浦沢町1849-5



天空堂を訪ねた翌日に、遼は閉鎖中の学校へと向かった。
見た姿は間違いなく天狗だったが、その正体はただの人間だ。ならば自分が見たものは事件解決のための証拠になる筈だ。
それを天空堂の若い主人、当麻の言うとおりに警察に話しに行くために学校へ向かったのが、昨日のうちではなく翌日になってしまったのは、
校門前に停車していた数台のパトカーや、ドラマで見る役者ではなく本物の警察官という物々しい雰囲気に怖気づいてしまったからだ。

だが時間を空けた事は良かったと遼は思っている。
何から話すべきか整理することも出来たし、それに家にあった推理物の漫画を読んで犯人に対する傾向と対策も練る事が出来た。
例えば、明らかに犯人を見たという事を周囲に漏らしては、次に狙われるのは自分だという事を覚える事が出来た。まぁ、…それだけだ。


さあ、では警察へ話すぞとなったときに遼はまた悩んだ。
どこの警察に話して良いのか解らないのだ。
まず110番も考えたがあれは緊急時に使うものであり、きっと全国区レベルで連絡が入る場所なのだろう。
そこに田舎ではないが都会でもない場所で起こった事件の事を話していては、然るべき先に繋いでもらうのに時間がかかるかも知れないと考えた。
では何処だと次に思い浮かんだのは近所の交番だった。
しかしそこは本当に正しいのだろうか。
迷いに迷った結果、やっぱり現場が一番早いだろうと言う、後から散々に言われるような思い込みをして遼は休みだと言うのに電車に乗り込み、
自分の通う高校を目指した。




「…あ」


辿り着いた高校は、落ち着いて考えてみれば当たり前だが門が施錠されていた。
それ以外はいつもの学校と何も変わらない。
昨日のようにパトカーはないし、警察官の姿もない。
てっきりドラマのように黄色いテープで封鎖され、門に何人も警官が待機している光景を想像していた遼は少し拍子抜けすると同時に、焦りを覚える。
若しかして既に警察はここに居ないのかもしれない。
折角気合を入れてきたのにどうしようかと立ち尽くしていると、真田、と声をかけられた。

声のした方向は校舎の方からで、よく見ると1階にある職員室の窓から担任の麻生が手を振っている。
それに安堵して遼も軽く会釈した。

そこでちょっと待てと言った教師が門の前まで来て、開けることなく遼の正面に立った。


「真田、お前何してんだ。学校は明日からだって連絡網、回ってただろ?」


私服姿だし時間も10時を回っていたから間違えて登校したのではないと理解した麻生が聞くと、遼はしっかりと頷いた。


「はい。でも昨日忘れ物をしてしまって…それ、取れないかなって思って来たんですけど」


嘘ではないが、ただの口実だ。
もしも誰かに見つかった場合の言い訳はしっかりと考えていた。無闇矢鱈に警察の人に大事な話があるのだとは言ってはいけない。これは大事なことだ。

教室に忘れた漫画をダシに使ったが、遼でも予想できていたとおりにそれは却下された。


「急ぐものじゃないなら明日にしろ。学校は今、使えないの解ってるだろ?」

「はい………………でももう警察の人っていないんじゃないんですか?」


あくまで本の事は言い訳であり、切り口だ。
遼はすぐに話題を変えて見える範囲の何処にも姿がないものを尋ねた。我乍ら自然に切り出せたと遼は満足する。
麻生はその問いに、いるよ、と答えてくる。


「え?いるんですか?」

「うん。昨日より数は少ないけどまだ裏門のあたりに数人いる。何だ?何か用か?」

「…!?い、いいえ!単にもういないのかなって思っただけなんで…!」


だがいると言われた後で、用があるのかと聞かれるのは予想外だった。
高校生の頭にあった予定では、受け答えの後素直に帰ったフリをして、グランド側の3メートルほどのフェンスを必死に越えて入り込み、
そして後はスパイ映画のように隠れて移動して目的の人たちに近付こうと思っていたのだ。
なのに、先生ってば急に遼の目的を言い当ててしまうものだから、さっきまで自然に受け答え出来たのに結果として遼は狼狽えて、
「ないです!じゃあ先生また明日!」とまるで捨て台詞のように走りながら言い残して学校を後にしてしまった。




結局、目的は直前で果たせなくなってしまった。
やっぱり自分はちょっと駄目なのかも知れないと落ち込む遼の足が無意識に向かった先は、やっぱり天空堂だった。

こちらも昨日と変わらず、時間が止まったような空気を醸し出している。
変わったことと言えば店主の当麻が昨日と違って、普通の服を着ていることくらいだ。


「どうした、まだ何か用があるのか?」


最初に声をかけてきたのは店内にある応接ソファに座り、盆栽の手入れをしていた征士だ。
こちらは昨日とはまた別の着物を着ている。
迦遊羅の言葉を素直に信じるなら彼はイギリス人だと言うのに、その着流し姿が妙にしっくりきていてごく自然で…まあ変な人だ。


「そ、その………特には…ないんですけど…」

「用はなくないんじゃないのか?」


口篭りながら言うと、すかさず昨日と同じように椅子に座っていた当麻が口を挟む。
椅子をくるくると回している足元を見ると、そこは昨日と同じビーチサンダルだった。


「そういえばお前、警察に行ってきたか?」

「…あ、……う、………うん」

「嘘だな」


何となく、本当に何となくだが吐いてしまった嘘は直後に見破られてしまった。
嘘だと言うのは本当だが、あまりにも迷いなく言い切られたので少し腹が立った遼は口を尖らせて何を根拠にと小さな声で言った。
それさえも聞き逃さなかった当麻は椅子の回転を止めて、遼、と静かな声で言った。


「お前みたいなタイプの嘘が一番見抜きやすいんだよ、遼」


それも本当かもしれないが、やっぱりちょっと腹が立つ。馬鹿にされたような気になるのは、当麻の態度のせいかも知れない。
しかも昨日の今日で下の名前、それも呼び捨てされた事も相俟って、遼はちょっとムキになった。


「警察に言いに行こうとしたのは本当なんだ、と・う・ま」


それでも出来る仕返しと言えば相手のことも呼び捨てにすることしかなかったわけだが、折角の仕返しは呼びかけた相手が全く気にしている様子が
無かったので、無意味なものになってしまった。
そして遼はハタと気付き、征士と、その征士の反対側で爪の手入れをしている迦遊羅に視線を向けた。

彼らも特に気にした様子が無い。

店主に対して異常なまでに懐いている彼らの前で、昨日現れたばかりの子供がイキナリ馴れ馴れしく名前で呼んだりして彼らの怒りを買うかと焦ったが、
そこは大丈夫なようだ。
本当のところ、彼らは店主の事をどう思っているのだろうか。
下らない駄洒落を褒めるのに、漫画の買い方一つでコキおろしているあたり、何でもかんでも良いわけではないのは解るのだが、正直解らなくなってくる。
だが今はそうではないと気を取り直した遼は、もう一度当麻に視線を戻した。


「俺、警察に言うために学校に行ったんだけど門は閉まってるし、警察は奥だって言うし、…それに先生に会っちゃったから今日はやめにしただけで、」

「お前、学校に行ったのか!?」


まだチャンスはあるし、と続けようとした遼の言葉尻を奪うように出た当麻の声は、ハッキリと大きかった。
それに遼が驚いていると、当麻は脱力してズルズルと椅子の上を滑っていく。


「……え、……い、行ったけど……え?」


警察に話せと言われたからちゃんと言いに行ったのに、目の前の当麻の様子からするとどうやら間違った行動を取ったらしいという事は遼にも解った。
しかし何がいけなかったのか解らない。狼狽えるしかできないでいると、当麻が溜息を盛大に吐いて見せた。


「お前………事件があったのって学校なんだろ…?」

「学校って言うか、学校の中からしか行けない場所ってだけで敷地で言えば学校じゃないし……」

「屁理屈はいいんだよ!……お前なぁ………その場所で殺人があったんだぞ、犯人が近くにいる可能性を考えなかったのか!?」

「…え…?」

「だから、祠のあるのは門の先で、その門には鍵があるんだろ?じゃあその鍵は何処で保管してるんだ学校だろお前昨日俺にそう言ったろ」

「……え、う、うん…」

「って事は学校内に入れる人間で、しかも少なくともどの鍵が裏門の鍵か解ってるヤツが高確率で怪しいだろ。
明らかに怪しい見た目のヤツだけが天狗モドキってワケじゃないんだぞ!」


確かにあの場所は校内を通過する必要がある。何人かで交代制とはいえ用務員のオジサンと、そして時には教師も寝泊りしている筈なのだから、
もしも見慣れない人間が敷地内にいた場合、すぐに見つかって通報されるに決まっている。
そう考えると、もし見つかっても何かしらの言い訳を用意しておけば通用する人間こそ確かに”怪しい”。
しかも鍵が必要な門が開いていたとなると、それは尚のこと学校内の事に詳しい人間だとしか思えない。


「………………え、……ええ、で、でも俺、別に警察に用があるって言わなかったし……それに学校には先生と警察しかいないみたいだったし…」

「”犯人は犯行現場に帰ってくる”」


征士が静かに言った。
相変わらず盆栽の手入れをしているらしい彼の視線は、遼には向いていなかった。


「譬え会話を交わしていなくとも、お前が何かを知っている可能性を、そこに戻ってきていた犯人が遠くから見ている可能性もある」

「……!!!」

「ミステリーの基本だ」


鋏を置き、満足そうに盆栽を眺めている征士の”ミステリー”という発音は見事なまでに綺麗な英語だった。


「絶対ではありませんが、確かにその可能性は高いですわね。学校の近隣の方や出入りされている業者の方なら今の時間帯に徘徊していても
怪しくはありませんし」


学校に行ったのを犯人に見られたかもしれない。そう思うと遼は怯え始める。
相手は天狗ではなく人間だが、それでも既に1人、殺しているような人間だ。
もう1人を殺すくらい、もう迷いが無いかもしれない。
得体の知れない天狗に想像も付かない方法で殺される危機は去ったが、自分が殺される可能性は完全に消えてはいないと知って、
適度に日に焼けた遼の顔は見る間に青褪めていく。


「じゃ、じゃあ……犯人は学校の先生…?」

「まだそうとは言い切ってない。先生以外でもどこかで身を隠して夜を待てば目立たないし、スペアキーを作っておけば鍵を持ち出さなくても済む。
さっきも言ったけど、あくまで”学校に詳しい人間”だ。平たく言えば、顔馴染みが一番安心できない」

「え、ええ、ど、どど、どうしよう、俺…!」

「ったく、近所の交番にでも行けば良かったのに本当、お前、馬鹿だな…!」


そう言いながら当麻は何故か遼を、上から下まで舐めるように眺めた。


「………うん、でもお前、昨日と同じ道でうちに来たんだな」

「…え?」

「細い道、通ってきただろ。服が汚れてる」


天空堂に来るには学校を出た先の十字路を右に曲がり、タバコ屋の角を更に曲がってきちんと数えて3つ目の細い路地を左に進む必要がある。
恐らく他に道はあるのだろうが、学校で天空堂の噂を聞いてきた遼はこの道しか知らない。
そこを通ってきたのは確かにそうだが、何故かそれで当麻は少し安心したようだった。
だがその表情もすぐに曇る。


「でもお前、何で昨日うちで買ったキーホルダー付けてないんだよ」

「あれ、は……学校用のカバンに付けたから、今日はその、……持ってなくて」


そう言うと当麻はまた溜息を吐いた。
何にかは知らないが、どうやら失望させたらしい事に遼は密かにショックを受ける。


「まぁいいや………今度から外出の時はアレ、絶対に持ち歩けよ」

「…うん」

「それから暫くは学校から駅まで1人で帰るな。いいな」

「…うん」

「よし。………じゃあ迦遊羅、悪いけど遼を駅まで送ってやってってくれよ」

「え」


ここに来たのに理由は無かったが、どこか現実離れした彼らと話していると不思議と心が落ち着いてくる。
だから今日も無意識に来たのだと思っていた遼は、急に帰りの話をし始める当麻に焦ってしまう。
確かに落ち着いたが、まだもう少しこの空気に浸っていたいのが本音だ。


「あら?今から送っていったほうがよろしいのかしら?」

「うん。そうして」

「え、ちょ、ちょっと、だって俺、まだ来たばっかりで…、」

「お茶も出さずに悪いけど、俺、これから大事なお仕事があるんだよ。悪いけど今日はお前と遊んでやれない」


大事な仕事と言う当麻の姿は昨日より遥かにマシかも知れないが、ジーンズだわTシャツだわ挙句ビーチサンダルだわで到底そうとは思い難い姿だ。
征士のほうがまだ立派に見える。迦遊羅は相変わらず黒ずくめの服装だが、これも当麻よりは絶対にマシな姿だ。
だがその当麻が大事な仕事だと言う。店主が言うのだから、仕方が無い。


「かわりに迦遊羅を駅までつけてやるから、道中気が済むまで話していけよ」


気付けば征士もテーブルに出していた盆栽を片付け始めている。
嘘ではないようだが、正直……寂しい。


「あ、それから迦遊羅」

「はい」

「細い道じゃなくてもう一個の普通の道、コイツに教えてやってよ」


当麻の言葉に迦遊羅が目を見開いた。
大きな目が更に大きくなり、目玉が零れ落ちるのではないかと思うほどだ。
それほどに意外な言葉だったらしい。


「あら…よろしいんですの?」

「いいんだよ、コイツには”ご縁”があったみたいだし、キーホルダーも買ってもらってるから」

「…かしこまりました。では行きましょう、遼」


よく解らないなりにどうやら彼に気に入られたらしいと言うのは解って、少しは気も持ち直す。
そして迦遊羅にも呼び捨てにされた遼は天空堂を後にした。




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仁志高校の校長先生はカツラですが、教頭先生は地毛でマッシュルームカットなので密かに生徒達の間で人気です。