浦沢町1849-5



岡田堂がどこにあるのか知らないが征士がすぐに戻ってこないことから近所というほど近くにある店ではないようだ。
あまりにも当麻が楽しみにしているので普段の遼ならそれに素直に期待するのだが、校庭のカラスの羽の件をどう切り出そうか悩んでそれどころではない。
事件が起こった日、学校に最後まで残っていたのはサッカー部員以外にはいなかった。
あの時、茂みに誰かがいたという事は犯人も気付いているだろうが、それが誰か特定出来たかどうかまでは解らない。
しかし少なくともサッカー部員だという事は解っているのだろう。
サッカーゴール前に撒かれたカラスの羽は天狗を示しているようにも受け取れる。
という事は殺人事件の犯人と、今朝の事件の犯人は同一人物の可能性が高いというのは遼でも想像が出来ることだった。

しかしそれでは、その茂みにいたのが”誰か”というのはどうなのだろうか。

事件の翌日にノコノコと学校まで出向くという間抜けを犯したのは遼本人で、その姿を見ていた全ての人間を当事者の遼だって解っていないのに、
当日もいつものように天空堂にいたであろう当麻が知る由など当然ないのだが、それでも当麻に聞きたい。
犯人がどこまで気付いているのかを。
答えが得られないことは解っていても、それでも事情を知っている彼に話すことで楽になりたいのだ。

だが今日は伸が一緒にいる。
事件の事は彼も知っているし今日の事もそうだが、彼は遼が犯人を見たという事は知らない。
無闇矢鱈にそれを口にして誰かを巻き込むわけにいかない遼としては、それは言えないことだ。

隣にいる伸にバレないように、それでもカラスの羽の件を当麻に話すにはどうすればいいのか。
そう考えながら麦茶の入ったグラスをじっと見つめ続ける。

そうしていると、伸が当麻に向かって「あの」と声をかけた。


「んー?」

「少し聞いて欲しい事があるんですけど」

「なに。面白い話?」


面白いかどうかは解りませんが、と言った伸の手がきゅっと握られたのが遼の視界の端で見えた。
何を聞かせるつもりなのかと目をやると、伸は当麻を真っ直ぐに見ていた。


「最近、僕らの学校の近くであった殺人事件の事は知ってますか?」

「あー、うん。知ってるよ。朝からパトカーが煩かったからな」

「その殺人事件があった場所、祠があって普段は立ち入り禁止の場所なんです」

「テレビでも言ってたな。何でも鍵が開いてたとか言って…用務員のオジサンが死体見ちゃったんだって?」

「はい」

「なに、俺に聞いて欲しい話ってワイドショーの内容?俺そういうの、あんまり興味ないよ?」


幾ら店が暇そうだからって井戸端会議は得意じゃないよ、と当麻は欠伸をした。明らかに面倒臭そうなものだ。
伸がそれに慌てて首を横に振る。


「そうじゃないんです…!あの、僕らの学校のグランドに今日、カラスの羽が撒かれていて……!」


この言葉に驚いたのは遼だ。
ちょうど自分がどう切り出そうか悩んでいた内容を、伸が切り出してくれた。
これに便乗して当麻に伝えれば彼から何かしらの注意すべき点を教えてもらえるかも知れない。
そう思って遼も伸の隣で必死に首を縦に振った。


「そ、そうなんだ…!しかも撒かれてたのがサッカーゴール前で…!」

「へーぇ」


意気込んで言った遼だったが、当麻は椅子の背凭れに完全に身体を預けて完全に興味がありませんという態度だ。
その様子に肩透かしを食らった高校生2人は一瞬の間が開いたものの、慌てて身を乗り出す。


「いや、へーって……か、カラスの羽、サッカーゴールの前に沢山あったんだけど」

「あの、何か思いませんか!?」

「何だよ。俺に何を思って何を言えって言うんだよ」

「えぇっと……」


いや、確かにそうはそうなんだけど…と遼は言葉を失った。
サッカーゴール前にカラスの羽が撒かれていたという情報しか未だ彼に出していない。
それでも遼としては当麻がどう思ったかを言ってくれればそれで気が済むのだが、その本人から”何を”と言われるとどうしようもない。
言葉に詰まっている遼の横で、伸は更に身を乗り出した。


「天狗の仕業かも知れないんですよ?」


真顔である。
遼はその顔をマジマジ見た。
最初の宇宙人発言のときと同じ、大真面目な顔だ。

そうか……伸は”そういうの”が好きなんだった…

今日初めて知った事実だが、中学からの親友はどうやらオカルト好きのようだ。
”怪奇での困り語とは天空堂へ”という噂は遼の学校で流れているもので、同じ学校に通う伸も勿論知っている事だ。
祠は天狗を祀っていて、そこで殺人が起きて次はカラスの羽とくれば、確かにそう考えるのも無理はない。
少なくとも事件直後の遼も天狗の存在を完全に信じ込んでいたのだから。

だが言われた当麻はやっぱり面倒臭そうだった。


「何で天狗がそんな面倒なことしなきゃなんないんだよ」

「だって殺人があったのは祠の前ですよ!?」

「それはもう聞いたよ。じゃあ何か、殺人も天狗の仕業だって言うのか」

「それは思いませんけども」

「え、思わないの!?」


思わず遼が声を出した。
今は思っていないが最初はそういう勘違いをしていた遼だが、伸はそうは思っていないらしい。
それに驚いて言ったのだが向けられた当麻の視線は冷たく、伸はというと「何で?」という顔をしている。
その視線に耐えられずに遼は両手を必死に顔の前で振った。


「そ、その……俺も今はそうは思わないけど………伸、最初は思わなかったのか?」

「思わないよ」

「何で」

「だって門の鍵、開いてたんでしょ?天狗だったらそんな真似しなくたって飛んで入れるじゃない」


…確かに。
背中に立派な羽があるのだから、本物の天狗なら飛べば済む話だ。当麻とは違う意見だったが、伸も現実的に事件を考えていた事にちょっと遼は
自分が恥ずかしくなってしまう。
ちらりと当麻を見ると、口端に笑みを浮かべてそんな遼の様子を見ていた。

………「っちぇ」だ。


「確かにそうだよなぁ。じゃあ殺人は天狗じゃないってお前は考えてるんだな」

「はい。でもその自分の祠の前で殺人があったんです。怒ると思うんですよ、そういうのって」

「へー。何で?」

「だって店長さんだって嫌でしょう?店の前で殺人があったら」

「確かにたまったモンじゃないな。営業妨害だ、腹立つな」

「天狗が営業妨害と考えるとは思えませんが、それでもやっぱり仕返しというか、祟ると思うんです」


考え方は冷静だが、やはり伸は今朝の出来事を天狗の仕業だと考えているらしい。
これを当麻はどう受け取るのか気になった遼は俯きがちになっていた顔をあげ、再び2人の遣り取りを見守った。


「祟り?何で」

「だから祠の前で殺人事件があって、そこには天狗がいて、」

「だからって何で天狗がそんな面倒を態々やんなきゃならないんだよ」

「自分の縄張りで人殺しをされたから怒って…」


言っていて自分でも変だと思ったのか伸の声は段々と弱くなっていく。
当麻は軽く溜息を吐いて、やはり面倒そうに手をヒラヒラとさせた。


「だったらそんな回りくどいことせずに殺人犯を直接祟るだろ。何でサッカーゴール前なんだよ」

「それは、…そうかも知れないですけど…」

「大体さ、天狗がカラスの羽撒くと思うか?」


遼と伸はまた黙って顔を見合わせた。
撒くのかと聞かれたら解らないが、実際にカラスの羽はグランドにあった以上は誰かがやったことには変わりがない。


「えーっと…お前名前なんだ」

「僕?僕は毛利伸と言います」

「よし、じゃあ伸。お前は天狗だって言うけど、何でカラスの羽で天狗だって思ったんだ?」

「天狗の羽はカラスの羽だからです」

「本で見た?」

「まぁ…そうですけど………」

「じゃあそこはそういう事で話を進めるけどさ、天狗が態々自分の羽毟ってまでそんな嫌がらせすると思うか?羽って俺たちで言う毛みたいなモンだろ?
嫌だよ、痛いだろ普通」

「でもカラスを操るから、自分のじゃなくてカラスの物を毟れば別に自分は痛くないじゃないですか」

「だからってお前、身内みたいなカラスの羽毟ると思うか?俺だったらやらない。後味悪いし」

「でも僕たちみたいな感情があるかどうか解らないじゃないですか。神様とか妖怪とかそういうのだし…」

「案外普通の人間と同じかもよ?」

「その根拠は?」

「じゃあ逆に神様や妖怪の類だからって違うと思う根拠は?」

「それは………」

「それにさぁ、お前ちょっと考えてもみろよ。カラスって言えば天狗よりもヤタガラスの方が近いだろ」

「ヤタガラス?」


突然出てきた単語に遼が口を挟んだ。
伸と当麻、両方の驚いたような顔を向けられて遼は戸惑う。


「…え?ヤタガラスって常識的に知ってるものなのか?お、俺、何か変なこと言った…?」

「遼、キミ、サッカー部だよね?」

「う、うん」

「お前、サッカーが好きでやってるって言ってなかったか?」

「そうだけど、…え、本当、何?」


2人の様子に遼は嫌な汗をかく。
サッカーをしていれば常識的なことなのだろうか。話しの流れで聞いてみると妖怪やそういった人外の類のようだというのは解るのだが…

相変わらずの様子の遼に、伸が溜息を吐いた。


「遼、日本代表のユニフォームに付いてるの、アレ、何?」

「え?………あ、カラス?」

「ただのカラスじゃない。アレがヤタガラスだ」

「…どう違うんだ?」

「足が3本あるだろ」


そう言われて遼は視線を天井にくるりと向けて大好きなサッカー選手を思い浮かべる。
綺麗な青いユニフォームのその胸には確かにカラスがいて……


「あ、……」

「あったろ?アレは普通のカラスじゃなくて、偉いカラスの神様なの。面倒臭いから説明は省くぞ。後でそういうのが大好きな伸にでも説明してもらえ」


遼が横目で伸を見ると、眉間に皺を寄せて軽く当麻を睨みつけていた。


「話を戻すぞ。兎に角さ、もう後数ヶ月で10月だって言うのに何でヤタガラスに喧嘩売るような真似を天狗がやらなきゃなんないんだよ」

「喧嘩を売るって…何で?」

「10月だよ、遼」

「?」

「10月は神無月って言って日本中の神様が出雲に集まるって言われてるんだよ」

「……うん」

「その集まりがあるのにさ、ヤタガラスの管轄みたいなカラスの羽毟ってみろよ、会うなりスッゴイ怒られるの目に見えてるじゃん」

「あ…」

「そうか」

「そー。…ま、神様がいるとしたら、の話だけどな」


当麻が手を伸ばしてテーブルの上の麦茶を取ると、その残りを一気に飲み干す。
そのタイミングで表にいた迦遊羅が店内に入ってきた。


「あら?お茶のオカワリ要りますか?」

「あ、うん。お願い」

「かしこまりました」


何度見ても見惚れてしまうような笑顔を見せて迦遊羅が奥に消えていく。
そしてすぐに戻ってくるとまず当麻のグラスに麦茶を注ぎ、それから遼と伸のグラスにも継ぎ足してくれた。


「ところで当麻」

「なに?」

「今夜の夕飯は何がよろしいかしら?」

「うーん……そうだなぁ…………チョコバナナ食べたいなぁ」

「かしこまりました。今夜はてんぷらに致しましょう。魚屋と八百屋に行って参ります」


迦遊羅は笑顔で財布を手に店を後にする。
それを少年達は無言で見送り、そして視線を当麻に戻す。
店主は別に何という顔もしていない。

確か当麻は夕飯にならないだろうと思うような物を所望し、しかし迦遊羅は承知した返事を寄越しつつも全く違う言葉を口にして出て行った。
なのに当麻はそれについてどうこう言うつもりは全くないようだ。
自分の聞き間違いだろうかと遼が隣を見ると、やはり伸も同じ顔をして同じように遼のほうを見ていた。
思わず2人仲良く首を傾げてしまう。


「まーその何だ、やったのはよっぽどの暇人だろ」


突然話を戻されてついていけなかったのはどうやら遼だけで、伸はすぐに気持ちを切り替えたのか体ごと当麻に向き直っている。


「天狗がやったのではないという考えは解りますけど、どうして暇人がやったと思うんですか?」

「カラスの羽ってどれくらいの量があったんだ?」


聞かれて遼と伸は再び顔を見合わせる。
2人それぞれに腕で輪を作り、これくらい?と言うと当麻が頷いた。


「それくらいなら多分、2羽とか3羽分くらいだと思うんだよ」

「そうなんですか…?」


うん、と頷いた当麻は遼と伸の顔を交互に見た。


「お前ら、野生の鳥って捕まえようとしたことある?」

「え?僕はないですけど…」

「俺はある。小さい頃に1回だけ」


小さな頃に一度、米粒を撒いて罠にしたカゴに誘導するという方法を漫画で見て真似た事を遼は思い出した。


「捕まえられたか?」

「……ううん、無理だった」


あの時はスズメがやってきた。
小さな鳥は米粒を食べてカゴに進んだものの、遼が今だというタイミングで糸を引いた途端、それを知っていたかのように見事に逃げ去っていった。

それを言うと当麻は「だろ?」と笑う。


「でもそれが何で暇人になるんだ?」


笑われた遼は少し面白くなくて口を尖らせたが、それさえも当麻は笑った。


「お前、スズメでも無理だったんだろ?カラスって賢いって言うだろ。じゃあもう無理無理、3羽も捕まえるのなんてどれだけ時間と気力が要るんだよ」

「それは……確かにそうですね…」

「捕まえるだけでも骨が折れるのに、暴れるのを抑えるかシメるかして羽を毟るんだぞ。しかも生徒が登校してくるまでに撒かなきゃなんないとかさ、
どんな労力だよ」


俺だったらやらないねと言う当麻の理屈は相変わらずちょっと解らないが、何となく「それもそうか」と思えてくる。
遼の隣で伸がツバを飲み込んだ。


「じゃ、じゃあ……店長さんはカラスの羽を撒いたのは…誰だって思うんですか…?」


天狗ではないとして、そして羽を撒くまでの事を労力と言う彼は”暇人”の仕業だと言っている。
今までも学校のプールに魚の死骸が放り込まれたり犬のものと思われる糞が校門前に置かれていることはあったから、この件もただの悪戯かも知れない。
だが一方で今回の殺人事件と無関係とも言いきれない。ならばその暇人というのが一体誰なのか。それを伸が尋ねる。
遼もそれは気になっていることだ。
暇人だと当麻は言ったが、殺人犯の可能性はかなり大きい。
もし本当にそうだとすれば遼としては益々怯えなければならない。そして今後自分はどうするべきか、相談したい。
そう思うと無意識に握った拳に汗が滲んだ。


「知るか」


だが当麻の答えは素っ気無かった。
”知るか”。それだけだ。


「…え」

「知るかって……当麻…?」

「あのさぁ、俺は警察でもないし探偵でもないんだ。骨董品屋の主人。解る?そういう事を考えるのは俺の仕事じゃないの」

「え、でも……その、”怪奇での困り事は、」

「俺に何が出来るって言うんだよ。髪が青い以外は息して飯食って眠るだけの、普通の生物だぞ」


いや他にも出来る事はあるでしょ、と一瞬考えた遼だがそれは今突っ込む事ではないので言葉を飲み込む。
その遼の視界が急に翳った。


「テメーが出来る事、持ってきてやったぜ」


初めて聞く声はどこか心の底を冷やすものを含んでいて、遼は恐る恐る入り口の方を見る。
いつの間にここまで近付かれたのか全く解らなかったが、存在そのものが”黒”を連想させる男が遼と伸の座る長椅子の近くに立っていた。
頬に傷のあるその男は制服姿の2人を目だけで見下すと小馬鹿にするように鼻先で笑い、そのまま手にしていた風呂敷包みを当麻の前に出した。




*****
天空堂の営業時間は朝の10時から夕方17時までが基本ですが、事情により休みだったり営業時間がずれ込んだりします。
それも割としょっちゅう。