浦沢町1849-5
「息は?」
「んー…大丈夫、してる」
「意識はありそうですの?」
「いや、……ないな、こりゃ。気絶してる」
仰向けに倒れた天狗を見下ろす当麻に、征士と迦遊羅がそれぞれに声をかけた。
当麻は天狗の面の前で手を振っている。
そこに迦遊羅が歩み寄った。
もう彼女の瞳は黒くて丸く、不気味に光ったりはしていない。口もいつも通りの品のある形だ。
背中に揺れる2本の尾も、ない。
「当麻、お怪我は?」
「ないよ」
振り返った当麻もいつもどおりのどこか暢気な彼だった。
その様子に我に返った遼は、弾かれたように立ち上がる。
「と、当麻…!!」
「あ。お前は怪我ないの?」
半袖シャツから剥き出しの腕には擦り傷が沢山出来て血が滲んでいるし、倒れたときにぶつけたのか、脚も痛む。
しかしそれどころではない。
言いたい事が遼には山とある。
「と、と、…当麻、…とうまが、天狗だったんだ……!!!」
頬を高潮させ、息も荒く言うと、一瞬の間がそこに出来た。
「………へ?」
「当麻、当麻、天狗なんだろ!?当麻が、天狗だったんだ!!」
青い髪の人間なんて見た事がない。
おかしな人間だとは思っていたが、まさか彼がそうだったなんて。
そう興奮していると、当麻が首を傾げた。
「え?全然違うけど?」
「…え……?」
「何で俺が天狗?」
何で?と聞かれても、遼のほうが何で?と聞きたい。
髪も目も、普通の人間の色とはかけ離れている。
天狗の事を聞いた時も、世間一般が持っているイメージに随分と否定的だった。
それにこの祠を”家”だと言い異常なまでに身は軽く、何よりもさっき自身で口にしていたではないか。
「ヒトを騙るなって……これが天狗の顔だって、さっき…!」
そこで倒れている天狗モドキに向かって、確かに当麻はそう言っていた。
それはつまりそういう事だろうと証拠を突きつけると、漸く当麻は合点がいったのか「あー」と間延びした声を出した。
「あれね、あんなの、嘘に決まってんじゃん」
ハッタリだよ、ハッタリ。
当麻は笑いながら言った。
ハッタリ。と。
「あ、俺も天狗を騙っちゃったのか。まずいな、しかも不細工って言っちゃった」
天狗さんゴメンナサイと言いながら祠に手を合わせる当麻に一瞬言葉を失った遼だが、その背にもう一度質問を投げ掛けた。
「………………え、ええ、え、…じゃ、じゃあ当麻って、…何!?」
「何って一般人だよ」
「だ、だって髪の毛の色、」
「あぁ、コレね。何でだろうな。生まれつきなんだよ、この色。昔から目立っちゃって悪さも出来ないんだよな」
「そ……それじゃあ、…え、…だ、…だって、じゃあ何でここ、祠を家って…」
「だってこの祠って天狗のだっていうのが有力な説なんだろ?だからハッタリで言っただけだよ」
「じゃあ何で今、ここに居るんだよ…!?祠から来たんじゃないのか!?」
「山の裏に店があるの、知らないのか?飯食って寛いでたら、何か山の方が煩いからコッソリ様子見に来たんだよ。
そしたら変なオッサンとお前が居たの」
「でも当麻、凄い身が軽くって…!ひらって、ぴょんって、斧…!」
「あー、あれね。俺、高校時代は器械体操部のエースだったんだよ。まぁあれは俺も出来るとは思わなかっけど」
「流石に私も肝が冷えたぞ」
「そうですわよ、怪我でもなさったらどうなさるおつもりでしたの」
いやいやあっはっはっは。なんて雰囲気で3人は談笑しているが笑い事ではない。
もし避けきれなかった場合、怪我なんて程度で済む問題ではないのだ。
いや、そうではない。一瞬呆気に取られた遼だが、頭を振って気を取り直した。
「そうじゃなくって…!!いや、そうだとしても……当麻がくれたコレ!」
切れたカバンの肩紐から抜き取ったキーホルダーを遼は突きつける。
「コレ、これから白い虎が飛び出したんだぞ!!?当麻、天狗じゃなくたって、普通の人間じゃないじゃないか!!」
天狗で無いにしても、ただの玩具からあんな立派な虎が突然出てくるなんて手品師でも無理な話だ。
それが証拠だと言わんばかりに言うと、また当麻は「あー」と間延びした声を出した。
「それ、アレだよ。中にフィルムっていうか簡単なスライド入れててさ、ライトをつけると白い虎が走ってる絵が見えるように改造してたんだよ。
それを見間違えただけだろ。…アレ?電池切れかな……光も音も出ないな、コレ…」
当麻は遼から受け取ったキーホルダーのボタンを何度も押したり振ったりしている。
おっかしーなぁと首を傾げている姿に、遼は何も言えない。
このキーホルダーを選んだのは当麻で、外出時には手放すなと言ったのも当麻だ。
そこから虎は本当に飛び出してきた。
絵や写真などではなく、ちゃんと立体の姿で自分の前に立ち、そして咆哮を上げていたのだ。
それは自分だけでなく、あの驚きようからして倒れている天狗もその姿を間違いなく見ている。
なのに、見間違えただけと当麻は言う。
そんな筈はないと思うのだがここまで本人が否定しているのだから、もう遼としては何も言えないではないか。
そこにサイレンの音が近付いてくる。
「あら、漸く到着したようですわね」
迦遊羅が暢気に言った。
「そのようだな」
征士も頷く。
「んじゃ、俺たちもそろそろお暇しましょっか」
そして当麻が伸びをして、祠の脇の獣道の方を見た。
「え、…み、みんなどこに行くんだよ…!?」
それを遼が慌てて呼び止める。
幾ら気絶しているからといって、自分を殺そうとした相手と2人で残されるのは怖い。
それにこの状況を見たのだから説明だって一緒にしてもらわねば困る。
「店だけど?」
なのに振り返った彼らは3人揃って、何で?という顔をしていた。
「店って、だって、」
「学校関係者でもない我々がここにいるのは不自然だろう。下手をすれば不法侵入にされかねん」
「それに夕飯の後片付けも残っておりますし」
「警察に付き合ってたら何時に帰れるか解らないしなぁ…面倒臭い」
「だ、だからって…、」
「大丈夫大丈夫、サイレンの音、物凄く近かったからすぐ来るだろうしこの偽天狗も気絶してるから起きないし」
いや確かにそれは気になっていたことだが、だからって幾らなんでも無茶苦茶だ。
弱ってしまって眉を下げて情けない顔になっている遼に、当麻は人差し指を唇に当ててニッと笑った。
「だから俺たちが今夜ここにいた事は、内緒な」
少年同士の秘密ごとのように言い残して3人が茂みに分け入っていくのを、遼はぼんやりと見送るしかなかった。
当麻のTシャツの背にある、「大ホラ吹き」という文字プリントが妙に印象に残った。
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ガサガサガサと帰っていく。