天国で地獄



羽柴当麻、享年17歳。

あまりにも早いその死を齎したのは、道路に飛び出した子供を救ったからではなく、重大な病に身を冒されていたからでもなく、
ましてやまだ先の長い人生を悲観したからでもなかった。


そこそこに晴れたある日の昼下がり、普通の交差点で普通の信号に従って普通に立っていた時に、突然の眩暈を覚え、
その場に倒れてそして、そのまま、だった。
突然倒れた少年に周囲は騒然となり、善意の市民による救助活動が行われた後に救急車が駆けつけたのだが、哀れ、
当麻はそのまま帰らぬ人となってしまった。

のを、当麻自身は少し離れた、正確に言えば中空から不思議そうに眺めていた。
次に見た景色は自分の葬式だ。
見送る人は学校でたまに話す程度の同級生と、担任に校長、教頭が来ているだけで、そこに両親の姿はない。

何故なら両親は当麻が小学校4年の時に、交通事故で命を落としている。
まだ幼い当麻は1人残された事になるのだが、困った事に両親は駆け落ちの末の結婚だ。
頼る親戚がないという以前に、顔も名前も連絡先も何もかも知らない当麻は、文字通りたった1人残される形になった。
だが近所には両親の生前から交流のある老婆がいて、彼女が当麻を引き取ってくれた。
彼女に子はなく、数年前に夫を亡くし、彼女も孤独だった。

他人同士ではあったが、彼らは本当の家族のように仲睦まじく暮らしていた。

しかしそれから数年後、当麻が中学3年の時にその老婆も亡くなった。
老衰だ。
年齢を考えればとても自然な形で迎えた死なのだが、両親に続いて老婆もとなると、周囲は当麻と距離を置いた。

”あれに関わると寿命が縮まる”。

陰でそういう人間もいた。
確かに両親の事故は突然のことだった。
だが老婆は本当に老衰だ。誰しもいつかは迎える自然の事だ。
なのにそれを自然だと思い切れない理由は、当麻自身にあった。


当麻は頭の良い子供だった。
一を聞いて十を知るのではなく、百も千も知り、予測できた。
頭の回転が異常に早く、想像力も好奇心も旺盛だ。
両親が生前、未だ小学校にも通っていない息子の知能指数を調べたところ、何とその数値は250を叩き出した。

天才児。
当麻に相応しい言葉だった。

それだけではない。
容姿についても特徴があった。
顔が人並み以上に整っているのもそうだし、手足のバランスが綺麗なこともそうだったが、それ以上に当麻が人と違ったのは髪と瞳の色だ。
先ず瞳で言えば、青かった。
青い目をした人間は確かに居る。
だが当麻の青は少し違っていて、感情を反映して澄んだ色を見せたり、時には暗い色にもなる。まるで空のようだった。
そして髪はもっと珍しい事に、生まれつき、青かった。

人として有り得ない色彩。
通常では有り得ないほどの知能指数。
そして、周囲の人の死。

それらの要素から、気付けば当麻は遠巻きに人から眺められる人間になってしまっていた。





「……………………………」


当麻は周囲をぐるりと見渡した。
空が近い。
足元は踏みしめている感触が無いのに、沈むでもない。
さっきまで見ていたのは道路に倒れていた自分で、その直後に何故か自分の葬儀風景を見ていたはずだ。
なのに今は、どこか解らないが空に近い場所にいるらしい。
記憶が上手く繋がらないが、少なくともここは。


「………………地獄じゃ…ないんだ」


思わず呟いた。
自分が死んだという事は何となく理解できたのだが、”あの世”と呼ばれるものの存在については見た事が無いので判断が出来ない。
それでも心地の良いこの場所が少なくとも”地獄”ではない事は解った。


「そりゃこんなに綺麗な場所は”地獄”ってのにはないだろうね」

「…っ!!?」


くすくすと笑みを含んだ声に、当麻は驚く。
勢いよく振り返ると、男が1人、そこにいた。
さっき周囲を見渡した時は確かに1人だった筈なのに、ゆったりとした白い服を纏った栗色の髪の男が穏やかな笑みを浮かべて立っている。
身長差は大体頭1つ分くらい相手の方が高く、当麻は自然とそれを見上げる形になった。


「……え、……だ、…だれ…」

「ねぇ、どうしてキミは最初に”地獄じゃない”って言ったの?大抵の人は最初に”天国か?”って言うのに」


驚いたままに男に尋ねたのだが彼は当麻の問いに答えず、代わりに質問を投げ掛けてきた。
その表情に不快感は無い。憐れみも。
ただ穏やかな笑みを浮かべたまま、興味があったからという程度に聞いてくる。


「…え?」

「だからさ、キミ、地獄じゃないんだって言ってたでしょ?何でかなって」

「それは………」


責めるではない、優しい口調。
その声に当麻は俯いて、そして控えめに口を開いた。


「…だって俺は疫病神だし……」

「疫病神?キミ、神様なの?」

「そうじゃない…!そうじゃないけど……」

「けど?」

「………俺の父さんと母さん、事故で死んだし……それに…婆ちゃんも……死んじゃったし……」


周囲の言う事など気にしてないつもりでも、幼い心は確実に傷付けられていた。
そんな馬鹿な事があるかと思う反面、自分と関わらなければ若しかしたら、と思わないでも無かった。
だからてっきり自分は地獄に行くんだと、そう思っていた。

のだが。


「…っぷ、そんな風に思ってたの!?」


男は遠慮なしに噴出した。
腹を抱え、目に浮かんだ涙を拭う仕草を見せる男に、最初は呆気に取られていた当麻も羞恥を含んだ怒りを覚える。


「…………何笑ってんだよ…」


だから不機嫌な声を出して俯き加減のまま睨みつけると、男は「ごめん」と謝罪の言葉を口にした。相変わらず、ひーひーと笑いながら。


「………………全然悪いと思ってないし…」

「いや、ホント、ごめんごめん。ついさぁ」

「ついって何だよ」


間髪入れずに突っ込むと、男は漸く丸まっていた背を伸ばして、もう一度、ゴメンね、と謝った。
今度は最初と同じく、優しい声で。


「キミ、かなりクールに育ってると思ってたけど、結構純粋なんだナァと思ってさ」

「じゅん、っ」

「それにね、当麻」


純粋なんて言葉は恥ずかしく感じる年頃の当麻は耳を赤くしつつも噛み付こうとしたのだが、その言葉尻に男が声を重ねてきた。


「”僕ら”と違って何の変哲も無い人間が、他人に運命に影響を及ぼすことが出来ると思うの?」

「………………っ」

「キミの親の事故は僕らからすれば予定されていた”終わり”だったし、キミと暮らしていたお婆さんだってそう。
大体さ、キミ達人間は時間に限りのある生物なんだよ?誰だって生まれた時から誰かの死の傍にいるんだ。
何もキミが特別そういう体質だってワケじゃない」

「……じゃあ、………父さんも母さんも、…婆ちゃんも、別に俺が悪いわけじゃ…ない?」

「ないね」

「……………じゃあ、俺が死んだのも………予定されてた”終わり”?」


確かに当麻は人生に対して前向きな感情があまり無かったにしても、かといって早く死にたいと思っていたわけではない。
普通に生きて普通に死ぬ。そう思っていただけだ。
自分と共に生きようという人が現れる事は諦めていたものの、突然訪れた死はあまりにも早すぎた。
何か目標があったわけでもなければ描いていた未来がないにしても、惜しく思う気持ちはある。
だがそれが自分の運命だったと言うのならば、少しは諦めもつく。

そう思って、少し俯き加減のままになっている顔を少しだけあげて聞けば、男はにこやかに微笑んだ。


「ごめん、それは僕らが関わっちゃった」

「……………………………………………………は…?」

「本当はキミの人生は日本人の平均寿命少し下くらいまであったんだけどね、」

「…………んだと…」

「でもまぁ何ていうかな、キミの残りの人生ってばビックリするぐらい地味で平凡でアップもダウンも何もなくて、かといって噛み締めるほどの
ささやかな幸せもなくて、ただただ生きてるだけの人生だったから」

「……だから、せめてものお情けで終わらせたって言うのかよ…!!!」


大きな声を出してもう一度睨むと、男は笑みを引っ込め、真剣な眼差しで当麻を見据えた。


「違うよ」


真摯に放たれた言葉に、当麻は湧き上がる怒りを飲み込んだ。
それを見届けてから男はゆっくりと口を開く。


「キミ達の世界で、”生まれるのが早すぎた”って言われるような天才がたまにいるだろ?」


発明にしろ芸術にしろ、当人がこの世を去ってから評価を受ける人間はいる。
彼らが生きている間にどれ程悩みぬこうとも苦しみぬこうとも、そして素晴しかろうとも、世間は見向きもしない。
なのに後世になって漸く持て囃される事がある。
そして彼らに言うのだ。
”生まれるのが早すぎた”。

そうやって評価されてきた天才たちの事を、男は言いたいのだろう。


「………………俺も、…早すぎたって言うのか」


自分の事を天才だと周囲が言っているのは当麻だって知っていた。
自分では特にそれを鼻にかけた事は無いが、確かに周囲の理解のスピードも視野も、もどかしく感じる事は多々あったから、
それなりの自覚もある。

それを尋ねると、男はまた微笑んで少しだけ首を傾げた。


「キミの場合は早すぎたんじゃないんだって、言うんだよねぇ」

「…………?」

「”生まれる世界を間違えた”んだって」

「場所……?」

「そう、場所。キミ、人間の世界じゃなくてね、ここ……えぇっと…キミ達で言う、”天国”に生まれるべきだったって、言うんだよ」

「だれが?」


誰が。
そう思ったがそれよりもと当麻は漸く気付いた。
どうやら此処は地獄ではなくて、天国らしくて、そう言えば自分は一度も名乗っていないのに男は自分の名を呼んだ。
という事は、目の前にいるこの男はひょっとしたら。


「………あんた、…神様?」

「キミ達はそう呼ぶね」

「…違うのか?」

「さぁ?僕は自分がキミ達の思ってるような神様かどうかは知らない」

「………名前は?」

「名前?識別するための呼び方のこと?」


人間のことをどうこうと語った割に、どうも男の答えは曖昧だ。
気になって名を尋ねると、今度は回りくどい聞き方で返してくる。
それに少しだけ苛立って当麻が「そうだよ」と頷くと、男はまた首を捻った。


「そういう意味での名前はないなぁ…」

「………じゃあアンタの仲間は何て呼び合うんだよ、不便だろ」


男の口ぶりからすれば、今いる世界に少なくとも彼以外にも”誰か”はいるようだ。
その数がどれ程か知らないが、もし大勢入る中で「おい」と呼びかけたりしたら、誰が振り向くか解ったものではない。
それを指摘すると、男は大袈裟に両腕を広げた。


「不便だなんて!」


妙に演技がかった動きに、思わず当麻の眉間に皺が寄る。
それを伸びてきた男の指がぐいっと伸ばした。


「キミ、可愛い顔してるんだからそんな顔しちゃ駄目だよ」

「…ほっとけ」

「ほっとかない。あのね、不便なんてないんだ。だって僕らが話す相手を間違うことなんてないんだから」

「……意味が解らない」

「えーっと……ほら、キミ達で言う”お告げを受けた”ってあるでしょ?あれ、何ていうのかな、魂に直接呼びかける感じかな?
そういう風にして話すから、間違うことなんて無いんだ」

「じゃあ話し声は誰にも聞こえない?」

「いいや、それは聞こえてる。だから今の僕の声も他の誰かに聞こえてるよ」


やっぱり意味が解らない。
そう思っている当麻の目の前に、男の手が差し伸べられた。


「………?」

「だからさ、あまりここに長居したくないんだ」

「何で?」

「生まれる場所を間違えた天才を此処に呼ぼうと決めたのは、僕ら全員。つまり、キミを欲しがっているのは僕だけじゃない」


真剣な目で男は言う。


「欲しがるって……どういう事だよ」

「僕らも色々自分たちの役割を持っててね、あれこれ何かと忙しいんだ。だから優秀な助手が欲しいんだよね」

「助手…」

「そう、だから」


男はもう一度真摯な声で、穏やかな笑みを浮かべて当麻に言った。


「僕とおいで、当麻」




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神様は伸兄様。