浦沢町1849-5
サッカー部である遼を気遣った伸は本当にさり気なく、全く何も変わらない日常と同じ声、同じ態度でカバンを手にして、
「遼、今日も部活ないんでしょ?だったら一緒に帰ろうよ」
と誘ってくれた。
遼は少しだけ考えて、そして解ったと答えて一緒に教室を出る事を選んだ。
帰りに天空堂に寄るつもりではいる。当麻にキッパリと警察に話せと言われていた事を、やっと実行できたのだ。
別にその報告は要らないだろうが、それでも世話になったのだから話してきた事までを報告しておきたい。
…という気持ちで行くのだが、その中には褒めてもらいたいという気持ちも混じっていた。
だが別に今日も行くという約束はしていない。だから何も真っ直ぐに向かわなければならない理由はない。
寄り道をするのは遼の自由だ。
それに駅から天空堂へ向かう道を教えてもらっている。それも、同じ学校の他の生徒は誰一人知らないだろう道を。
その優越感もあったから、遼は伸と駅まで一緒に向かい、そこで適当な言い訳をして目的の店へ行こうと考えていた。
遼の足取りも、表情ももう陰がない。
隣を歩いていた伸はそれに安心したらしく、校門を出て少し歩いてから明らかに声のトーンを変えて親友に話し掛けた。
「良かったよ、本当」
「何が?」
「今日、キミ凄く元気そうだ」
昨日と大違いと言ってくれる伸に、遼は屈託ない笑みを見せた。
「まあな。…よく眠れたからかな?」
金縛りだと言った嘘に絡めておどけてみせる。そういう余裕も持てるようになっていた。
実際、事件を目の当たりにした日は一睡も出来ず、そして天空堂に行ってからも初日に比べれば随分と気は楽になってもそれでもやはり
警察に行っていないという気がかりを抱えていたせいで、安眠はできていなかった。
だがそれも解決した。お陰で昨日はグッスリ眠ることが出来た。
理由は知らないなりにもその言葉を聞いた伸も笑顔になって「そう」と喜んでくれる。
昨日、当麻は伸の事をいい奴だと褒めていた。それは確かにそうだと遼も思う。
優しくて丁寧で、だけど芯はしっかりとしていて。
俺って恵まれてるなぁ。
暢気にそう思っていると、そう言えば、と伸が切り出した。
「用務員さんが今日から復帰してるけど、佐藤も復帰してるってキミ、知ってた?」
「え、佐藤が?」
朝に会ったから寺本が仕事に出てきているのは知っていたが、佐藤については初耳だった。
豆のような容姿の体育教師は、受け持つ授業がない時に偶にではあるが体育館に併設されている準備室で他の事をしている。
そうでない時の大半は授業をサボっている生徒がいないかと校内を巡回しているので、体育の授業がなくとも彼の姿はほぼ毎日見る事が出来る。
だが今日は見ていない。だからてっきり休みなのかと思っていたが違ったようだ。
遼が首を捻ると、それだけで何を考えているのか想像がついたらしい伸が頷いた。
「うん、そう。でもホラ、今日、全然見てないでしょ?」
「うん。見てないな」
「僕さ、今日、日直だったでしょ?出席簿を返しに職員室に行った時に聞いちゃったんだけどさ、佐藤ってば1人になるのが怖くて学校に来たらしいよ」
「えっ」
驚いて大きな声が出た。
立ち止まると常に肩幅に足を開き、胸を張って堂々とした立ち姿を見せるあの教師からは少し想像がしにくい。
寺本の話によれば、確かに昨日も彼は奥さんが帰ってくる時間まで学校で過ごしていたというから嘘ではないのは解るが、それにしてもやはり。
「意外……」
「ね」
「え、それで佐藤は授業、したのか?」
「ううん。してないよ」
「じゃあずっと準備室にいたわけか?」
「いや、先生達の話が聞こえてきた限りだと、ずっと職員室にいたみたい」
「職員室…すること、あったのかなぁ…」
普段いる部屋は体育準備室という彼だ。恐らく仕事環境としても職員室よりそちらの方が整っている筈だ。
それが職員室にいて、何をするというのだろうか。
1人になりたくない気持ちは遼にだって解る。
だがそれでも言い渡された休暇を無理に取り消してまで学校内にいる以上は、何らかの仕事に従事しなければならない。
怖いから来たという理由がそのまま受け入れられるとは到底考えられない。
そうなるとやはり探してでも何か職員室で仕事をしていたのだろうけど、座って仕事をするという事は果たしてあの教師の性分に合うのだろうか、
甚だ疑問だ。
「うーん…………何か調べ物をずっとしてたらしいけどね」
「調べ物?……似合わないな」
「やっぱり遼もそう思う?」
寺本から聞いた朝の情報と併せてみて、何かが引っ掛かる。
それを含んで「似合わない」と遼は言ったのだが、それを知らない伸は純粋に、意外性があって面白い物のように笑っていた。
今は遼もそれに合わせて笑う。
「何調べてんだろうな」
「さぁ?カバディのルールだったりして」
「次の授業で取り入れるために?」
「取り入れるために」
そう言うとお互いに声を立てて笑った。
もう少し先、事件のことが無事に解決して落ち着いた頃の校庭で、小豆色のジャージを着た自分たちが「カバディ」「カバディ」と言っている光景を
想像するのは、楽しかった。
「多分アレだよ、僕らがカバディやってる頃に女子はきっとテニスとかやっててさ、テニスコートから僕らの奇妙な姿を見て笑うんだよ」
「うわっ、ヤだなー!授業が終わったら絶対、何してたの?って半笑いで聞かれるんだ!」
「前に相撲をやるかもっていう話が出たときも、まわし着けるの?って遼、聞かれてたよね」
「ホント、ヤだなぁ………俺ばっかりそういうの、聞かれるんだ」
「そう言えばそうだね。キミ、聞きやすいのかな?」
「………………そうじゃないと思うけど」
自分と伸が並んでいる場合、ちょっと笑える内容の事は全部遼に振られてしまう。
何といっても伸は王子様オーラがある。そんな彼と話をしたいが、難しい場合の足がかりに遼が使われる事は、時々ある事だ。
幾ら俺が鈍感でも、それくらい解るんだからな。
その度に遼はちょっと拗ねてみたりもするのだが、肝心の伸はそういう時はあまり女子を相手にしない。
彼自身が友人が利用されたことに気付いているのかどうかは解らないが、親しみを込めてからかうのではない表情の彼女達を伸は良しとしない。
決して友人を蔑ろにしないあたりが遼はとても好きだった。
「ま、何にしても奇妙な提案の為の調べ物だったら嫌だよね」
「うん」
「……でもさぁ、佐藤って行きや帰りはどうしてるんだろう?」
「どうしてるって?」
「ほら、佐藤って電車通勤じゃない?学校に来れば1人じゃないけど、その行きや帰りは怖くないのかなぁって」
「あー………」
言われてみればそうかも知れない。
だが。
「平気じゃないかな」
「何で?」
「だって死体、見ちゃったけど道に人は少しはいるし電車に乗ったら絶対に人はいるだろ?」
「そっか」
「うん。だからちょっと我慢すれば大丈夫なんじゃないかな」
実際に犯人を見た自分とは違うんだから。
そう考える遼には怯えた感情はなく、寧ろどこか得意げに感じている。
犯人を見た。
それを警察に話した。
誰も知らないことを、知っている。
するべき事を成した今、それは好奇心旺盛な年頃の少年の心を大いに擽っていた。
「あ、伸、俺ちょっと…」
駅のロータリーに着いた途端、遼は立ち止まった。
近くにある階段を昇ればすぐに駅構内で、そして真っ直ぐ進めばスーパーが見えてくる。
ここで伸と別れなければ、一旦家に帰ってからもう一度ここまで来て天空堂へ向かう事になってしまう。
そんな面倒はしたくはない。
「え?どうしたの?電車、乗らないの?」
てっきり地元の駅まで一緒に帰ると思っていた伸は驚いたように目を大きくしていた。
遼は適当に言葉を濁しながら、曖昧に頷く。
「うん、その……ちょっと俺、その、…そこのスーパーに用があって」
「スーパーに?」
訝しむような声を出した伸だが、少しだけ考えて、そして小さく頷いた。
「そう。あんまり遅くならないようにしなよ?」
「うん、解った」
何となく行き先はもう彼にも解ったのだろう。
それでも一緒に行こうかと言わないあたりが彼の気遣いだ。
事情は解らなくとも無駄に詮索はせず、けれど心配はしてくれる。
自分だったらそういう気も回らないよなと思いつつ、遼は親友と別れてスーパーに続く通りに向かった。
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学校のある駅から遼たちの地元までは各駅停車の電車で3駅。
乗車時間は8分ほどで電車賃は片道200円です。