浦沢町1849-5



駅の傍にある商店街の中に、近所の子供たちが”キンタマ屋”と呼ぶその店はあった。
雑貨屋と呼べばいいのか中古ショップと呼べばいいのか解らないその店はボールペンやノートなどの文房具から始まり、夏は日焼け止め冬はハンドクリーム、
そして何故かあるエキゾチックな神像のレプリカから、同じ商店街にも置いてあるサッカーゲーム専用のレアカードまで色々と取り揃えられており、
一言で表すなら”雑多”という言葉がピッタリの店だった。


「俺、…キンタマ屋って行った事ない…」


背を丸めてトボトボと歩く遼が不安げに呟くと、伸も「僕だって」と言った。
だがこちらは遼と違って背筋を伸ばし、スタスタと商店街へと入っていく。

キンタマ屋は確かに一風変わった店だが、そこが胡散臭いと言われるにはちゃんと理由があった。
因みにこの”キンタマ屋”、正式名称は”こんごうたま屋”と言って字面は”金剛玉屋”と書く。だから略して金玉屋となるわけだ。
勿論、この店名を店主の前で言えば怒られてしまう。



竜が描かれた味のある看板の店は自動ドアだ。
そこを通って伸が先ず入り、続いてあまり気乗りしていない遼が入った。


「はいはい、いらしゃいアルよー」


奥のガラスケースカウンターの傍に座っていた店主が目聡く客に気付いて声を上げる。

胡散臭いと言われる理由。
それは他ならない、店主のこの男のせいだ。

店主の自称中国人の秀という男で、彼1人で切り盛りしている。そんな彼は”秀さん”と客にも近隣の住人達にも呼ばせていた。
「私がニホンに来た40年前はねー」という語り口から始まる彼の半生の物語は長く、そして小学生でも解るほどに嘘がテンコモリだ。
語尾も解りやすく「〜アル」とかつけちゃって、所謂”ナンチャッテ中国人”なのは誰の目にも明らかだった。
頭には鮮やかな青と朱のツバのない帽子を被り、絵に書いたようなチャイナ服と裾の絞られた踝までのズボンというその姿は正式な中国の服と言うよりも、
何の資料も見せずに描かせた”中国人のイメージ”の方がかなり近い。
では足元も有名な映画俳優がカンフー映画で履いていた様な靴かと思いきや、形こそシンプルで似ているがこちらは何故かワニがトレードマークの
ブランド物のシューズ、しかも色は白とオレンジのチェック柄という言ういい加減ぶりだ。
その彼の顔には鯰ヒゲがあるのだが、これも解りやすいほどに付け髭という体たらく。
これを胡散臭いといわずに何と言えというのか。
そもそも店主は40年前に日本に来たと言うが、その彼の年齢はどう見てもせいぜい30代前半だ。40年前なんて産まれてもいない。
一体何の得があってそんな嘘を吐くのか解らないが、兎に角、そういう男が店主のせいで胡散臭いと専ら有名だった。


「あれーアンタら初めてのお客さんアルねー、仁志高校生アルなーどしたどしたー、サッカーのレアカードでも買いに来たアルかー?」

「いえ、違います」


伸がそう言うと、秀は笑ったまま言葉を続ける。


「あーそれじゃ買取アルかー?ちゃんと、おとさんおかさんの許可貰ってきてるアルかー?ウチは一筆ないと買い取らないアルよー」


ニコニコと笑いながら伸と遼に近づいてくる。
胡散臭いが人懐っこく、不用意に近付かれても寧ろ好意的に思えるのはやはり何のかんのと言っても彼の持つ雰囲気に因るのだろう。

この店は色々なものを扱っているし中古品の買取もしてくれるが、胡散臭いといわれている店にも係わらず信用に関しては随一の店だった。
買取の際の身分証の提出は徹底的にさせているし、未成年者は必ず保護者の同伴か委任状がなければ幾ら食い下がっても絶対に首を縦に振らない。
しかもどこをどう見て判断するのか知らないが盗品はすぐに見抜き、ちゃんと通報までするのだから、素性が全く見えない男だと言うのに
商店街の組合からも、そして近所の交番からも信頼の厚い男だった。


「あ、そうなんですか?」

「何だ、無いアルか。だったら貰ってからまた来てねーアルねー」


語尾に”アル”をつけることを徹底しすぎて変な口調になっているのだが、秀自身は全く気にした様子がない。
その秀に、伸が更に話し掛けた。


「あの、でも値段だけ見てもらうことって出来ますか?」

「あー査定アルかー?出来るアルよー」


あっさりと頷いた秀が「どれアルか?」と聞くと、伸は遼を肘で突付いた。


「……?」

「…何してんの、ほら、キーホルダー」

「……………あ」


雑多だし意味も解らない男だがどうやら物を見る目はちゃんとしているらしい彼に、キーホルダーを見せろと伸は言いたいようだ。
胡散臭い店から買った得体の知れないものが、同じく胡散臭い店でどう判断されるか知りたいのだろう。


「あ、あの………この、キーホルダーなんですけど…」


促されるままに遼はカバンからカメラ型のキーホルダーを取り外して、秀の肉厚の手に乗せた。


「………こりゃあ…」


それを受け取った途端、さっきまでニコニコとしていた秀の顔から笑みが消えた。
眉間に皺を刻み睨むように見ているのに、キーホルダー自体は掌に乗せたままでそれ以上触ることも掴むこともしない。
その様子に流石に伸も異様なものを感じたのか「あの、」と声をかけたが、それとは別で秀が視線を遼に向けた。


「………お前、コレ、どこで手に入れた」

「え、…そ、……その」

「盗んできたモンとは思えねぇ。どこで手に入れた」

「……あの、…て、天空堂っていう…」

「あのタレ目の店か」

「……!?」


天空堂の店主の当麻は確かにタレ目だ。
それを知っているという事は彼らは知り合いなのだろうかと考えたが、秀の視線には遼からの質問を許す気配が無い。
気圧された遼は黙って頷く。


「幾らで買った?」

「…ご、…5円です」


値段を素直に言うと秀が鼻で笑う。


「…………あの、嘘じゃなくて、」

「解ってるよ。あのタレ目らしいっちゃらしいわな。……で?アイツはコレをお前に売った時になんて言ってた?」

「その、…外出時は絶対に持って出ろって…」

「だろうな」


よく、解らない。
このキーホルダーはどう見ても普通のキーホルダーだ。
しかも実はライトの部分が壊れている。買って帰った日に試したが、幾らボタンを押しても音が鳴るだけで光は出なかったのだ。
だが5円で買ったものだ。故障していたがそれを態々当麻に言う気に、遼にはなれなかった。

そんなキーホルダーだ。格安で買ったが商品自体は欠陥品だという以外、普通に売られているものと何も違いがない。
なのにこの何の変哲も無いキーホルダーが、少なくとも当麻と秀の間では何か意味があるものらしい。
それは解るが、それが何故かが解らない。


「あの、その…」

「何だ」

「俺、当麻から何の説明も受けてなくて……これ、お守りか何かなんでしょうか?」


思い切って秀に尋ねると、彼は驚いた顔を見せた。
その目は見事なまん丸だ。


「…え、何だ?アイツ、何にも言わなかったのか?」

「何かあるんですか?これ」


伸がすかさず割って入る。秀の視線がすぐに伸に向けられた。


「お前はコイツがコレを買う時に一緒にいたのか?」

「いえ、僕はいませんでした。今日初めて見ます」

「じゃあ俺には何とも言えねえな」

「どうして?」

「タレ目が説明しなかったモンを、その場にいなかった俺が、その場にいなかったお前にする理由がねえ」

「あの、じゃあ俺にだけ教えてくださいっていうのは…」

「それも駄目だな。どういう経緯でアイツがコレをお前に売ったのか知らねぇ以上、俺は何かを言う気はこれっぽちもねぇ。悪ぃな」


そう言いながら秀は雑な口調とは違って、とても丁寧な手つきで遼にキーホルダーを返してくる。


「ま、それでも俺が言えるのは、アイツの言いつけを守っとけって事だけだな。絶対に手放したり無くしたりすんなよ。……あっ、すんなアル」


それだけ言うと秀はすぐに店に来たときと同じ人懐っこい笑みに戻り、そして口調もまた胡散臭いものに戻った。





何か欲しくなったらまた来いアルー。という秀の声に見送られて、伸と遼は店を後にした。
結局何も解らないままだったが、このキーホルダーがとても大事なものだという事だけは解ったので遼としては何となくもう充分だった。
いや、元より遼にはこのキーホルダーがどういうものか知ろうと言う気は、伸に言われるまでなかった。
当麻が持っておけといった。言った当麻の事はよく解らないなりにも、彼の言う事を信じられると思っていたのだから、それで充分だった。
だが伸はそうではないらしい。
まだ難しい顔をして、駅の階段下まで来たというのにそこで立ち止まったままだ。


「伸、…帰ろう?」


伸といる以上、彼を巻き込まないためにも警察には行けないが、一緒に帰ることで当麻の言うとおり身の安全は保てる。
遼は素直に帰ろうと促したが、伸は一歩たりとも動く気配がない。


「…しん?」

「……………遼、やっぱり行こう」

「へ?」


漸く口を開いた伸は遼の腕を引き、また学校のほうへと足を向ける。


「え、行くって…若しかして、…」

「天空堂だよ。コレが大事な物だっていうのは秀さんの態度でわかった。完全に納得できたわけじゃないけど…まぁでも何か大事なんだなって解った。
でも何で大事かって解らないのは駄目だ。僕は気になるだけだけど、キミには買った以上、どうして手放しちゃいけないかを知る権利があるはずだよ」

「お、俺はいいよ…!」

「よくない!それにキミ、朝からずっと様子が何か変だし、ちゃんとした方がいいよ!」


引っ張る伸の力は見た目を裏切って強い。
だが遼も何となく抵抗する気はなかった。
グランドに撒かれた羽の不気味な光景が頭にこびりついているのだ。
伸の手前、行ったところで彼らにどう伝えて良いのかは解らないが、あの3人に会ってその不安を和らげたい気持ちはある。

結局、遼は伸に引き摺られた形のままで学校のほうへ向かい、例の細い道を目指した。




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秀さんの本名は土田秀一で年齢は27歳、近隣の県にある実家は中華料理屋だと子供たちの間で実しやかに囁かれています。
勿論本人は認めていません。