浦沢町1849-5



真っ直ぐに背を伸ばして歩く征士の隣にいると、遼の背も自然に伸びる。
容姿は絶対に違うのに、やっぱり彼は武士のようだ。彼の言うように、そういう意味での故郷はこの国なのかも知れないなと遼はその横顔を見た。
黙っていれば、いや、黙っていなくても思わず振り返ってしまうほどに整っている。
コレはモテるに違いない。お年頃の少年としては、そういう事は多少なりとも気になる。
ただ店主の当麻のことさえ語らなければ、という条件がつくあたり、やっぱりあの店の人間は誰も彼も変わり者だとこっそり笑った。



暫く歩いていくと漸く連日通いつめている店の看板が見えてきた。
相変わらず店の前のガラス戸は開いたままだ。
今帰ったという征士に続いて遼も店内へと入っていく。


「あー征士おかえりー」


いつものように当麻は椅子にいたが、いつもと違ったのはちゃんと机に向かっているという事だ。
顔もあげずにノートに何かを書いている。アレが”帳簿”だろうか。
帳簿といえば、裏帳簿だ。というイメージが遼の中にある。(その情報元は父親が見ていた2時間ドラマだ)
勝手に覗いてはいけないものだとは解っていても、普段あれほどダラシない姿をしている店主が真面目な顔で向き合っているとなると興味をそそられる。
遠巻きではあるが、つい身を乗り出してしまうと「遼、」と声がかかった。


「…え、な、なに?」

「人の店のモン、勝手に覗くんじゃねぇよ」


一切顔をあげずに当麻が言った。
自分の方を見てもないのによく自分が来たことに気付いたものだと遼は感心する。
相変わらずノートと何かを見比べては、何かを書き、ソロバンを弾いている当麻に、征士が声をかけた。


「当麻、タイヤキを買って来た。そろそろ休憩にするか?」

「あーうんそうねー。じゃあお茶入れてもらえる?」

「解った。熱いほうが良いか?それとも冷たいものにしようか?」

「んー………熱いの。…に、氷ちょっと入れて」

「解った」


頷いた征士はそのまま奥へにある住居の方へと消えていった。
今度は入れ替わりに迦遊羅がやってくる。


「当麻、先月の領収書は全部棚に戻しておきましたからね」

「ありがと。なぁ迦遊羅、この狛さんの仕事さぁ、去年、俺何て処理したっけ?」

「去年ですか…?先月ではなく?」

「先月のはまたちょっと違うんだ。これは毎年1回受ける仕事なんだけど…ちょっと忘れたから」

「あら、当麻が忘れるだなんて珍しい。ではちょっと去年のノートを探してまいりましょうか」

「ゴメン。助かる」


そして迦遊羅もまた奥へと消える。
店に残されたのは当麻と遼の2人になった。

仕事の邪魔かなと一瞬は思った遼だったが、顔を見せてやってくれと言っていた征士の言葉を思い出して、いつものように長椅子に腰を下ろした。


「遼」

「なに?」

「お前、何かいいことあった?」


帰れと言われるかと身構えた遼だったが、当麻の言葉は予想とは全く違ったものだった。
ノートに集中しているからなのかして声に抑揚はなかったが、不快に思われてはいないようだ。
それに安心して遼は足を揺らしながら「うん」と素直に頷いた。


「そりゃ良かったな」

「うん」


もう一度頷いてから、遼は周囲を見渡した。
征士も迦遊羅もまだ戻ってくる様子がない。
聞くなら今だと思った遼は、気持ち分だけ身を低くする。


「…なぁ、当麻、聞いていい?」

「俺に答えれる事ならな」


声を潜めて伺いを立てれば、相変わらずの口調で返事はすぐに返された。
それを聞き終えると遼は、じり、と長椅子の上を座ったまま這って当麻のほうに身を寄せた。


「あのさ、………征士と迦遊羅を雇った経緯、俺、聞いたんだけど」

「ん」

「何か凄く良いこと言ったんだって?」


店は困っているようには見えないが繁盛してるとは言いがたいし、普段の店主の様子から到底まともに接客業をしているようには見えないが、
決して悪い人間ではない彼が一体何をどう言って、あの2人をあそこまで心酔させる結果になったのか、とても気になる。
別に征士と迦遊羅が居ても構わなかったが、何となく、彼らのいない時の方が聞きやすい。
それがいつの話かは知らないし、当麻自身も何を言ったか明確に内容を覚えていないかも知れないが、それでも遼は話が聞きたくなっていた。

一体何を話してくれるのだろう。
期待に少年の目はキラキラと輝く。


「あいつら雇った時……?」

「うん。征士と迦遊羅、争ってたって」

「……………あー、あの時ね。はいはい」


パチパチと年季の入ったソロバンを弾く音がする。


「別に大した事なんか言ってないけどな」

「何て言ったんだ?」


意気込んだ余り、遼の声は当麻の言葉尻に被せるようになった。
言った本人は大した事じゃなくても、結果としてあの2人のあの様だ。
覚えているのならとても興味がある。


「”人ん家の前でギャーギャーギャーギャー煩ぇ”」


だがその期待も、僅かに滲んでいた尊敬も全部、台無しにするような言葉が返って来た。


「…………………………………ぇ…」

「あとは…”今何時だと思ってんだ”」

「………………………。ちょ、……ちょっと待ってくれ、当麻」

「なに?」


迦遊羅は争うことの愚かしさを説かれたと言っていた。
征士は自らの価値観が全てではないと諭してくれたと言っていた。
だがその言った本人は、つまり「やかましい」という事を言ったと言う。

これは一体どういう食い違いなのだろうか。
否、食い違いというには余りにも違い過ぎないだろうか。


「征士と迦遊羅、争ってたんだよな?」

「うん。俺ん家の……まぁ店でもあるけど、表。ホント、店出たすぐそこでな」

「仲裁に入ったんだよな?」

「仲裁じゃないって。人が寝てるのに夜中に騒いで煩いから怒鳴っただけ」

「……夜中だったのか?」

「夜中だよ夜中。それも夜中の3時。そんな時間に起きるなんて、冬場にトイレが近くなる時だけだ、俺は」

「でも家に入れてご飯食べさせてあげたんだよな?」

「そりゃお前、どんな生物でも腹が減ってたら苛々するだろ?だからアイツらもそうなんだろうなって思って、晩飯に大量に作った豚汁があったから
その残りを食わせたんだよ」


サバンナのライオンも腹が満たされてたら、インパラが傍を通っても襲わないだろ?と当麻は言う。

確かにそれはそうだ。
テレビでもたまにそういう光景は見る。
自分だって空腹時にはいつもよりちょっと怒りっぽくなる。
だが。

それとこれって同列に扱うものか?
遼は気持ちそのままに首を捻った。


「……それで、……………あんな風になるのか?」


素晴しい方だと心酔できるものだろうか。
信じていた神を、豚汁1つで変えようと思うものだろうか。
でも実際、彼らはそうなっている。不思議な事に。


「さぁ?よっぽど俺の作った豚汁が美味かったんだろうな」


またパチパチとソロバンの音が響く。


「ま、俺としても店に人手は欲しかったし、仕事で疲れると身の回りの事がままならなくなるから住み込みで居てくれるのは有難いからな」

「えっ、住み込み!?」


思わず遼の声と身体が跳ねた。


「うん。住み込み」


ノートから顔は上げないまま、真剣な顔のまま、けれど口調はいつものに近いもので当麻は答える。

住み込み。
あの2人が余所から通ってきている姿も想像できないが、しかし住み込みと言われて遼は少し不安になった。
迦遊羅は当麻を食べてしまいたいと言っていたし、征士は当麻の裸を褒めちぎっていたではないか。
実際のところどうなのかは解らないが、それでも何となく、本当に何となく。

…………大丈夫なのかなぁ。

自分より年上だろうが、何となく、当麻の貞操を遼は心配してしまった。




*****
2階の窓を開けて「人ん家の前でギャーギャーギャーギャー煩ぇ!今何時だと思ってんだ!!」。