浦沢町1849-5



駅から態々引き返して天空堂にやってきた遼を後悔させたのは、


「何、今日も来たの?今日は何の用?」


と、気だるそうに言った当麻の態度ではなかった。

隣にいる伸をチラリと横目で見る。
彼の顔には「ナニコノヒト」という感情が文字になって張り付いていた。
遼にしては珍しくバレないよう気遣った、非常に小さな溜息を吐いてから視線を当麻に戻す。

今日も青い髪の店主は椅子にいた。
何故かパンツ1枚だけ身に付けて、足は水を張った金ダライに突っ込んでいる姿で。
それも、どういうつもりかは知らないがビーチサンダルを履いたままにしてるから意味が解らない。
縦しんば金ダライに浸かっている足元がビーチサンダルだという事に目を瞑ったとしても、パンツが海パンではなく下着だというのは頂けない。
星柄のボクサーブリーフはピッタリと彼の身体にフィットして、丸解りではないにしても股間の膨らみがリアルで幾ら同性だと解っていても
目のやり場に困ってしまう。

ここ、店内だよね…と遼は小さく呟いたが、当麻は気にした様子がなかった。

どう切り出していいのか悩んでいると、恐らく住居として使っている部屋との境だろう、玄関と思しき場所から続く廊下の奥の方から凄まじい足音が
大慌てで近付いてくる。
そして。


「破廉恥な…!」


店に現れ当麻の傍に来るなり征士は青褪めながら叫び、そして大判のタオルを「バサッ」という音が聞こえる程に勢いよく広げ、それで当麻の身体を覆った。
当麻は相変わらず気だるげで微動だにしない。
その当麻の身体をタオルごと征士は軽々と抱き上げる。


「当麻、お前の裸は魅力的で神々しく、且つ性的過ぎるのだ!それをこんな青少年の前で晒すなんて、無防備にも程がある!!!」


犯されてしまうぞ!という、遼たちからすれば失礼としか思えない事を征士は口にしながら店主に説教をするのだが、やはり彼は全く動かない。
それが常なのか単なる諦めなのか、征士はそれ以上は何も言わずに遼と伸を一度だけ厳しい目で睨みつけ、2人に背を向けて来た方向に戻ろうとする。
すると何処からともなく迦遊羅が現れて、征士に横抱きにされたままの当麻の足からビーチサンダルをさっと脱がせた。
そして彼女はビーチサンダルを持ったまま店の外へ行き、征士は当麻を抱きかかえたまま廊下の奥へと消えていく。

のを、高校生2人は暫し言葉を失って見送った。


「………………」

「………………」


もう一度伸の顔を見ると、「ナニアレ」という顔をしていた。
そりゃそうだ。
古い町並みを通って辿り着いた店は古く、その店内に足を踏み込めば店主はパンツ1丁の男だ。
しかもその後に現れた男はどう見てもガイジンさんなのに着流しを着ていて、それだけでも驚くのにちょっと失礼な言葉を吐きながら店主を軽々と
お姫様抱っこで抱え上げて、こちらに何もいわず奥へ消えていったのだ。
しかも何処からとも無く来た黒のロングワンピース姿の美女とは見事なまでのコンビネーションを見せてくれた。
彼らがどういう人間か全く知らずに見たなら、誰だってそういう顔になるだろう。

意味もなく申し訳なくなって、遼は心の中でだけゴメンと謝る事にした。
口にしなかったのは、口にするだけの気力が無かったからだ。


店内に立ったままでいると迦遊羅が帰ってくる。
無言で遼と伸の横を通り抜けた彼女の手にはもう当麻のビーチサンダルは無い。
そのかわりに近くの下駄箱から新しいビーチサンダルを用意して、玄関部分に既にあるスニーカーの横にそれを置いた。
恐らく当麻がまた履くのだろう。

その迦遊羅が流れるような動きでさっきまで店主が座っていた椅子の前に立ち、遼と伸を見て微笑む。


「いらっしゃいませ。当店にどんな御用でしょうか」


そして遼が初めて来た時と同じ言葉を口にした。まるで何もなかったかのように。


「え………っと…あの、……」

「如何なさいました?」

「あの、その………」


ここに来たのは勿論、用事があったからなのだが、さっきのドタバタのせいで何から話していいのか遼は混乱してしまっていた。
校庭にあったカラスの羽か、胡散臭い秀さんが怪しい位に反応してせたキーホルダーのことか。
だがそれよりも、その前に。


「あ、あの……当麻、何か機嫌悪いんですか……?」


この確認が先だ。
昨日の訪問時に有無を言わさず追い帰された事から考えると、店は暇そうに見えて実は忙しいらしい。
仕事が詰まっているのなら彼にも当然休息は必要で、その大事な時間を割かせるのは悪い。
だから遼は何かを聞く前に、彼の様子を尋ねた。
気遣いもあったけれど、同時に最初に見たあの冷たい目が何となく怖いと思う気持ちもあった。


「機嫌ですか?いいえ、ちっとも悪くありませんわよ」


だが迦遊羅はきょとんとした顔で小首を傾げて返事を寄越す。
機嫌は悪くない。らしい。


「…え、でもさっき凄く面倒臭そうにしてたっていうか…ダルそうだったっていうか…」


店に来た時の当麻の反応を思い出して更に聞くと、迦遊羅は「ああ」と言ってからクスリと笑った。


「あれは単に寝不足ですわ」

「寝不足?」

「ええ。昨日の仕事が長引きまして、当麻がやっと眠れたのは朝方ですの」

「え」

「それでも店は開けねばなりません。午前中は仕方が無いにしても、昼過ぎに起きてからお風呂を済ませて、ちょうど涼んでいたところですわ」


すぐに着替えて戻ってくるから椅子に座って待つよう迦遊羅に言われて、2人は手近にあった応接用の長椅子に素直に腰を下ろす。
言った迦遊羅は、既に廊下の奥に消えている。
カランカランとグラスに氷を落とす音が聞こえたから、どうやら飲み物を出してくれるようだ。
そういえばここに来るまで何も飲んでいなかったことを思い出した遼は、急に喉の渇きを感じてツバを飲み込んだ。
隣の伸も同じだったらしく、静かな店内に2人分のゴクリという音が響いた。





「あー待たせたな」


悪い悪いと言って再び姿を見せた当麻は、近くにあったスニーカーには目もくれずに迦遊羅が準備していたビーチサンダルに足を入れる。
彼はビーチサンダルが相当好きなようだ。
そのすぐ後ろに続いて征士が草履を履いて出てくる。
迦遊羅は、お茶を出した後は表の掃除に出てしまっていた。


「あ、そーだ。征士、なぁ、”お客さん”」


椅子に座るなり当麻は傍に控えている征士を振り返って嬉しそうに言った。
対する征士は仕方が無いという風で苦笑いを浮かべている。


「解った。何がいい?」

「んー……団子の気分かなぁ」

「岡田堂でいいか?」

「うん。お願い」


どうやら岡田堂というところの団子を振舞ってくれるようだ。
当麻は店のレジからお札を数枚抜き取って征士に渡す。
受け取った征士はそれを懐から出した自分の財布に入れて、そして空の何処にも雨雲は無かったし天気予報も今日は一日晴れだと言っていたのに
玄関の端に立てかけてあった番傘を手にして出て行ってしまった。


「…………え、雨、降ってないけど…?」


出て行った征士には聞こえないだろうが、不思議に思った遼が当麻のほうを向いてそれを言う。
だが当麻は驚く様子も笑う様子も無く普通に頷いた。


「うん、知ってる」

「でも征士、傘…」

「あー、あれ。アレはアイツがイギリス人じゃない証明なんだって」


事も無げに当麻は言ったが意味が解らず遼は首を捻った。隣の伸は理解できないままなのか、当麻を凝視したまま固まっている。


「傘持つのが、イギリス人じゃない証明になるのか…?」


そんなのは初耳だ。
伸の事はさて置き、遼が聞き返すと当麻はまた「うん」と頷いた。


「何で?」

「イギリス人ってちょっとした雨じゃ傘をささないんだってさ」

「…で?」

「でも征士はちょっとした雨でもすぐ傘をさすんだ」


つまり、だから自分はイギリス人ではない、と言いたいらしい。
理由になってないし非常に馬鹿馬鹿しいことだが、出て行くときの彼の表情のどこにもふざけた様子は無かったから、きっと本気でそうしているのだろう。
何だか解るような解らないような…疲れるような。どう言っていいのか解らない遼は曖昧に笑う事にした。


「そういやお前、律儀だね」


遼の反応など気にしていない当麻は、迦遊羅が入れてくれた麦茶を手にして口端を上げて笑っている。
さっきの気だるげな雰囲気とは打って変わって、どこか上機嫌だ。
その彼の視線が自分たちの制服の汚れに向いている事に気付いて遼は何となく赤面してしまった。


「その、………”約束”だから…」


昨日教えてもらった道は誰にも教えてはいけないと迦遊羅に言われていた。
それを守っただけだが、当麻はとても嬉しそうだ。それが遼も何となく喜ばせた。


「で?何か用?」


やはり遼の反応など気にもしない当麻は、麦茶を一口飲むと椅子に深く腰掛け直して、すぐに本題に入った。
あまりにも突然に切り替えられた短い言葉に一瞬怯んだ遼を置いて、漸く我に返ったのか伸が姿勢を正す。
心持ち身を乗り出している彼の眼差しは真剣そのものだ。
それに気付いた当麻が伸の方に向き直り、目だけで「何?」と尋ねると、伸はまたツバを飲み込んだ。


「あの、」

「うん」

「失礼ですが、う……………」

「”う”?」

「…………宇宙人の方ですか…!?」

「へ?」

「えっ!?」


てっきりキーホルダーの事を切り出すと思っていた遼は思いっきり間抜けな声が出た。
伸の横顔を見ると、彼は大真面目だ。
聞かれた当麻も垂れた目を見開いて驚いている。
だが、伸は大真面目なままなのだ。


「俺が…?何だって?」

「その、宇宙人、ですかって……聞きました」

「何で急に?」

「だって、…だって僕、そんな色の髪の人を見たことがありません。だからそうなのかなって…」


遼は驚きのあまり声が出ない。
伸との付き合いは中学1年の頃からで、今年で4年目になるが彼のこんな面を見た事が無い。
いつだって現実的で誰にでも優しく公平な男だと思っていたが、まさかそんな彼の口から宇宙人などと出るとは夢にも思わなかった。
しかも大真面目な顔をしているのだ。いや、よく見ると目が輝いているようにも見える。

伸って若しかして宇宙人とかUFOとか信じるタイプだったのかな…

ほんの数日前に天狗を見たと怯えていた自分の事を棚に上げて遼は思っていた。
さあ、では聞かれた当麻はと言うと。


「俺の髪は生まれつきだけど、宇宙人じゃないな。ちゃんと地球で生まれたし」


まぁ広い意味で言えば地球人も宇宙人だけどな、とケラケラ笑っているが伸はまだ真顔だった。


「ご、ご両親が実は宇宙人だとかでもなくですか?」

「うちの親はどっちも普通に黒い髪の毛の普通の日本人だよ」

「証拠は?」

「証拠って言われても……あの人たちは海外にいるから見せる事はできないけど、平凡な人たちだよ」

「そうですか………」


伸が落ち込む。そのあまりの落ち込みぶりに胸が痛んだ遼だが、傾いていく心にストップをかけた。
話が変な方向に曲がったままだ。
ここに来たのは親友のこういう面を見るためではないし、変な店主が地球外生命体かどうかを確認するためでもない。
遼は慌てて自分のカバンにつけているキーホルダーを示して話題に割って入った。


「あ、あのさ、当麻」

「何?家系図ならないぞ。ウチは殿様とか大名の血筋じゃないんだから」

「そうじゃなくて、コレ!」

「ん?お、ちゃんと付けてるな」

「そうじゃなくて!これ!コレって、……その、……」


勢いで本題を切り出したは良かったが、どう聞くのが良いのか解らずに遼は口篭った。
すると伸も本来の用件を思い出したのか一度咳払いをしてから表情をいつもの物に戻し、当麻に改めて向き直った。


「すみません…遼はここで買ったこのキーホルダーの使い道がわからないって言ってるんです。これはどういう物なんですか?」

「どういうって…キーホルダーなんだからカバンとかに付ければいいんじゃないの?」

「そうじゃなくって……!そ、その、…普通のキーホルダーじゃ…ないよ、な?」

「まあね。見たまんま、LEDライト付だから普通のキーホルダーとはちょっと違うわな」

「そ、…れだけ?」

「なに。俺に何て言って欲しいワケ」


どういう言葉が欲しいのかと言われても、そんな物は遼にだって解らない。
ただお守りでも何でも、兎に角当麻の口から”何か”を言って欲しいという気持ちくらいしか解らなかった。


「その、……、これ、持ってろって言うから何かの役に立つのかなって……」

「そりゃLEDライトなんだから、何かの役には立つだろ。ライトなんだぞ、ライト」

「それだけ…?」

「あ、でもお前、本当に暗がりを照らしたかったら普通の懐中電灯にしろよ。それはあくまでキーホルダーなんだから、ライト機能はただのオマケだ。
当てに出来るほど明るくないし広範囲も照らせない。どうしてもって言うんなら、暗くて怖くてどうにもならんっていう時に使えばいいんじゃないの?」


言葉の最後のほうには欠伸が重なっていた。
よく見ると目の下に隈が薄っすらと見える。
朝方眠ったところだと迦遊羅は言っていた。きっと昨日の大事な仕事とやらが長引いたのだろう。
だが当麻の言葉は眠たいから適当に言っているという風ではない。しかしだからと言って、全てをきちんと説明してくれているというでもない。

ただ、それでも何故か聞いているとそれで良いような気になってくる。
これは当麻と初めて交わした会話からそうだ。
彼の言葉はどこか雑で丁寧ではないのに、彼がそう言うのならばそれで良いという、不思議な安心感を遼に与えてくれていた。

隣の伸を見ると、どうやら彼も同じ気持ちのようだ。
学校では胡散臭いと疑いを向け、ここに来てからは別の期待で輝いていた彼の目は今は落ち着き、当麻の言葉を聞いている。


「じゃあ俺はこれを持っておけばいいんだよな?」

「そう。まぁいつかは役に立つかもな」


そう言うと当麻はまた麦茶を口にする。
そして店の入り口に目をやり、征士遅いなぁと口を尖らせて呟いた。




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征士は外出時に必ず番傘を手にしています。
店から出た彼に2階からジョウロで水をかけると、周囲の人が誰も傘を差していなくても彼は傘をさすそうです。
周囲の人から変な目で見られるので、そういう悪戯はやめてあげてください。