天国で地獄



おいで、と差し出された手を当麻はまじまじと見た。

未だ実感はないが自分は死んだそうで、ここは天国らしくて、目の前にいるのは神様で、そして、おいで、だそうだ。
考えてみても断続的な映像で見た限り自分の葬儀はとっくに済んでおり、生き返ろうにも肉体はもう灰になっているに違いない。
となると右も左も解らない此処に何の目的もなく居ても仕方がない。下手をすれば永遠に立ち尽くす事を考えると、寧ろぞっとする。
ではどうするべきかと言うと、やはりここは目の前の男について行くしかないのだろう。

と、当麻は状況から最善の答えを導き出した。
要するに、自分には選択の余地がないという事だ。


「どうしたの?」


そんな事を考えているとは思っていないのか、栗色の髪をした優しい顔の男は首を傾げて当麻の答えを促す。
手は相変わらず、出したままに。


「…………あの、……さぁ」

「なんだい?」


だが行くにしても当麻にはどうしても確認しておきたい事があった。


「その、………父さんや母さんや…婆ちゃんには、…会えない、かな…?」


疫病神だと思っていた自分が天国に来れるのならば、父も母も、そして血が繋がっていない子供を引き取って育ててくれていた
老婆も絶対に天国に来ているはずだ。
死後の世界という物について特に何か考えた事はなかったが、今の状況を考えてみると彼らはここにいるはずなのである。
男について行くにしても、せめて一目だけでも会いたい。

それを思って口にすると、男は優しい顔の中で緑の瞳が悲しい色を浮かべた。


「……ごめんね、当麻。その願いは聞いてあげられない」

「何で?」

「ここは本来、キミ達の魂が来る場所じゃないからだよ」

「…?」

「ここは僕達が暮らす場所。キミ達の魂はもう少し下の階層に行くんだ」

「じゃ、じゃあせめて見るだけでも…!」


会えないのなら、遠くから見るだけでもいい。
両親の姿をもう一度見たい。
必死に願うが、男はやはり首を横に振った。


「無理だよ、当麻」

「だから何で…!」

「キミのご両親はとっくに生まれ変わりを果たしているし、キミを育ててくれた老婆ももうその準備に入っている。
そうなるともう姿が見えなくなってしまうからね」

「う、生まれ変わ……っ」


生まれ変わり。と言われても、当麻にはピンと来ない。
そもそも”あの世”に興味がなかったのだから、前世も来世も勿論興味がなかった。
なかったにしても生まれ変わりといわれると、正直な感想は。


「早すぎやしないか!?ソレ!」


両親が亡くなったのが7年前。
老婆に至っては2年前だ。
胡散臭いテレビの特集に出ていた自称霊能力者の話では、人の魂は長い間生まれ変わらずにいるというような事を言っていたはずだ。
なのに彼らは既に生まれ変わりを果たしていたり、その準備に入っているという。
それはちょっと早すぎるだろう。

思った事を素直に口にした当麻だが、男は優しい表情のまま、あっけらかんとした口調で答えた。


「まぁその辺は人それぞれだからね」


と。
やっぱり手は前に出したまま。


「それよりも当麻、早く行こう」


ほら、と手を目の前でひらひらとさせる。
その手を暫く呆然と眺めていた当麻だが、こうしていても仕方がない。
自分にはもう何も出来る事がないのだ。
これからどうなるかは解らないが、取敢えずは今目の前にいる男に付いていこう。

そう思って、その手を取ろうとした時だ。


「あら、抜け駆けとは感心致しませんわね」


少しキツめの声が聞こえた。
女のものだ。
驚いて当麻が振り返ると、そこには男が現れた時と同様に、いつの間にか女がいた。
いや、これは女というよりも。


「彼が必要なのはあなただけでは御座いませんのよ」


口調もきつく棘を含んでいる声の主は、女というにはあまりにも幼い。
見た目だけで言えば当麻とそれほど歳が変わらない容姿をしている。
大きなツリ目は黒目がちで愛らしく、形のいい唇は今はきつく引き結ばれている。
はっきり言って、美少女だ。
思わず当麻が見惚れてしまっていると、それに気付いたのか少女は表情をコロリと変えて、美しく微笑んだ。


「当麻、わたくしといらっしゃい。そうすれば毎日、美しい星々をご覧にいれてさしあげますわよ」


そして彼女も栗色の髪の男と同じく、当麻に手を差し伸べてくる。


「ちょっと、物で引こうって言うのかい?」


だがその間に、栗色の髪の男が割り込んできた。
さっきまでの優しい表情は既になく、眉間に皺を寄せ、どこか腹の底が冷えそうな目をしているではないか。
それに当麻は身を強張らせる。


「あら、わたくしの所に来るのならという、単なる提案ですわ」

「っへー、そう。じゃあ僕にだって考えはあるさ」


腰に手を当てて、ふん、と鼻息荒く言った男は再び当麻に向き直り、また優しい表情に戻る。


「当麻、僕の所に来たら毎日甘くて美味しいお菓子を作ってあげるよ。キミ、好きでしょ?」

「死んだ魂に食べ物なんて不要ではありませんか。当麻、そんな物よりも星の方が素晴しいですわよ」

「空腹を癒す必要はなくても、心の潤いは必要だよ。ね?当麻」

「星だって潤いますわよ!ね?当麻」


美しい顔が2つ並んで、少年に迫ってくる。
どちらも当麻に向ける時は神様らしい顔なのに、互いに向ける時はハッキリ言って怖かった。
その差の激しさに、思わず当麻は後ずさりをしてしまう。

と、その足に何かが引っ掛かった。
何の心の準備もなかった当麻はそのまま体ごと綺麗に後ろに倒れる。


「……っい、…てぇ…!」


思わず口にしたが、実際にはちっとも痛くなかった。
倒れたのは解るのだが、身体に衝撃は何もない。
寧ろ、心地よい感触が返される。

雲ってこんなんなんだ…

頭の隅でぼんやりと考えていると、その顔を覗き込む顔があった。
栗色の男でもなければ、美少女でもない。新しい顔だ。


「おう、悪ぃな。足、引っ掛かっちまったみてぇだ」


覗き込んでいるのは男で、頬に大きな傷がある。
お世辞にも神様とは言いがたい顔をしているが、ここにいる以上、きっと彼も神様なのだろう。(と、思う。多分)
粗暴な口調だが愛想良く声をかけてきた男が、当麻の目の前に手を差し出している。


「おら、起きな」


助け起こしてくれる気らしい。
痛くはなかったが、確かにこのままでいても仕方がない。当麻は礼を述べながら上半身を少しだけ起こして、その男の手に掴まろうとした。

途端。


「待て待て待て待て待てってば!!」


という、よく言えば豪快、悪く言えば場にそぐわない大きな声が聞こえて、当麻を助け起こそうとした男の身体を見事に蹴り飛ばす。
油断していたのか頬に傷のある男は、予想以上に吹っ飛んでいった。
あまりに突然の出来事に当麻が呆気に取られていると、危ないところだった、とさっきの豪快な声の主が言う。


「あぶない……」


何も考えずに復唱してしまった当麻だが、我に返って考えると危ないところと言うが、危ない目に遭ったのは明らかに傷の男の方だ。
そしてその危ない目に遭わせたのが声の主だ。
それを突っ込もうとして倒れたまま見上げると、そこにはよく日に焼けた、随分としっかりした身体の男が立っている。
これもまた、新しい男だ。

どんどん増えてく…と当麻は密かにゲッソリとした。
そんな当麻に、豪快な声の男はぐいっと顔を寄せてくる。


「…な、…なに」

「お前さぁ、ちったぁ気ぃつけろよ?」

「…だから何が」

「手」

「…て?」


理解は出来ないがどうも自分は怒られているらしいと知ると、当麻はその理不尽さに少し苛立ちを覚えて、
それをそのまま素直に声に乗せる。
すると豪快な男は、「そー!」と何故か胸を張った。


「あのな、お前が俺たちの手を取るって事ぁ、それはつまり”契約成立”って事になんだよ」

「けいやく……契約って、何の話だよ」


何故か誇らしげに胸を張られた事で更に苛立った当麻は、意味が解らないから尋ねたのに更に解らない事を言われた事もあって余計に苛立ち、
豪快な男を睨みつける。
彼も神様なのだろうけれど、どうもそれは栗色の髪の男や美少女の風格に比べると、幾分か親しみやすい。
しっかりとした体躯だが、まん丸でどこか愛嬌のある目がそうさせているのかも知れない。
何にしても今の当麻にとって彼は畏れ敬う対象にはならなかった。

だがそんな当麻の態度に男は怒るどころか、一瞬だけ黙って、そして今度は笑い出す。
やはり、とても豪快に。


「な…っにがオカシイんだよ!」

「いやー、お前細っこいのにイイ度胸してんなって思ってよー!」

「…………細いのはほっとけ!」


幾ら食べても太らない体質は他者から幾ら羨ましがられようとも、当の本人には密かにコンプレックスだった。
それを何の嫌味もなく真正面から指摘されると何だか居た堪れない気持ちになって、結局当麻は豪快な男を睨む。
その当麻の鼻先に、男の太い指がぐいっと突きつけられた。


「…な、…なんだよ…」

「俺がこうしてお前に触れる事はいいんだ」


そう言って、ちょんっと当麻の形のいい鼻に男の指が触れてすぐに離れる。
ほんの僅かな触れ合いだったが男の指先は温かく、どこか当麻を安心させた。

「そんでお前が俺に触れることもいい」


男は今度は当麻の手を取って自分の腕に触れさせる。
やはりその腕も温かい。人間のものと違いなんてなかった。


「ただ、お前が自分の意思で俺らの手を取るのは、契約成立になるから注意が必要なんだ」

「だからその契約って何だよ」

「さっき僕がキミに言った事だよ」


栗色の髪の男が割って入ってきた。
その表情はどこか諦めが入っているように見える。


「僕らはみんな優秀な助手が欲しいって言っただろ?当麻が僕らのうちの誰かの手を取るって事は、キミがその助手になるって決める行為にあたるんだ」

「えっ」


そんな話は一言も聞いていない。

しかしよく考えてみれば栗色の髪の男も、そして美少女も確かに自分に手を差し伸べはしたが、強引に取るような事はしなかった。
つまりあくまで自分の意思での決定になるのだと知ると、当麻はふと気付いて、さっき蹴り飛ばされた頬に傷のある男を見る。
いつの間にか起き上がっていた彼はその場で胡坐をかき、ばつが悪そうに頭を掻いている最中だった。


「じゃあアイツは…」

「そう、あなたを助け起こすフリをして、そのまま契約を成立させようとしていた事になりますわね」

「…………………………………」


何てセコイ。
思わず冷たい目を向けてしまった当麻は、本当に彼は神様なのだろうかと疑ってしまう。
大体言葉遣いも粗暴だし、顔だって善人顔とはかけ離れているのだ。
神様には色々いるだろうけど、天国が想像しやすいほどに”天国”だったのだから、彼ももう少し神様らしくてもいいだろうに…と思わず心の中でだけ呟いた。


「っしょーがねぇだろ!普通に俺んトコの仕事手伝えって言ったらお前、来なかっただろうし!」

「……………どんな仕事なんだよ」

「地獄の管理」

「…………………」


確かに、行かないだろうなと密かに当麻は頷いた。
男がその仕事にどういう気持ちで向き合っているか解らないが、地獄担当といわれると僅かにだけ同情しないでもない。
ただ地獄というものに興味がないではない。が、その興味も見学程度であって、そこでこれからずっとと言われると遠慮したい話だ。
それが相手にも伝わったのだろう、男は舌打ちをしてそっぽを向いた。


「ま、他の連中は確かに嫌がる場所だけどよ、俺は自分の仕事を嫌なモンだとは思ってねぇからイイけどよ」


可愛い犬もいるし。
そうボソっと続けると当麻の目が輝いた。


「犬!?」

「え、お、おう、犬………え、何だ、お前、犬好きなのか?」


さっきまでと明らかに違う当麻の反応に、頬に傷のある男が身を乗り出してくる。


「犬は…わ、割と好き、……かな。…あ、のさ、大きい?」

「大きいぞ!結構デカイほうだ!」

「賢い?」

「ああ、賢いぜ!俺んトコのは鼻も利くし言う事もちゃんと理解する。滅多に吼えねぇし、いい子だ!」

「餌とか、やれる!?散歩、行ける!?」

「あーったり前だ!可愛いぞー!首が3つあって元気で食欲も旺盛だ!」


だが、首が、と聞いて当麻の勢いにブレーキがかかった。


「み…………………みっつ…?」

「おう、3つ!」

「3匹じゃなくて………?」

「首が3つだ」

「胴体1つに…?」

「1つに」


ニコニコと無邪気に笑う男とは対照的に明らかに顔を青くした当麻は、一気に力が抜けたのか項垂れてしまった。

思い描いたペットと大きくかけ離れてそれでは化け物ではないか。
いや、飼い主からすれば可愛いのだろうけど、しかしそれにしたって普段見慣れていない自分には結構厳しいビジュアルに違いはない。


「………………俺、…そっちには行かない…」


まだ死んで間もない身で、イキナリの天国と神様ラッシュだ。
ただでさえ状況の把握が出来ていないのに、これ以上の混乱はしたくない。
案外悪いヤツでは無さそうな男には悪いが、当麻は一先ず1人、断った。




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迦遊羅、悪奴弥守、秀と来ました。