ストロボ
「ただいまー。遅くなってゴメンねー!当麻、お腹減ってるよね?ごめんねー!」
「平気」
リビングに入るなり伸が育ち盛りの少年に開口一番で謝ると、何故か頬を赤くし妙に落ち着きをなくした当麻がソファにいた。
「……?どうしたの?キミ、熱でもあるの?」
「な、ない…!へい、平熱…!」
「…?」
「?」
必死に首を横に振る当麻に、伸と秀は顔を見合わせて首を捻るばかりだった。
「…まぁ、……何もないならいいけど。それより征士は?帰ってきてる?」
靴があるのは確認したが姿が見えないことを尋ねると、当麻がビクリと跳ねて、それに驚いた伸も同じく跳ねた。
「…え、な、何?当麻、何なの?」
「何でもない…っ!征士ならちゃんと帰ってる、ます」
「………あ、そ。…で、大丈夫そうだった?」
怪我の具合を尋ねると、当麻は物凄い勢いで何度も首を縦に振る。
流石にここまで来ると伸は何となく勘付いた。
あぁ、征士のヤツ…、
「なら良かった。で、今はどこにいるの?」
聡い子供の初心な反応に伸は笑いを噛み殺しつつ、男の所在を尋ねた。
頭の中では次に柳生警備を訪れる時の事を考えながら。
「征士は部屋」
「部屋ぁ?アイツ、若しかして骨折ったせいで熱でも出てきたのか?」
秀が横から尋ねた。
すると当麻は、ううん、と首を横に振る。
「そうじゃなくて、電話してる」
「電話?誰と」
「俺の母さん」
「当麻の…?」
「…あれ?でもここに征士の携帯、あるぜ?」
ソファに歩み寄った秀が拾い上げたのは、確かに征士の携帯電話だ。
何の変哲もない、真っ黒のそれは伸も見覚えがある。
「本当だ。征士のだね。当麻、征士の携帯はここだけど…?」
2人並んで聞くと、漸くいつもの調子を取り戻したらしい当麻がソファに座りなおして「俺の携帯使ってる」と答えてくれた。
「キミの?」
「何でまたお前ので?」
「だって征士の携帯さ、下手にアイツの実家が発信履歴とか問い合わせて調べてたらヤだろ。母さんの番号バレちゃう」
あぁ、それで。と納得した伸は、何となく天井を眺めた。
「ではあのカメラマンは元はお前のストーカーか」
「うん。…モデルにならないかってスカウトされて、その事で親と揉めてる間にストーカーになっちゃってたみたい」
「難儀だったな」
「まあね。その時に親身になって相談に乗ってくれたのが、当麻の父親」
「なるほど。それでクビになったのか」
「弟子に裏切られたって物凄い剣幕だったわよ、あの時は」
そうか、と征士は溜息混じりに相槌を打った。
約20年前に見初めて勝手に思いを募らせた結果、家まで買ったのにその相手は自分の弟子の子を身篭った。
彼からしたら怒り心頭だったのだろう。
この上なく身勝手な話ではあるが。
「しかしその人物と当麻を撮ったカメラマンが同一人物だとよく気付いたな」
「当麻が送ってくれた写真のデータよ」
「データ?」
「あの子、今まで送ってきた画像は全部自分で撮ったものか、ポスターとして貼り出されたものとかを更に撮ってきてたのよね。だから判らなかったけど、
送ってきたデータを見て何だか嫌な予感がしたのよ…」
「女の勘は恐ろしいものだな」
からかうように言うと、電話の相手はコラ、と笑いながら答えてくる。
懐かしい遣り取りだった。
「でもそれで他に判った事もあったのよ?」
「何だ?」
「征士君、当麻の近くに居るって。あの写真見て、思ったの」
「なんだ、一緒にいると当麻から聞いていなかったのか?」
「聞いてないわよ。教えてくれなかったもの」
10数年ぶりに聞く従姉妹の声は、昔に比べて少し落ち着いたように聞こえた。
そこに時間の流れを感じ、征士は思い出の中の彼女の、もう少し落ち着いた姿を思い描く。
「当麻も気を遣ったのだろう。伊達家の人間が傍にいるとは言いにくいものだ」
「そうかもね」
クスクスと笑い声が聞こえる。その後ろではクラシック音楽が流れていた。
「ところで身体は大丈夫なのか?」
「…当麻から聞いたの?」
「ああ」
「大丈夫よ。もう何ともないわ」
「本当に?」
「ええ」
「だがまだ退院していないのだろう?無理はしない方が」
「至れり尽くせりのサービスの中に、監視もついてるのよ?無理なんかしようものならナースが血相変えて飛んでくるわ」
本人はあっけらかんと笑って言うが、あまり笑えた話ではないように聞こえて征士は眉間に皺を刻んだ。
「それは…大丈夫なのか?その、別の意味で」
「大丈夫よ、無理さえしなければ何をしてようと自由にさせてもらえるし」
「………本当に?」
「本当。まあ私もここにいれば安全だから」
「安全?どういう意味だ?」
「あれ?聞いてない?私、不動産女王なのよね」
「…は?」
不動産女王って何だ。
征士は我が耳を疑ってしまった。
「不動産…?どういう事だ?」
「不動産たくさん持ってるの」
「何故」
「買ったからよ」
「その……どうやって?」
「株で儲けて」
征士は思わずコメカミを押さえる。
説明の足らない会話は懐かしいと言えば懐かしいが、久々に頭痛も起こってきた。
「…順を追って説明してくれ」
「えー」
「……麻里」
「…はい。…渡米してすぐに離婚しちゃったじゃない?でも当麻を養わなくちゃいけないから必死に働いてたのよ。で、その勤め先で株を買おうってなって。
で、私も少ない生活費の中から融通のきく額で適当に買ったんだけど、それが当たったのよね」
「…ほぉ」
「まぁほら、私、先見の明があるって昔からお爺様にも言われてたでしょ?それでちょっと本腰入れて株の売買に乗り出してみたら、」
「それが巧い具合に転がって大きくなったのか」
「そういう事!…お陰で色んなところから勧誘やなにやらお誘いがくるのが煩わしいんだけど、ここに入院したお陰でここ何年かは静かなもんよ」
「………全く…お前というヤツは…」
ナースが全部追い払ってくれるんだものと笑っている従姉妹に、呆れていいのか笑っていいのか。
正直、母親が病気だと聞いた時も不安だったが、征士が一番気にしていたのは当麻の向こうでの生活環境だった。
家を追われ土地も追われ、逃げるように海を渡った先で夫とも別れシングルマザーになった従姉妹は、社会に出たこともなく、高校も中退してしまっている。
そんな彼女がどうやって収入を得ているのか、そしてその子供が不自由な思いをしていたのではないかと征士は密かに気にしていた。
だがどうやら杞憂だったらしい。
安心はしたが、何と言うかやはり彼女はあまり伊達家には似合わない性格だったと思い知らされて、結局出たのは苦笑いだった。
「それを元手に不動産に手を出したのか」
「今後見込みのある土地を探すのは楽しかったわよ。探して投資して誘致して…何かゲームみたいだった」
キャッキャと笑う従姉妹に、征士はますます苦笑いが漏れる。
「では当麻には苦労はさせなくて済んだんだな?」
「ええ。お陰様で」
何だかまだ子供気分が抜けていないのかと不安にもなったが、息子の名を出すと途端に母親の声になった。
それに征士は何となく安心する。
「それなら良かった」
「ええ。私も征士君の説教を聞かなくて済んだから良かったわ」
「……私の説教?何故」
問い返すとまたクスクスと笑い声が聞こえてきた。
「だって征士君、昔から当麻のこと物凄く可愛がってたもの。その当麻に何かあったら私、べっこべこに凹まされるくらい説教されてたわ、絶対」
「それは…」
それは確かにそうだったかもしれない。
万が一、当麻が哀れな位に惨めな人生を歩んでいたら、幾ら親と言えど彼女を怒鳴りつけたかも知れない自分を思って、征士は笑った。
「あ、珍しい。征士君が笑ってる」
「何を言うか。私だって笑うくらいする」
「当麻の前でだけね」
「……なに?」
「征士君、昔からそうよ。あんまり笑わないくせに、当麻といるときだけは笑ってた」
「そうでもないだろう?麻里といても笑ってた筈だ。昔、姉に言われた」
「いやー、私といた時ともまた違うわよ。当麻といる時が一番、征士君、何ていうか優しく笑ってた」
「……子供相手だからだろう」
「違う。絶対、違う。…ねぇ、征士君?」
「…何だ」
「話が戻るけど、征士君、この前のポスター撮りに腕だけで参加したでしょ?当麻が裸のヤツ」
「……当麻から聞いたのか?」
「だからあの子、答えてくれないんだって。ね、そうでしょ?」
「…まぁ、……確かに参加したが…あれでよく私だと解ったな」
別に特徴のある腕はしていない。それに彼女と最後に会った姿から随分と腕は逞しくなったから、過去の記憶は当てにならない筈だ。
手の形も当麻の頬の向こうに隠れて殆ど見えて居ない筈なのに、それでも彼女は従兄弟を見抜いていた。
それに征士は見えもしないのに首を捻って驚いてみせる。
「すぐ解るわよ!だって征士君、当麻に触るとき、物凄く優しく触るんだもん!」
「………写真で解るものか?」
「写真でも丸解りなのよ」
また彼女が笑った。
「でもゴメンネ」
「…何がだ?」
「征士君が腕だけでもああいうのに参加したって事は何か事情があったんでしょう?」
「あぁ、…まあ」
「……征士君、モデル嫌いなのに…ゴメンネ。当麻の傍に居たばっかりに」
「私のモデル嫌いの原因が何を今更」
鼻で笑うと、相手も笑った。
「しょうがないじゃない。て言うか、あの程度でモデルを毛嫌いするようになる征士君が潔癖すぎるのよ」
「それを言われると返す言葉が無いのは認めるが、麻里がスカウトされたのが原因でお前は両親と不仲になった上に本家まで巻き込んでの
大騒動になったんだぞ。挙句の果てにお前は妊娠して最後は勘当だ。あれだけの問題を引き起こされたのでは、嫌いになっても仕方ないだろう」
「それが心の傷になるなんて、大人びてるように見えて征士君も当時は多感な少年だったのね」
「…お前、私を一体なんだと思っているんだ」
「”私の息子のことが大好きすぎる人”」
「…………………」
それこそ本当に返す言葉が見つからずに征士は黙ってしまった。
確かに大好きだ、大好きだけれど。
「図星でしょ」
あははははと笑った従姉妹の声が大きすぎて、征士は思わず携帯電話を耳から離した。
彼女の笑い声が大きいのは昔からだ。
懐かしいが耳が痛くて、やはり迷惑な事に変わりはない。
「……当麻にお前の笑い方が遺伝しなくて良かった」
「あ、話逸らした」
「……………」
「………。ねぇ、征士君」
「…何だ」
「……当麻のこと、お願いね」
「………ああ」
「あの子、自分のために何かするのがとても下手なの。…原因はきっと子供の頃の環境なんだろうケド、いつだって誰かのために何かしようってしてたから…」
「根が優しい子なんだ」
「…そうね。……ねぇ、征士君、当麻は本当にモデルを楽しんでやってる?何か理由があって無理してない?」
理由は確かにあった。
それも母親の危惧している通り、誰かのためだ。
だが、と征士は考える。
どの現場でも当麻は最大限に自分を表現しているし、短期間でこれほどの人気が出るくらいだ。才能はあったのだろう。
その忙しさには征士も閉口するものはあったが、無理をしているようには見えない。
…個人的には辞めて欲しい気もするが、だがモデルは彼にとって天職に見える。
何より。
「……ちゃんと責任感を持って仕事に臨んでいると思うぞ。少なくとも私にはそう見える」
「…………そう。ありがと」
「大丈夫だ。無理をしそうなら私が止めるから」
「そうね、お願い」
「ああ」
「…ねぇ、征士君」
「今度は何だ」
「…………当麻のこと、大事にしてあげてね」
「………っ!!!?」
突然かけられた言葉に、空気が喉に詰まって征士は咽た。
電話からは笑い声が漏れている。
「な、なな何を」
「本当のことでしょ?」
「だ、だから何が何の事を、…あ、いや……あぁ、そうだな。親戚だし私が大事にしてやらんとな」
「何言ってるの?征士君、当麻のことそういう意味で好きでしょ?」
「……!!!!!!」
また咽た。
いや、正解だ。だがそれをまさか自分の従姉妹で当麻の母親から言われると、流石に征士もどう答えて良いのか解らない。
そういう意味で好きだ。
という事は、そういう事をしたいという感情があるわけで、それを相手の母親に見抜かれたような事を堂々と言われると、もう本当に混乱してしまう。
「好き、でしょ?」
「…………」
「征士君」
「………………す、……好き、だな」
「うん、…ありがとう。当麻も子供の頃から征士君のこと、大好きだったから…だから本当、大事にしてあげてね」
優しい母親の声で言った従姉妹に、征士は短く、だが真摯に答えを返した。
*****
お母さん元気。