天国で地獄
目まぐるしかった状況が少し落ち着いてきたようで、当麻は、さて、と心の中で呟いた。
今自分を取り囲んでいる神様連中は全部で8人。
この中の誰か1人を選ばなければ話も何も、全く進まない事は当麻自身よく理解していた。
だがその選択は慎重にしなければならない。
進学する学校や就職する会社のように、どこかに明確な終了があるわけでもなければ、いざとなれば辞めるという手段は
恐らくないだろう。
それこそ”死”という最終手段さえ既に死んでいる身では最早使えないのだ。
どう呼ぶのが適切なのか判らないが、兎に角ここでの選択が後々の自分の”人生”に大きく影響することは間違いない。
選択は決して誤ってはならないのだ。
しかし先ほど彼らを見渡した時にも思ったことだが、彼らはそれぞれに個性が強そうだ。
そして一癖も二癖もありそうに見える。
この中から敢えて誰かを、というのなら決められそうなのだが、ハッキリ言って、この人だ、という強い気持ちには至れない。
当麻は軽く顎を引いてそっと息を吐いた。
改めて整列しなおした神様たちは一同揃って当麻に手を差し伸べている。
「…………………あのさ」
「なんだい?」
小さな呼びかけにすぐに反応を返したのは栗色の髪の男だ。
意気込んだ様子のないその言葉は、彼が気遣いを持って接してくれていることを示しているように思える。
それに口元を緩めそうになった当麻は慌てて意識的に口を引き結び、そして腹に少し力を込めた。
「あんたら、これで全員?」
選択を誤るわけにはいかない。
だからこそ”選択肢”は全部見ておきたい気持ちから当麻はそう口にした。
だがその言葉には最早、相手が神様だと言う尊敬の気持ちが半分ほど抜け落ちてきている。
しかしそれも仕方のないことだ。
抜け駆けをしようとしたり騙そうとしたり、どうもこう、彼らの行動は神々しいイメージと若干違っている。
そんな当麻の口調を、しかし誰も咎めようとはしなかった。
寛容だ。というのではなくて、誰もが綺麗に、真っ直ぐに向けられた当麻の視線から目を逸らしたのだ。
「……………おい」
「……………………」
全員揃って、だんまりを決め込むつもりらしい。
「おい、いるんだな?」
「………………………………………」
一番歳が近そうで、純粋そうなツリ目の少年に当麻はターゲットを絞ってみたが、彼は懸命にも顔ごと当麻の視線から逃れ、
膝上までの白いゆったりとした衣服の裾を握り締めて一生懸命に当麻の声を無視している。
あまり追い詰めても可哀想な気がしてきて、当麻は一番気さくに接することが出来そうな豪快な男を見たが、彼はわざとらしく
鼻唄を歌うばかりでやはり当麻を無視した。
「…………なぁ、あと何人いるんだよ…!連れてこいよ!!ソイツも!!!」
生真面目そうな男に半ば怒鳴るように言ったが、彼に至ってはその場で正座をして、瞑想に入ってしまった。
最悪だ。最悪で最低で、あまりにも稚拙だ。
それに憤りを感じた当麻がもう一度声を荒げようとした時だった。
「遅れてすまない」。低くて通る声でそう聞こえたのは。
声は右側から聞こえた。
遅れやがって。何してやがった。遅れたくせに随分と余裕だな。
色んな言葉が頭の中で嵐のように吹き荒れ、その言葉を雰囲気としても撒き散らしながらそちらを向こうとする当麻の目は完全に据わっている。
どの言葉から吐いてやろうか。
そう考えながら声の主の姿を確かめた。
「おく、………っ……!?」
だがその言葉は続かない。
立っていた男は金の髪に紫の瞳をしていた。
均整の取れた肉体は程よく筋肉がついていてまるで彫像のようだ。
その男が、誠実さをそのまま表したような口元に品よく笑みを浮かべて当麻を見つめていた。
「待たせてすまない、当麻」
容姿だけでなく、声までいい。
それら全てはまるで、本当に、完璧な”神”そのものだった。
「……テメェ、遅れといてナニ余裕ぶってんだよ」
頬に傷のある男が、当麻が言いそびれた言葉を噛み付くように放ったが、神々しいまでに目映い男は彼に向き直ると緩く首を振った。
「遅れた事は悪かったとは思う。だが私にも仕事はあるのだ」
「仕事をしておっただと?大事な日に遅れるほど急ぐ仕事があったと申すのか」
蛇に似た男が、やはり表情を一切変えないままに尋ねる。
すると神々しいまでに目映い男は頷いた。
動作一つ取っても無駄がなく、繊細ではないのに綺麗だ。
「当麻を迎えるのなら、まずここでの暮らしに慣れてもらわねばならん。それに付きっ切りになるのだから、先にしても構わない事を片付けてきたのだ」
そして言う事は至極真っ当。
確かに当麻は少し前までは普通の人間で、普通の日常を送っていた。
それが急にやれ天国だ、やれ神様だ、やれ仕事を手伝えだなんて言われたって、ワケが判らないままだ。
その自分のために彼は仕事をこなし、そのせいで遅れてしまったと聞くと、当麻の気持ちは大きく揺さぶられる。
「そういう事情だ。遅れてすまない、当麻。私で最後だ」
控えめながらも優しく微笑みながら、男は手を差し伸べた。
その手は大きく、少し武骨で、それが当麻の目にはとても頼もしく見えた。
「ちょっと、最後に来て何も提示せずに当麻を誘うのは如何なものかしら?」
美少女が明らかに厳しい声を出す。そこで初めて、神々しいまでに目映い男は眉を顰めて一瞬ではあるが負の表情を浮かべた。
「提示とは何だ」
「僕らが当麻に対してしてやれる事さ」
栗色の神の男が言うと、それを聞いた男は顎に手をやり、そしてすぐにまた優しい笑みを浮かべて当麻の正面に立った。
「ならば当麻、私はお前を愛してやろう」
「ここでの暮らしには慣れたかい?」
栗色の神の男の問い掛けに、当麻は突っ伏していたテーブルからのそりと頭を持ち上げた。
天国で暮らし始めて5日が過ぎた。
時間の概念がいまいちよく判らないので本当は何日経ったのか、実はまだ数時間しか経ってないのかも正確には判らないのだが、
5回寝て5回起きたから5日過ぎたと当麻は自分で決めた。
その、5日が過ぎた。
栗色の神の男は一昨日にもお菓子を手に当麻の元を尋ねて来てくれたのだが、その時はぐったりとしている当麻を気遣って、
「差し入れを持ってきたよ」と声をかけただけで会話らしい会話もせずに帰っていってしまっていた。
頭はパンク寸前で受け答えさえままならなかった当麻には、それがとても有り難かった。
その彼が今日も訪ねてきた。
今度はお菓子とお茶を持参して、どうやら一緒にお茶をしようという状態で。
先日よりは慣れてきて、少しは気力の戻っていた当麻は誰かに何かを話したい気分だったので、その誘いに素直に応じた。
だが何から話そうかと思い返した途端、またどっと疲れが出てきてテーブルに懐いた状態になってしまっていたのを、栗色の神の男は頃合を見て、
まるで助け舟のように優しく言葉を掛けてくれた。
その声に当麻はどこかドンヨリとした視線を向けて、もう一度テーブルに額を押し付ける。
そして小刻みに震え始めた。
「どうしたの?何か辛いことでもあるの?当麻」
栗色の神の男は全て解っているような表情を浮かべつつも、当麻自身の言葉を促した。
やはり彼は、当麻がそろそろ何かしら喚き散らしたい頃だと見計らっていたようだ。
そんな事に気付く余裕さえない当麻は、次は勢いよく頭を上げ、垂れた眦を据わらせ、つり上がった眉を更にキリキリと上げて何度も首を縦に振った。
「何かもなにも、…………っ何なんだよ!あの男は!!!」
爆発しそうな感情を持て余していた当麻の表情は、勢いのいい叫び声とは裏腹に情けないものだった。
あの時、当麻は神々しいまでに目映い男の手を取った。
誠実で実直で正直で優しくて冷静で、見た目も完璧な男はまさしく思い描く”神”そのものだった。
何もかもわからない世界でも、彼といれば大丈夫。そう心の底から信じられる相手だった。
今、優先すべきは当麻がここでの生活に慣れること。
そしてその為に仕事を片付けてきたと彼は言っていた。
では実際はどうか。
確かに彼は急ぎのものでなければ自分の仕事よりも、当麻と共にいる事を優先し、殆ど一緒にいてくれる。
だがどうだ。
自分の神殿に着くなり彼は、祝福だ、と言って当麻の手や額や頬に口付けてきた。
いや、それは神様の世界では普通のことなのかもしれない。
だが元々平凡な人間で、しかもスキンシップの少ないと言われる一般的な日本の家庭に生まれ育った当麻には、
それはとても気恥ずかしいことだった。これは毎日繰り返された。
恥ずかしい思いはそれだけでは済まない。
書物を読むときは毎回、絶対に彼の膝の上に当麻は座らされる。
空腹を感じる事はなくとも満足感のために食事をすることは彼らにもあるらしいのだが、その時は決まって彼の手から食べさせられた。
湯浴みをしろと言われて向かった場所は水の他に花弁が撒き散らされていて、それだけでも恥ずかしいというのに毎回、男の目の前で
入浴をさせられた。
挙句の果て、ベッドまで一緒なのだ。
抱き寄せられて頭や頬を撫でられ、あんなにも美しい顔で見つめられながら眠れるほど若干17歳で他界した少年の神経は図太くなかった。
ここでの生活に慣れなければならないのは判るのだが、これは本当にそうしなければならないものなのだろうか。
こういった事がここでは普通なのだろうか。
だったらこういった事はこれからも永遠に続くのだろうか。
色々と噴出してきた当麻は最初は勢いよく、そして途中で恥ずかしさが蘇ってきたのか段々と小さな声で、それでもしっかりと抱えていた
疑問や感情を吐き出した。
それを黙って聞いていた栗色の神の男は、当麻の言葉が途切れるのを待ってから優しい目で言った。
「確かにちょっと彼はキミの事を構いすぎかもしれないね」
「……………やっぱり…」
これが普通だというのなら諦めるしかなかったのだが、そうではないと知ると当麻は項垂れた。
青い旋毛を眺めて、男は続ける。
「でもね、キミがここに生まれるべきだったって言ったのは彼だし、最初にキミを見つけたのも彼なんだ」
当麻の存在が神々の会議の場で話し合いに出たのは最近のことだったが、それよりもっと前から目映い男は当麻を見つけていた。
それこそ当麻が幼い頃からだ。
小さく幼い当麻が元気に駆け回り、幸せそうに笑い、気持ち良さそうに眠るのを、彼はいつも雲の上から眺めていた。
その魂が他の魂と異なることを彼は早くから気付き、すぐに回収すべきだと判っていたのだが、家族と仲睦まじく過ごしているのを見ると
無理矢理に引き離す事が出来なかった。
そうこうしている内に両親は事故で他界。
言い方は悪いが今がチャンスかも知れないと思った矢先に、今度は当麻を引き取るという老婆が現れた。
彼女との生活も、当麻は幸せそうだった。
だから彼は黙って見守る事にした。
そしてやがて、その老婆も他界。
今度こそ、と思ったが今度は彼の身の回りが慌しくなった。それこそ雲の下を覗くことさえ出来ないほどに。
そして時間が過ぎ、久し振りに探し出した当麻はひどく孤独な存在になっていた。
目映い男は慌てて、一番信頼している栗色の神の男に相談した。
その時の結論が、会議に上げ、審議にかけようというものだった。
当麻の今後の人生は、極端な不幸もないが全く味気ないものだ。
寿命まではまだ時間が残っているが、それを中断させること自体は何も罪悪ではない。
先代の神たちも自分たちの思うままに人間の運命を操る事だって何度もあった。
しかし魂が異質だとは言っても神とも違うものを簡単に天国に招き入れるわけにもいかない。
だから彼は、当麻がいかに優れている人間かという事を必死に伝えた。
元々口数が少なく、表情も乏しい彼が必死になって。
その結果、他の神の賛同を得て、そして漸く彼は当麻を手に入れることが出来たというのを、栗色の神の男は当麻に話してくれた。
「彼はきっと自分から言わないだろうけどさ、こういう事」
だから僕が話したって事は内緒にしてね、と微笑む彼は、やはり優しい。
話しの間は顔をそろりとだけでも上げていた当麻だが、自分でも顔が熱いことが解ってそれを隠すためにまた俯いた。
「まぁ、だからさ。彼がキミを構いすぎたり大事にしすぎてるって思ってもさ、…キミが本気で嫌じゃなければ拒まないであげて欲しいんだ」
「……………………」
「僕らはみんな、自分の価値観で生きてる。それは人間や、他の神から見ても我侭や屁理屈に映る事だってある。
でもね、彼はそんな所がないんだ。…まぁちょっと変わってるところはあるけれど、それでも他から否定されるほどじゃない。
性格の不一致での言いがかり程度かな?……その彼がさ、言い出した唯一の我侭がキミなんだよ、当麻」
「…………………何となく、…わかる…」
「わかってくれる?」
「全部じゃないけど、その、…………アイツが、いい奴だってのは、…わかる。その、ホント、何となく、だけど……」
「そう」
「ただその、……………………ちょっと、慣れないって言うか、…恥ずかしいだけって言うか…」
「そう。でも、じゃあ早く慣れてあげてね。きっと彼はキミの事、飽きたり投げ出したりなんて絶対にしないだろうからさ」
悪戯っぽく言われた言葉は、当麻を少し安心させた。
もう1人になる事はない。暖かな手が常に傍にある。
そう思うと心が軽くなる。
そして最初は少し警戒していた栗色の髪の男に対しても、目映い男同様に信頼を寄せる。
抜け駆けしようとしたが、彼だってやっぱりとても優しい。
若しかしたら最初に現れて連れて行こうとした事だって、目映い男以外の誰かが連れて行く事を避ける為だったのかも知れない。
それにこうして自分を気遣って現れてくれて、そして自分が共にいる男についても少し教えてくれた。
神様って、実は本当にいたんだな…
そう心の中でだけ呟きながら、当麻は持って来てくれたお菓子を口にした。
人間の世界の料理に興味を持っていると言っていた彼の作るものは、全て当麻の口に合っていてとても美味しい。
それに頬を緩めていると、向かいで男が溜息を吐いた。
「…………なに?」
「…いやぁ………それでもやっぱり僕が最初に連れて行くべきだったかなってちょっと思って」
「何で?」
「うぅん…………………いや、まぁキミも彼の事、気に入ってるみたいだから…良いのは良いんだけど…」
「うん。…まぁ、……恥ずかしいけど俺、アイツのこと……うん、まぁ、…嫌いじゃないし…」
照れ臭いが、結局そうだ。
自分だって完璧なまでの彼が恥ずかしいだけで、慣れればもう少し普通になるのかも知れない。
抱き締められて眠る事だって、本当はとても心地よくって、ちょっと、いや、実は結構好きだ。
だからそれを口にしたのだが栗色の髪の男はまた溜息を吐き、髪をくしゃりと掻く。
「………………え、ホント、なに?」
「うん………いや、彼、言ってたでしょ」
「何を?」
聞き返すと少しだけ間を空けて、栗色の髪の男はゆっくりとハッキリと、意味を強調するように言った。
「キミの事、”愛してやる”って」
この言葉は当麻に新たな不満とも不安ともつかない感情を与え、そしてそれからあまり日を置かずに、当麻自身が身を持って
その意味を噛み締める事となるのだった…
**END**
顔真っ赤にして逃げたいくらい恥ずかしいのに、逃げ出せない天国。
それでも全力で拒まないことが当麻自身の答えなんですけども、恥ずかしい気持ちだけはずっと続くんだと思います。