満天の星空で会いましょう
外で昼食を済ませた当麻がブループラネットに戻ってくると、女性スタッフが数名集まっているのが見える。
何かあったかと思って、その中では比較的親しい柳生に声をかけた。
「何かあったんですか?」
「あ、羽柴君」
腕組みをしていた手を解いて、柳生は困ったように笑う。
そんな笑みでさえ、この中じゃ一番の美人だな、と当麻は思った。
他の職員の手前、口にしないだけの礼節は弁えているつもりだ。
思った事は口にせず、代わりに「どうしたんですか?」ともう一度尋ねると、柳生は小さく顎を引いた。
「あのね、明日から七夕やるでしょう?」
カレンダー上では七夕までまだ日にちはあるものの、上映内容は明日から七夕に絡めた内容に変更予定だ。
もうプログラムも組んであるし、映像も用意してある。
大まかなナレーションの打ち合わせも何度も重ねて後は本番を迎えるだけという状態にもなっていた。
「やりますね。何か問題でもありましたか?」
入念に準備はしていても、直前で変更が入る事は稀にある。
そうなっても自分たちで製作した部分に関しては何とかカバーできても、外注していた映像の場合は差し替えが必要になって予定日に
到底間に合わなくなる場合がある。
だから修正するのなら早い方がいい。
幸い今はまだ昼だ。明日の分は差し替えやその場凌ぎのものになってしまうかも知れないが、連絡は早い方がいい。
それを思って当麻は問いただしたのだが、何故か女性スタッフたちは困ったように笑うばかりだ。
一体何なんだと微かに当麻が苛立ちかけた時に、柳生が口を開いた。
「ディスプレイがね、寂しいねって言ってたのよ」
その言葉を合図にしたように、女性スタッフ全員の視線がある一転に向かう。
そこには目安箱が置かれていた。
そしてその隣には、笹がある。しかしまだ飾りが殆どかかっていない。
質素といえば聞こえはいいが、遠慮なく言えば殺風景だ。
「七夕の飾りを増やせばいいんじゃないですか?」
折り紙で作る提灯や、海外生活の長かった当麻には理解できない妙ちくりんな網のような飾りの数を増やせばいいと言うと、
彼女達は首を横に振った。
「それは準備してあるの。だけどそれを沢山かけてしまうと、お客さんに書いて貰う予定の短冊があまり掛けられなくなってしまうのよ」
「たんざく…」
言われてよく見れば、いつもアンケート記入のためのテーブルは1つきりなのに、今日は横にもう1つ出ている。
その上には縦長に切られた折り紙が入っていた。
「なるほど。じゃあ明日を待つしかないでしょうね。精々出来るのは、明日のお客さんが沢山、願い事を書いてくれるように祈る事だけでしょう」
彼女達の理由を汲めば、そういう答えしか出てこないので当麻は素直にそう言った。
「でもそれじゃ寂しいのよ」
だが柳生はもう一度そう言った。
当麻が眉を顰める。
「ですがどうしようもないでしょう。飾りを増やせないのなら、仕方のないことです」
「だから他に何か、こう周囲を飾りたいのよね」
笹そのものを飾り立てるのではなくその周囲を賑やかにすることで、あまりにも殺風景なこの場を飾りたいのだと言う。
「だったらこの前、倉庫の掃除で見つけたキラキラのモールを飾ればいいんじゃないですか?クリスマスの残りみたいなカラーリングでしたが、
シルバーのものなら何とか使えるでしょう」
壁にでも貼ったら少しはマシなのではないかと当麻が提案すると、受付を担当しているスタッフが申し訳無さそうに
「それはもう試しました」と答える。
場違いな雰囲気にしかならなかったのだ、と。
「場違い?華やかにしたいんでしょう?」
「華やか、って一言で言うけど、ゴージャスでギラギラした感じじゃ駄目なのよ、七夕は」
人目を集めればいいと思っていた当麻は、曖昧な表現を選ぶ柳生に首を傾げた。
当麻にとってワビサビはまだ理解しきれないものだ。
「えぇっとね………ロマンチックなものを飾りたいのよね」
「ロマンチック!?」
どうにかして七夕の雰囲気を伝えようとして柳生が選んだ言葉に、当麻が思わぬ驚きの声を上げる。
それに女性スタッフたちの方が驚いてしまった。
「え、…ろ、ロマンチック…」
「七夕が、ロマンチック!?」
「え、………ロマンチックじゃないかしら?」
ねぇ?と柳生が他の女性スタッフに同意を求めると、全員首を縦に振った。
「ほら。七夕はロマンチックなものなのよ」
自分がおかしな事を言ったかと内心焦った柳生だったが、周囲の賛同を得るといつもの彼女に戻って当麻に向き直った。
年に1度しか会えない恋人たちの伝説。
これは確かにロマンチックなはずだ。
そう自信を持って告げたのだが、当麻の表情は「えー」と素直に言っている。
「何が言いたいのよ」
「ロマンっていうのは天体そのものにあるのであって、七夕の話にはその欠片もないでしょう」
空で光っている星と、そこに添えられた物語。
どちらの方がよりロマンチックという言葉に見合うかと言えば、大多数は七夕伝説を選ぶ。はずだ、と柳生は思っているし、
今この場に居る女性スタッフたちもそう思っているので、当麻の意見には目を丸くして驚いた。
が、すぐに立ち直った。
何せ当麻は天才だし見た目もイイのだが、人とズレている所がある。
それも海外暮らしが長かったからというだけでは説明できないレベルだ。
最近では和菓子にもご執心のようだが、変わり者の男は何より天体を愛しているため彼のロマンはそこにしかないのだろうという結論に至った。
「そりゃ羽柴君からすればそうでしょうけど、七夕伝説はロマンチックなものよ。引き裂かれた恋人たちが年に1度しか会えないの。
それなのに当日は晴れてなきゃ会えないのよ?切なくて綺麗な伝説じゃない」
少なくとも世間一般ではそうです、と言外に滲ませながら諭すように言う柳生に、当麻はまた顔を顰めた。
そして。
「でも結局、フィクションじゃないですか」
と言い放った。
のを、当麻は後悔したがもう遅い。
その遣り取りの現場に、運悪く田上が現れた。
そして事のあらましを聞いた彼は言った。
「そうだ、じゃあ何か買ってきて飾ろう。羽柴、お前午後からは解説の予定入ってないだろ?何でもいいから買って来い」
確かに昼からは事務処理を片付けるくらいしか予定が無かったし、外に出るのは嫌いではない。
今の時期なら何かしらの七夕飾りや、それに関連したアイテムくらいは売っているだろうから適当に見繕えばいい。
そう、ただ買ってくるだけなら、良かった。
田上の業務命令には、条件があった。
曰く、当麻が思う、彼女達の”ロマンチック”を買って来い。だそうだ。
外に出た当麻は困り果てていた。
ロマンというのは天体を含む、自分たちの考えが及びもしない世界にあるものであって、人間がその限りで思いつくものには
思いや計算が入っていて、謂わば紛い物のロマンしかない。
そう思っている当麻にとって、彼女達の思う”ロマンチック”というのがサッパリ解らないのだ。
いや、想像はつく。
フィクションドラマを見て、主人公達の回りくどく非常にどうでもいい恋愛事情に涙する感覚は解らないが、どうすればその涙を誘えるかというのは
当麻にだって想像はつく。
だが今探してこいと言われているものは、涙を誘うものではないのだ。
一体どういった感情を呼び起こすものを買って来ればいいのか、さっぱり解らない。
「…………どうしろって言うんだよ…」
ただ愚痴を言っても仕方がない。
七夕は明日から始めると決まっているし、結局はその飾りもお客さんを喜ばせる一環だと考えればいい。
では、一体何が喜ばれるのか。
自分の感覚ではなく周囲の人間の感覚を必死に拾おうと試みたが、親しい友人のいない当麻には限度があった。
何がある、何がある、何がある。
そう必死に考えながら歩いていると、ある方向から黄色い声が聞こえた。
結果、当麻は本日2度目の後悔をした。
今、周囲の視線が自分に向かっている事は解っている。
だがどうする事も出来ない。
救いなのは、自分の視界の殆どが遮られていて直接その視線を見ないで済んでいることと、プラネタリウムまでの距離がそうないことだ。
そして恨みたいのは、梅雨の時期の癖に晴れ、それなのに湿気を含んだ空気のせいでいつも以上に暑苦しいことだ。
現在、当麻は自分の前後を180cmほどの熊のヌイグルミで挟まれている。
適当に歩いていた時に聞こえて来たのは、女子高生らしき一団の声だった。
ある店の前でキャアキャアと喜びの声を上げている。
可愛い。
たまんない。
ヤバイ。
騒がしいな、と思ったが当麻は気付いた。
全てに於いてではないが、大抵の流行(それも当麻には到底理解できない方向性の)は、彼女達からスタートする事が多い。
そこにロマンがあるかと言われると解らないが、彼女達の共通言語として褒め言葉や嬉しい時に出る言葉の「ヤバイ」が聞こえた。
それに「可愛い」という言葉も。
という事は、女性にとって”素敵な物”の筈だ。
つまりそれは、自分には理解できないが彼女達の声の先には大多数の賛同を得られるものがある。筈だ。
そう思った当麻は方向転換し、彼女達の声のほうへと向かった。
そこにいたのは、2体の巨大な熊のヌイグルミだった。
愛らしいヌイグルミは、閉店セールで大幅に値下げされているものの女子高生の懐事情では手が届かない値がつけられていた。
当麻は買える(後で経費でも落としてもらえるし)が、これを部屋に欲しいかといわれると絶対にNOだ。だって邪魔だ。
しかし考えてもみれば、手元に置けないが欲しくなってしまうもの、というのもロマンなのかも知れない。
何故なら幾ら本物の天体を望んでも、そんなもの、手元におけるわけがない。
それを思うとそのヌイグルミは当麻の目に、ロマンの塊に見えてきた。
しかもお誂え向きに2体ある。
まるで織姫と彦星だ。そう思おうと思えば、思える。
そうなると当麻は早速店内に入り、ヌイグルミを売ってくれと交渉する。
了承は早かった。
だが対応した店員は言ったのだ。
「お届けは一番早い便で明後日になります」
と。
当麻は焦った。
七夕は明日からなのだ。
だからヌイグルミは明日にはブループラネットに届いてくれなければ困る。
しかし届けてもらうと一番早いものでも明後日になるという。
困る、困りまくる。
どうにかならないかと食い下がってはみたのだが、結局最良の方法は”自らが持ち帰る”という選択しかなかった。
店員2人係りで手伝ってもらい、まず1体を背中にくくりつけてもらう。
そしてもう1体を身体の前で抱きかかえる。
こうして当麻は人々の注目を集めながら、ブループラネットまでの道のりを歩く事になった。
大通りを歩く事は、限られた視界でも周囲の人の流れで状況が把握できるため実は細い路地を選ぶより安全だ。
目立ってしまうのはどうしようもないが、これも仕事だと開き直ることでどうにか堪える。
暑くて堪らないが、店とブループラネットは徒歩圏内だ。少し我慢すればいい。
そう自分に言い聞かせて信号待ちをしていると、隣にいた人たちが歩き始めた。
進行方向の信号が青に変わったようだ。
これだけの大物を抱えて歩いていると、まるでモーゼのように相手から避けてもらえる。
こういった事については日本人はとても優しいので、当麻はただ歩くだけで良かった。
その当麻の視界の端を、白い車が横切った。
何とは無しに気になり、一瞬のことでも注意を向ける癖も手伝って当麻はその通り過ぎる瞬間の車を横目で見る。
雷光。
殆ど通り過ぎていたその車の横にはそう書かれていた。
「……………」
雷光。あの和菓子屋だ。
一瞬、歩みが遅くなった当麻だが、すぐにさっきよりも力強く歩き始める。
仕事場に戻ったら、冷たいお茶と一緒に引き出しの饅頭を食べよう。
この辛さをあの味に癒してもらおう。
そう思うと、さっきまで恨めしく思えていた暑さも苦にならなくなった。
舌に蘇ってきた味を楽しみにブループラネットへと帰っていった当麻は、今度は自分の机の上に置かれている短冊と、
”さくら”として何か書けという田上のメモに頭を悩ませる事になるのだった。
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熊人間が帰ってきた時のブループラネットは一時騒然となりました。