浦沢町1849-5



男が出した風呂敷包みに遼は見覚えがあった。
それは昨日、迦遊羅と共に駅へ向かう途中で擦れ違った狛という男が持っていたものと確か同じ柄の物のはずだ。
狛はきっちりとスーツを着こなしていたのに対し、今目の前にいる男は黒いシャツに黒の革パンツ姿と全く違うのに、何故彼らは同じ風呂敷を
持っているのだろうか。
この店のショッピングバッグなのだろうかと思ったが、遼がキーホルダーを受け取ったときは天空堂の文字がプリントされた紙の袋だったから、
どうもそうではない。

もう一度、遼は突然現れた黒ずくめの男の背を見た。
自然とそれを見上げる当麻の表情も目に入る。
さっきまで見せていた”面倒だ”という顔よりも、明らかに嫌悪を含んでの”面倒だ”という顔に変わっていた。


「あのさぁ、佐々木さん」

「何だ」


一般社会人とは到底思えない雰囲気の男の苗字が思いのほか普通だった事に驚くが、それよりも当麻の声が本当に冷たくてもっと驚いた。


「今、見てのとおり”お客さん”が来てるんだけど」

「あぁ?客?」


佐々木と呼ばれた男が振り返った。
肉食の獣のような視線に身を竦めたのは遼だけでなく伸も一緒だった。


「コレが?ただのガキじゃネェか」

「ガキでも俺のオトモダチだよ」


一瞬の沈黙。


「それからアンタ、いっつも来る前に連絡しないよな」

「する必要がねぇんだよ。どうせすぐ着くんだからよ」

「それでもしろよ」

「何で?」


聞き返された当麻は溜息を吐いて項垂れる。


「アンタが来る時は征士も迦遊羅もどっかに行かさなきゃ、毎回面倒なんだってば」


項垂れたままの当麻がもう一度溜息を吐くと、今度は小さな笑い声が漏れ出てきた。
すると漸く佐々木も物騒な物ではなく、悪童のような笑い声を上げる。


「どこ見ても居ねぇからいいじゃねぇか」

「今日はね。たまたまだ」


まるで悪友のように笑いあう2人に完全に高校生達は取り残された状態になるが、どうにも口を挟める雰囲気はない。
仕方がなく佐々木の背を眺め続ける。


「で?何。狛さんの依頼品を受け取りに来たの?」

「んなワケあるか!何で俺がアイツの仕事を手伝ってやんなきゃなんねぇんだ」

「前に赤鬼、怒らせたんじゃないの?」

「アレは……っ…くそ、誰から聞きやがった…!」

「黒田さん」

「あん、っのクソ蜘蛛野郎…!!!」


解らないなりに遼は狛の名に反応する。
やはり昨日見た男と彼は知り合いのようだ。
受け取りがどうとか言っていたから若しかしたら同じ会社の人間なのかもしれない。ただ何故彼が赤鬼といわれているのは謎だ。
彼の容姿を思い出せば確かに髪は赤かったが、鬼と言われるとどうだろうか。仕事の鬼という表現があるから、そういう事だろうか。
スーツを見事に着こなしていた彼が、口調も態度も乱雑な佐々木に対して何か怒るのは想像しやすい光景ではあるけれど、と遼は考える。

そんな風に考えられているとは知らない佐々木は相変わらず黒田という男への罵詈雑言を吐き続けていたが、それを当麻が止めに入った。


「さーさきさん」

「んだよ!」

「黒田さんの悪口はいいからさ、さっさと仕事、出せよ」


指差しているのは手にしたままの風呂敷包みだ。
大きな箱が入っているらしい包みについ遼と伸の視線が流れた。


「………………いいのかよ」


佐々木が横目で少年達を見る。
その目が怖くてまた2人は身を竦めた。
だが当麻はその佐々木の足を軽く蹴って、いいから、と言う。


「アンタが持ってくるんだから買取だろ?」

「まあな」

「じゃあいいよ。見られて困るモンじゃないし」

「………普通はそうでもねぇと思うけどな」


そう言いながらも佐々木は麦茶の置かれたテーブルに、やはり粗暴な手つきで包みを置いた。
そして包みを解いていく。


「………?」


中から出てきたのは桐の箱が2つと、長方形の何かを包んだ布。
箱はどちらも綺麗に保存されているが年季を感じる程に古く、骨董品屋と聞いて浮かぶイメージに相応しい。
印まであるのだから子供の目にはどうしても高価な物が入っているように見える。
だがそれを取った当麻の手には、テレビで見るような白い手袋がされていなかった。


「んー……」


そして箱を開ける手つきは雑だ。


「コレは要らない。持ち主に返して」


しかも出てきた鳳凰の描かれた壷をロクに見ず、箱にも戻さずに新しい箱に手をつける。
出てきたのは掛け軸だ。
こちらは美術の教科書で見たことのある水墨画だった。

これはどうだろうか。
テレビを観る視聴者の気分で見守っていると、


「こっちも返してきて。要らない」


やっぱり壷と同じ結果になった。

遼は思わず店内を見渡す。
時代に取り残されたような商品が並ぶ店内は、そう言えば佐々木の持ってきたような高級品(っぽい物)は見当たらない。
遼が買ったキーホルダーだって何故これが骨董品屋にあるのか解らない程に最近の商品で、しかも5円と冗談のような値段だった。

天空堂は骨董品屋ではなかったのだろうかと遼は首を捻る。

いや、しかし幾ら似ていても贋作というものが世の中にある。
若しかしたら当麻はそれを一目見ただけで見抜いたのかもしれない。どこか得体の知れない店主だ、案外そうなのかもしれない。

そう勝手に盛り上がっている遼の目の前で、当麻が更に風呂敷に手を伸ばした。


「……おっ」


箱の陰に隠れていて遼の位置からは見えなかったが、そこにまだ商品があった。
それを見た当麻の目の色が変わる。


「これは…」


それは何の変哲もない、高さ約4cmの製薬会社のマスコット人形だった。
それを当麻は何度も角度を変えて真剣に眺め続ける。
その表情は今まで遼が見たことのない、真剣なものだった。


「…どうだ」


佐々木もさっきまでとは違い、まるで伺うような態度だ。
明らかに変わった2人の雰囲気に、少年たちは息を飲んだ。


「コレは…………なぁ、コレ、後はどうしたらいい?持ち主、返せって言ってたか?」

「いいや。引き取ってくれってよ。家に残したくねぇんだとさ」

「あ、そ。……じゃあねぇ……」


少し間を空けて。


「22万」

「えぇっ!?」

「そんなに!?」


思わず声を出してしまった遼と伸は、咄嗟に口を塞ぐ。
佐々木に睨まれるかと思ったが、その佐々木は風呂敷の中に残されていた別の包みを手にとってそれを開いている。
中には札束が入っていた。
遼たちの声などまるで聞こえなかったかのような佐々木はそれを、ひぃふぅみぃ、と数え始める。


「因みにさぁ、持ち主返却だったら幾らとるつもりだったんだ?」

「28万」


数える合間の遣り取りに、遼は更に目を瞠った。
どういう商売なのだろうかとドキドキしながら見守っていると、勘定を終えた佐々木が綺麗な1万円札の束を当麻に手渡した。


「え、そっちが支払うの!?」

「あなたが支払うんですか!?」


また声に出してしまう。
だってオカシイではないか。当麻は買取だと言っていた。商品は佐々木が持ち込んだ。
ならば商品と引き換えに代金を支払うのは当麻の方というのが一般的なのに、何故か金も佐々木が支払っている。
それに驚いて少年達が半ば悲鳴のように叫ぶと、当麻と佐々木が目を丸くして彼らを見た。


「え、うん」

「んだよ、人の商売に口出すんじゃねーよ」


睨まれはしなかったが、やっぱり釈然としない。
しかし店主と男はすぐに元の体勢に戻り話を続ける。


「ついでに聞くけどよぉ」

「んー?」

「内訳、どうなってんだ」

「お仕事代が17万、電話しなかった罰金が1万、お客さんが来てるとこに邪魔した迷惑料が4万」


どんなボッタクリだ。
そう思ったが今度は声は堪えることが出来た。
伸も同じようだった。

佐々木告げられた内容をは特に気にした様子もなく、壷を箱に戻して来た時と同じように風呂敷で包んでいる。


「おう、そっか」

「うん。………はい、確かに22万、頂きました」

「ところでよぉ…」


ピンと指でお札を弾いた当麻が事務的に言うと、佐々木が当麻に顔を寄せた。


「…なに?」

「あの話の返事、聞いてねぇんだけど」

「あの話って何」


その背からも逃がさないような雰囲気が見える佐々木にいつもの調子で当麻が聞き返す。
すると喉の奥で押し殺したような笑いを立てて佐々木の背が揺れた。


「焦らしてんのか…?そういう駆け引きは嫌いじゃねぇけどよ…」


佐々木が更に顔を寄せ、当麻の細い顎を節の張った手でぐいっと掴む。


「あんまり待たされるのは嫌いなんだよ、俺ぁ」

「だから何のことだよ」


顎を掴まれて話しにくいらしく、当麻の声がよりくぐもっていた。
遼たちの位置からでは当麻の表情はハッキリと解らないが、四肢に緊張した様子がないので危機ではないらしい事は解る。


「………”うちの専属になれ”。返事、いつまで待たせるんだ?あぁ?」


佐々木が掴んだ顎を軽く揺する。
当麻がそのまま溜息を吐いた。


「それなら前に断っただろ」

「良い条件だと思うぜ?それにこんな所にいるより安全だろ」

「寝ても覚めても仕事漬けなんて冗談じゃない。それにここは充分、安全だ」

「んなワケあるか、うちに来た方が断然、」

「その汚い前足を下ろせ、山犬風情が」


突然割って入ってきた、凛とした声に遼は驚いた。
その声は明らかに征士のものだと解っているのだが、幾ら今の状況に目が釘付けになっていたとは言っても彼がここまで近付いていたことに全く
気付かなかった事が不思議でならない。
それは佐々木の時もそうだったが、しかしだからと言って。


「………背後からっつーのは武士道に反するんじゃねーの…?聖職者崩れが」


帰ってきた征士が、手に持っていた番傘で佐々木の背を軽く突いている。
長身の彼に合わせたのだろうか、傘は通常の物より少しだけ長く、それが自分の視線の少し上を通っているというのに気付かないはずがない。
隣の様子を伺うと伸もそれは同じだったらしく、彼も驚いたように征士を見ている。


「無駄口を利くな。光輪剣の錆びになりたいのか」


少年達の視線をものともしない征士の睨む先は、佐々木の背のみだ。
低い声は抑揚がなく、それが却って怖い。

どうなるのだろうかと見守っていると、佐々木は降参したように当麻から手を放した。
そして風呂敷包みを手に持ち、当麻にだけ「じゃあな」と言うと、征士には激しいまでの憎悪を込めて睨みつけて店を出て行った。
残されたのは張り詰めた空気だけだ。


「征士、おかえりー」


だがそれも、まるで何事もなかったような当麻の声に払拭され、一気に体中の力が抜けた遼は椅子に身を沈める。
隣の伸も同じようにして深い溜息を吐いていた。


「………すまない、当麻。遅くなった…怪我は?」

「ないよ。それより征士、団子は?」


確かめようと手を伸ばした征士を遮って、当麻はキラキラとした目で番傘を持っていないほうの彼の手を見ている。


「あ、…ああ。ここにある。すまない、アンコは山盛りで良かったな?」

「わかってるな!よし、食べよう食べよう!」

「慌てなくても団子は逃げん。…あ、そこのアンコが山盛りになっているのが当麻の分だからな」


漸く遼の知る彼らの表情に戻る。
本当に良く解らない人たちだなと考えていると、当麻が団子の入った岡田屋の大きな袋を覗き込みながら急に「あのさぁ」と言った。


「すっごい時間が余ってるんだと思うんだ、暇人は」

「…………え?」

「暇人。サッカーゴール前の羽の」


急に話を戻されて遼も伸も目をパチクリとさせる。
すぐに理解したのは伸だった。


「そりゃ暇人っていうほどですから…」

「うん。丸1日以上、暇してなきゃ出来ないって。羨ましいねぇ、暇って。仕事休みなのかな」

「………学生の可能性もありますよね…?」

「そっか、お前らのトコの生徒は休みだったからその可能性もあるな。でもどっちにしても暇だよ、羨ましい」


そう言いながら当麻は団子を手に取る。
よく見かける団子と大して変わらないサイズから考えると、征士が持って帰ってきた袋の中にどれ程の団子が入っているのだろうか。
考えただけで胸焼けがしそうだと頭の片隅で思っていた遼は、漸く会話の流れを思い出した。


「あ、あのさ……その暇人って、…殺人事件の犯人と一緒なのかな…」

「んー?…あー、可能性は高いかもな」

「だからサッカーゴール前に…?事件のあの日、サッカー部が残ってたから?」

「もし本当にそうなら見られたって思っての脅しか…ま、犯人が一緒じゃなきゃ単なる嫌がらせか便乗して楽しんでるだけだろ」

「お、俺、どうしたらいい!?」


焦った遼が身を乗り出す。
その鼻先にアンコの乗った草団子が差し出された。


「さぁ?相手が何したいのか知らないけどサッカー部の連中は全員、登下校中に気を付けるしかないんじゃないの?」


ぐいぐいと遼に団子を押し付けながらの当麻の言葉に伸が頷きつつ、それでも尋ねた。


「あの、僕に何か出来ることはありますか?」

「お前に?何で?」

「だって遼は僕の友達です。少しでも何とかしてあげたいから…」

「おー、いい奴だな」


手放しで褒められて伸の頬が赤くなった。
つられて何故か団子を受け取ったばかりの遼の頬も赤くなる。


「そうだなぁ、伸が出来ることってのは、一緒に帰れる時は帰ってやるくらいかな」

「毎回じゃなくていいんですか?一緒に帰れるときだけでいいんですか?」


それは遼も小さく頷いた。
伸を巻き込みたくはないが、正直に言って怖いものは怖い。
なるべく1人になりたくはないのだから、出来れば毎日誰かが一緒にいてくれた方が心強いというものだ。
だが当麻は首を横に振りながら伸にも団子を突き出す。


「だって毎回一緒に帰ってたら”コイツ何か知ってますよ”って公表してるみたいだろ。単なる悪戯だったら余計に煽る事になりかねないし、
相手が殺人犯なら尚更マズイ。…お前らが普段必ず毎日一緒に帰ってるってんならいいけど」

「……そっか…」


それもそうだ。
伸とは一緒に帰れるときに帰っているだけで、部活がある時は下校時間が違うために一緒ではない。
それを急に毎日に変更すると、どう考えても怪しまれてしまう。


「そ。でもアレだろ?暫く部活とかないんじゃないのか?ある?」

「ううん、ない」

「うん、じゃあ無理のない程度に一緒に帰ってやってくれよ、伸」

「わかりました。…じゃあ暫く一緒に帰ろう、遼」

「ありがと、伸」


どうにか1人にならなくて済む。
そこで朝からの不安な気持ちが漸く軽くなった遼は、大きく口を開けて団子を頬張った。
適度に甘いアンコと、もっちりとした弾力を返す草団子の相性は最高だ。
美味しいなぁと噛み締めている視界の端で見た、当麻の分だといわれた団子は、団子と同じ幅にされたアンコが軽く5cmは高く積まれている。

どうやって食べるんだ。

そう思いながら眺めていると当麻も流石に悩むサイズだったのか、口を大きく開け、何度も首の角度を変えて挑戦していた。
そこに「犬臭い…」という不快感を滲ませた呟きと共に迦遊羅が丁度帰ってきた。




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岡田堂の草団子は1本120円です。
アンコ大盛りは通常メニューにはありませんが、征士が買いに行った時のみサービスで行ってくれます。料金は変わりません。
贔屓ではありません、お得意様だからだとお店の女将は言います。