浦沢町1849-5



見えた姿は間違いなく、天狗そのものだった。

その天狗の手には先の尖った棒状の何かが握られており、よくよく見ればその足元には誰かが血を流して倒れているように見える。
遼はその光景に息を飲み、恐怖に押されて無意識に後退りをする。
その時に靴が足元の砂蹴った。
じゃり、という音が響き、それに天狗が反応したのが解った。

見つかるかも知れないという恐怖から一心不乱に走り、合流した仲間には何も告げずに早く帰ろうと叫んで駅まで兎に角逃げた。
天狗が後を追ってくることはなかったが、ギョロリとした目が何処からともなく自分を監視しているように思えて家に帰ってもその恐怖は消えない。
若しかしたら自分も天狗に殺されるのだろうか。
あの姿を思い出すだけで身体の震えが止まらなくなる。どうにかしなければ。
眠れない夜の間中、ずっと必死に考えて、そして思い出したのが天空堂のことだった。




胸に抱えていた恐怖と秘密を一気に吐き出した遼の額には、気候のせいだけではない汗が浮かんでいた。


「だ、だから俺、…どうしたらいいのか解らなくって…!」


どうにかして助けて欲しい。
そう思って俯くようにしていた顔を上げる。
向かいに座っている当麻はいつの間にか気だるげな姿勢で脚を組んでいた。


「どうしたらいいのか解らない…?」

「……はい」


見たのは天狗だ。
そんなものを警察がどうこうできるとは思えない。だから、天空堂へ来た。
店主だと言う彼は骨董品屋には不釣合いなほどに若く見えたが、もうここ以外に頼る所がない遼は強く拳を握り締めて言葉を待った。
暫く黙った後で当麻は溜息を吐き、そして背凭れに預けていた背を正す。


「…お前に出来る事は1つだけだな」

「1つ…?」


聞き返すと頷きが返される。


「警察に行って、その話をして来い」


それだけだな、と言って当麻はさっき脇に置いた雑誌を手に取ると、パラパラとページを捲って漫画を読み始める。
その速さは結構なものだ。


「……………え、…警察って、だって」

「だって人が死んでるんだろ?じゃあ警察だろ警察。ここは骨董品屋だ。探偵でもないんだしウチで言われてもなー」

「そんな、だって」

「何か面白い話かなーって思って聞いたけど、殺人事件じゃん。面倒ごとはお断りだよ。興味もないし」


朝からパトカーが煩いなとは思ってたけどさぁと言っている当麻の視線は既に雑誌に注がれている。


「そんな興味って、」

「俺の興味はもうね、俺がいつも楽しみにしてる漫画がちゃんと掲載されてるかどうかで…」


パラパラと捲られているページの残りが少なくなるにつれて当麻の表情も声も段々と沈んでいく。
そして遂に一番最後に載っている目次に辿り着くと、完全に項垂れて力なく雑誌を机に戻した。


「……載っていなかったんですのね」

「今週も休載か」


その姿に迦遊羅と征士が感想を述べる。
当麻は項垂れたままだ。


「毎週言いますけど、先ず目次を御覧になれば宜しいんじゃないのかしら」

「いや、他の漫画には目もくれんのだ。それなら目次を見て買うか買わんかを決めればゴミも増えん」


言われたい放題の店主だ。言ってる2人はさっきまで犬猿の仲丸出しだった筈なのに、この件については気持ちが同じらしい。
だがそれを思う余裕が今の遼にはない。慌てて気を取り直す。


「そ、そんな事よりも、天狗ですよ、天狗!!天狗、どうにか…!」


必死に訴え食い下がると、項垂れていた当麻が急に顔をあげた。
その目は冷たい。
それに遼が怯むと、当麻はあのな、とそう低くはない声で静かに言った。


「天狗天狗って言うけど、本当にちゃんと見たのか?」

「でも俺、実際にこの目で見たんですよ!?」


暗くてよく見えなかったが、ではあんなにも大きな羽や大きな鼻の人間を見たことがあるかと言われれば、絶対にない。
どう見たってあれは見間違えようもない、天狗だった。
力強く言い切ると、また当麻が溜息を吐いて、脚を組み替えた。


「あのなぁ…………んじゃ少し話をしようか、”さなだクン”」

「…………、…!?」


青い目に、まるで射抜くように見据えられて遼は言葉を失った。


「…な、…何で、俺の…名前…」


この店に来て一度も名乗っていない。
彼らの自己紹介は受けたが、遼はその時に自分の事は何も話していなかった。
なのに当麻は自分の苗字である”真田”を呼んだ。
天狗を見たときとはまた別の混乱がやってくる。
だが当麻はそんな遼などお構い無しに言葉を続けた。


「さなだクンは、仁志高校の生徒だろ?まだ1年生だな。それからスポーツが好きで、少なくとも趣味でやってるか…いや、部活に入ってるな。
多分、サッカー部だ。親しい友達には”りょう”って呼ばれてるんだろ」


そうだろ?と当麻は全く表情を変えずに言いきった。
遼は頷くしかない。
確かにそうだ。高校には今年入学したばかりだったし、子供の頃に試合を生で観てからサッカーが大好きで、小学生の頃には地元のクラブに所属していた。
勿論中学の3年間はサッカー部で過ごしたし、高校に入ってからも入部届けを出す先はサッカー部だった。
親しい友達には昔から下の名前である”遼”と呼ばれ続けている。

だが、何故目の前の人物はそれを知っているのだろうか。ここは遼の地元でもないのに。

遼の心臓はバクバクと鳴った。
よくよく考えてみれば、青い髪の人間などこの世にいるのだろうか。
染めたのなら解る。だが彼は眉も睫毛も青い。という事は生来の色だ。
そんな人間、いるのだろうか。
初対面で、しかも話してもいない事を当てられる。そんな人間、いるのだろうか。


「何で知ってる?って思ってるだろ」

「!!!?」

「図星か。そりゃそうだよな。………お前の事を知ってる理由な、」



俺は、カミサマなんだよ。




沈黙だ。誰も何も喋らない。
神様。
遼は言葉を口の中で噛み締める。神様。


「…………あ、…………あの、………」

「ほらな」


神という言葉に遼が慄くと、当麻は急に声のトーンを普段の高さに戻して椅子にまただらしなく凭れ掛かった。


「……”ほら”…?」

「そ。お前は物事を信じやすい」

「信じ………へ?」


意味を飲み込めずに間抜けな声を出すと、当麻が遼の左腕を指差した。


「袖」

「そ、で?」

「袖にアルファベットで名前が刺繍されてる」


言われて咄嗟に見ると、確かにそこには”Sanada”と書かれている。


「あ…………で、でも俺がサッカー部って…!」

「お前が持ってるようなビニール製の四角いデッカいバッグって運動部のヤツ、大概持ってるだろ。しかも鞄に砂汚れがついてる。グランドに置く事が多い証拠だ。
それにソコに付けてるキーホルダー。思いっきりサッカーのユニフォームだし、そこに”RYO”って書いてるじゃないか。だからサッカー好きなんだろうなぁって」


確かにそれはそうだ。
部活の時にはいつも仲間とグランドの端にカバンを置いている事が多い。
そして似たカバンが多いから目印にと思って購入したキーホルダーは市販されているもので、別売りのパーツで自分の好きな文字やマークを付ける事が
出来る代物だった。
単純な遼は土台となるキーホルダーには大好きなサッカーのユニフォーム型の物を選び、そして自分の名前をそのまま付けていた。


「あ…………」

「つまり、そういう事だ」


だがそう言われても納得がいかない。
信じやすいのは本当の事だが、それでも天狗を見たのも本当の事だ。
あんな特殊な姿をどう見間違えろと言うのか。そう思って遼はまた口を開こうとしたが、それを当麻の手が遮った。


「聞くけどさ」

「……………」

「お前、天狗って見たことあるわけ?」

「昨日見たってさっき、」

「うん。じゃあ聞き方を変えるぞ。お前が昨日見たものを、天狗だって思ったのは、何でだ?」

「だから、鼻が大きくて長くて、羽も黒くて大きくて…」

「それってどこでそういう情報を得た?」

「え?」

「お前が最初に天狗はこういう姿だって覚えた情報は何だ?まさか子供の頃に実物を指してお前の親から教わったのか?」

「そ、……ういうんじゃ、ない、ですけど…」


自分の親は普通のサラリーマンとパートに出ている主婦であって、そんな妖怪や物の怪を相手にするような仕事はしていないのだから、
彼らからそうやって教わる事はない。


「その、……昔読んだ漫画とか、…本とか…」

「その本はもう絶版になったりしてるような特殊なモンか?」

「………ううん」

「って事は、お前が見たのは誰に聞いても大概が天狗だって答えてもらえるモンなわけだ」


そう言われれば、そうかも知れない。
ちょっと強引な気もするが、間違った事は言われていないので遼は納得し始める。


「じゃあ、俺が昨日見たのは…」

「万が一見られても大丈夫なように天狗の格好をした、ただの人間だろ。学校裏の秘密の祠だってんなら尚更その格好の方が都合もつくしな。
大体天狗の面なんて手に入れようと思えばどこでも手に入れられるし、服だって適当に似たシルエットを探せば夜なら充分だ。
羽なんてお前、コスプレ衣装とかそういうのを扱ってる店を探せば幾らでもあるモンだろ」


だから警察行って来い。
当麻がもう一度その言葉を口にすると、遼も何だかそれでいいような気になってくる。

ただの人間なら警察の管轄内だ。
そうだ、そうだろう。言われてみれば納得できる。
何も門は開けられないワケではないし、やろうと思えば飛び越えられる高さだった。
手に持っていた凶器をどうしたかは解らないが、何にしても人を殺したのは同じく人だ。
そう考えれば昨日から引き摺っている恐怖も薄らいでくる。


「にんげん…」

「そ。人間。つーワケで警察のオジサン達にお前が見たこと全部話して来い」


それで解決だと当麻は椅子の上で伸びをした。


誰にも話せないから怖かっただけで、得体が知れないから怖かっただけで、答えが見つかるともうそれは恐怖ではない。

”怪奇での困りごとは天空堂へ”。
最初に思っていた結果とは違ったが、それでも確かに解決した。
なるほどなと思った遼の表情はここへ来た時のように気弱なものではなくなり、少年らしい溌剌としたものになっていた。


「そ、…うですよね、ありがとうござ、」

「うん。…ところで」


礼を述べて帰ろうとした遼に、当麻がにぃっと笑って身を乗り出してくる。
黙って真顔を作られるととても冷たい人間に見えたが、笑うと途端に印象が変わる彼に遼は素直に「はい?」と返事をした。


「何でしょうか…?」

「あのさぁ、ウチ、”骨董品屋”なんだよね」

「……ええ」


見たままだ。
物の値打ちはまだ遼には解らないが、年代としては古いものが多いようには見える店内は入ってきたときに見渡して解っている。


「だからさ、……………何か買っていけよ」

「……え!?」


買っていけと言われても、と遼は焦る。
骨董品が幾らするのか解らないが、テレビなどで見るイメージだと小さな皿一枚が、所謂”本物”の場合で10万とかする世界だ。
そんな物を一介の高校生が買えるわけがない。
相談料としての意味だとしても、どう考えたって無理だ。

この店にいる3人はそういう筋の人には見えないが、一見普通そうに見える人が一番怖いと確か隣のオジサンがしみじみ言っていた。
つまり、これはそういう事なのだろうか。
遼の背中に汗が流れる。


「え、あの、っ、ちょっと、俺には……」

「遠慮するな遠慮するな。そうだなー………どれがいいかなー」


横着にも椅子に座ったまま手を伸ばしてバランスを崩した当麻の上体を、征士が咄嗟に支える。
支えられた状態だというのに体勢を戻そうともしない店主は、そのまま手を伸ばした先の箱を漁って何かを取り出してきた。


「コレかな」


言われて出されたのは、小さなカメラだ。
いや、カメラだと思ったがよく見るとソレはカメラ型のキーホルダーだった。


「えっと…」


それには見覚えがある。
ちょっと面白いグッズを扱っている雑貨屋や大きな本屋などで見た事のあるそのキーホルダーは、ボタンを押すとシャッター音を鳴らしながら
手元を照らしてくれるLEDライトつきのものだ。
千円もしないそれなら確かに買えなくはない。
だが骨董品を扱っている店で出るには首を傾げたくなる代物だった。


「これをそうだなー……ウチでのスペシャル価格、コレでどうだ」


そう言って当麻は全ての指を広げて遼に向けた。
つまり、「5」。
5百円かと思ったが、すぐに遼は待てと考える。
当麻はさっき、スペシャル価格と言った。それも、ウチの、と。
どう見ても最近のグッズだが、それでもここで出されるという事はまさか5千円だと言うのだろうか。それとも…5万円…?
そうなると、当然遼には気軽に買えない値段になってくる。


「あ、あの、俺、そんなにお金持ってなくて…」


一瞬逃げようかとも思ったが、学校と名前がバレている以上、それは無理だと解っていた。
だが買わないと言えばきっとまたあの冷たい目で見られるのだと思うとそれも怖い。
だから素直に遼はお金がないと言う事にした。
金もないのに相談とは!と何故か征士の声で言われるような気がしたが、正直に言う以上どうしようもなかった。


「え?ないの?5円」


だが当麻はきょとんとした顔で聞いてくる。
……ごえん。


「え、…ご、ごえん…?」

「そう。5円。あ、何も5円玉じゃなきゃ駄目だって事はないからな。別にお釣りくらいあるし。まぁ一番いいのは5円玉でくれるのだけど」

「何でそんな値段で…」

「解らない?5円でご縁がありますようにーって、な」

「…は?」

「やだ、当麻ったら可愛すぎてわたくし、萌え死んでしまいそうですわ!」

「実に日本らしい言葉だ!ビューティフルジャパンだ!当麻!」


酷くどうでもいい理由でつけられた値段に呆気に取られていると、迦遊羅がまず叫んで当麻の足元に抱きつき、続いて当麻を支えたままだった
征士がその身体を強く抱き締める。
で、その抱きつれている当麻は2人に構うことなく遼にキーホルダーと手を突き出したままだ。

えええええええ、だ。
意味が解らない。
全然、解らない。いや、5円でご縁がというのは祖父から聞いたことがある遼だが、それでも本当にそれでいいのか判らない。
だがそれ以上にこの店は本当にこんな人間ばかりで大丈夫なのかと思ってしまう。

のだが、遼は大人しく5円払ってそのLEDライト付きのキーホルダーを買って店を後にした。
その背中に迦遊羅の鈴を転がしたような声で「ありがとうございましたー」という言葉がかけられた。




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当麻が毎週楽しみにしている漫画は載っている方が奇跡と言われています。よく原稿を落とすそうです作者。