ストロボ
「何回も言ったと思うけど、当麻の仕事に口出すのヤメてもらえないかなぁ!」
「私が一体いつ、何かを言ったというのだ。ずっと黙っていたではないか」
「黙っていても物凄く何か言いたそうな目をしてるでしょ!」
「だが何も言っていないではないか。別に私に注目する必要はないし、私の表情をどう受け取るかはあなた次第ではないのか?」
「えーそうかも知れませんね!でもね、明らかに威圧するようなオーラ出すのやめてもらいたいんですけどねぇ、僕ぁ!現場の空気が悪くなる!」
秀と征士が当麻の警護に当たるようになってまだ3日目だというのに、こういう光景はウンザリするほど見てきた気がして秀は溜息を吐く。
その隣にいる当麻はガウンを羽織り、差し入れに貰ったプリンを嬉しそうに食べていた。
モデルの当麻について秀が驚いたのは、まずその食欲だった。
本人は育ち盛りだからなんて言っているが、それにしてもその範疇を余裕で飛び越えてしまっている気がするのは秀だけではないはずだ。
だって食事時に、流石の征士も目を瞠っていたくらいだったし。
通常、モデルというのはそういった面での管理もしているのではないのかと社長である伸に尋ねたのだが、彼はケロっとした顔で「当麻は太らないんだよね」
と言っていた。
そういう人もいるだろう事は理解できるが、だとしても当麻の食欲は凄まじい。
自分も大概食べる方だけどと思わず自分の腹を撫でてしまったほどだ。
だから当麻はスタジオに持ち込まれた食品を、平気で食べてしまう。
今食べているプリンだって、実は既に3個目だ。
相当美味しいのだろう。
極力避けている割に征士が甘いものが苦手だというのはちゃっかり覚えていたらしく、征士食べないよな、と言って彼の返事も待たずにその分を食べていた。
因みに今食べているのはダイエット中だというメイク担当の女性の分だ。
勿体無いから彼女に1口だけ食べるよう言って、その残りを絶賛平らげ中だったりする。
そう、それが冒頭の社長vsボディガード(というより親戚のおじさん)の言葉の応酬にも繋がるのだが…
「大体あなたのその表情がね、怖いんだよ!」
「失礼な。この顔は生まれつきだし無表情だと言われ続けているんだ。それを表情がどうのというのはだな」
「にこやかにしろとは言わないけど、せめてその眉間の皺、どうにかしろって言ってるの!」
「眉間の皺くらい、今のあなたにだってあるではないか」
「僕のはまだマシ!あなたのは500円玉を挟めそうでしょうが!」
「それこそ失礼な。実際に挟んでみたこともないというのに、何を根拠に」
そう、征士は当麻の撮影中、ずっと眉間に深い皺を刻んでいたのだ。
全ての現場でそうするわけではないが、今日は特に酷かった。
メイクの女性に当麻が「あーん」した時もそうだったが、それよりも兎に角、撮影中だ。
今回、カメラを担当したのは当麻がデビュー間もない頃にも担当したことがある中年男性だった。
少年愛趣味だという噂がちらりとある彼が出す、下着1枚しか身に付けていない当麻への要求は、確かにちょっとアレなものが多かった。
じゃあバナナ咥えてみようか。
上目遣いで。
よし、じゃあ次は四つん這いで。
うーん、もうちょっと腰を上げられる?ああ、違う違う、もっとこう…お尻だけを上げる感じ…そう!そうそう!イイネ!
ああ、バナナ齧らないで!もっとこう、優しく…判る?歯を立てないように…そう!
という具合だ。
その指示が飛ぶたびに征士の眉間の皺はどんどんと深くなり、現場に気まずい空気を撒き散らすような威圧的なオーラを放ちまくっていた。
そもそも今回の仕事が男性用下着のポスターというのも気に入らなかったらしい。
家を出て車に乗り込む頃には警護する人間としての仕事に身を置いていたが、家の中では相当酷かった。
何故引き受けただの、今からでも断れないのかだの。
出発の時間になるまで兎に角、酷かったものだ。
車内では静かだったが結局現場でこうでは流石に伸も人前であろうと注意くらいはする。
当麻の今後の仕事依頼に関して悪い影響が出ては堪ったものではない。
だから最初は本当に控えめに「もうちょっと穏やかな感じで見守ってくれないかな」と言ったのだがそれに対して征士はどうして自分にそういう要求をするのか
全く理解できないという態度で返したのが、今回の引き金になった。
因みに昨日にもあった言い合いの原因は征士の舌打ちだ。
コイツ、こういうヤツじゃなかったと思うんだけどなぁ…
秀はまた、溜息。
判断が早く行動も早く、その全てが的確で無駄が無く、何より仕事においては自分と言うものを完全に排除できる男。
それが征士だった。
確かにその徹底振りは一緒に組む事になった相手には少々堅苦しくて面倒に映り、気難しい人間だと思われがちだが仕事を任せるには充分、
信頼に値する男が彼だった。
なのに今はどうだろうか。
完全に、従姉妹の息子の心配をし過ぎている親戚のおじさんに成り下がっている。
いや心配するのは結構だ。親類に愛情があるのも結構だ。
だが今回は仕事だというのを、彼は忘れているのではなかろうか。
写真のチェックも終わり、もう片付けに入っている現場で彼らは未だに言い争いを続けている。
当麻もとっとと服を着てくればいいのに未だにガウン姿でプリンを食べているのも、秀としては理解が出来ない。
秀は自分がこれほど常識の元に生きていると思った事は人生で初めてのことだった。
「……………征士に車のキー、預けんじゃなかったぜ…」
思わず零してしまった。
自分がキーを持っていればすぐにでも駐車場に向かって帰るきっかけを作れたのだろうが、生憎今日は征士が運転する当番だ。
スタジオの入り口に近いところで降ろされたために駐車場の場所を知らない秀はどうする事も出来ず、頭を抱えるしかなかった。
「大体何故、小道具にバナナがいるんだ。男性用下着だろうが」
「い、…いいでしょ別に!そういうカットだったんだから!」
とは言ったものの、伸だってそれはちょっと思っていた。
だから寧ろ、今日ばかりは征士が不機嫌になってくれたのは助かったのだ。
お陰であれ以上に例のカメラマンから妙な指示を出される前に撮影が早く切り上げられたのだから。
だが言い出してしまった以上、もう引っ込みがつかなくなってしまったようだ。
それは伸も、そして多分、征士も。
大声ではないが声の通る2人の言い合いの合間に溜息を伴って吐き出された当麻の声は、隣にいる秀にしか聞こえなかった。
「俺が母さんに似てるからヤなだけのクセに」
「次は?」
「次は雑誌の撮影。空きの時間はチョットだけあるかな」
「じゃあコンビニ寄りたい」
後部座席から身を乗り出した当麻が言うと、伸が少し険しい顔をした。
「当麻、忘れてないとは思うけど」
「解ってるって、前のこと。でもさ、あんなの偶々だったし、今は秀と……まぁ征士もいるし…駄目?」
2人を雇った理由はコンビニでガムテープを持った男に襲われかけたからだと、伸は当麻に説明していた。
例の気持ちの悪い手紙や体液入りのコンドームの事は一切当麻には伝えていない。
勿論、2人にも言うなと口止めしてある。
「コンビニで何が買いたいんだ」
ハンドルを切りながら征士が聞くと、少しだけ声のトーンを落とした当麻が、チョコバー、と答えた。
「お前、あんだけプリン食っておいてまだ甘いもん食べたいわけ?」
呆れたように秀が言うと、当麻が照れたように笑う。
「甘いの食べたらもっと欲しくなったんだよ。それにお腹減ったし」
その態度の差に征士は隠しもせずに溜息を吐いた。
だがそれ以上は何も言わない。
先程の現場が早く終わったにもかかわらず、結局スタジオを出る時間が元の予定時間を少しオーバーしたのは伸との言い争いが原因だというのは、
本人もよく解っていることだ。
それは伸も同じく。
だから征士は無言のまま目に付いたコンビニの駐車場へ車を入れ、伸もそれについて何も言わなかった。
「当麻、1人で行っちゃ駄目だからね」
車が完全に止まったのを確認してからドアを開けた姿に伸が声をかけた時には、既に秀も同じように車から降りていた。
だが何故か征士も車から降りている。
「征士、キーくれ」
何であなたまで行くのと言おうとした伸より先に、秀が征士に手を伸ばしてそう言った。
それに頷いた征士はそのまま抜いたキーを秀に手渡し、そして秀が入れ替わりに運転席に座る。
「…秀が一緒に来てくれるんじゃないの?」
当麻は明らかに不服そうだ。
その様子に秀が自身有り気に笑った。
「こういう時はな、征士のほうが”鼻が利く”んだよ」
秀がああいったことで当麻は大人しく征士と店内へ入って行き、そして伸も車の中から黙って彼らを見守っていた。
二言三言、言葉を交わして当麻が顔を顰めたのが見える。
だが征士の眉間の皺も確認できて、伸は溜息を吐く。
今回ばかりは征士が正しいんだろうね。
心の中でだけで思った。
大方、当麻がチョコバーを大量に買おうとしたに違いない。
幾ら太らないからといっても物事には限度とバランスがある。
恐らくそれを征士が嗜めたのだろう事は判った。
渋々当麻が籠から何かを出す仕草を見せている。どうやら今回は阻止できたらしい。
それに安心しているとすぐに2人はコンビニのガラス戸を押して出てくる。
当麻が持っているビニールの袋が小さい事に伸も漸く肩から力を抜いた。
今回は説教をせずに済むと思うと、肩の荷が少し降りた気がしたのだ。
2人がある程度近付いてきたのを確認した秀がエンジンをかける。
その時だった。
突然、征士が左腕で当麻の頭を自分の胸に抱え込み、そして残った右腕でコンビニに入ろうとしていた男性客の手を素早く叩いた。
「え、え、…っ!?」
何事かと伸が驚いていると、征士の声で「秀!」と短く叫ぶ声が聞こえてくる。
全く何が起こったのか解らないが秀は車のエンジンを一旦切り、そして手を叩かれた男は慌てふためいて来た方向へと走り去って行った。
「え、ね、ねぇ、秀…っな、何があったの!?」
「変なのが近付いてきたんだよ」
そう言われても先程の男に何の不審な点もなかった。
両手もポケットなどには入っていなかったし何も持っていなかったように見えたのだが、何がどう、彼が変だったのか解らず伸も秀に続いて車から降りる。
「…放せよっ!…くっそ、征士!放せ!苦しい!!」
車から降りると征士の腕の中でもがいている当麻の声が聞こえてきた。
強く胸に押し付けられているようで、声がくぐもっている。
だがその抵抗を全くないもののようにしている征士は、秀に視線で何かを指示する。
それを目で追おうとした伸に、当麻の体が投げつけるように返された。
「…っちょ、ちょっと!何なの!」
モデルとしての当麻はその体全てが商品だ。
なのに、そのあまりにぞんざいな扱いに伸が抗議すると、征士の足元にかがんでいた秀が、当麻には見えないようにハンカチ越しに掴み上げたものを見せてきた。
「……!」
また、体液入りのコンドームだ。
それも今回は口が縛られていない。
つまり先程の彼は、征士が気付かなければ当麻にソレを投げ掛けたというのだろうか。
そう思うと伸は眩暈がしてくる。
だがすぐにそれは思いとどまった。
「だ、だったらどうして追いかけないのさ!」
当麻を車に押し入れて、彼には聞こえないように戻ってきた2人に怒りをぶつける。
その場で取り押さえて警察に突き出せば良かったものを、と。
「秀、撮れたか?」
「んー……お、バッチリ、顔が映ってるね!」
「ちょっと、聞いてるの!?」
無視されたようで余計に苛立った伸が割って入って漸く2人が伸に向き直った。
「当麻には”こういう事”は告げていないのだろう?」
「そう、だけど…」
「だからさ、そういう事なんだよ」
「?」
「当麻にバレないようにああいうのんから護ろうと思ったら、征士の行動しかねぇんだわ」
仮に相手の男を捕まえることを優先すれば、地面に落とされたコンドームの存在が当麻に気付かれる可能性が大きい。
それならば今は逃がしてしまっても彼を護ることを優先し、そして撮っておいた写真を元に後から捕まえてもらえばいいのだ。
「………それで、征士が行ったの?」
「そ。言ったろ?コイツ、”鼻が利く”って」
「それじゃ、秀が運転席に来たのは写真を撮りやすくするため?」
「それもあるし、あと何かの時に当麻だけでも車に乗せて逃げられるように」
「……その場合、征士は?」
「置いてけぼりを食らうだけだ」
大した事ではないという風に言った征士は、そのまま何事もなかったように運転席に戻って行った。
車内では当麻が早速チョコバーを食べつつ顔を真っ赤にして文句を言っているようだったが、それも全く相手にしていない。
自分が依頼したこととはいえ、何となく呆然としている伸の横を通り過ぎた秀が征士と同じように何事もなかったように後部座席のドアに手をかけて、
いつまでも動かない伸を振り返ってニっと笑った。
「ま、変なヤツだけど仕事は大丈夫だって事だ」
*****
念のため、ハンドルを握る前にウェットティッシュで手を拭きました、征士。