浦沢町1849-5



迦遊羅と共に天空堂を出て少し歩くと、遼にとってこの町で初となる他の通行人を見かけた。
三つ揃えのスーツを生真面目に着込んだ男の髪は赤茶けて長く、眉と引き結んだ口元からも頑固そうな雰囲気はあるが、年齢で言えばきっと
40にも達していないように見える男だ。
それだけで考えるとこの町並みには似合わない人物だが、この男は妙にしっくりきている。
その理由は手に持っていた風呂敷のせいだと遼はぼんやりと考えた。
これほどまでにスーツを着こなしている男だから同じ手荷物のなら普通はビジネスバッグの方がいいだろうに、何故か使い古した風呂敷包みを持っている。
どうも菓子折りが入っている風ではない。どう見ても彼の手荷物だ。

変な人だな。

そう考えていると迦遊羅の歩調がさっきよりも落ちていき、自然にその足が止まった。
つられて遼も止まる。


「いつもお世話になっております」


そう言って迦遊羅が頭を下げた。
すると男も生真面目そうな雰囲気そのままに立ち止まり、征士と同じように無駄も愛想も無い動作で同じように頭を下げる。


「いや、こちらこそいつも急ですまない。主人はもう起きているのか?」

「ええ。狛様がいらっしゃるのを待っておりますわ」

「そうか。では私も急ぐとする。では…」

「ええ」


無意味に会話を長引かせること無く2人の男女は別れた。
歩き出して擦れ違った背を遼が振り返ってみると、男の立派なスーツには自分の服と同じ色の汚れが付いている。
どうやら彼もあの細い道を通ってきたらしい。


「あの方、お得意様ですの」


あまりに振り返り方が露骨だったのか、苦笑交じりに迦遊羅が教えてくれた。
遼の頬が赤くなる。


「あ、そ、…そうなんですか…」

「ええ。狛様と仰ってよくうちを利用していただいている方ですわ」

「へぇ…」


骨董品屋をよく利用すると言われると額面どおりに受け取って骨董品の売買をしているのだろうとは思えるのだが、天空堂を利用と言われるとちょっと
素直に頷くことが出来ない。
あの手に持っていた風呂敷包みも気になってくる。
だが素直にそれを聞けるほど遼は厚かましくはなかった。振り返ったことがバレている時点で、もうイッパイイッパイに恥ずかしいのだ。



迦遊羅と歩いていると、いつも遼が、そして恐らくさっきの狛という男も通ってきた細い路地が近付いてきた。
当麻はこれ以外の道を教えてやってくれと彼女に伝えている。
それに少しだけドキドキとしていると、やはり迦遊羅はその細い道を無視して真っ直ぐに進んだ。


「……………」

「…?どうされましたの?」

「いや、その……あの道、本当に使わないんだと思って…」


この古い町並みと、自分の普段通っている高校の近辺が同じ市内にあることがまだ遼の頭の中では上手く繋がっていない。
道を歩き続ければ辿り着くのは解ってはいても、あまりに景色も空気も違いすぎる。
そこを隔てているというか、そこへ向かうためのある意味、国境のようなものがあの細い路地のようにさえ感じているほどだ。
それなのにそこを通らずして本当に普段目にしている日常の世界へ戻れるのか、未だにどこか信じられない遼に迦遊羅が柔らかく微笑んだ。
とても美しくて、魅惑的な表情にまた遼は頬が赤くなった。


「あんなにも細い道しかなければ、わたくしたちはどうやって日常生活を送るというのですか?」


買い物のたびに苦労するではありませんか、と続けて迦遊羅は言った。
そう言えばそうかと遼も納得する。だがまだ心が理解しきれない。


「でも……じゃあ何で当麻はあの道を通らせるんだ?」

「……どういう事ですか?」

「だってさっきの狛って人のスーツも俺みたいに汚れてた。って事はあの人には、これから通る道を教えてないんだろ?お得意様なのに」


お得意様にも教えていないような道を教えてもらえるというのはちょっと優越感に浸れるが、それでも不思議は不思議だ。
素直に口にすると、迦遊羅がまたくすくすと笑う。


「当麻があなたには教えてもいいと思ったからに過ぎませんわよ」

「………俺、キーホルダーしか買ってないのに?」

「買ったものの値段ではありません。勿論、店を利用してくれた回数でもありません。当麻がそうしてもいいと思ったかどうかですわ」

「……つまり、当麻の気分次第ってこと…?」


じゃあ気分でやっぱり細い道から来いと言われることもあるのだろうかと言外に尋ねると、迦遊羅はそうではありませんとまだ笑う。


「遼が気に入ったというだけです。気分で言葉を翻すような方ではありません、安心なさい」

「そうなんだ…」

「ええ。でもこの道は遼にだけ教えるのですからね?学校の誰にも、親にも教えてはなりませんよ?」

「学校のって……」

「あなたの学校で妙な噂が出ている事は知っています。それで遼のように本当に用がある者以外で、好奇心だけで天空堂を訪ねてくる子供も稀にいます。
ですがわたくし達は商売をしているのですから、妨げになるのは困るのです。ですから当麻はあの面倒な道順を訂正せずに放っているのですよ」

「……………………そっか…」


駅からは遠いし人気も無い。道は古いし、最後の路地だって見落としそうになるものだ。
不気味で面倒。到着までに諦める者も中には出るかも知れない。
確かにそうでもしなければ、骨董品屋は子供の遊び場ではないのだから商売の邪魔になるのだろう。
言われてみれば納得できる。


「じゃあ当麻は俺が誰にも言わないって思ったから…?」

「そういう事です」


よほど遼のことが気に入ったのでしょうねと目を細め迦遊羅は改めて言った。



暫く歩き続けると町の雰囲気に少しだけ活気が出てくる。
民家よりも商店が目立ち始め、その商店も半分くらいは実際に営業されているものが増えてくると、見慣れた日常が近付いているのが遼にも解った。
だがまだ少年の目には珍しい風景だ。
ほんの少し古い時代を描いたドラマや漫画でしか見たことが無かったのだが、豆腐屋を見た。
その向かいには本屋があり、店主がハタキで本の埃を払っている。
チェーン店ではないらしいクリーニング屋を過ぎると八百屋が見えてくる。商品名と値段はどう見ても店の者の手で書かれていた。
その店先で店主と客が遣り取りをしている。


「お!迦遊羅ちゃん!!」


ある店の前を通り過ぎようとした時に、店の中から声がかかった。
分厚い木で作られた看板を見ると『乾物屋・をのはし』と書かれていた。
その乾物屋の主人らしき男が出てきて慣れ親しんだように遼の隣の美女に声をかける。


「天空堂の若旦那から連絡があってよ!帰りに鰹節、持ってきな!」

「まぁ!よろしいんですの!!?」


鰹節という言葉を聞いた途端、迦遊羅の目がキラキラと輝き、そして今まで見た事が無いほどに浮かれた雰囲気を見せる。
凛として且つしっとりとした美女と言うイメージの彼女だったが、よく観ると涎を垂らさんばかりの勢いだ。


「おうよ、代金はまた明日にでも持ってっくから、迦遊羅ちゃんの好きなだけ持ってきなって!」

「当麻がそんな事を!!?」

「そー、気前のイイ旦那だ!何でも来てたお客さんの見送りをさせてるから、その駄賃だとかって言ってたぜ」

「………………何とお優しい…!!」


胸の前で手を組んだ迦遊羅は、今にもその場で倒れそうだ。
遼はそれを少し離れた位置で見ていた。
すると我に返ったのか迦遊羅は姿勢を戻して乾物屋の主人に頭を下げ、帰りに寄ると言う事を伝えてその場を離れた。
既に彼女はいつもの彼女に戻っている。


「…申し訳ありません、わたくしったらつい取り乱してしまいましたわ」

「いや、…いいけど…………鰹節、好きなんだ…?」

「えぇ、まあ……」


見た目で言えば紅茶、それもデパートで売られている高いものを好みそうなのに、鰹節とはまた意外すぎた。
征士といい彼女といい、天空堂の従業員というのは見た目を裏切る傾向でもあるのだろうか。
そうなってくると当麻も一体どんな意外性を秘めているのやらと一瞬考えたが、スウェット上下でビーチサンダルというヘンテコな格好を思い出して、
もう充分かと考え直した遼はこれ以上どう会話を続けてイイのか解らずに悩みながら歩き続ける。


「鰹節と当麻、どっちが好き?」


沈黙が気まずいなと思った時には何となく口にしてしまっていた。
下らない質問だったなぁと反省していると、迦遊羅が慌てたように手を振った。


「か、鰹節と当麻だなんてそんな…!確かに鰹節は美味しいですし、当麻も食べてしまいたいくらいですけれども…!!」

「あ、……………そう…」


やっぱり聞くんじゃなかった。
そう反省した遼だった。
だがすぐに、あ、と思い出す。


「そう言えばさ」

「何ですの?」

「前にちょっと言ってたけど、征士ってイギリス人なんだよな?」


どうもいがみ合っている彼の名を出すと機嫌を損ねるかと思ったが、意外にも迦遊羅の表情も態度も変わらなかった。


「ええ。そうですわよ」

「確か、でゅ、デュイナン…」

「デュナンガート。セージ・デュナンガートがあの人の本当の名ですわ」


言われた名を遼は口の中で反芻する。
どうにも口の中を噛んでしまいそうだなと練習するのはやめた。
その遼のすぐ横を、買い物袋をカゴに入れた自転車が通り過ぎていく。


「それがどうかなさいましたの?」

「いや、…貴族だって言ってたのに何で日本にいて、しかも伊達征士って名乗ってるのかなって思って…」

「ああ、そういう事ですのね。……なんて事はありませんわ、ただ単に日本かぶれしてるだけですの」

「あ、そうなの?」

「ええ。わたくしと会った時から、ああでしたから」

「ふうん…」


迦遊羅と会った時から、ああ、というのは、着流しを着て伊達征士と名乗っていたという事だろうか。
そこでまた遼は気付いた。


「…迦遊羅は?」

「え?」

「征士は、セージ・デュナンガートだろ?当麻は、確か羽柴当麻だって言ってた。…迦遊羅は?」


容姿も名前の響きもどこかオリエンタルな彼女だから、若しかしたら征士の事をどうこうと言っているが彼女の方もカユラ・ナントカカントカという
名前なのだろうかと思って尋ねると、何故か迦遊羅は目を逸らし、口篭ってしまった。
きりっとしたツリ目を何度も瞬かせている。


「……?」

「わ、わたくしは……その、別に構わないでしょう、わたくしが何であっても」

「え、…………」


これは何か不味いことを聞いたのかなと遼でも判断できた。
征士の事をどうこう言う割りに、彼女もどうも怪しい経歴の持ち主らしい。
だがその狼狽え方が何だか可哀想で追求はしない事にした。


「そ、うだな。うん、………」


しかしそうなると中途半端に言葉が宙に浮いてしまった。
元々器用な性質ではない遼は、人との会話に於いてもそれは顕著だ。
再び訪れた沈黙の気まずさに何か話題はないかと必死に考える。
そして漸く辿り着けたのが。


「そう言えばさ、迦遊羅と征士って何で天空堂で働いてるんだ?」


店主も変な人間だが、従業員はもっと変だ。多分。
そんな個性の強すぎる彼らがどういう経緯で働く事になったのかは、少しは興味がある。


「天空堂で働く理由ですか?」

「それもだし、キッカケって何だったのかなって」

「それは当麻が素晴しい方だからに他なりませんわ」


あ、そう。以外に出る言葉が無い。
素晴しいといわれても今のところ遼が見ている彼はだらしない格好で、マトモかもしれないがちょっと偏屈な物言いで、そして時々本当に良く解らない事を
言う姿だけだ。
それを素晴しいと言われても、どうもピンと来ない。
だが彼らの心酔振りを考えると、本当は物凄く”素晴しい”人なのかも知れない。

まぁ、正直2人みたいにはなりたくないけど…

何気なく遼は失礼な事を考えている。
その横で迦遊羅はお構い無しに言葉を続けた。どうやら彼女の中で話は続いているらしい。


「当麻はわたくしとあのイギリス男に、争うことの愚かさを教えてくださいました」

「へ!?あ、争い…?」


ちょっと穏やかではない単語に遼が反応するも、迦遊羅は「はい」と短く答えただけで、特別なこととは捉えていないようだ。


「あ、争いって…その……それ、が、えっと、キッカケ?」

「ええ。わたくしとあの男が偶然にも天空堂の前で出会い争っていると、当麻が出てきて言ったのです」

「……何て?」

「無意味に争ってはいけない、と」

「それで?」

「そして家に招いて食事を振舞ってくださいました」

「…それから?」

「そこに恩義と彼の懐の深さを知ったわたくし達は、彼の元で働くことを決めたのです」

「…………………」


正直に言わなくても、全然解らない。

迦遊羅と征士が今のような形とは違うが、天空堂の前で何らかの喧嘩をしているところに当麻が現れ仲裁し、そしてどういうワケか解らないが
ご飯を食べさせたら彼らは2人揃って当麻に心酔してしまって、結果、彼の店で働かせてもらっているという事なのだろうけれど。

全然、ちっとも、これっぽっちも状況が理解できない。
遼は首は捻ったものの、これ以上何か聞いてもきっと余計に頭を悩ませる結果だけしか生まないだろう事は、迦遊羅の表情から見て解った。
思い出を語っているだけだというのに、彼女の目は既に遠くを眺め、そして頬は薔薇色に染まっているのだ。
遼としてはもう何も言えなくなる。


「まぁ、そういう事ですの」

「そうですか……」


道は坂も何もない平坦な道で、そこをただ歩いているだけなのに随分と気疲れしてしまった気がして遼は項垂れる。
その隣を歩く迦遊羅の足取りは、しなやかでまるで強く生きる猫のように見えた。


「あ、ほら。遼。ここのスーパーを曲がりますの。ほら」


遼の様子など気もかけていない迦遊羅は嬉しそうな声で建物を指す。
その建物は遼も見覚えがあった。


「………あれ?これ…確か駅の裏の…」


遼がいつも登下校に使っている駅のすぐ傍には小さな商店街があり、その先にはスーパーがある。
それらに背を向けていつも学校に通っているのだが、何故か今はその方向から出てきた。
道はぐるりと回って繋がっていたらしい。


「そうです。あなたの学校の裏の山があるでしょう?そのちょうど裏手に天空堂があるのをご存知ありませんでしたか?」

「え…?」

「あなたが使っていた細い路地に続く道は真っ直ぐではなく、少し曲がっているでしょう。山を迂回して天空堂に来ている事になりますの」

「そうなんだ…」

「そしてその道を真っ直ぐ行くと、ここに出ます。距離はこの道を使っても細い路地を使っても、そう変わりはありません。人気がある分、
こちらの方が安全でしょう」


確かに途中から普通に人と擦れ違ったし、営業している商店も幾つかあった。
見かけた民家も中から人の声がしていたから、細い路地より遥かに人気があって怖くは無い。

学校から駅までを1人になるなと言っていた当麻だから、それを配慮してくれたのかも知れない。


「…………そうだな」

「ええ。またいつでもお店にいらっしゃい。今日のように大事な仕事がある時は当麻も相手は出来ませんが、普段なら彼も喜んで迎えてくださいますわ」

「うん、ありがとう。当麻にも言っといて」

「かしこまりました」


迦遊羅に手を振った遼はそのまま元気に駅の階段を昇っていった。




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迦遊羅の好きな鰹節の食べ方は、「3位・茄子に乗せる」「2位・冷奴に乗せる」ときて、「1位・白ご飯に混ぜる」です。