ストロボ
男は大事そうに両手で持った写真を見つめ、そこに映っている人物に向かって何度もその名を呼びかける。
鮮やかな色を見せる青い瞳の人物を何かに魅入られたかのように見つめ、幸せそうに笑っていたのだが突然、写真をぐしゃりと握り締めて目を血走らせる。
「何なんだよ…!誰なんだあの男!…前もそうだ!前もそうだ!邪魔ばっかり!!何なんだよ、誰だよお前は!」
悲鳴のような叫び声を上げ、握り締めた写真を更に丸めて投げ出すと、頭を掻き毟って蹲る。
暫くそのまま怒りに身を震わせていた男は、また突然感情が切り替わったようで青褪めた顔をあげた。
ぞんざいに丸められ、床に転がった写真が目に入ると弾かれるように立ち上がり、泣きそうな顔で写真を丁寧に広げ始めた。
「ごめんね、違うんだ、ずっと待ってたからさ、だから急にあんなのが出てきて、つい、ごめんね、ごめんね」
何度謝罪の言葉を繰り返しても、写真の人物の表情は当然変わらない。
男はそれに絶望し、苦悩し、けれど結局恍惚とした笑みを浮かべてまた写真に向かって名を呼んだ。
……麻…、ちゃん……。
秀は思わず黙った。
「…征士ってば彼女、いないのかな」
それは当麻の発言内容よりも、その表情のせいだ。
天才児というのは知っていたし実際頭の回転も早い当麻は現場では周囲の要求をすぐに理解し、適切な答えを見せ、自宅に帰っても時々歳相応の表情を
見せるだけで、あとはいつだって秀が舌を巻くほどの大人顔負けの物言いをしてきていた。
可愛げがないわけではないけれど子供らしいとも言いがたいその様に、秀は何度かクソガキと言っては彼とじゃれ合いの喧嘩を勃発させてきたのだ。
その当麻が、ぎこちない表情をしている。
初めて見た、素のままの感情なのかもしれない。
それに驚いて黙ってしまったのを、当麻はマズイと思ったのか慌てて大きな身振りで手を振った。
「ほ、ホラ、征士ってさ、あんな性格だしあんな物言いだろ!?あんなんで彼女出来たことあんのかなって!」
見た目はいいけど中身に難がありすぎるだろ!?
と続ける声もいつもより大きい。
明らかに動揺している。
それを訝しみはした秀だが、態々追求する気はない。
驚いた事に変わりないが別にそれ以上の事などないのだ。
こういう時は下手に突付かず逃げ道を与えてやるのが大人の対応と言うものだろうと、ほぼ初めて感じた優越感から寛大になってやることにした。
「さぁ?確かに聞いたことねぇな。アイツ、本を読む以外に特に趣味の何かしてるのも見たことねぇし……体鍛えるくらいかなぁ?」
「そんなんで家で何してんだろうな」
「それこそ謎だよ謎。ゲームもしねぇ、何処かに行った話しも聞かねぇ、彼女もイネェ、考えたら友達の話しさえ聞いたことねぇわ」
「……友達もいないのか?」
「いや、単にアイツが全然プライベートを話さねぇだけだろうけど」
「秀は逆によく喋るよな」
「おう。お陰で俺情報は多いだろう?」
ニっと笑うと当麻もつられて笑った。
今度は自然に笑えていた。
それを見て秀の笑みが更に深まる。
「うん。妹が2人と弟が2人いる5人兄弟の長男だってことも、小学生の頃に傘を連続で10本くらい無くしてお母さんからメチャクチャ怒られた事も知ってる。
尻、すごい叩かれたんだったよな?」
「…うん、当麻君よ。最後のは忘れてくれても構わねぇんだぜ?」
頭をグリグリと力を込めて撫でると、記憶力はいい方だから無理だなーとまた生意気な言葉が返ってくる。
もう完全にぎこちなさはないのに秀は安心した。
当麻が母子家庭だというのは征士から聞いている。
勘当された事も音信不通になっていた事も。
それ以上の詳しい事は何も知らないがあの時の征士の表情や、母親がアメリカで生活しなければならないという状態から、あまり立ち入ってはいけない事だと
思っている反面、彼が寂しいのではないかと秀は密かに気にしていた。
まだ17歳だ。
自分が17歳の頃といえば地元の高校に進学し、毎日友達と遊んだり兄弟とじゃれ合っていた頃だ。
それと歳は同じなのに、親しい知人も頼れる身内もいない日本へ単身戻り、何故かは解らないがモデルとして大人に囲まれ、隙を見せないようにしている姿に
思う所がないわけではない。
それに征士が当麻の事を、若い頃の母親にそっくりだと言っていた。
という事は、征士の親類たちも当麻の存在に気づいている筈だ。
当麻が家の事情を知っているのなら大した度胸だし、知らないのなら本人の気づかないうちにリスクを背負わされる可能性も考えられる。
何と言っても勘当して完全に籍を抜くような家柄だ。考えすぎかもしれないが、それを完全に否定するには本能が危険だと言っている。
若しかしたら征士はその事も含めて当麻の保護者代理でもある伸と話をしているのかも知れないなと考えて、秀は自分に出来る範囲の事で、
せめて護衛期間だけでも彼を心を支えてやろうと決めていた。
「なー、当麻」
「なに?」
「お前は彼女とかいなかったのかよ」
「………………いいだろ、俺の事は」
ぷいっとそっぽを向く。
おおコレは、と秀はまたニタリと笑った。心はその表情に合わせて引き上げた。
「いたこと、ねぇんだな」
「ノーコメント」
「お前、征士のこと言えねぇじゃねえか!」
「俺は飛び級使ったから同い年がいなかったの!全部年上!!そんなのから見たら俺なんて子供だろうが!」
「つまり相手にされなかったって事だな」
「ち、ちが…!俺のほうから願い下げ!」
「そっかぁ、じゃあ当麻くんにはお姉さまたちの魅力はちょっと刺激が強すぎたんだなぁ」
「だから違うって言ってるだろ! 大体お前、俺は研究室に篭りっきりだったんだから、そんな暇なかっただけ!!」
「研究室って……何か研究してたのか?」
自分にはちょっと縁の無い単語に秀の興味はアッサリと移った。
「内臓移植の拒絶反応の軽減と、人工の内臓の人体への負担の軽減」
「……へー…」
だが返って来た言葉に対して秀が返す言葉が見当たらない。
ニュースやドラマなどでも確かにドナーが見つかったけど拒絶反応がどうのこうのというのは聞くし、たまに著名な人間でも人工の臓器がどうのこうのというのを聞くが、
秀の中では肝心の部分が全て”どうのこうの”という言葉で有耶無耶になってしまっていてイマイチ理解が出来ない。
そういったものと関わった経験がある人物の護衛をした事はあるが、ただそれだけでそれ以上踏み込んだ話などした事が無い。
ただ何となく、そこから当麻が本来はモデルではない別のものになろうとしていた気がしてくる。
例えば。
「お前、…医療関係に進みたかったのか?」
医者か、それかそういったものの開発に関わる人間。
どちらも人の命を預かる大切な仕事だ。
モデルがそれらに比べて軽薄な仕事だとは言わないが、あまりにも畑違いすぎる。
天才児だと呼び声が高かったのなら実際に彼を迎えたがる現場は多かっただろうに、何故か彼は帰国して現在は人気モデルだ。
それを秀が尋ねると当麻は一瞬だけ目を伏せて、けれどすぐに生意気な表情で秀を見返した。
「折角チャンスの多い人生を与えられたんだ、やれる事はやれるうちにやっておきたいだろ?」
「……て?」
「だからさ、医療関係にはいつでも戻れるんだったら、どうせならこの体も使っときたいじゃないか」
「………つまり、若くて綺麗なうちに他の事もやっときたかったって事か」
「ご名答。実際俺、短期間でよくここまで成果を出したと思わない?」
「…あー…」
「頭も良くて見た目もイイとか、俺ってばお得な人生だ」
「ってめー、よくもまぁ、自分の事をそんだけ褒めれるな!」
確かに本当の事だけど!と思ったがそこは口にはしなかった。
言ったところで調子に乗らせるだけだ。
乗せて悪い事はないが、何と言うかムカつく。勿論、秀が。
先ほど当麻に対して感じた大人としての優越感など、とうに無くなっていた。
またヘッドロックをかけると当麻が悲鳴をあげ、2人してソファに倒れこんだ。
今度は怖い声が聞こえないので2人は息が上ってクタクタになるまでそこでじゃれ合っていた。
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「征士って盆栽育ててそう」「あー」って言って笑ってたりします。