問い掛けた。


「一体何なんだ。何がどうなって、私に彼女が出来たと思い込んだ?」


そう聞くと漸く伸の口から「あれ?」という言葉がなくなり、首の角度も戻った。


「や、……その…………最近、征士の様子が変わったって言うから」

「誰が」

「…………キミのお爺ちゃん」

「祖父が?」


同級生の間では堅物で有名な征士の言葉に一瞬笑いそうになった伸は、息を吐いて誤魔化し、そして頷いた。
征士は何が何やら解らず、聞き返したときの顔のままだ。


「祖父が、何故そんな事を言い出した?」


彼女が出来たかという問いと祖父が繋がらず、今度は征士が首を傾げた。


「だからさ、そのー…最近、キミの様子が変わったから若しかしてって思ったみたい」

「思って何だ。それをどうしてお前の口から聞かされる羽目になる?」

「キミのお爺ちゃんに、ちょっと聞いてみてくれって言われたからだよ」

「は…?」

「だからさ、キミの作る物がある時を境に良くなってきたから、もしかしてって」

「………何だって…?」


作るものが良くなってきている。そんな評価は初耳だった。
作業の時に祖父は何も言わなかったし、自分としても作り方は何も変えていない。
いつものようにその日の気候と相談して微妙に作業時間や水分量などを調整していただけだ。
それなのに、祖父の目には何かが良くなっている、と判断されていたらしい。


「………祖父が、そんな事を言っていたのか?」

「うん。だから、最近の征士に何か良いことがあったのか?って、僕に聞いてきたんだよね。電話で」

「………………………」


間違いなく征士と祖父は血の繋がりがあり、礼節も弁え真面目な祖父だが、孫と違ってそこまでの堅物ではない。
その彼が家族に隠れてコソコソと孫の友人に電話をかけている姿は、見てはないものの案外すんなりと想像が出来た。
だがそれがどこか間抜けに思えたのは、征士に特に悪意がなくとも仕方がない。


「それにね」


想像した祖父の姿に半ば呆れていると、親友はまだ言葉を続けた。


「キミが最近、休みのたびにいそいそと出かけてるから、若しかしたらデートかもしれないって、お爺ちゃんは言ってたよ」

「デート?私が出かけてるからと言って、デートだと?」

「…まぁ僕も流石に安直過ぎるでしょとは思ったけど」


そう言った伸の顔を、征士は胡散臭い目で見た。
一見柔和で優しそうな伸だが、これで結構ストレートに物を言う時もある。
きっと征士の祖父へも素直に「安直過ぎませんかね」と言ったに違いないと征士は睨んだ。

が、伸にとってはそれはどうでも良いことなので、征士の視線は敢えて無視を決め込む。
征士としても真相を突き止める必要があることではないので流す事にした。


「しかし私が出かけるといっても、ほんの1時間程度だぞ。仮に恋人がいたとしても、そんな短時間のデートなど、意味があるものか」

「だよねぇ。お爺ちゃんも短時間過ぎるって言ってたし」

「……………………」


ただ時間単位でまで情報が流されているとは思ってもみなかった征士は、短く絶句する。伸の言葉は続いた。


「だからさ、僕としては彼女は出来てないだろうけど、片思いの相手くらいは出来たのかなって思ったんだけどなぁ」

「残念だったな、私にそういった相手はいない」


読みが外れた親友に、征士は得意げに言う。
鈍感な征士と違って伸は勘が鋭い。その彼の読みが外れたというのは、子供の頃から驚かされることの方が多かった征士に妙な優越感を与えた。
その征士の反応が悔しかった伸は軽く口を尖らせ、じゃあさ、と続ける。


「じゃあキミは一体、どこに何をしに行ってるのさ。それも毎回毎回」


僅かな時間だが毎週律儀に通う先で何があり、その何が彼に影響を与えているのかというのには伸だって興味がある。
尋ねると、征士はお茶を一口飲んでから特に隠すことでもないしな、と口を開いた。


「プラネタリウムだ」

「ぷら、……ねたりうむ…?」

「ああ」

「プラネタリウムって、あの…空見るやつ?」

「ああ」

「もしかして児童館に新しく出来た…?」

「そうだ」

「プラネタリウム!?征士が!?」


必要以上に驚く伸の反応に征士はどこか既視感を覚える。
すぐに妹の皐月の反応と同じだと気付いて、顔を顰めた。


「私がプラネタリウムに行くのがそんなにおかしいのか」

「だってキミ、小学生の頃にさ、全然わかんないって言ってたじゃない」

「…確かに言ったが…」

「そのキミがプラネタリウム……何でまたそんな…」

「何でって、そりゃあ気分転換でたまたま入ったのがキッカケだったが…」

「…が?」

「思いのほか、面白くてな」

「………それで作るものまで良くなるほどの影響を受けたの?」


星にそんな力があるのか?と訝しげに伸が尋ねると、征士は色の白い頬をほんの少しだけ赤くしてはにかむ。


「いや、星に直接興味があったわけではないし、星だけではそこまでの影響は無かったと思う」


征士にしては妙に回りくどい表現に伸が片眉を上げた。
その仕草が言葉の続きを促していると解った征士は、小さく咳払いをして何故か心持、姿勢を正した。


「そこにいる羽柴さんという人の解説が、とても面白いのだ」

「ジョーク満載とか?」

「そうではない。話は普通だ。ただ羽柴さんの口調というか、独特の語り口が人の興味を上手くそそってくれる、という感じだろうか…」


思い出しながらもどこか丁寧に話す征士に、伸は、もしや、と思い口端に笑みを浮かべる。


「へーぇ……じゃあキミは毎週、その”羽柴さん”って人の解説を聞くためだけにプラネタリウムに通ってる、と…」

「まあそうなるな」

「ふうん…」


顎に手を当てニヤつく親友の姿に漸く気付いた征士は、居心地の悪さを感じてまた顔を顰めた。


「………何だ」

「いやぁ………へーぇ、そう」

「何か言いたい事があるのなら言え」


公平な性格だが、そう気の長い性質でもない征士がさっさと言えとせっつくと、今度は伸が姿勢を正した。
先の征士を真似、からかっているのだというのは征士にも伝わり、益々彼は顔を顰める。
その表情に満足したのか、伸は「あのね」と少しだけ勿体ぶって話し始めた。


「皐月ちゃんがさ、言ってたの」

「…………今度は皐月か」

「そう。…お爺ちゃんとは別でさ、皐月ちゃんが言ったんだよ」

「…何を」

「”お兄ちゃん、好きな人が居るわ”って」

「…………………。あいつまで何を馬鹿な、」

「いや、皐月ちゃんもちゃんと見てると思うけどなぁ、僕は」


馬鹿な事を言うな。と切り捨てようとした征士の言葉を伸は遮る。
口調は軽かったが、声はどこか真剣なものを含んでいた。


「…どういう事だ?」

「皐月ちゃんはさ、ちょっとしたキミの変化に気付いてたらしいんだよね。それでカマかけたって言ってた」

「…いつ?」

「さぁ?いつカマかけたかなんて事まで聞いてないよ。ただね、閉店後の掃除を代わるって言ったら、キミ、大急ぎで出てったって言うじゃない」

「……………」


確かにそういう事があった。
何故か急に妹の皐月が閉店後の店の清掃を代わってくれると言い出した。
あの時妹は理由など一切口にせず、後で何か見返りを求められるかと思いきやそうでもなかった。
不気味といえば不気味だったが、それ以降でも彼女の態度は変わらなかったし掃除を代わってくれたのもあの時限りだったので、
いつもの気紛れかと処理していたのだが、まさかあの時、妹に何かを試されていたとは思いもしなかった征士は、ただただ驚くしかなかった。


「あの時もプラネタリウムに行ったんでしょ?」


征士の反応を無視して伸が確かめてくる。
間違いではないので、どこか呆然としながらも征士は頷いた。


「だからさ、そういう事なんだと思うんだ」

「……そういう事?…どういう事だ?」


だが伸の言う事はイマイチよく解らない。だから征士は聞き返した。
すると、伸はまたニヤニヤとし始める。
今度は征士が聞くより先に、続きを口にしてくれた。


「だからさ、キミは羽柴さんの事が好きなんだよって事」


ただその言葉は、征士の全く思いもしない言葉だった。


「私が、………何だって?」

「だから、キミがね、そのプラネタリウムの羽柴さんに、片思いをしてるんだねって、」

「そんなワケあるか!」


もう鈍いんだからぁ、と言いたげに続ける伸の言葉を、今度は征士が遮った。
それも余りにも力強く言うものだから、流石に伸も驚き、目を丸くした。


「え、な、何急に…」

「私が羽柴さんに思いを寄せるなんてことは、な、な、ない!」

「ヤダ、何そんなに必死になってんのさ、ねぇ、せい、」

「だってお前、羽柴さんは、…羽柴さんは、…男だぞ!」

「……………………………っえ、」


何故か耳まで赤くしながら否定する征士の姿に気圧されつつも、伸は冷静に彼の言葉を頭の中で繰り返す。

然程星に興味があるわけでもなかった征士が毎週通い詰めるほどの、”羽柴さん”。
しかも、物としては上出来なのにどこか何かが足りないと祖父に言われ続けてきた彼の和菓子に、良い影響を与えるほどの、”羽柴さん”。

てっきり彼は無自覚なままに”羽柴さん”に恋をしていると思ったのに。


「え、お、……おとこ、なの?」

「そうだ!羽柴さんは、男だ!」

「じゃあ何でキミ、そんなに良いもの作ってるの!」

「知るか!私だってそんな、良くなったとかどうとか、今日初めて聞いたくらいだ!」

「え、え、……っっちょ、……ちょっと待って!チョット待って征士!落ち着こう!」


お互いに混乱して大きな声での言い合いになってしまうのを、伸は慌てて止める。
喧嘩腰になっても何も話は進まない。一旦冷静になろうと持ちかけた。
そう言われて征士も漸く意味の無い行為だと気付いて、「すまん」と小さく謝った。


「いや、僕のほうこそゴメン。……それより、じゃあキミはその男の羽柴さんの星の話で、気分転換が出来てたってことなの?」

「……それもある」

「それもって…他にもあるの?」


声こそ冷静に戻ったが、征士の耳はまだ赤い。
それを気に留めながら伸は聞き返す。


「羽柴さんは、うちの常連なんだ」


常連という言葉に伸はすぐに違和感を覚え、その正体にもすぐに気付いた。


「……あれ?キミって、作業場から出ないようにしてるんじゃなかったっけ?」


学生の頃、征士見たさに雷光に女性客が押しかけた騒動は、伸も覚えている。
あれ以来征士が表に出ることを避けているという事も。
その征士の口から常連と言われ、首を捻りたくなった伸の問い掛けに、征士は頷いて返した。


「店には出ていない。だが彼の声が店のほうから聞こえたんだ」

「…そっか、キミ、プラネタリウムに通ってるから羽柴さんの声は聞き分けられるって事か」


答えに納得して伸も頷くと、征士は今度は首を横に振った。
それも必死に。


「え、なに」

「そうではなくて、羽柴さんの声がどこか独特なだけだ…!」

「そうなの?」

「…そうだ…」

「ふぅん………そう」


征士のその反応も伸は気に留めておく。
不快感では無いが、小さな反応の1つ1つが征士の中の答えに辿り着くためのヒントに見えてならない。


「で?毎回、羽柴さんの声が聞こえてくるの?」

「そういう事ではないんだが…」

「ないけど?」

「…姉がな、最初の来店の時の遣り取りが面白かったのか何なのか、彼が来た時はいつも夕食時に今日も来たと口にするものだから」

「弥生さんが教えてくれるんだ。それで”常連”ってことね」

「ああ」


羽柴さんとやらの話を聞きに毎回プラネタリウムへ通う。
羽柴さんとやらが来ることで、征士の腕は完成に近付いている。

へぇ、と伸は心の中で満足していると、征士は1人でぼそぼそと言葉を続け始めた。


「何を買ったかというのまでは聞いては居ない。ただよく来てくれるという事は、うちの和菓子を気に入ってくれているという事だろう?
美味しいと思ってくれているだろうかとか、こういう味は好きだろうかとか、これを食べてくれるのだろうかと考えてしまうんだ、…作業中に」

「つまり、キミにとって羽柴さんはミューズってわけだ」


段々と熱っぽく語り始める征士に、伸は笑顔で告げた。
ミューズ、と。
するとそれまで熱に浮かされたように目を潤ませていた征士が、急にきょとんとした顔になる。


「ミューズ…?」


派手に整った容姿と違い、中身は時代錯誤気味なところをみせる征士は、ぎこちなく言葉を発した。

ミューズ。聞き覚えのある言葉だが、思い出せない。
薬用石鹸か?と考えていると、伸がそれを見越したように「言っとくけど、石鹸じゃないからね」とピシャリと言い放った。


「………………じゃあ何だ」

「ミューズ。キミ、覚えてないの?」

「何を」

「ほら、僕の姉さんがプロポーズされたとき。キミも僕も居たでしょ、その場に」

「お前の義兄が結婚を申し込んだ時か?」


伸には歳の離れた姉が、1人居る。
その彼女がプロポーズされたのは2人が高校生の時で、今は義兄となった当時の恋人は、高校生男子の目の前で彼女に言った。
「僕のミューズになってください」と。

それを思い出した征士は、ああ、と合点がいったのか、スッキリとした声を出した。


「キミ、あの時に言ったでしょ。”ミューズって石鹸か?”って」


他者が居る場でプロポーズしたのは義兄の失態だが、そのムードをぶち壊すような事を口にしたのは親友の失態だ。
伸はその珍妙な光景がばっちりと記憶に残っていたらしい。
一方で征士は綺麗にその記憶が抜けていた。


「…………結局、ミューズとは何だった…?」


だが抜けていた記憶も指摘されれば思い出すのは簡単だ。
過去の間抜けすぎる発言を思い出し、その恥ずかしさを掻き消すために征士は伸に聞いた。


「芸術の女神だよ」


そして伸は、征士がそう聞くことまで想定していたのか余裕の態度でそう答えた。
女神、と。
その言葉に征士は目を見開く。


「おい、私の話を聞いていたのか?羽柴さんは男だぞ。女神とはなんだ、女神とは」

「創作者に刺激を与える人の事を芸術の神様に擬えて女神、ミューズって呼ぶじゃない。その女神だよ」

「だから羽柴さんは男だ。”女神”とは呼ばんだろう」

「…確かに男の場合、なんて呼ぶのか解らないけどさ、でもキミの創作に良い刺激を与えてる事に間違いはないんだよ?」

「そりゃあ、……………………………。……っ」


伸の指摘に征士は同意しかけて、そして言葉を止めた。
その反応を伸は満足そうに見ていたが、征士の表情は何故か見る間に青褪めていった。




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「僕のミューズになってください」の直後に「ミューズって石鹸か?」
「はい」より先に「ミューズって石鹸か?」