Apis mellifera



「ほんと、ここって何でこんな不便なの!?」


スーパーの袋をテーブルに置くなり、純は文句を言った。
視線の先に居る当麻はこちらに縁側に腰を下ろし、庭を向いて暢気に足を揺らしている。


「聞いてるの!?当麻兄ちゃん!」

「ん?あぁ、ありがと。頼んでた物、買って来てくれたんだな」

「こっちに来る途中でね!ねぇ、何でこんな不便なところに家を買ったんだよ!」

「だってこんなに虫が見れるんだぜ?」


笑いながら室内に戻ってきた当麻はスーパーの袋の中を漁り始める。


「あ、蜂蜜は要らないのに」

「それは僕ん家用!」


手にした市販の蜂蜜の瓶を当麻から奪った純は溜息を吐く事で何かを言うのは諦め、冷蔵庫に向かうと我が物顔でその中から
麦茶の入ったボトルを取り出してコップに注いだ。


「お前、不便不便って言うけど、そんなに不便か?」


当麻が頭を掻きながら聞くと、純は麦茶を飲み干してから彼に向き直る。


「不便。物凄く、不便」

「そうかな」

「そうだよ!コンビニがない!」

「でもお前、言うほど毎日コンビニ行くか?」

「………。本屋だって遠い!」

「最近はネットが発達してるから通販で新刊買えるし、場所にもよるけど出版社の人に頼んだら持って来て貰えるぞ」

「それは当麻兄ちゃんの特権!…それに駅だって遠いじゃないか!」

「お前、今日何でここに来た」

「………車」

「だったら問題ないだろ。俺も車なら持ってるし」

「そういう問題じゃなくって…!」


どう言って良いのか解らないが、兎に角不便で困る。
当麻本人が困らなくても、何と言うか。


「僕がここに来るのに不便!」

「………それはお前の都合だろ」

「僕のじゃない!当麻兄ちゃんの家の都合だよ!!」

「それは…」


純は幼い頃から当麻とは付き合いがある。
だから親同士も知り合いなのだが。


「大学生は時間が余ってるって思ってる親父に文句を言ってくれ。…俺は……知らん」


今年大学2年になった純は、夏休みだからといって当麻の親から30手前の息子の様子を見て来てくれと頼まれ、
山沿いの一軒家をここ最近、頻繁に訪れていた。
交通費は当然のことお小遣いも貰えるし、幼い頃からよく遊んでもらっていた当麻兄ちゃんの家に遊びに来れるのは楽しかったが、
それにしたって片道1時間半のドライブはこうも頻繁になってくると退屈になってくる。


「ったく。だから親父に伝えといてくれって言ってるだろ?俺は弁護士にはなりませんって」

「言ったよ!でもおじさん、当麻兄ちゃんが自分と同じ仕事に就いてくれるの、凄く楽しみにしてたんだよ?」

「それこそ親父の勝手だ。俺は俺なんだからしょうがない」


話はオシマイと言わんばかりの当麻は、困惑の表情を浮かべている純に苦笑いをして、今朝焼いたパンケーキを出してやる。
一緒に出した蜂蜜は、深みのある琥珀色だった。


「……蜂蜜?濃いね。古いの?」


傷んでない?と続けると、当麻はまた苦笑いをして純の額を小突いた。


「古いってのは間違いじゃないけど、それは”熟成物”。ニホンミツバチの集めた百花蜜だ。それで、2年蓄積させたヤツ」

「…僕が買ったのと何か違うの?」

「違う。全然違う。市販されてるのはセイヨウミツバチの物が多いんだよ。あっちは単一の花から集めるし、収拾率も高いから。
でもニホンミツバチの物はそうそう集まらないから、お高いんだよな」

「そんな高いの、買っちゃうんだ」

「いや、これは貰い物。めちゃくちゃ旨い」


近所の養蜂家は趣味でニホンミツバチも育てているが、その蜜は販売するには量が少なく、普段世話になっているからと当麻におすそ分けしてくれたものだ。
それを聞くと純は拗ねたような表情になった。


「…何だ?」

「……当麻兄ちゃんって人間嫌いだと思ってたけど、案外近所づきあいしてるんだね」

「誰がいつ人間嫌いだって言った」


失敬な、と笑うと純はまた不服そうにブツブツと言う。


「だってこんな山奥に家買ってるくらいだし」

「だからそれは昆虫のためだって」

「しかも実家にも滅多に帰ってこないし」

「だって忙しいんだからしょうがないだろ」

「その上、結婚どころか彼女も居ないし」

「それは……俺の名誉のために言っておくけど、彼女くらい、いたぞ」

「長続きしないじゃない」

「それは…………。…うん、まぁ……いや、でも相性とか、あるから」


確かに長続きしない。
何と言うか、面倒なのだ、当麻からすれば。
女を相手にするのがというよりも、それは人間そのものを相手にすること自体が。

特に人間嫌いと言うわけではないが、人間はあれこれと腹の探り合いをする。
生きる事に関わらない事でさえ、何故か優劣を付けたがる。
人間の本能だと言われればそれまでだが、それでも当麻にはそれが面倒だった。
それならば自らの命や種を繋ぐ事に素直な動植物を相手にしているほうが随分と気も楽だ。
だから当麻は山に篭った部分もある。
ただ本当に人間嫌いと言うわけではない。だからこの土地ではそれなりに交流を持っている。

幼い頃から知っている純としてはそれが面白くないらしいと言うのは解ってやっても、当麻にもどうにも出来ない事だ。
純だってそれは解っている。だが、こちらも気持ちの置き場をどうにも出来ず、だからつい、言ってしまう。


「兎に角さ、当麻兄ちゃん。たまには、」


いつものように「たまには帰ってきてあげてよ」と言おうとした純の視界に、猛スピードで何かが突っ込んできた。


「…ぅわ…っ!?」

「こら、せいじ!」


慌てた純が叩き落とそうとしたとほぼ同時に、当麻が誰かの名を呼んだ。
すると視界にあった”何か”はすぐに純から離れ、そして当麻の傍に寄り添う。


「………え、は、…ち?」


当麻の肩に止まったのは小さな蜂だった。


「そう、セイヨウミツバチ」

「………の、何て?」

「せいじ。”征服”の”征”に、”武士”の”士”で、征士」


言いながら当麻が可愛がるように指を伸ばすと、征士と言われたミツバチはその指に触角を触れ合わせてどこか誇らしげに純を見ている。
…気がする。複眼だからどこを見てるか解らないけど。


「それ、セイヨウミツバチって、言ったよね?」

「うん」

「…何で日本人みたいな名前…」


セイヨウって事は、西洋なのだろうと思っていたのだが違ったのだろうかと純が首を捻る。
だが当麻も同じように首を捻った。


「え?何で?コモンセージの下に落ちてたから征士なんだけど、…駄目?」

「いや、駄目っていうか……だったら片仮名で”セージ”でいいんじゃないのって…」


だって西洋なんでしょう。
そう思って言ったのだが、やはり当麻は首を捻ったままだ。
天才の兄貴分は、常人では解らない脳をしているのでこういうセンスも人とかけ離れているのだろうと結論付けて、純はまた溜息を吐いた。


「だってコイツ、何か武士みたいな性格してんだもん。それにセイヨウミツバチなのに何でかニホンミツバチが好む花にしか寄り付かないし」

「じゃあソレ、ニホンミツバチなんじゃないの?」


厳密な違いは門外漢の純には解らないが、特性がそちらに近いのならばそれはニホンミツバチなのではないか。
そう思って言うと、当麻は首を横に振った。


「いいや、これはセイヨウミツバチ」

「何で」

「ニホンミツバチのオスは、腹の部分が黒い。こうやって黄色と黒の縞模様を持ってるのはセイヨウミツバチのオスだ」

「じゃあ僕らが普段目にしてるミツバチって全部セイヨウ?」

「そうじゃない。ニホンミツバチのメスだって黄色と黒の縞模様だ」

「じゃあそのメスじゃないの?」

「それも違う。ほら、…………征士、ちょっとごめんな、純にお腹、見せてあげて」


当麻がそう言って征士を指先に乗せると、彼はまるで言葉がわかるように大人しく純に腹を向けてくれた。
但し、複眼もそちらに向けて目を逸らそうとしない。
気を許してくれたわけではなく、どうも当麻に従っているに過ぎないようだ。
それが何となくムカつきつつ純も素直にその腹に顔を寄せた。


「ほら、コイツ、お腹が丸いだろ?」

「うーん…よく解んない」

「針がないのは解るか?」

「…うん。ないね」

「メスはもっとお腹がシャープで針を持ってる。こいつは丸くて針がないんだ」

「じゃあ刺さないの?」

「”刺せない”な」


だったら無駄に威嚇するなよ、と純が腹を立てた途端、征士が当麻の指から飛び立って、また純の周囲を威嚇するように飛び始めた。


「こら、征士。駄目だって。…純、お前何か征士に悪いこと考えただろ」

「…………………それは謝るけど…」

「征士、ほーら、征士。純も謝ってるからこっち来い。蜜をやるから……な?」


当麻が声をかけると、征士は再び彼の傍に戻る。
今度は顔の近くを飛び、触角でその頬を撫でているように見えた。
それに目を細めていた当麻が純のほうを向き直る。


「で、何だったっけ」

「オスかメスかっていう話」

「あぁ、そうそう。だから征士はオスなんだよ」

「変種のニホンミツバチの可能性もあるんじゃないの?」


半ば自棄になってそう言うと、当麻は声を立てて笑った。


「それは可能性があるな!まぁそうでなくても征士は充分面白いヤツだよ。見てて飽きない」


言っている間にもまた征士は当麻の肩に戻っている。
そこで純はふと気になった。


「そういえば当麻兄ちゃん、いつの間にミツバチを飼ったの?」


一昨日に訪ねた時はいなかった筈だ。
飼ったとしたら昨日か今日のことなのだろう。


「飼ったっていうか、拾ったんだ。昨日の朝」

「…昨日?」

「うん。庭に瀕死の状態で落ちてて、試しに助けてみた。昨日は元気がなかったけど、今朝になって漸く飛べるまでになったんだ」

「そうなんだ…」

「でもまだあまり無理は出来ないからな。征士、駄目だぞ無理に飛んだら。部屋に戻ってろ」

「それで部屋まであるんだ…」

「部屋って言っても養蜂家の人にもう使ってない小さい巣を分けてもらって、それを征士の部屋にしてるだけだけどな」


随分といい待遇を受けてるじゃないかと思ったが、征士がまた尻を持ち上げて威嚇したように見えたので、純はその考えをすぐに捨てて
目の前のパンケーキに食らいついた。




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当麻の見てきた中で一番美形のミツバチ、征士。